第145話 後輩の毒は迷いにて薄まる

 ――でも夏希先輩の幸せを本当の意味で願うなら、腕を引っ張るより背中を押してあげるべきだとあたしは思うね。


 あれから、あの言葉が頭から離れない。

 授業を受けていても、食事をしていても、お風呂に入っていても。それは突然私の頭に浮かんでは、言い得ぬ不快感だけを残していく。


 殊更ことさらそれが大きくなるのは、よりにもよって夏希先輩を見かけたときだ。

 夏希先輩を見かけて駆け寄ろうにも、茜の言葉が私の足を床にい止める。

 そんなことだから三送会からこのかた、夏希先輩成分を摂取してない。そろそろ禁断症状で手足が震えてきた。……気がする。



「……ちょう。会長? 杉山会長」

「っ!? は、はいっ! 何でしょう!?」


 耳元で名前を呼ばれ、私の思考は遮られる。

 驚いて見ると、書記の音夢ねむちゃんがメガネのレンズ越しに眠たげな目をこちらに向けていた。


「先程の方針で決めてしまっていいですか?」

「え、っと……、何の話でしたっけ?」

「会議中ですよ? ぼーっとされては困ります」

「ごめんなさい……」


 音夢ちゃんは呆れたように鼻から息を吐くと、手元のタブレットPCを見せてくれた。

 そこにはいくつかの図が線で結ばれた、なにかの組織図のようなものが映し出されていた。


「新入生勧誘のことです。練度の低い会員を夏希先輩の行動範囲外に配置して、指揮は中堅会員に任せます。ベテラン会員には夏希先輩の行動範囲内に配置して副会長が指揮を取ります。会長には夏希先輩の周辺で動いてもらうと同時に指揮統括をお願いします」


「あ、あぁ、その話でしたね。スリーマンセルでチームを組んで、残りは私の下に入ってもらえばいいでしょう」

「そう言われると思って既にチームも編成してます」


 そう言って次のスライドに移動すると、事細かにチームの詳細が書かれていた。

 力量も適当に割当られているし、何も問題はなさそうだ。

 さすが竹内書記。見た目は小学生ながら仕事は大人顔負けだ。


「うん、これで問題ないです。あとは4月までに各会員への周知と演習ですね。周知は竹内書記、演習は宮入副会長、お願いします」

「はい、任せてください」

「へへっ、腕がなるぜ。アタシが一端の会員に仕上げてやるよ」


 音夢ちゃんと副会長の真麗まれいちゃんは各々に頼もしい返事をしてくれた。


「それもいいですが、あまり厳しくしすぎないでください。副会長の指導が厳しくて会員が減っては意味がありません」

「それでいなくなるようなら、それまでってことさ。夏希先輩のような強い女になる気もないなら会員やめちまえってんだ」


 音夢ちゃんはそうたしなめるけど、真麗ちゃんはぶっきらぼうにそう言い放った。

 でも真麗ちゃんはああ見えて会員からの信頼が厚い。任せても大丈夫だろう。


「まぁ、やり方は二人に任せます。本日の議題は以上でしたよね?」

「はい、以上ですね」

「では定例会議は終了とします。ふたりともお疲れ!」



 会議が終わって厳格な雰囲気は崩れ、私はぐっと背伸びをした。

 毎週月曜日の昼休みに行われる役員定例も終わり、もう自由な昼休みだ。夏希先輩に会いに行こうかな?


