第154話 友の心は瞳に映る

「はぁぁ、これで今年度も終わりかぁ」

「なーにため息ついてんのよ。あんた終業式のあとはいつもウキウキしてたじゃない」


 終業式が終わり、同時に高校2年生の一年が終わった昼下がり。帰路についた私の右隣で、陽介は物憂げにため息をついていた。


「だって来年からは俺ら受験生だろ? そりゃため息もでるって」

「春休みが終わったら早速テストに模試だもんね。いよいよって感じ!」


 げんなりと項垂れる陽介とは対象的に、私の左隣にいるユッキーは息巻く様子で力強く頷いた。

 私はどちらかというと陽介と同じ立場だから、ともすれば待ち望んでいるような様子のユッキーの心情は理解に苦しむ。


「ユッキーすごいわね。私はまだ受験モードに切り替えらんないもん」

「そんなことないよ。ほら、私って今のところ勉強くらいしか取り得がないから……。だから、受験勉強が始まれば私もみんなの役に立てるかなぁって」

「何言ってんだ。意外と行動力あるところとか、他人の気持ちを汲めるところとか、他にもあるだろ」

「え? そ、そうかな。えへへ……」


 ユッキーの謙遜にすかさずフォローを入れる陽介は、それが特別なことだとは思っていない風だった。

 まぁ言ってることは間違いじゃないと思うけど、私にはそんなこと一言も言ってくれたことないのに。


「それはそれとして、受験勉強ではお世話になります」

「今から他力本願でどうするのよ」

「頼れる友達が直ぐ側にいるんだぜ? 頼らないほうがどうかしてるって」

「うんうん! いつも頼ってばかりだったから、頼ってもらえるなら嬉しいよ。なっちゃんもいっぱい頼っていいからね!」

「ふふっ、そうね。じゃあ遠慮なく頼っちゃおうかな。数学とか未だに分からないままにしてるとことかあるし」


 そうして電車に乗って無人駅で別れるまで、私たちの受験の話題が尽きることはなかった。

 いよいよ受験生になる。その準備が始まっているんだと強く感じることのできた時間だった。





 ――――





『受験勉強も兼ねてみんなで宿題消化しない?』


 そんなメッセージが送られてきたのは、春休みに入って一週間ほど経過した頃だった。

 そろそろそんな話題が出ることだろうとは思っていたけど、そのメッセージの送り主はユッキーか陽介だと思っていた。


「久しぶりー、でもないか。どう? 春休みは満喫してるー?」


 メッセージの送り主である隆平は、街の駅で合流するなり以前と変わらないふやけた笑みを浮かべた。

 隆平の呼びかけで集まったのは、私とユッキーと陽介の3人。街のコミュニティセンターに併設されている学生向けの自習スペースに集まって宿題をやっつける段取りだ。


 春休みに入ったということもあってか、私達と同じ年頃の学生が、家族や友達連れで辺りを歩いている。

 皆一様に楽しそうな表情を浮かべているあたり、勉強のために街まで出てきたのはわたしたちくらいなのかもしれない。


「サイコーに満喫してるよ。昼に起きて深夜までゲームをするなんて、長期休みじゃないとできないからな」


 隆平の挨拶に応えるように、そんな受験生らしからぬ発言をしたのは陽介だ。

 見れば確かに眠そうな表情をしている。こっちに来るまでの電車の中で何回かあくびをしてたっけ。

 ……こいつちゃんと勉強する気あるんでしょうね? 心配だ……。


「でもまさか、隆平から勉強の誘いが来るとはな。オンラインになってる時間も前よりずっと減ったし」

