第148話 もう一つのマカロンは特別な人に

 3月も半ばに差し掛かった14日の朝。部活動を終えて教室に入ると、なんだかいつもより少し騒がしかった。


「え!? マジでヒナの分も作ってきてくれたの!?」

「ああ、そうだよ。じゃないとヒナうるさそうだし」

「イチゴ! ちゃんとイチゴ味にしてくれた?」

「したした。そこそこちゃんとイチゴ味だよ」

「やったー! 陽介君最高~!」


 見れば今にも陽介に抱きつきそうな勢いで喜んでいるヒナが、その場で小躍りしている。

 それを見る陽介は辟易としているようでいてどこか嬉しそうだ。

 そんな二人を微笑ましく見守るユッキーは、私に気がつくと小さく手を振った。


 何の話をしているのかは聞くまでもない。私のバッグの中にも昨日作ったお菓子が入っているんだから。

 私はユッキーに軽く手を上げて応えると、陽介たちのもとへ近づいていく。


「朝から騒がしいわね。そんなに騒いでたら一日元気持たないわよ?」

「おー夏希。渡さなかったらうるさいだろうと思って作ってきたんだが、余計うるさいことになってな……」

「はやくはやくぅ!」

「分かった分かった。だから鞄を奪い取ろうとするな」


 まるで野獣のようなヒナを押さえつけ、陽介が鞄から取り出したのは可愛らしいピンクのマカロンたちだった。

 想像以上に仕上がっていて、なんだか悔しいわね……。スタート地点は一緒だったはずなのに、一歩先に行かれた気分。


「おぉ……! ホントにマカロンじゃん!?」

「何渡されると思ってたんだよ……」

「おお、すごいな。陽介は器用なんだね」


 先程からチラチラとこちらの様子を伺っていた広瀬君がやってきて、ヒナと一緒に陽介の渡したマカロンに感嘆の声を上げる。

 陽介はそれを聞いて少し顔をしかめるも、そんなの大したことないと返す顔はどこか得意げだった。



「そういえばさー、マカロンってどんな意味だったっけ?」

「意味?」


 ヒナの言葉に一瞬ドキリと心臓が跳ねた。

 そんな私をよそに、他の人に渡す分を取り出そうと鞄を漁っていた陽介は首をかしげる。


「特別な人、だったと思うよー」


 新たに参加した間延びした声に、皆一斉に振り向く。

 そこに立っていた隆平は多くの視線に当てられて少したじろいだのか、曖昧な笑みを浮かべた。


「……って、杉山が言ってた気がする……、かな?」

「ふーん」


 ヒナは興味なさげにそう呟くも、何かに気がついたのかわざとらしく驚いた表情を浮かべた。


「ってことは陽介君にとってヒナは特別な存在ってこと……!?」

「「それはない!」」


 思わず声を上げると、それに重なる声がもうひとつ。

 声の主を見ればあちらも少し驚いたようにこちらを見ていた。


「雪芽も夏希もそんなムキにならなくてもいいじゃーん! ねぇ陽介君?」

「そういや意味とかあったんだっけか。全然意識してなかったわ」

「あ、そう……。まぁ陽介君だしね。意識してたらびっくりだし」


 ヒナは何かを期待していたのか、陽介の的外れな反応にがっかりしている。

 まぁ当然よね。陽介がお返しの意味なんて意識しているはずもないし。


「まぁ、お前らはある意味特別だからな。あながち間違いじゃないか」


 ……だと思っていたのに、平気な顔してこういうこと言うんだから。

 私の望む特別じゃないって分かってても、なんかドキドキしちゃうじゃない。



「え!? それって告白……? でもごめんね陽介君、ヒナにはもう心に決めた人がいるから~」

「別に告白してねぇよ! 勝手に早合点するな」

「え〜ホントぉ? でもちょっとくらいはヒナのこと好きでしょ?」

「はいはい。ほら広瀬、お前ヒナに用事あるんだろ? もう連れてってくれ。面倒臭くてかなわん」


 陽介の口から突然広瀬君の名前が出てきたものだから、ヒナはキョトンとした顔で陽介と広瀬君を見る。


「え? 優利がヒナに用事?」

「……なんでこんな時ばかり鋭いんだ、君は」

「ソワソワし過ぎなんだよ。こういうのは慣れたもんじゃないのか?」


 広瀬君が苦い表情を浮かべ、それを見た陽介はしたり顔だ。

 何の話か分からない私達はいっせいに広瀬君を見る。


「そのはず、だったんだけどね」


 広瀬君は一度頭を掻くと、はにかみながら手に持ったそれをヒナに差し出した。


「お返しを持ってきたんだ。その……、バレンタインでは素敵なチョコをもらったからね」


 丁寧に包装された小箱を受け取ったヒナは、驚きを隠すこともせずに広瀬君と小箱を交互に見ている。

 それから少しして現状が理解できたのか、喜びに頬を染め、目を輝かせて言った。


