第142話 別れの会は思い出に浸りて
2月が終わって3月になった。私がこの学校に来てからもうすぐ1年が経とうとしている。
あの人と出会ってからの1年は本当にあっという間で、とても輝いていた。
そんな素敵な日々も、あと1年しかないと思うと切なくなる。ああ、どうして高校は3年間しかないんだろう?
「はぁ……、
「え、なに。急にどしたの?」
「夏希先輩が卒業したあとの1年を、私はどう過ごしたらいいんだろうって考えてたらさ、なんか憂鬱で……」
「いや、これから卒業するのは3年生で、夏希先輩たちじゃないけど?」
体育館に移動するために、まだ寒い廊下に整列していた私の後ろで、
「はぁ……。私は何を楽しみに学校に通えばいいんだろ」
「あれ、聞こえてる? 夏希先輩たちはまだ学校いるよ? てかそれより部活の先輩が卒業すんのを悲しめって」
「え? なんで私が夏希先輩以外の卒業を悲しまないといけないの?」
「千秋あんた……。うん、なんかあんたはそういうやつだったね……」
茜はどこか疲れた表情を浮かべてそう言った。
まったく、この子は私と1年も一緒にいてそんなことも分からないのか。どうやらまだまだ夏希先輩の素晴らしさが分かってないようだ。
「よし、分かった」
「……何が分かったのさ?」
進みだした集団について廊下を歩きながら後ろの彼女を振り返ると、茜は何かを察したように声を上げた。
「ああっ! やっぱいい。何が分かったのか分かったからもういい!」
「皆まで言うなってことね。さすが茜、分かってる」
「違う違う、人の話聞こうな? 千秋は夏希先輩のこととなると周り見えなくなるの悪い癖だからね?」
「え? 夏希先輩の話を聞きたいって? まかせて! 三送会のあいだ中語り聞かせてあげるから!」
「違う違う違う! "夏希先輩"と"聞く"って単語しか合ってないし! あんたの脳内翻訳機壊れてるって!」
さて、まずは導入として私と夏希先輩との運命的な出会いを小一時間かけてじっくりと……。
そう思ってどう語りだそうか頭をひねっていると、茜が救いの神を見たかのような声を上げた。
「あっ! ほ、ほら千秋、夏希先輩だよ! あんたが愛してやまない人がいるよ!」
「え!? 夏希先輩!?」
茜の指し示す方に目をやると、そこには女神がいた。
周囲すべてがじゃがいもに見えてしまうほどの神々しさを纏う彼女こそ、私の敬愛する夏希先輩!
「夏希せんぱーい!」
「え!? ちょっと杉山さんどこ行くの!?」
「せんせーい。杉山さんはトイレに行くそうでーす」
列を抜け出して夏希先輩のもとへ向かう私を先生が止めようとするも、茜の機転によって回避する。
生徒でごった返す廊下をすり抜けて、夏希先輩に駆け寄っていく。
「夏希せーんぱいっ!」
「わっ、千秋?」
「あ、千秋ちゃんだ。こんにちは」
「ユッキー先輩もこんにちはです」
驚く夏希先輩とは裏腹に、その前を歩いていたユッキー先輩はにこやかに手を振った。
常識人な夏希先輩は当然素敵だけど、この程度じゃ動じないユッキー先輩もなかなかだ。
「何しに来たのよ? これから三送会よ?」
「今日はまだ一日一夏希先輩をやっていなかったので、つい」
「一日一回はなっちゃんに会いに来てるんだ……」
ユッキー先輩の笑みは、驚き半分に呆れ半分といったところか。
でも、一日に一回は夏希先輩成分を摂取しないと禁断症状が出ちゃうんだよね。だからこれはしょうがないことなんですよ、ユッキー先輩。
「それならもう用事は済んだでしょ。ほら、自分のクラスのとこ戻りなさい」
「えー、そんなぁ……」
「まぁまぁなっちゃん。先生には私から言っておくから少し千秋ちゃんとお話してきなよ」
夏希先輩のつれない態度にしょげていると、ユッキー先輩が素敵な助け船を出してくれた。
なんて素敵な先輩なんだろう。ユッキー先輩大好き!
