第132話 熱々のチョコは様々に象られ

 日曜日の昼下がり。部屋はもう嫌というほど鼻についた甘い香りで満たされていた。

 テーブルの上に積み上げられたのは、大量のチョコレートの包装。一体何枚使ったんだろう。もう数えるのも嫌になってきた。


 やっぱり最初は練習として、溶かして固め直すだけのチョコを作ろうという私の提案を、由美ちゃんが支持してくれたまでは良かった。それからまさかこんなに苦戦するなんて思いもしなかったわ……。


「……今回は何したんですか?」

「なんかチョコが固まってきたから温度上げんだけどぉ。そしたらこうなっちゃった」

「……何度まで上げたんですか?」

「んー、適当にこうバーっと! そっちのほうが早く溶けるかなぁって」


 由美ちゃんに詰問されるヒナは、気まずそうに目をそらしている。

 あれじゃあまるでおいたをして怒られる子供ね。


「それはだめだって最初に言いましたよね!? チョコを湯煎で溶かすときは温度に常に気を配らなくちゃいけないんです! これじゃあ完全に分離してボソボソじゃないですか!!」

「うわーん! 雪芽ぇ、由美ちゃんが怖いー!」


 叱りつける由美ちゃんから逃げるようにして、ヒナはユッキーの後ろに隠れる。

 ユッキーはヒナを背にかばいながらも苦笑いだ。


「何逃げてるんですかヒナさん! 大体ヒナさんは大雑把すぎるんですっ! 前回はろくにチョコを刻みもせずに湯煎しちゃうし、その前は勢いよく混ぜるから水が入って固まっちゃうし、初めなんて適当にレンジでチンしようとするし!」


「だってだって、由美ちゃんがレンジでチンしてもできるって言うから~」

「それにしたって、ボウルも使わずに平皿でチンしようとする人がいますか!? チョコは冷凍食品じゃないんですよ!?」

「うう、でもでも……!」

「でももヘチマもありません! ヒナさんはこのボソボソチョコを好きな人にあげるつもりなんですか?」


 ことごとく反論を打ち砕かれて、ヒナは小さな唸り声を上げることしかできなくなってしまった。

 これじゃあどっちが年上か分かったもんじゃないわ……。


「ま、まあまあ、ヒナだって頑張ってるんだし、そのへんで……」

「雪芽さん、なに他人事みたいに言ってるんですか。平皿でチンしようとしてたのは雪芽さんもおんなじですよ!」

「ぶふっ!」


 思わず吹き出すと、由美ちゃんはその鬼のような形相を私に向けた。


「夏希さんも、笑ってる場合じゃないですよ! チョコを砕きもせずに湯煎しようとしたの、ウチ忘れてないですからね!?」

「あ、あれは勝手が分からなかっただけで、今はそんなことしないわよ……」

「当たり前です!」


 お、鬼教官だ……。由美ちゃんってこんな子だった……?

