第144話 春の訪れは別れに始まる
「あー、めんどくせぇ……」
「朝からげんなりだなー」
春の訪れを感じさせる暖かな日が差し込む教室で、俺は一人だけどんよりとしたやつを見下ろす。
そいつは席につくなり突っ伏して、全身で抗議の意を示していた。
「だって土曜日だってのに登校しなきゃなんないんだぜ? 隆平や夏希は部活で慣れてるかもしれないけど、俺にとっては休日を潰されたんだ。げんなりもするって……」
「もー、陽介ダメだよ? 先輩たちにとっては今日は大事な日なんだから」
「池ヶ谷の言うとおりだよ。まぁ、遅刻しなかっただけ成長してるかぁ」
「……ま、まあな?」
俺がフォローを入れると、陽介はそっと目をそらした。
それを見た夏希と池ヶ谷は疑いの目を陽介に向ける。
……まさか陽介のやつ、遅刻しかけたのかな? 昨日も俺がやめたあともゲーム続けてたみたいだし。
「へー? 陽介は成長してるんだ? じゃあ今日も私たちが連絡するまでもなく登校できたのよね?」
「連絡?」
俺が夏希に聞き返すと、夏希は池ヶ谷と目を合わせて頷きあった。
「そうなのよ。今日は部活ないから私も駅で待ち合わせたんだけど、なんか嫌な予感がするってユッキーと話してて、ね?」
「そう。それで試しにメッセ送ってみたら反応なくて。慌てて電話したらおはようございますだって。信じられないよね」
「……ホント助かりました。お手数おかけして申し訳ない……」
なるほど、そういうことだったのか。陽介はあいも変わらず陽介のままなんだなぁ。
女子二人に冷たい視線を向けられて、陽介は小さく縮こまってしまった。
その姿が哀れだったけど、朝から羨ましいやつだからフォローは入れなくてもいいか。
「よしお前ら、簡単にホームルームやるから席つけー」
山井田先生が教室に入ってきてそう声を上げると、陽介は心底助かったという表情を浮かべた。
さて、俺も自分の席に戻るとしよう。もうすぐ卒業式が始まる。
――――
先輩方の卒業式は粛々と進められていった。
通路のために体育館の中央は空いていて、それを挟んで向こう側にいる陽介は船を漕いでいた。
まったく、昨日何時までゲームしてたんだよ。だから早く寝たほうがいいって言ったのに。
そんな小言を胸のうちで呟くも、俺の口元は微かに笑みを浮かべていた。
まぁ、それが陽介だよなぁ。変わらない、というよりブレない、かな。あいつはいつも俺の知ってる陽介だ。
小さなことじゃ態度は変わらないし、いい意味で予想の範疇を超えない。だから安心して側にいれるし、落ち着く。
加えて面倒見もいいし、他人の否定もしないし、遊びに誘えば8割は応えてくれる。残りの2割は面倒くさがったり他に夢中になってることがあったりで断られるけど。
でもいつもOKより少しくらいNGがあったほうが、確かな自分を持っているように思えるからなんかいいよな。
だから、あいつが男女問わずモテることには納得できる。事実俺も陽介のことは好きだしね。
今度は陽介とは反対の奥にいる夏希に目をやると、彼女は池ヶ谷と並んで真っ直ぐに前を見ていた。その目はどこか潤んているようにも見える。
……そのせいかな、俺の好きな人が陽介のことを好きだったことにも、そこまで悔しくなかったのは。
まぁそりゃあそうだよなぁって、ハナから納得しちゃったし。元から俺が入り込む余地なんてなかったんだから。
『続いて、卒業証書授与』
マイクを通して、小さなハウリングとともに先生の声が体育館に響く。
それは静かな体育館にしんと響いて、思わず背筋が伸びるような厳格さを
遂に終わりを迎える。先輩たちのすっと伸びた背中からはそんな心の声が透けて聞こえるようだ。
それに触発されて、俺も背筋を伸ばす。
クラスの担任が一人ひとり先輩たちの名前を呼んでいく。それに応える先輩たちの声は凛々しく、なんだか別れの挨拶を交わしているようにも感じられた。