 そこまで考えて、私の頭に茜の言葉が再生される。


「……杉山さん、またなにか考え事ですか? さっきもボーッとしてましたけど」


 黙り込む私を心配して、音夢ちゃんが私の顔を覗き込む。

 傾いた頭につられて、音夢ちゃんのおさげ髪が肩から滑り落ちた。


「おいおい音夢、千秋がボーッとするなんて夏希先輩絡みしかないだろ? んで? 今回はどんな素晴らしい一面に惚けてたんだよ?」


 真麗ちゃんは小さな子供のように目を輝かせてそう尋ねるけど、考えていたのはそんな崇高なことじゃない。


「それはまだ内緒。しばらくは私一人で独占したいから」

「あぁ!? んだよそれぇ! シェアしろよシェア!」

「むぅ……、残念です」


 残念そうな二人には悪いけど、私はこのファンクラブの長。迷いを見せるわけにはいかないんだ。

 私が迷えば会員たちも迷ってしまう。夏希先輩の恋路を応援しようなんて言い出たら謀反もあり得るし、下手なことは言えない。


 ……だから迷ってる場合じゃないんだけど。というか迷う要素がないんだけど。ないはず、なんだけど……。



 それから私達は持ち寄った弁当を食べたけど、二人の夏希先輩談義にどこか入り込めない自分を感じていた。

 そうして弁当を食べ終わってしばらくしたころ、お昼休みの終了を予告する鐘が辺りに鳴り響き、私達は解散することにした。


「じゃあ打ち合わせ通りお願いね。ふたりとも」

「はい。宮入さんはやりすぎないようにお願いしますよ」

「分かってるっての」


 そして各々弁当箱を手に空き教室を出て、普段の生活に戻っていく。

 ファンクラブの役員ではなく、いち生徒として廊下を歩く。


 そうして廊下を歩きながら、しかし私の頭の中は夏希先輩のことでいっぱいだった。

 今日の昼休みにも会えなかった。放課後になれば部活の前後で会えたりする。するけど……。


「……でもまた会えなかったら」

「誰に会えないんだ?」

「うわっ!」


 考え事をしながら歩いていると、突然正面から誰かが声をかけてきた。

 私が驚いて身をすくめると、その反応に驚いたらしい人物は目を丸くして私を見つめた。


「大っきい声出すなよ、びっくりするだろうが……」

「……先輩ですか。何してるんですかこんなところで? 先輩の居場所はあっちてすよ」


 私はそう言って人差し指で地面を指し示す。

 それを見た先輩はなぜかとても悲しそうな表情を浮かべた。


「それは地獄に行けってこと……? さすがにそこまで直接的だと俺も悲しいんだけど……」

「いや、普通に下の階ってことですけど。ていうかなんで先輩が1年の廊下にいるんですか」

「あぁ、そゆこと? よかったぁ……。それはそうとここは俺たち2年の廊下だぞ。間違ってんのは杉山の方だ」

「え……?」


 驚いてあたりを見回せば周囲は確かに先輩ばかりで、1年生なんて私くらいしかいなかった。

 どうやら無意識に夏希先輩の教室に足が向いていたらしい。


「夏希に会いに来たのか? 残念だけどあいつはもう教室移動したぞ。入れ違いで残念だったなぁ」

「……はい、そうですね」


 夏希先輩に会えないと聞いて、私は罪悪感にも似た感情に支配された。

 会えなくてよかった、なんて思うはずない。……でも、いま会ってもなんて言えばいいのか分からないし、どんな顔をすればいいのかも分からない。

 いたずらに夏希先輩を不安にさせるくらいなら、やっぱり会わないほうが……。


 そうして夏希先輩に会わないほうがいい理由を探す度、私を支配する感情はその勢いを増していった。


 急に黙り込む私を見て、先輩は心配そうに顔をしかめると、少しかがんで私の顔を覗き込むようにして言った。


「なんかいつもより元気ないけど、体調悪いのか? 保健室行くか?」


 ……こうやって優しさを装い、夏希先輩をたぶらかしたんだろうか。

 間抜けな顔して狡猾な先輩だ。


「優しいフリをしても私は騙されませんからね」

「……? 何の話かよく分からんが、体調は問題ないんだな?」

「当然です。私が倒れたら誰が夏希先輩を守るんですか!」

「まぁそれならいいんだけどさ。いつもは会うなり罵声を浴びせてくるのに、今日はなかったからなんか肩透かし食らった気分だったんだよ」

「私を先輩の底しれぬドM欲を満たすために使わないでもらえます? 警察呼びますよ?」


 精一杯の軽蔑を込めてそう言ったのに、先輩はなぜかとても嬉しそうに笑った。


「そうそう! 杉山はそうでなきゃな!」


