第152話 親友の想いは胸奥に沈んで
「えへへ、ありがとう! 大事に、大事に使わせてもらうね!」
陽介からのプレゼントに嬉しそうに笑う池ヶ谷は、受け取ったハンカチを本当に大事そうに胸に抱えていた。
……なんというか、応援するべきだといった手前こう思うのはいけないことなんだろうけど、これはもう勝負が決まっちゃったんじゃない? 夏希。
そう思いちらりと池ヶ谷の隣りにいる夏希に目をやると、彼女は微笑ましいものを見るような目で池ヶ谷を見ていた。
でも、その表情にどこか陰りを見てしまうのは、俺の先入観のせいだろうか。あるいは願望のせいだろうか。
「おっぶねぇー! あやうくカルピスこぼすとこだったわー! え、てかいま見た? 俺の華麗なキャッチ見た? べくね?」
「はいはい、べーべー。てか明、女子にカルピスぶっかけたりしたら一生口きいてあげないからね?」
「……それはまじべーわ」
池ヶ谷がプレゼントをしまった途端、高野がジュースをこぼしそうになる。
その話題で場が盛り上がり、みんなの意識がそれたタイミングを見計らって、俺は夏希に声をかけた。
「ねー夏希。夏希は誕生日に陽介から何もらったの?」
「は? なんで今それ聞くのよ」
「いや、俺のときはどんなのもらえるかなーって予想したくてさぁ」
そう誤魔化すと、夏希はあまり納得のいっていない様子で言った。
「ふーん。でも別になんでもいいでしょ。どうせ隆平の参考にはならないわよ」
「池ヶ谷の方がいい物だった?」
俺がそっと小声で核心を突くと、夏希は少し不機嫌そうに眉を
「別にそういうことじゃないわよ」
「そっかー。じゃあ俺のときも期待できるかもなー」
「あんまり期待しすぎると何もらっても満足できなくなっちゃうわよ?」
夏希の忠告に笑みで答えると、夏希は話はおしまいとばかりに池ヶ谷たちの会話に混じっていった。
あー、やっぱりそういうことかー……。
夏希が何もらったのか分からないからなんとも言えないけど、夏希はそう感じてるってことか。
きっと自信が持てないんだな。夏希は陽介のことばかり見ていてあまり自分のことを見てないフシがあるから、自身の魅力に気がついてないんだと思う。それに気がついて自信が持てるようになれば、こんな些細な事で揺らぐこともないと思うんだけどなぁ。
「すいまっせーん! ミラノ風ドリアとマルゲリータピザ、スパイシーチキンおなしゃーす!」
「おい高野、頼み過ぎじゃないか? お前あんなに食った上にそれ全部食べられるのかよ」
「すけっち心配しょーすぎっしょ~。こう見えても俺、バスケ部なんで? これくらい余裕だし」
「これは完全にフラグだなー」
「ダッペイまで心配しょーかよ!?」
そうして俺は、騒がしい高野の声に一旦思考を中断して、池ヶ谷の誕生日会に戻っていくのだった。
――――
やがて池ヶ谷の誕生日は盛況のうちにお開きとなった。
解散したのはそのまま家に帰るには少し早い時間だったこともあり、女性陣はこのあとみんなで買い物に行くらしい。二次会みたいな感じかな?