もうお世話になった先輩たちともお別れなのかぁ。そう思うとやっぱり寂しい。
でも、夏希みたいに別れを惜しんで涙を浮かべたりはしない。そこまで情に脆くはないから。
なんだか冷めた気持ちでいる自分が薄情に思えた。
でも仕方ないよなぁ。部活だってそこまで真剣にやってたわけじゃないしさ。
不純な動機で始めて、そのままなんとなくやってるようなもんだし、先輩たちとの間にも温度差を感じることはしばしばあった。
それでもまぁ、お世話になったことには感謝しているから、俺は壇上で卒業証書を受け取る先輩たちを真っ直ぐ見つめた。
それから卒業式はつつがなく終了して、今日はもうこれでお開きとなった。
山井田先生はこれからはお前らが3年生で、この学校の顔になるんだなんて言ってたけど、あまり実感はわかなかった。
陽介たちと別れてから、俺は最後に先輩たちに挨拶に行くために、夏希と相沢とともに部室へ向かう。
俺たちが部室につくと、先輩たちはすでに集まっていて、部室の中には収まりきらずに入口付近でたむろしている。
よその部活の生徒たちもごちゃまぜになって、なかなかの賑わいだ。
「お、きたきた三人組。遅いぞー」
「すみません、先生の話が長くって」
部長はそんな中でも俺たちを見つけて軽く手を上げ、夏希がそれに応えた。
「部長、卒業おめでとうございます!」
「小山、俺はもう部長じゃないって」
「あっ、そうでした、つい……。でも部長を部長以外の呼び方するのはなんか気持ち悪くて」
「部長は部長だもんね」
「名前忘れちゃいましたよ!」
「お前らなぁ」
夏希の言葉に周囲も便乗して、あたりには笑いがこだまする。
「でも小山、本当はお前を部長に任命したかったんだ。なのに走りに集中したいとかで断りやがって……」
「だって部長になると何かと忙しいじゃないですか」
「まったく……。だけど実質俺の後任だと思ってるから、あとは任せたぞ!」
「あんまり自信ないけど、やれるだけはやります」
夏希の言葉に部長は力強く頷いた。
しかし、次の瞬間には上を見上げて大きなため息をついた。
「あーあ、それにしてもあの逸材をスカウトできなかったことだけが心残りだなぁ」
「まだ言ってるよこの人。柳澤君モテモテだね」
「相沢ぁ……、ちゃんとスカウトしたんだよなぁ?」
「しましたって! 私より夏希のほうがしてなかったですよ!」
「私は部長に言われるより前から勧誘してたから、総合すれば結奈より上よ」
そんな陽介への未練がタラタラな部長たちのやりとりを眺めて静かに笑っていると、突然誰かが俺の肩に手を回した。
それと同時にふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。
「塚田ぁ、あたしらが卒業してさみしいか〜?」
「塚ちゃん冷めてるからなぁ。どうかなぁ?」
驚いて見てみると、度々俺を可愛がってくれていた女子の先輩たちだった。
ニヤニヤと
「そんなことないですよー。寂しすぎてしばらく走れないかも」
「ほんとかー? じゃあじゃあ最後にあたしに告ってみ? そしたら信じてあげるからさ」
「だめだよ〜。塚ちゃんはほら、もう好きな人いるからぁ」
「ああっ! それもそうだったあ!」
「……わざとらしいですよー? まったく、最後まで変わんないんだから」
俺がそう文句を言うと、先輩たちは優しく微笑みを浮かべた。
その表情に何故かとても切ない気持ちを抱く。
「でもさ、あたしは塚田の事応援してたんだぜ? 小山と上手くいくのか不安だよ」
「ねー? 塚ちゃん欲がないっていうか我が弱いっていうかさ。もっと押してかないと夏ちゃん他の男に取られちゃうよ?」
「悔しいけどあいつモテるからな。あー、なんか色々思い出したらむしゃくしゃしてきた。おいこら小山ぁ!」
「よーし、夏ちゃんに突撃ぃ〜!」
そうして、あっという間に先輩たちは夏希のところへ向かって行ってしまった。