「え、でも……」
「ユッキー先輩ありがとうございます! じゃあ夏希先輩いきましょう!」
「あちょっと!」
ユッキー先輩にお礼を言うと、私は夏希先輩の手をとって列を外れる。
「あれ、夏希どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
しかし、そんな私の舞い上がった気持ちは、一瞬にして地に落ちた。というか地を突き抜けてマントルにまで達しそうな勢いだ。
「いや、そうじゃないんだけど、千秋が急に来てさ」
「ほんとだ、よく見たら杉山も一緒か。二人して何してんだよ。これから三送会だぞ?」
そんな分かりきったことを聞くアホな先輩に、私は満面の笑みで振り返る。
「あっ! 先輩じゃないですか!」
私がそう声をかけると、先輩はキョトンとして後ろを振り返る。
振り返られた先の無関係な別の先輩は、戸惑いの表情で周囲を見回した。
「どこ見てんですか、先輩って言ったら先輩しかないでしょ」
「え、あっ、俺?」
「はいっ! 先輩ご卒業おめでとうございます!」
するとまたもや先輩は後ろを振り返った。
振り返られた先のまたもや無関係な別の先輩は、驚きで目を丸くする。
「だからどこ見てんですか、先輩ですよ先輩。いつも夏希先輩にまとわりつく害虫のあなたのことですよ」
「えっ? 俺卒業しないんだけど……」
「卒業してニートになっても頑張ってくださいっ!」
「俺の進路ニートなの!? いやていうか卒業しないんだけど?」
まったく細かいことをいちいちうるさい先輩だなぁ。
そんなのどうでもいいじゃん。卒業でも中退でもいいから早く私と夏希先輩の前からいなくなってよ。
「はぁ……。先輩、そこは空気読んで卒業してくださいよ。私が夏希先輩と過ごせる高校生活はあと1年しかないんですよ? お邪魔虫にも程がありますって」
「お前むちゃくちゃだな……。それに夏希と後1 年しかいられないのは俺も同じなんだぞ?」
「えっ!?」
先輩の言葉に、夏希先輩は驚いたような声を上げる。
その声が私と話しているときより少し高くて、私は嫉妬にも似た何かを覚える。
「先輩はすでに2年、中学や小学校まで含めればもっと一緒だったじゃないですか。私はまだ1年しか同じ時間を過ごせてないんです! だから先輩は私に遠慮して今年卒業すべきです! はい論破っ!」
「いや待て! 何も論じてなかったんだけど!?」
「ね、ねぇ陽介。さっきのって――」
先程の先輩の発言を掘り返そうとする夏希先輩の言葉に被せるようにして、私は口を開いた。
ごめんなさい夏希先輩。でもここは全力で阻止します!
「いえ、論じてましたぁ! 先輩が視界に映るとせっかくの幸せな時間が台無しになるんです! だからこの学校から消えてください今すぐにい!」
「そんな自己中心的な理由でニートにされてたまるか!」
そんな感じでいつものように私が先輩との舌戦を繰り広げていると、視界の端に夏希先輩が手を振り上げるのが映った。
それは目にも留まらぬ速さで私と先輩の脳天に振り下ろされる。
「あたっ!」
「いでっ!」
「あんたたちいい加減にしてよね。これから三送会よ? 喧嘩ならその後にしなさい」
夏希先輩は呆れたような怒ったような表情で、頭を押さえる私と先輩を見下ろした。
嗚呼、そんな表情も素敵です夏希先輩……!
