第150話 害虫の駆除は真理に至ってから
「うーん」
白日作戦が無事終了した次の日。私は
「うーん!」
「……」
「うーん! ううーんッ!」
「あーもうなに!? うるさいんだけど!?」
さすがに目の前で唸られては意識を向けざるを得なかったのか、茜はその鋭い目をより尖らせて私を睨みつけた。
「よくぞ聞いてくれました、茜! さあ私は何に悩んでいたでしょうか?」
「うっわめんどくさ。夏希先輩以外で悩むわけ無いでしょあんた」
「……なんで分かったの? エスパー茜?」
「そしたら千秋は誰でもエスパーにできるね」
「ちょっと意味分かんないんだけど」
「急に突放すのやめような。話聞いてやらないよ? ていうか自習とはいえ今授業中だから。静かにしとき?」
茜は意味分からないことを言ったのが恥ずかしくなったのか、捲し立てるようにそう言った。
それとも、真面目に自習しているところを邪魔されたから怒っているんだろうか。
周りもほとんどの人が喋ってるのに、相変わらず見た目にそぐわない真面目っぷりだなぁ。
しかし、茜は怒ってそうな顔してても、割と怒ってないことのほうが多いし大丈夫だろう。私はそう高をくくって事のあらましを話し始める。
「実は、
「結局話しはするのか……。てかホントにエスパーなわけじゃないから。斯々然々だけじゃ何も分からないから」
「実は、ホワイトデーを利用したとある作戦で夏希先輩の応援をすることにして、割と先輩といい感じになったりして上手く行ったんだけど、どういうわけか夏希先輩の元気がなさそうなんだよね……」
「だいぶ端折ってたなおい」
茜は律儀にそうツッコミを入れたあと、少し表情を和らげる。
「でも応援、することにしたんだね。ちょっと意外」
「塚田先輩と二人で応援と邪魔のバランスを取って上手くやることにしたんだ」
柔らかくなった表情を、今度は怪訝そうに歪める茜は、顔全体で意味分かんないと言っているようだ。
「邪魔……? 邪魔って何? え、応援だけじゃないの?」
「お試し応援期間なだけだから、応援だけして先輩と夏希先輩がくっついたりでもしたら、私生きていけないからね。適度に邪魔もしないと」
「千秋さ、応援の意味分かってる?」
「当然。あと一歩が踏み出せない夏希先輩の背を押すことでしょ?」
「背を押すってことはくっつけようとするってことなんだけど……」
「だからお試しなの。茜だって職業体験で行った会社に就職しなくちゃいけないってなったらイヤでしょ?」
「いやそれは場合によるでしょ」
茜は微妙に納得のいっていない顔でモゴモゴ言っているが、要するに夏希先輩を応援する感触を知りたいのだ。
その上で私は自分の行動を決めるつもりでいる。
「だというのに、夏希先輩はどうして元気がないんだろう……? 何か間違ったかな?」
「どー考えても邪魔したせいだろ」
茜は呆れたような視線をこちらに向けながらそう言うが、今回は何も邪魔してないはずだ。
作戦は順調に進行していたし、マカロン作りも塚田先輩に誘導してもらって、先輩とふたりきりで練習をしていたはず。
今回はユッキー先輩も関わってないし、その後の様子を見るにうまく行っていたと思っていたけど……。何がいけなかったんだろう?