男の俺たちは特に買いたいものもなかったので、そのまま解散となった。
「あ、陽介。ちょっと喉乾いたから自販機寄ってもいいかー?」
高野がやかましく手を振って去るのを見送ったあと、俺はすでに帰ろうとしていた陽介に向かってそう声をかけた。
「いいけど、別に俺と別れた後に一人で行けばいいんじゃないか?」
「まーまー、そう言わずにさ」
「なんだよ? まぁいいけどさ」
俺は自転車を引きながら、
何も考えずに天然水を買い、どう切り出したものかと考えを巡らす。
「えーっと、わざわざ付いてきてもらったのはさ、夏希のことで少し聞きたいことがあったからなんだ」
「またあいつの様子が変とかか?」
結局いい切り出し方が思いつかず直球で聞いてみたのだが、陽介は
「まぁ、そういうこと。ホワイトデーのあとかな、夏希の様子がちょっと変な気がしてさ。俺の気のせいだったらいいんだけど、陽介なにか心当たりとかない?」
陽介は少しの間黙り込んでいたが、やがて確かな口調で話し始めた。
「なくはない。お返しを交換したときに、夏希に雪芽からもらったチョコについて聞かれたんだよ。チョコ渡すときになにか言われなかったかって。その時ちょっと様子が変だったから、もしかしたらそれかもしれん」
「実際なにか言われた?」
「まぁ、2個目のチョコのほうが本当に渡したかったものだとは言われたよ」
……まじかー。それは夏希が先を越されちゃったかもしれないな。しかし池ヶ谷も意外と肝が座ってるっていうか、言うべきことはちゃんと言うタイプだよなぁ。
でも陽介だし、もしものことを考えて一応事実確認はしておくか。
「おぉー、それって本命ってこと?」
「いや、それがそうでもなさそうなんだよなー。それからなにもないし」
「……陽介、それ本気で言ってる?」
「お前まで夏希みたいなこと言うなよ……」
……やっぱり陽介は陽介だったかー。相変わらずの鈍感っぷりだ。
まぁなんとなくそんな気はしてたけど、少し違和感も感じる。
陽介は初め池ヶ谷からの本命チョコをちゃんと本命として認識していたっぽい。にも関わらずそれ以降池ヶ谷はなんのアクションも起こしてないみたいだ。ホワイトデーの様子を見る限りも特に本命のお返しを期待していた風でもなかったし、どういうことだろう……?
それに夏希は池ヶ谷が陽介に気があることを知っているはずだ。というより知らないのは陽介だけで、他の人はみんな知っていると言っても過言じゃない。
その事実を改めて突きつけられただけで夏希の様子がおかしくなったりするかな……? あるいは自分は伝えられなかったことを池ヶ谷が伝えられたのを知って不安になっている可能性はあるけど、ホワイトデー以降も陽介と池ヶ谷の仲が進展している様子はない。夏希もそれを分かっているはずだ。
やっぱり陽介が直接の原因なんじゃないかと疑ってしまう。
「でもそれが原因なのかな……」
「なんだよ、納得いかないのか?」
思わず漏れた心の声に、陽介は首を傾げた。
「え? いやそういうわけじゃないけど……。ただ今回は別に陽介が原因ってわけじゃなさそうだなぁって思ってさ」
「……お前少し杉山に似てきてないか? お前まで全ての元凶は俺だとか言い出さないでくれよ? なんか最近やけに夏希のこと気にしてるし、夏希のこと女神とか言い出したらさすがに友達続けていける自信がない……」
陽介の言葉に少しドキリとする。
ちょっと最近陽介に夏希のことについて聞きすぎたか。さすがの陽介でも感づいたみたいだ。
ここで俺の気持ちがバレて、陽介と夏希の関係に一石を投じることは避けたい。それに俺はもう夏希を応援するって決めたんだから、余計なことで夏希の邪魔をしたくはない。
「ははっ! 確かに最近杉山といることが増えたから考え方が似てきたのかなー。でも俺は夏希を女神だなんて言ったりしないよ。あいつは普通の女の子なんだしさ。それに友達が困ってるのに、崇めるだけで助けられないのは嫌だし」
「……それもそうだな」
友達を強調したのは逆効果だったか……?