 真性のドMだ……。ここまで来るともはや怖いんだけど……。

 私は満足げに去っていく先輩の背中を見ながら、恐怖に肩を震わせた。


 ……ってそうだ。もう授業が始まっちゃうんだった。私も移動しないと。

 そして私は足早にその場を立ち去ったのだった。





 ――――





 日が沈んで薄暗くなった空を眺めながら、少し日が長くなってきたなとため息をついた。

 吐き出された息はまだ白くけむるものの、あっという間に消えてなくなる。やっぱり少しずつ暖かくなってきてるんだ。


 それでもまだ寒いものは寒い。私はかじかんで少し動きの鈍くなった人差し指で、あったか〜いミルクティーのボタンを押した。


 ガコンッ、と投げやりに吐き出されたミルクティーを手に取ると、熱を逃さぬように手で包み込む。


 ……夏希先輩もそろそろ部活終わったかな? この辺うろついてたらばったり会ったりするかも。

 そうなったらいよいよ私と夏希先輩は運命の赤い糸で結ばれているに違いない、と。以前の楽観的な私ならそう思ったのに。


「今はそう思えないや。なんでだろ」


 私の呟きに答える人はいない。まばらな部活終わりの生徒の何人かが胡乱うろんげな視線を向けるものの、すぐに興味を失って各々の会話にもどっていく。




「あれ? 杉山じゃないかー」




 そう思っていたのに、間延びした誰かの声が私の名前を呼んだ。


「あ……、塚田先輩」

「ごめんなー? 夏希じゃなくて」

「……いえ、塚田先輩も部活終わりですか?」


 塚田先輩は小さく口を開けて、少しの間ほうけたように黙った。

 ……? 私なにか変なこと言ったのかな。普通の日常会話だったと思うけど……。


「珍しいなぁ。いつもなら真っ先に夏希はいつ来るのか聞くのに、今日は部活が終わったかどうかを聞くんだ?」


 ……確かにそうだ。いつもなら塚田先輩がここにいる時点で部活が終わったことは察しがつく。その上で夏希先輩がいつ来るのかを聞いたはずだ。


「悩んでるのは夏希のこと?」

「……なんで分かるんですか?」

「分かるっていうか、それしか思いつかないだけだよ。杉山がそんなに思い悩む理由がさぁ」


 まぁ、そうか。塚田先輩だって夏希先輩を想う一人の人間。大きなくくりで見れば私達は同類なんだ。

 方や夏希先輩の寵愛を一身に受けようとし、方やそれを友達に譲ろうとする。目的は違うかもしれないけど、夏希先輩の輝きに惹かれたという一点で、私達は同じなんだ。


 ……この人なら。あるいは答えをくれるかもしれない。

 この人は私を慕う会員でもないし、夏希先輩の素晴らしさが分からない凡愚ぼんぐでもない。

 私が知る中で最も私に近く、それでいて違う考えを持っている人。私には思いも寄らない答えを、この人は持っているかもしれない。



「……塚田先輩は夏希先輩のこと、好きですよね?」

「え!? な、なに急に?」


 戸惑う塚田先輩の目をまっすぐに見つめて、私はなおも問う。


「答えてください。夏希先輩のこと、好きなんですよね?」


 私に気圧されるようにして、塚田先輩は一歩退く。

 しかしそこで立ち止まり、のけぞった体を起こすと、照れくさそうに頭を掻いた。




「やっぱりバレてるかー。うん、そうだよ。俺は夏希が好きだ。あの日からずっと、好きなままだよ」




 ああ、やっぱりそうだ。この人は私と一緒だ。

 あの日に夏希先輩に魅せられ、その輝きがすでに誰かのものであったと分かった今でも、目を離せないでいる。

 そう思った瞬間、私の口は自然と動いた。


「塚田先輩、相談があります。私が今、悩んでいることについて。少しお時間いいですか?」

「うん、もちろん。俺なんかで良ければ」


 その穏やかで真剣な返事を聞いた時、この人に相談しようと決めたことは正解だったと。そう思った。



 それから私達は寒さをしのぐため近くの空き教室に入って、私が茜の言葉で夏希先輩の恋路を応援すべきか迷っていることを話した。

 私の迷いを多分に含んだ取り留めのない話を、塚田先輩は静かに聞いてくれた。


 そしてすべてを聞き終わると、塚田先輩は小さく笑った。


「杉山はそんなに陽介のことが嫌いなんだ?」

「嫌いですよ! 夏希先輩の気持ちを独り占めして、超がつくほど鈍感で、私がどれだけ嫌味を言ってもヘラヘラして、そのくせヒーローみたいに夏希先輩やユッキー先輩を助けたりして! 終いには私の体調を心配したりするんですよ!? どんだけお人好しなんですかあの人っ!」