「うちも親がうるさくなってきたからなー。ポーズだけでもちゃんとしとかないとさ」

「まぁそうよね。うちはまだそこまでうるさくないけど、勉強しろって小言は増えてきたし。陽介は――」


 私がそう言うと、陽介は目に見えてげんなりした表情を浮かべた。どうやら聞くまでもなかったようだ。


「じゃあユッキーはどう? 親うるさくない?」


 陽介に話を振ることをやめてユッキーに質問を投げかけると、ユッキーはふるふると首を振った。


「ううん、うちは何も。好きなようにやりなさいって言われてるだけだよ」

「あー、なんか想像つくわ。あの人達はうるさく言わなさそうだもんな」


 確かに。ユッキーのご両親には会ったことがあるけどすごく優しそうな人たちだった。

 というか、ユッキーはそもそも頭がいいから勉強の心配をされてないだけな気がする。



 私たちはそんな会話をしながら道を歩き、10分ほどしたところで目的のコミュニティセンターにたどり着いた。

 ここの1階は生鮮食品などを取り扱っているいわゆるスーパーで、2階は誰でも使える会議施設が並ぶ。私達の目的の自習スペースは3階にある。

 1階で各々お菓子や飲み物を買ったあと3階へと上がると、そこにはすでに何人かの学生が机に向き合っていた。


 壁も天井も白で統一されたその空間に、何もない壁に向かって長机がいくつも整然と並んでいる。

 一つの机に4つは椅子を置けるだろうに、そこには贅沢にも2つずつしか椅子が置かれていなかった。

 簡素で余分なものが一切ない部屋。これは勉強という一つの目的のためだけにある部屋なんだと、ひと目で分かる。

 誰も口にはしなかったけどその空間はピリ付いた雰囲気が漂っていて、小さな物音も許されないような暗黙の了解が横たわっていた。


 私たちは小声でどう宿題を進めていくかを話し合い、私と隆平、陽介とユッキーに分かれてパイプ椅子に座った。

 組分けは文理分けだ。私も数学とかユッキーから教わりたいけど、まずは文理特有の範囲から終わらせようと話し合ったのだ。


 出された宿題を簡素な長机に広げ、黙々とこなしていく。

 まったく、春休みは2週間もないっていうのになんなのこの量は。休み明けにはすぐ実力テストがあるから、今までの範囲を網羅的に出してるのかもしれないけど、こんなの宿題やってたら休み終わっちゃうわよ。

 ……でも、そうか。私たちはもう長期休みに遊べるような立場じゃなくなっちゃったんだ。今はまだ宿題だけで済んでるけど、これが夏休みになったらもっと勉強漬けになる。先輩たちも夏休みの宿題はなくなるけど、それ以上に自分で勉強することになるって言ってたし。



 チラリと隣の長机に向かう陽介の横顔を盗み見た。

 こいつと一緒にいられるのもあと1年だけ。私と陽介じゃ文理選択が違うし、進みたい大学も違ってくるはず。そうしたらもう今までみたいに気軽には会えなくなっちゃう。毎日当たり前のように顔を合わせていたのに、もう気軽には顔も見れなくなる。


 再び気になって向けた視界の中で、陽介はユッキーになにやら小声で質問をしていた。

 周りの迷惑にならないように身を寄せ合って小声で話し合う二人は、手を伸ばすまでもなく触れ合ってしまいそうな距離で、私はえも言えぬ焦燥感に駆られる。


「ねぇ夏希。ここの答え分かる?」


 すぐ隣から小声で声をかけられて、私は思わず勢いよく振り返った。

 見れば隆平が少し驚いたような表情で、宿題の空欄を指さした格好で固まっていた。

 ……見られた、よね? 私が陽介のことを盗み見てたの、多分こいつ見てたわよね!?