「開けてもいい!?」

「ああ、少し恥ずかしいけどね……」


 ヒナは興奮気味に、でも慎重に小箱を開ける。

 そこには少し不格好な小鳥をかたどったピンクの飴細工が、鳥の巣を模した糸ヒバに包まれていた。


「これって……」

「お菓子作りなんて初めてだったから不細工になってしまったけど、受け取ってくれるかな?」


 どうやら広瀬君が自分で作ったようだ。

 そのお返しの意味に気がついたらしいヒナは、紅潮した顔を勢いよく上げると、潤んだ瞳で広瀬君を見つめた。


「~~~~ッ! 優利ありがとうっ! ちょー嬉しい! 一生の宝物にする!!」

「ははっ、飾られたりすると恥ずかしいから、早めに食べてくれよ?」


 ……なんだかこの二人、いい雰囲気ね。なによ、朝から見せつけてくれちゃって。

 私だってきっと――。



「ほらほらお二人さん、用事が済んだならあっち行ってくれ。早くしないとまーた呼んでもいないのにうるさいやつが――」

「ウッウェーイ! すけっち起きてるぅー!?」

「あーほらもう来ちゃったじゃねーかよ鬱陶うっとうしいのがよぉ」


 広瀬君とヒナの甘い雰囲気に当てられて、余計なことを考えそうになっていた私の思考を払ったのは、思わず目を細めたくなるような明るい声だった。


「お、すけっち起きてるじゃーん! じゃあこれお返しな!」


 高野君は高いテンションのまま、コンビニに売っているちょっと高いクッキーを陽介の机に置くと、広瀬君とヒナを引っ張ってどこかへ行ってしまった。

 嵐のように去っていた高野君の背を見送って、陽介は放心したように口を開けている。


「お返しって……。なんのだよ?」

「ほら、バレンタインのチョコあげたからじゃない? 荒ぶる高野の魂を鎮めるためにさー」

「あぁ、あれか。お返しとか妙に律儀だなあいつ」

「でも恥ずかしがってたみたいだけどね」


 陽介と隆平の会話に私が口を挟むと、二人は揃って以外そうな顔を向けた。


「だっていつもなら陽介の周りで騒いでるじゃない。なのにすぐどっか行っちゃったし」

「そういえば今日は一回しかウェイられてないな」

「アレの単位ウェイなんだ……」

「そんなことよりやかましいのも去ったし、お前らにもお返しを配るとするか」


 少し呆れ気味にこぼしたユッキーには答えずに、陽介は鞄に手を入れる。

 そしていくつかの袋を取り出すと机に並べた。


 陽介が作ったと分かっていても信じられないような、かわいいマカロンたちが肩を並べる。

 そのうちの色とりどりなマカロンが入った袋を手に取ると、私に差し出した。


「これが夏希の分。オレンジとレモンとイチゴだ。多分全部お前の好みの味だと思う」

「そうだけど……。なんで私の好きな味分かったのよ?」

「昔から変わってなければこのあたりかなぁって思っただけだよ。合ってたみたいだな」


 自慢げな陽介の表情に、見透かされたみたいで少し恥ずかしくなって。


「ふ、ふーん? 陽介にしては気が利くじゃない」


 そんな憎まれ口を叩くけど、昔のことを覚えていてくれたことに、私のことを思ってくれたことに、思わず頬が緩む。


「その……、ありがと」


 ポツリと呟く感謝の言葉に、陽介は柔らかく微笑んだ、……気がした。

 だってにやけそうな顔を見られるのが恥ずかしくて、目を合わせられないから。

 目を合わせてしまえば、こんな私の心の奥底まで陽介に見破られてしまう気がしたから。


「こっちこそ、その節は素敵なチョコをありがとうな」


 そういう陽介の表情を一瞬だけ盗み見る。

 それは私の思い描いた通りの、柔らかくて温かい微笑みだった。



 ……あぁ、やっぱり私はこいつが好きだ。

 こういう些細な瞬間にそれを実感する。

 もう何回、何十回、何百回と繰り返し確認してきた想いは、今になっても変わらない。




 でも――




「じゃあ今度は雪芽の分な。唐辛子マカロンとか売ってるの見たことあるからそれにしようかとも思ったんだが、さすがにやめといたよ」

「うわぁ、ありがとう! ……でも唐辛子も気になるなぁ」

「無茶言うな」




 でも、この想いの行き先を、私は知っている。


 ユッキーがあの夏に現れた時。

 体育祭でユッキーが倒れた時。

 広瀬君にユッキーを取られた時。そして取り戻した時。




「まぁ代わりといっちゃなんだが、これも雪芽に」

「えっ? もう一つ……?」




 そしてこの瞬間ときにも、ユッキーは陽介の特別なんだから。



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