 口に出せば出すほど、怒りにも似た感情が沸々と湧いてくる。

 そんな私とは対象的に塚田先輩は嬉しそうに微笑みをたたえていた。


「なんで嬉しそうなんですかっ!?」

「いやー、だって全然嫌そうじゃないから」

「嫌いですよ! 大っ嫌いです!」

「そーかな?」

「そうなんですッ!」


 私が肩で息をしながら全力で否定しているのに、塚田先輩はなおも嬉しそうに笑っていた。

 なんっにも伝わってない! ひらひらと揺れる暖簾のれんに全力で体当りしているような、そんな徒労感がある。

 ホントに相談して正解だったのか怪しくなってきた……。



 それから、塚田先輩は暗くなった窓の外の薄闇に目を凝らすように細めると、一瞬思い出したように口元に笑みを浮かべた。


「そういえば俺も最初は杉山とおんなじだったなー。なんであんな奴がって。少し長く一緒にいただけのくせにって。そんなこと思ってた」

「え、塚田先輩も? じゃあどうして……!?」

「杉山だって分かってるんじゃないの? ずっと夏希を見てきたんだから」


 ……塚田先輩の言わんとする事は分かる。分かってる。でも認めたくない。


「……分かんないですよ」

「俺に夢は見るだけ無駄だって言ったのはどこの誰だったかなぁ」

「そ、それは……。あのときは勢いでつい……」

「別に怒ってるわけじゃないよ。おかげで目が覚めたし、感謝してる」


 先輩に接する感じで結構きついこと言ったから怒られてもしょうがないって思ってたけど、さすが益虫こと塚田先輩だ。人畜無害を極めてる。


 塚田先輩はもう一度窓の外に目をやると、今度は眩しそうに目を細めた。


「夏希はいつも真っ直ぐで、正直で、前を見ながらひたむきに走り続けてる。だから輝いて見えるし、憧れるんだ」


 そうだ。夏希先輩はいつも真っ直ぐだ。その真っ直ぐさが、どこか曲がってしまった自分と重ねると羨ましくなる。


「でも夏希の隣にはいつも陽介がいた。少し一緒にいただけですぐに分かったよ。陽介がいるから夏希はあんなに眩しいんだ」


 私だって知ってる。先輩が夏希先輩の障害になりそうなことを未然に防いでいることを。


 体育祭のリレーがいい例だけど、先輩は夏希先輩に向こうとしている悪意を自分に向けるような発言や行動をとることがある。

 彼女の輝きが損なわれないように、ごく自然にそうするんだ。


「だから俺はそれでいいと思ったんだ。きっと何かの間違いで俺が夏希を奪えたとしても、俺の憧れた輝きはなくなるだろうから」

「それは……」


 私は塚田先輩の言葉を否定できなかった。

 先輩にあって塚田先輩にないもの。きっとそれが原因だ。


「それが俺の理由かな。俺が夏希のことを諦めて、応援することにした理由」

「……塚田先輩は本当にそれでいいんですか? 私だったらそんな風に簡単に諦められません」

「簡単にって、言ってくれるなぁ」


 塚田先輩は私の放った失礼な言葉にも、苦笑を浮かべるだけで怒りもしない。




「でも、そうだな。簡単に諦めたのかもしれないなぁ」




 寂しそうにそう呟く塚田先輩の笑みは、どこか自嘲的にも見えた。

 しかし、その笑みをすぐにいつもの微笑みに変えると、一つため息をついた。


「それで、杉山はどうするんだ? やっぱり夏希のことは応援できない?」

「私は……」


 どうするんだろう。どうしたいんだろう。やっぱり分からない。

 応援したいとは思う。でもそうしたら夏希先輩は私の手の届かない場所まで行ってしまう気がする。


「分からないならお試しってことにしたらいいんじゃないかな」


 答えを探して黙り込む私に、塚田先輩はそんなことを言った。

 お試し……? なにを試すんだろ。


「……先輩の排除を試みる、って話ですか?」


 先輩を排除して、もし夏希先輩の輝きが失われなかったら、先輩以外でも夏希先輩の相手がつとまる。

 そういう話かと思ったのに、塚田先輩はあいも変わらずのんびりとした笑みを浮かべながら左右に首を振った。




「違う違う、その逆。試しに夏希を応援してみるってことだよ」



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