 まぁ、厳しくしてくれるおかげで少しはまともにできるようになってきたけどさ。


 型に流して固めるくらいならなんとか一人でもできそうだし、そろそろ生チョコとか作ってみてもいいかもしれないわね。


「まぁ、3人とも愛情と努力は認めます。でもそれだけじゃ晴奈に置いてかれちゃいますからね」

「……ん? 呼んだ?」

「ほら、晴奈はチョコを作るだけじゃなく、失敗したチョコで作るリメイクお菓子もマスターしそうになってますよ」


 ……確かに、私達の築いた無数のチョコの残骸を、見事なホットケーキに仕上げている。

 晴奈ちゃん、お菓子作りは初めてって言ってなかったっけ? すごくなれてる気がするんだけど。



「はい、ホットケーキできました。あたしはもう飽きたので、雪芽さんたちで食べてくださいね!」

「うっ、またチョコだ〜……。でも晴奈ちゃん上手じゃない? まじ尊敬」

「そうですか? たまにご飯作るの手伝ってるからかな」

「へぇ、偉いわね。私お母さんの手伝いとかろくにしたことないわよ」

「いえ、お母さんじゃなくてお兄ちゃんの――」


 晴奈ちゃんはそこで言葉を区切ると、不機嫌そうに唇を尖らせた。


「……まぁ、たまにするので」

「あ、あー! そうなのね! それでそんだけできるなら大したもんよ」

「そうそう! 私も感動しちゃった!」

「そ、そうですか? えへ、えへへ……」


 あ、危なかったー! 今晴奈ちゃんの前で陽介関連の話は禁句だったわ……。

 それにしても晴奈ちゃんってばユッキーのこと好きすぎやしない? ユッキーに褒められただけでころっと表情変えたわよ?


 ユッキーと二人でホッと胸をなでおろしていると、由美ちゃんが申し訳無さそうな顔をしてやってきた。


「すみません、あの子めんどくさくて……」

「まぁ、あれくらいならまだ可愛いもんよ。でも仲直りは早いに越したことはないわね」

「そうだね。喧嘩してる二人を見るのは私も嫌だし……」

「それに、こういう喧嘩は時間が立つほどお互い謝りにくくなるもんなのよ。機を逃せば何年もこのままなんてこともありうるんだし」


 素直に謝るっていうのは難しいし、時間が経てば経つほどもっと難しくなる。

 私もユッキーと喧嘩してたときは、仲直りしたいって思っててもなかなかできなかったし。


「そのためには、なんとかして晴奈にバレンタインチョコを作らせないといけませんね」

「作ってはいるけど、ユッキー宛だものね。ユッキーから言えば違うんじゃない?」


 晴奈ちゃんがなついていることもあって、ユッキーが言えば陽介に宛てたチョコを作るんじゃないかと思ってそう言ったのだが、ユッキーは困ったように笑って言った。


「うーん、私もそれとなく言ってみたんだけど、晴奈ちゃんすごく強情で……」

「ユッキーでもダメか……」


 こればっかりは私達の出る幕じゃないわよね……。あんまり外野が騒ぎすぎても、余計に意固地にさせちゃうだけかもしれないし。



「いいなぁ。料理とかできたらモテるんじゃない? 晴奈ちゃん好きな子とかいないの?」


 私達が難しい顔をして頭を突き合わせていると、少し離れたところで楽しげな声が聞こえた。

 振り向いてみれば、ホットケーキを頬張ったヒナが晴奈ちゃんと話をしているようだ。


「い、いませんよ、そんなの」

「えー? 気になる子くらいいるでしょ~? 同じクラスとかさぁ、いないの?」

「いませんって! 同級生は子供っぽくて好きになれませんし」

「へ~、年上がタイプなんだ」

「……ヒナさん、めましたね?」


 ヒナのああいうところはさすがだと思う。いい意味で空気を読まないというか、あえて読んでないフシがあるというか。

 広瀬君と一緒にいるうちに身についたのか、それとも生来のものか。どちらにせよすごい才能だと思う。


「それでそれで? 気になる人は誰なのぉ?」


 近所の噂好きのおばさん、というか陽介のお母さんみたいな表情を浮かべて、ヒナが晴奈ちゃんに迫る。

 晴奈ちゃんは観念したようにため息をつくと、少し遠い目をして言った。


「気になるっていう気持ちもあたしはよく分かんないんですけど、今でも時々思い出す人はいます」

「えー!? だれだれ?」


「ある日突然あたしの前に現れて、強烈な思い出だけ残して遠くに行っちゃった人です。いや、あれは人じゃないか……。まぁ、あいつのことは今でも時々思い出しますし、何してるかなって気になったりもしますけど」