「はい、結論も出たしあたしは自習に戻るから。千秋もやることやりなよ」
「何言ってるの茜。結論の"け"の字も出てないよ。さあ話の続きを――」
「分かった分かったっ! 聞くけどせめて自習プリントくらいは終わらせなって!」
「何言ってるの茜。自習プリントなんてとっくに終わってるけど?」
「……あんたが勉強できるのマジで納得行かないんだけど」
「夏希先輩と勉強を両立できなきゃ、一人前のファンじゃないし」
だが、勉強なんて今はどうでもいい。今重要なのは夏希先輩のことだ。
夏希先輩がどうして気を落としているのか。それを突き止めない限り、今後の応援活動に支障が出る可能性がある。
応援するつもりなのに邪魔してたとかは嫌だ。邪魔するつもりで邪魔してるならいいけど、本意とは逆に作用するのはいただけない。
結果私がどちらの行動を選択するにせよ、今は応援する立場なのだ。だったらちゃんと応援したい。
「つまり、夏希先輩がどうしてうまく行っていたはずなのに気落ちしているかが問題なんだよ」
「ねぇ千秋。あたしが自習する時間はないの? まだプリント終わってないんだけど」
「夏希先輩が落ち込む要素は、私の知る限り部活、勉強、先輩。この3つしかない」
「ねぇ聞いてる? あたしの自習時間――」
「部活は3年生の先輩が引退してから少し苦労してたみたいだけど今は安定してるし、勉強はこの前のテストの結果が思わしくなかったのか少し落ち込んでたみたいだけど今は引きずってない。ということは先輩のことだと推測できる」
「ちょっと――」
「そして私が女神からの賜り物を授かりに行ったときはまだ元気があった。つまり! 先輩とホワイトデーのお返しを交換したあとに何かあったはずなのっ! あの害虫先輩がまたなにか
ガタンッ、と大きな音が教室に響き渡り、あたりは静けさに包まれる。
どうやら興奮しすぎて立ち上がっていたらしい。クラスメイトからの呆気にとられた視線が私に向けられている。
しかし、少しもしないうちに彼らは興味を失ったように各々の日常に戻っていった。
「……あのさ、悪目立ちするのはいいんだけど、あたしの側でやらないでくんない? 同類だと思われたくないから」
「そんなすごく今更なことはどうでもいいの。いま重要なのは先輩をどう駆除するかということだけなの」
「え? 今更……? 今更ってどういうこと? あたしあんたの同類だと思われてるってこと……?」
茜は
何がそんなにショックなんだろう? 私と同じってことは優等生だってことじゃん。むしろ喜ぶべきとこだよそこは。
「……いや、そのことについては深く考えないことにする。で、今あんた駆除するって言った? 応援してる人駆除してどうすんの」
「はぁ? 私は夏希先輩を応援しているのであって、先輩を応援したことなんて一度もないんだけど」
「分かった、今のはあたしが悪かった。だからそんなマジな顔しないでって!」
茜は気まずそうに目をそらすと、そう謝罪した。
先輩を応援することなんて万に一つもない。あの人は私から夏希先輩を奪おうとする敵だ。塩を傷口に塗り込むことはしても、送るような真似はしない。
「あー……、で、なんだっけ? 駆除するんだっけ。とにかくやめとき? そもそも原因がその先輩かどうかも分かんないんだし」
「絶対そうに決まってる!」
「でも直接聞いたわけじゃないんでしょ? だったら違う原因かもしれないじゃん。てか夏希先輩の落ち込む要素が3つだけってのも眉唾だし」
「絶対に先輩が原因なの! ……直接聞いてはないけど、そうに決まってる!」
そうだ、そうに決まっている。強くて優しい夏希先輩が、自分の弱さを晒して等身大の姿で一緒にいられるのは、先輩だけなんだから。
夏希先輩を弱くしてしまうのは、先輩が原因なんだから。
私の憧れた夏希先輩を、私の知らない夏希先輩に変えてしまうのは、いつだって先輩なんだから。
「……だから、先輩が悪いんだ。先輩の毒が夏希先輩を狂わせる。先輩さえいなければ夏希先輩がああも惑わされることもないのにっ!」
「じゃあ仮にその柳澤先輩だっけ? が原因だったとして、夏希先輩の好きな人をどうにかしちゃったら、あんた応援することもできなくなるわけだけど。もうお試し期間は終わりにすんの?」
それはまだ駄目だ。まだ私は自分の気持を、進むべき道を決めきれてない。
応援してみての感触は良かった。これもありかもって思えた。でもまだ先輩への嫌悪感を拭いきれない。そんな気持ちを抱えたまま、どちらか決めることはできない。
「……まだ終わりにしない」
「じゃあ一旦冷静になれっつの。まずは夏希先輩が落ち込んでる原因をちゃんと突き止めることからはじめな? 決めつけとか推測とかじゃなくてさ」
なんかすごくまともな意見を言われた。ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。
「ぐう」
「……なに、急に」
「せめてぐうの音だけは出してやろうと思って」
「ベタな反撃してないで、原因追求の算段でも立てたら?」
全くその通りだ。茜の言う通り原因を突き止める方法を考えよう。
それでもやはり先輩が一番怪しい。夏希先輩に直接聞くのもあれだし、先輩と話すのはできるだけ避けたい。
となると、あの人しかいないか。
――――
「……でー、俺に裏を取ってこいってこと?」
その日の部活終わりの塚田先輩を捕まえてことの
「そういうことです。塚田先輩なら夏希先輩と先輩の両方に自然にアプローチできます!」
「まぁ俺も夏希の様子がちょっと変だなって感じることあったから、原因を探るのは賛成だけど……。どう切り出せばいいのさー。いきなり二人なんかあった? とか聞けないよ」
「そこはこう、塚田先輩お得意のフォロー術でなんとかしてください」
「無茶言うなぁー」
そう言って塚田先輩は困ったように笑うけど、無理だと言わないあたり
これだけ気を配れて人当たりもいいのに、なんで浮いた話の一つもないんだろう?