嵐のような人たちだ。そんな強引なところに今まで助けられてきたのも事実なんだけど。
少し離れたところから、先輩たちを眺めてみる。
みんな笑ってる。さっきの先輩たちみたいに、優しくて静かな笑み。
今日一日、先輩たちはみんな同じような表情を浮かべている。懐かしむような、そんな笑みを。
あぁ、本当にこの人たちはここからいなくなるんだって、その笑みを見るたびに実感する。
……なんだ、案外俺も薄情じゃないじゃないか。
「……卒業、おめでとうございます」
精一杯の感謝を込めて、そう呟いた。
誰にも聞こえない自己満足な祝いの言葉。それは確かに先輩たちとの別れを俺の胸に刻んたのだった。
それから
別れ際、あの2人の先輩は俺の背を叩き、意味ありげにサムズアップして去っていった。
最後の最後までそのことなのかと呆れもしたけど、らしい最後だなとも思った。
でも、先輩たちには悪いけど、俺は夏希にアピールしていくつもりはないんだ。
確かに最初の頃は夏希と付き合えたらと思ってたけど、今は違う。……まぁ、少しも思わないわけじゃないけど、違うんだ。
先輩たちが言うように俺って欲がないのかなぁ? ちょっと諦めるのは早いかなって思うけど、夏希を見てればあいつが俺に振り向いてくれないことくらいすぐ分かっちゃうもんな。しょうがないよ。
夏希は初めて会ったときからまっすぐて眩しかった。そんな彼女が見つめているのは今も昔も陽介だけなんだ。
夏希が輝いて見えるのは、魅力的に映るのは、そばに陽介がいるからだ。
それが分かった瞬間、俺はその輝きを手に入れようとは思わなくなった。その光に足元を照らしてもらえれば十分、そう思ったんだ。
「あーあ、先輩たちが卒業すると部活も寂しくなるわね〜」
日の傾き始めた廊下を歩いていると、俺の見つめていた背中がそんなことを呟いた。
彼女の隣を歩く相沢はそれに首を傾げる。
「引退は随分前なんだし、そんなに変わらないんじゃない?」
「度々遊びに来てたもんなー。全く来なくなるとそれはそれで寂しいよ」
「そういうものか」
「そういうもんよ」
それから少しの間、足音だけが俺たちの間を行き交っていた。
その沈黙は、きっと俺たちには必要なものだったんだ。自分の中で整理をつけて、区切りをつけて、ここから先は自分たちの番だと、そう言い聞かせるために必要な沈黙。
「さあ、帰りましょうか」
そして沈黙を破った夏希は、どこか清々しい表情を浮かべていたのだった。
「……ってあれ? 千秋じゃない?」
しかし次の瞬間、夏希は俺の後ろに目を留めた。
振り返ってみてみると、確かに杉山が廊下をこちらに向かって歩いてきていた。少し俯いて何やら考え事をしているようだ。
そして彼女はそのまま俺たちの横を通り過ぎると、昇降口で靴を履き替え出ていってしまった。
「はぁー、珍しいこともあるもんだね。千秋が夏希を無視していくなんてさ」
「だなぁ。杉山のことだからずっと前から夏希を見つけて駆け寄ってくるものだと思ってたよ」
夏希も意外だったのか、構えを解いて目を丸くしていた。
「……ほんとね、絶対飛びかかってくると思ってたわ」
「千秋も先輩たちが卒業しちゃって寂しかったのかもしれないよ?」
「千秋が? う〜ん、そうかもね」
夏希と相沢はそれで納得したらしかったけど、俺は納得できなかった。
杉山がそんな理由で夏希に気が付かないほど考え込むはずがない。あいつにとって夏希は何よりも優先すべきことなんだから。
「……何かあったのかな」
何かあったのだとしたら、きっとそれは夏希のことに違いない。
というか、それ以外で悩むことなんてなさそーだもんなぁ。
今度会ったら何があったのか聞いてみよう。そう心に留めて、俺は夏希たちの後を追って下駄箱に向かったのだった。
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