 そんなふうに気になる人を語る晴奈ちゃんの目は、少しだけ陽介に似ている気がした。

 自分の中にある過去を、理解してもらおうとは思わないすごく大切な何かを見つめる目。


「それが気になってるってことじゃーん! やば、めっちゃ恋バナって感じしてきたー!」

「違いますって! 全然、あたしあいつのこと好きとかそういうんじゃないですし!」

「でも遠距離かぁ~。愛が試される感じしてちょっとドラマチックだけど、ヒナは至近距離じゃないと駄目なタイプだし無理だなぁ。みんなはどう?」



 楽しげに話す二人を見ていた私達は、急にヒナが話を振ってきたことで被害を被る立場になってしまった。


「ウチはヒナさんと同じで至近距離タイプですねー。手を繋ぐより腕を組んじゃう感じです!」


 それを陽介とやったのかどうなのか。聞きたいような聞きたくないような……。

 いや! やっぱり聞きたくないわ。そんな場面を想像するだけでなんか嫌だし!


「由美ちゃんはそんな気してた! 雪芽はどうなのどうなの!?」

「わ、私? うーん、中距離くらいがいいかなぁ。会おうと思えばすぐ会えて、でもお互いの行動を邪魔したりはしない。そんな関係がいいかも」

「おー、大人なカンジダ……。夏希は?」


 必然的にトリを務める形になってしまい、私に注目が集まる。


「そ、そんなに見ても面白いこと言わないわよ?」

「いいからいいから!」


 ヒナに急かされて、私は自分の内側へ思考を向ける。

 私にとって理想なのは、きっと今のままの距離感だ。たとえ恋人になっても友達のような関係で、自分を飾ることなくいられたらいいなって思う。


「私は近距離かな。手を伸ばせば届く距離で、お互いの姿がちゃんと見える距離がいい」

「なんか深い……」

「なに適当なこと言ってんのよ」


 恥ずかしくなって、それを誤魔化すように笑いながらそう言うと、ヒナは首を横に振った。


「ほんとにさ。近くにいすぎると、見たくないところは見ないようにしちゃうし、このままじゃだめだ! って思っても離れるのが怖くてなかなか変えられないし」

「でもヒナは変えられたじゃない」

「結局ヒナ一人じゃできなかったけどね〜」


 そう言ってヒナは笑う。

 それでもヒナは広瀬君を変えた。広瀬君の状況を変えたんだ。

 変わるのが怖くて今まで何もしてこなかった私と違って……。



「でもさぁ、そしたら塚田君はどうなの?」

「隆平? なんでそこで隆平の名前が出てくんのよ?」


 この場にいない隆平の名前が突然出てきたものだから、私の後ろを向きかけていた思考はどこかへ行ってしまった。


「確かに、塚田君はいっつもなっちゃんのそばにいるよね」

「ちょっと、ユッキーまで何言い出すのよ。隆平は陽介と共通の友達で、部活が一緒だからそばにいるように見えるんだってば」

「ふーん?」

「へぇ?」


 私がそう言うと、ヒナとユッキーはニヤニヤしながら思わせぶりな声を上げる。

 な、なによ? ほんとにそれだけでしょ? 別に隆平とはなにもないんだし。


「そういえば塚田君と夏希たちって、入学してすぐにつるんでたよねー」

「あー、あれは合格者発表のときに会ったことを隆平が覚えてて、それで私達に声かけてきたのよ」


 たまたま隣でほぼ同時に声を上げたから、合格おめでとうって言い合った程度だったはずだけど、今になって考えるとよく覚えてたわよね。


「少し気になってたんだけど、塚田君ってどうして陸上部入ったのかな? 昔からやってたわけじゃないんだよね?」

「違うと思う。でもなんで陸上入ったのかは私も知らないわ。そんな得意でもなさそうなのに」


 陸上が好きってわけでもないわよね……? そんな感じは今までなかったし。

 じゃあなんで陸上続けてるんだろう。続ける理由なんてない気がするけど。


「それなら理由なんてひとつじゃない?」

「やっぱりそういうことなのかな」