あれかな、結局いい人止まりで終わっちゃうってことなのかな。確かにがっつくタイプじゃないし、夏希先輩へのアプローチも見ていて控えめすぎて分かんないし。優良物件だと思うのにもったいない。
まぁ、おかげで私は安心なんだけどね。塚田先輩が夏希先輩を脅かす心配は皆無だってことだし。
「とにかくっ! 作戦が成功したにもかかわらず結果が思わしくないことは、次回以降の作戦の成否にも大きく関わります。不安要素は今のうちに潰しておかないといけません」
「それはまぁ、そうだなー。でもあまり期待はしないでくれよ~? 日曜日にみんなで集まる機会があるから、そこで確認してみるけどさ」
「ユッキー先輩のお誕生日会ですよね」
私がそう言うと、塚田先輩は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして絶句している。
「……なんでその事知ってるの?」
「夏希先輩のスケジュールはだいたい把握しています。ユッキー先輩のお誕生日は13日だったけど、平日だったということもあり改めて日曜日にお誕生日会を行うとか。ちなみに提案したのは先輩だと聞いています」
「陽介が提案したことまで知ってるのかー……。それはファンクラブの情報網?」
今度は私が驚く番だった。
あれ、私塚田先輩にファンクラブのこと話したっけ……? 基本夏希先輩と親しい人物には私がファンクラブの会長であることどころか、ファンクラブの存在すら話していないはずだけど……。
「なんでそれを……」
「あ、やっぱり存在したんだ、ファンクラブ。バレンタインの感じを見てたらあるのかもなーって思ってたんだけど、ほんとにあったとはねー」
「……ハッ! さてはカマをかけましたね!? 塚田先輩のくせに生意気ですっ!」
「ははは。それで会長は杉山だったりして」
「……黙秘します」
「やっぱ杉山が会長なのかー」
「黙秘だって言ってるじゃないですかっ! ずるいですよ!」
私がムキになってそう叫んでも、塚田先輩はいつものように穏やかな笑みを浮かべているだけだ。
「杉山は嘘がつけないんだなあ」
「そんなことないですよ! 嘘つきまくりですっ!」
「それもどうかと思うけど……」
塚田先輩は苦笑を浮かべると、そのまま少し目を伏せて呟いた。
「その素直さが俺たちに少しでもあればなぁ……」
それはどこか諦めを滲ませた言葉で、この先ずっとそれが手に入らないと分かっているかのような。そんな言葉だった。
……それは違う。塚田先輩は自分の気持ちに嘘をつき続けなくてもいい。素直さを手に入れたっていいはずなんだ。
「まぁとにかく了解したよ。それとなく聞いておくから、なにか分かったら連絡する」
なにか言わなきゃと思って言葉を探しているうちに、塚田先輩は何事もなかったかのようにそう言った。
私が何も言えずにいると、話は終わりだと察したのか、塚田先輩は荷物を背負い直して、別れの言葉とともに背を向けた。
「塚田先輩!」
去りゆく背中に思わず声をかけて、振り向く塚田先輩の目を見る。
「塚田先輩も自分の気持ちに嘘をつかない方法を選べるはずです。私だって夏希先輩のおかげで、今の私に変われたんですから!」
そう、人は変われるんだ。私がそうだったように。
きっと塚田先輩だってそうだったはずだ。夏希先輩と出会って、何かが劇的に変わったんだ。
だったらまた変われる。私達は夏希先輩のために変わることができる。新しい可能性を、方法を、選ぶことができるはずなんだ。
私が感情のままに叫んだ言葉に、塚田先輩は驚いたように目を丸くした後、少し嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。
「ありがとう。そうだといいな」
それはさっきまでとは少し違う。諦めの中にも少しの希望が混じったような、そんな笑みで。
それを見た私も、何故か少しだけ嬉しくなった。
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