いや、陽介の鈍感ぶりを信頼するかしかない。
「まぁ、話はそれだけなんだ。引き止めて悪かったなー」
「いや、夏希のことなら他人事じゃないし、全然いいよ」
「……そうか。じゃあまた明日」
「ああ、じゃあな」
俺は自転車にまたがると逃げるようにしてその場を離れた。
杉山に頼まれていたことは達成したし、これ以上墓穴を掘る訳にはいかない。陽介がなにか感づいてしまう前に退散するべきだ。
「他人事じゃない、かぁ」
自転車を漕ぎながら呟く。
陽介のそれは、きっと大切な女の子としてではなくて、妹や家族としてという意味なんだろうなぁ。
近すぎて気が付かないだけならまだチャンスはあるかもしれないけど、もしそうじゃなかったら……。
「……夏希、これはもう不利な戦いになってるかもよ」
思わずそう呟いて、思い直して首を振る。
何を弱気になってるんだ。応援する立場の人間がもう無理かもなんて言ったら駄目じゃないか。夏希の望む未来を信じてやれなくて何が応援するだよ。
……でも、もしかしたら俺は――
「……さーて、帰ってゲームでもするかー」
頭に浮かびかけた考えを振り払い、俺は目先の楽しみに意識を向けた。
そうして、邪な考えを一時的にでも封じたかったのだ。
――――
「むむ、そうですか……。じゃあ今回は先輩のせいじゃないってことですか?」
「まぁそんな気がするよねー。正直俺も驚いてるけど」
杉山はあまり納得の言ってない表情で再び唸った。
池ヶ谷の誕生日会を終えた翌日の月曜日。部活が始まる前か終わったあとに話そうと思っていた俺のもとに、なぜ来ないんだという苛立ちを隠しもしない杉山がやってきたのは、昼休みが始まってしばらく経ったころだった。
俺はそのまま杉山に引きずられるようにして近くの空き教室に連れられ、日曜日に起こったことのあらましを話させられたのだ。
「てっきり先輩のせいかと……。じゃあ茜の言ってたことが正しかったってこと……?」
「まぁ陽介を軸にした出来事って捉えるなら、あいつのせいだと言えなくもないけどねー」
「……塚田先輩頭いいですね! そうですよ、そもそも先輩の態度がはっきりしないのがいけないんです! 夏希先輩に興味がないならそれ相応の態度をですね――」
陽介への攻撃の糸口を見つけてヒートアップする杉山を受け流しながら、俺は今後どうするのかをぼんやりと考えていた。
池ヶ谷と陽介が両想いなのはほぼ確定だ。少なくとも池ヶ谷は陽介のことを好きなはずだ。でなきゃあんな本命丸分かりのチョコを渡したりしない。
陽介の気持ちだけが確定じゃないけど、まぁあれはほぼ確定と言っても過言じゃない。
俺の予想通り二人が両想いなのだとしたら、夏希に入りこむ余地はないことになる。そうしたら俺たちのやっていることの意味はなくなってしまう。この同盟も、もう必要ない。
「――そもそも夏希先輩ほどの女子がああも慕っているのに、気づかないのがおかしいんですよ! 生まれる過程でどこかおかしくなったとしか思えません!」
「なぁ杉山。俺たちは今後どうすべきなんだろーな」
「あれ、話の流れを無視!? というかどうして急にそんなことを……?」
「池ヶ谷と陽介、かなりいい感じだろ? 夏希が入り込めるのかなって思ってさ」
俺がぼんやりと考えていたことを打ち明けると、今まで饒舌で途切れることのなかった杉山の口が止まった。
杉山はしばらくの間神妙な顔つきで黙りこくっていると、やがておもむろに口を開いた。
「……分からないじゃないですか。あの先輩ですよ? ユッキー先輩の気持ちにも気づいてないでしょうし、夏希先輩にするように思わせぶりな態度を取ってるだけなんじゃないですか?」
「気づいてるか気づいてないかは大きな問題じゃないだろ? 陽介と池ヶ谷が両思いなら、あいつらが付き合うのも時間の問題じゃないか」
「だから、両思いだとはまだ――」
「確定だよ」
食い下がる杉山を切り捨てるかのようにきっぱりと言い放つと、杉山は気圧されたように口をつぐんだ。