「塚田さんが誰かは知らないですけど、ウチもそうだと思います」


 ヒナとユッキーに加えて、由美ちゃんまでもが知った風な顔をして頷く。


「なに、みんな分かったの? 私にも教えなさいよ」

「え、え? なにどゆこと? あたしもよく分かんないんですけど」


 頭に疑問符を浮かべるのは私と晴奈ちゃんだけで、他のみんなは分かってるみたいだ。




「だからぁ、塚田君は夏希のこと好きってことじゃん?」




「あっ……、言っちゃうんだ……」


 ヒナの言葉にユッキーが何かを呟く。

 しかし、その内容に意識を向けるだけの余裕は、今の私にはなかった。


 ……え? 隆平が私のことを好き?

 好きってあれよね、友達としてってことじゃない、わよね……?


「……はぁ!? ちょっとヒナ何言ってんのよ!?」

「いやいや、夏希こそ何そのリアクション? 知ってて気のない素振りしてたんじゃないの?」

「いやいやいや! そんなわけ無いでしょ! ていうか隆平が? 嘘よね?」


 からかわれているんじゃないかと思って、最後の良心であるユッキーに目を向けると、ユッキーは曖昧な笑みを浮かべて目を逸らした。


 う、うそでしょ? 隆平が……?

 いやいや、ありえないって! だって私隆平に好かれるようなこと何もしてないし、最近良くなってきたとはいえガサツな部分も見せてきたし、男の子より後輩にモテるタイプだし!


「ない、ないわ。それはない。うん、ないったらない」

「あ、あれ? もしかしてヒナ、踏んじゃいけない地雷踏んだ?」

「……だと思うよ」

「ですね。夏希さん陽介さんのことしか見てこなかったみたいだから、自分が周りからどう思われてるとか気にしたことないんだと思います」

「……? なに、結局バカ兄貴のせいってこと?」

「間接的にはそうかなぁ」


 外野がなにか言ってるけど、その全ては私の耳に入ってこなかったのだった。





 ――――





 月曜日の朝。辺りはまだ薄暗くて、眠い目をしばたたかせながら部室に入る。

 ただでさえ少し憂鬱ゆううつな月曜日なのに、私にはもう一つ頭を悩ませることがあった。


 ため息と共にエナメルバッグを投げ捨てて、部室を出る。

 するとちょうど私と入れ替わりで男子部室に入ろうとしている彼と目があった。


「あ、おはようー、夏希」


 少し間延びした声でふやけた笑みを浮かべるのは、今まさに私の悩みのタネになっている人物だ。


「お、おはようっ!」


 私はくだんの隆平に口早なおはようを投げつけると、すぐさま背を向けた。


 あぁぁああッ〜〜!! なによなによなんなのよ! あんなのヒナたちの勘違いでしょ!? 何意識してんのよ私はっ!


 昨日もなんだかんだ考えすぎてよく眠れなかったし、気分最悪だわ……。

 教室で会ったら文句言ってやろう!



 早朝はさすがに寒いけど、アップする前から温まった体にはそれが心地よかった。


 それからの部活中も、グラウンドを走りながらついチラチラと隆平の姿を追ってしまう。

 その度にバカみたいだと自分を律するのだけど、気がつけばまた視界に捉えてしまう。


 しかも隆平のやつ、時々私と目が合うのよね。なんでこっち見てんのよ! 練習に集中できてないんじゃないの!?


「夏希、夏希ー? 走らないの?」

「え!? な、なに?」

「だから、次夏希の番だけど走らないの?」


 後ろの結奈が焦れたような声でそう言った。どうやらボーッとしてたらしい。


「ご、こめんごめん! 今走る!」


 ……まったく、集中できてないのはどっちよ。

 あーもう忘れよ! とりあえず今は考えないことにするわ。これじゃあ気になって何も手がつかないもの。


 そうして私は、視界の端で隆平の視線を感じながら、冷たく凍った地面を蹴った。

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