「な、なんで俺まで……」
「喧嘩両成敗よ。当然でしょ?」
「納得いかねぇ」
「売られた喧嘩を買った方も悪いんですよ」
それから三送会が始まりそうだったので、私は名残惜しくも夏希先輩に別れを告げ、自分のクラスが整列している場所に向かった。
邪魔が入ったせいでろくに夏希先輩成分を摂取できなかった。また後で会いにいかないと。
それにしてもあの先輩、ホント油断も隙もない。
あのまま話が悪い方に転べば、同じ大学目指して一緒に勉強とかし始めて、終いには……。
「ありえないありえないありえないぃぃいい!」
「うわっ、帰ってきて早々なに? 怖いんだけど……」
体育館に整列して座り、壇上をぼうっと眺めていた茜は、身を引きながらこちらを振り向いた。
茜の視線を受けて満足した私は、彼女と入れ違いになるように前方に目をやる。
やっぱりここからじゃ夏希先輩の姿は拝めないか。
「茜。私は今日、また一つ世界の危機を救ったよ」
「うんごめん。やっぱあんたの言ってることはよく分からんわ」
大丈夫ですよ、夏希先輩。あなたにまとわりつく悪い虫は
でも、あの先輩だけはなかなか排除するのが難しい。原因は分かってる。
どんなことがあっても絶対に認めたくないけど、本当に遺憾なことに認めざるを得ない事実。
夏希先輩があの害虫先輩のことを好きだからだ。
「ねぇ茜。好きな人いる?」
「今度はなんで急に修学旅行の消灯後みたいな話振ってくんの? あんた思考回路も壊れてるって」
「自分の好きな人がさぁ、他の人のこと好きなんだよ。でも、私が好きな夏希先輩にとって先輩はなくてはならない存在だから……。なんていうか、運命って残酷だよね」
「え、なに? ポエム始まってる? あたし帰っていい?」
「運命……。そうあの日、始めて夏希先輩と出会ったあの瞬間、私は運命を信じたんだ」
「ちょ、千秋? 三送会始まってるからな? ちょっと静かにしよっか」
「あれは私が受験前に高校の下見に来てたときのことだった――」
「新手のコミュ障かよ〜……。誰かホント助けて……」
あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。
まだ風の冷たい、ちょうど今日みたいな冬の日。残雪の景色の中、私は入り組んだ古めかしい住宅街の中を
「も~、なんでこのへんは雪かきしてないの? 途中まではちゃんとしてたのに……」
こんなことなら下見になんて来なければよかった。今どきスマホを使えばどこへだって連れてってくれるんだから。
それでもこれから受験する高校を見て、受験勉強に勢いをつけたいといったのは自分だし、実際こうして迷っているんだから下見に来た意味はあったかもしれない。
降りるバス停を一つ間違えただけで、学校まで随分離れた場所に降ろされてしまった私は、スマホを頼りに学校を目指していたのだが、道なき道を案内され辟易としてしまい、バス停へ戻ろうと決意した。
そう決意したまではいいが、肝心のバス停が何という名前だったか思い出せず、マップに行き先を登録できずに勘を頼りに歩くはめになっていた。
「あーもう無理ぃ。お腹へったし、
少し大きな通りに出てから、私は絶望の中心でしゃがみ込む。
そんな独りの寂しさに打ちのめされそうになっていたとき、私の目の前に女神が現れたんだ。
「どうしたの? 具合悪い?」
顔を上げると心配そうにこちらを見下ろす女子生徒がいた。運動着に防寒着をまとう彼女は、これから部活に向かうのだと想像がついた。
そしてそれは私にとっての希望だと気がついた。このあたりには2つ高校があるけど、どちらの生徒だとしてもこの辺りの地理には詳しいはずだ。
「い、いえ、体調は万全です。受験生なので」
「受験生? あ、もしかしてうち受けるとか?」
それから話を聞いてみれば、彼女が通うのはこれから私が受けようとしていた高校に間違いないことが分かった。
私がその高校を受けるつもりで、下見に来たが迷子になっていると話すと、彼女は満面の笑みを浮かべ、
「私これから部活だからさ、案内してあげる。未来の後輩だもの、優しくしとかないとね」
未来の後輩だと、そう言い切ってくれた。
なるかもしれない、ではなく、なる。そう言い切ってくれたことがひどく嬉しかった。私の中でこの人との学校生活が一気に現実的になった。
「じゃあ行きましょ。ここからならすぐだから」
そう言って差し伸べられた手。それは地獄に垂れる蜘蛛の糸のようだった。
その御手を取ると、それは温かくも力強く、私をいとも簡単に絶望の中から引っ張り上げる。
それから彼女は、立ち上がり
その背はとても頼もしく、私の進むべき道を示してくれているかのように、輝いて見えた。
胸が熱くて。さっきまで寒かったのが嘘みたいで。春を通り越して夏が来たみたい。
その熱は受験のプレッシャーや迷子の不安で冷え切っていた私の心をあっという間に解きほぐし、そのまま燃え上がらせる。
そうして彼女の背を追って一歩踏み出したとき、私の中の何かが激しく動き出す予感がした。
「女神降臨編、完」
「あ、ようやく終わった? じゃあそろそろ黙ってな? もう歌とか始まるし」
「じゃあ夏希先輩への賛美歌を挟んでから再会編ね」
「あたしに先輩たちとの別れを惜しむ時間は与えられないわけね……」
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