「きょ、教科書見ればいいでしょ? わざわざ私に聞かなくたって答えは全部そこに載ってるんだから」

「いやー、現代社会だけ教科書忘れちゃってさ。持ってきたと思ったんだけどな~」


 私の指摘に恥ずかしそうにはにかむ隆平は、どうやら私がさっきまで気もそぞろだったことに気がついていないらしい。

 はぁ、よかった。危うく恥ずかしい思いをするところだった。……なんかもう隆平には私の気持ちバレちゃってるみたいだけど、それとこれとは話が別だもの。


「じゃあ私の教科書見せてあげるわよ。今世界史やってて使ってないし」

「お、ホント? いやー、申し訳ない」

「ほんと、自分から誘っておいて教科書忘れてたら世話ないわ」


 教科書を渡してやると、隆平は笑いながら礼を言った。

 そして、隆平は貸してあげた教科書を捲って目的のページを探しながら、世間話でもするかのようなテンションで話しかけてきた。


「それでー? さっきから陽介のこと気にしてるみたいだけど、何かあった?」

「なっ……! あんたやっぱり見てたのね!?」

「手が止まってたから何事かと思ってみてみたら、熱い視線を送ってるもんだからさー」

「別に熱い視線なんて送ってないわよ!」


 小声の中にも語気を強めて否定すると、隆平はニヤニヤとした笑みを浮かべながら疑いの声を上げた。


「でもさ、なんかあの二人いい感じだよなー」

「……どこがどういい感じなのよ」

「いや、なんか距離近いし、時折楽しそうにしてるしさ。なんか二人で並んでいるのがすごく自然に見えるっていうかさー?」


 私の向こう側にいる陽介たちに視線を向ける隆平は、微笑ましいものを見守るような目をしている。

 つられて私も陽介たちに目を向ける。陽介が問題を理解したのか感心したように頷いて、ユッキーはそのことが嬉しいのか笑みを浮かべている。

 ……いい感じ、ね。認めたくないけど、確かに隆平の言う通りだ。実はもう付き合ってますなんて言われても違和感がないくらいに、二人の距離は自然だ。その間に私が入り込む余地がないことくらい、見れば分かる。


 そうだ。傍から見てもそれは明らかだっていうのに、どうしてユッキーは最後の一手を打たないんだろう。

 あとはユッキーが陽介に好きだって伝えるだけで、あの子の願いは叶うっていうのに。どうしてそうしないんだろう。バレンタインという絶好の機会があったにも関わらず。


 もしかして私をおちょくるために? いや、ユッキーに限ってそんなことするはずない。

 単に恥ずかしくて陽介の方から言ってくるのを待ってるとか? まぁありえない話じゃないけど、そんなことしてたら私に追いつかれるかもしれないのに。……現状追いつけてはいないけどさ。


 どっちが勝っても恨みっこなし。ライバルとして正々堂々と。そういう話じゃなかったの?

 これじゃあまるで手を抜かれてるみたいだ。ゴールの手前で待たれているような、そんな感じがする。


「……」

「えーっと……、ごめん夏希! ちょっとからかおうと思っただけで、だからその~、そんなに落ち込むまないで」

「はぁ? 別に落ち込んでなんかないわよ」

「大丈夫だって。夏希もアピールの仕方を変えてたり、池ヶ谷にはない部分で勝負していけばまだ勝ち目はあるって!」

「いやだから! ホントにそんなんじゃないっての!」

「それでも勝ち目がないなって感じたら……」


 必至に取り繕っていた隆平はそこで言葉を区切ると、やけに真剣な目をして私を見つめてきた。


「……感じたら?」


 その目に少し緊張して問いかけると、隆平は何か言おうとしているのか、口元をかすかに震わせた。


「……ごめん、妙案が浮かばなかった」

「……ここが自習室じゃなかったら殴ってやるのに」


 あの真剣な目はどこへ行ってしまったのか、隆平はいつものふやけた笑みを浮かべた。

 でも、なんだかあの隆平の表情に、私は既視感を覚えたんだ。

 言いたいことが言えなくて、あと一歩の勇気が足りなくて、いつも機会をふいにしてしまう。私がいつも抱えていたそんなもどかしさ。それを隆平の瞳の中に見た気がしたんだ。

 聞き出してあげたほうがいいのかな、と。そんなことを考えているうちに隆平は宿題へと戻っていってしまった。


 今更ほじくり返すのもあれだし、完全に機会を失っちゃったわね……。

 まぁ私の勘違いだったかもしれないし、わざわざ聞き返すほどのことでもないか。

 そう思い、私も自分の宿題に戻っていく。

 隣の長机から聞こえてくる仲睦まじい小声の応酬から、意識をそらしながら。

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