「ごめん。でもあれはもうほぼ確定だ。杉山も見てたなら分かるだろ? 陽介が池ヶ谷のことを特別に思ってることなんてさー」
「……別に、私は先輩のことなんて見てないので何も分かりませんよ。私は夏希先輩のことしか見てませんので」
ぶっきらぼうにそう言う杉山の不満げな表情からは、言葉とは反対の意味が見て取れた。
確かに杉山が言っていることは間違いじゃない。彼女は夏希のことしか見ていない。でも杉山は夏希とその周囲のことにちゃんと目を配れているやつだ。だから夏希のことを誰よりも理解しているし、どうすべきなのかも理解できている。
だから陽介のこともちゃんと理解しているし、あいつが夏希や池ヶ谷に向けている思いの違いにも気づいているはずなんだ。
「杉山」
「~~ッ! 分かってます! 分かってますよっ! 先輩とユッキー先輩が両思いなのはほぼ確定でしょうね! ええそうでしょうね!」
俺が少し嗜めるように呼びかけると、杉山は半ばやけくそに白状した。
「私、先輩に聞いたことがあるんですよ。広瀬先輩からユッキー先輩を取り戻したとき、夏希先輩が同じ目にあっても同じように行動するかって」
続けて杉山の口から聞かされたことは、俺にとっては初耳だった。
というか杉山と陽介が広瀬との騒動のときに絡んでいたなんて意外だった。
「そしたらあの人、なんて答えたと思います?」
「同じようにする、だろ? あいつならそう答える」
「その通りです。でもその答えに納得できなかった私は本当ですかと念押ししました。そしたら先輩は一瞬言い淀んだんですよ」
それはつまり、陽介にとって夏希と池ヶ谷の間に違いがあったということだ。
「その瞬間私は悟りました。先輩は確かに夏希先輩もユッキー先輩も好きだけど、その意味はまるっきり違うんだってことに」
杉山はそこまで言うと呆れたようにため息を付いた。
「ホント、あの人はどこまで欲張りなんですかね。ユッキー先輩のことは好きだけど、夏希先輩のことも大切だなんて。そんなんじゃいつか、全部を取りこぼすことになるかもしれないっていうのに……」
そう言う杉山の表情はどこか物憂げだった。
でも杉山の言うとおりだ。二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉があるように、欲を出せば失敗する。すべてを得ようと思えばきっとどちらをも失ってしまう。
陽介はきっとどっちも得てやろうなんて欲張りな考えでいるわけじゃないだろうけど、それでも現状は同じことだ。
いつか陽介は決めなくちゃいけない。夏希と池ヶ谷との関係をどうするのかを。
もしその時どれも選ばずに何も変わらない選択をしたとしたら、きっとそれは誰も幸せにならない結果になるだろう。
陽介も夏希も池ヶ谷もみんな自分の想いには蓋をして、嘘で塗り固められた仮面を被って笑い合う。そんな未来になってしまう。
だから、なんとかしないといけない。外野の俺が首を突っ込むことじゃないかもしれないけど、なんとかしたいと思っている。
「……なんとかしないといけませんよね」
杉山はポツリと零すように呟いた。きっと俺と同じことを考えていたのだろう。
「うん、そうですよ。じゃないと夏希先輩が不幸になっちゃいますから。もし夏希先輩の想いが叶わなくても、それはいつまでも先輩の影に囚われていることよりは不幸なことじゃないはずです」
真剣な目だ。杉山は本当に夏希のことを第一に考えてくれている。
それがなんだか無性に嬉しくて、俺は緩みそうになる口元をキュッと引き締めた。
……ってちょっと待った。今なんか変なこと言わなかった?
「だから、本同盟は次の作戦へ移行します」
「……というと?」
「同盟の第二作戦は……」
杉山はそこで一旦溜めを作ると、カッと目を見開いて作戦名を高らかに宣言した。
「夏希先輩略奪作戦、ですッ!」
「…………はい?」
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