第131話 事件の残り香はカフェに漂う 下
「この一連の事件、その犯人が人ならざるもの。俺達より高次の存在、神ではないかという話です」
俺が抱いていた疑問をぶつけると、飯島さんは口を真一文字に引き結び、コーヒーカップを引き寄せた。
「神、神ですか……」
「ええ、だってそうでしょう? 時間を巻き戻したり、雪芽の病気を止めたり、人間にこんなことができるとは思えませんよ」
「そう、ですね。当然行き当たる疑問だと思います」
飯島さんは引き寄せたコーヒーカップを口元に運ぶ。
そしてそれが再びソーサーに戻るとき、口を開いた。
「人間です。と、そう断言はできません……。でも、そこには人の意思のようなものを感じるんです」
「人の意思……。それ、前も言ってましたよね。作為的なものを感じるって」
「はい。私が知る限り、神は基本的に人間に不干渉です。人間に何かを与えこそすれ、その行動を意に沿う用に誘導しようとはしない。なのに犯人は柳澤君に接触した」
……ん? 犯人からの接触なんてあったか? 雪芽への接触は昏睡状態のときにあったとしても、俺になんて覚えがない。
そんなことがあれば思い当たるフシがないわけが……。
「かの猫のことですよ、柳澤君」
「あぁ、エロ猫のことですね!」
俺がエロ猫の名前を出すと、飯島さんはほんの少し不満そうに目を細めた。
まぁ確かに昼間から大声で言うような名前じゃないな。でも飯島さん、この名前考えたの俺じゃないですからね?
「おほん、ハートの猫のことですね。確かあの猫は犯人とつながりがあるって話でしたよね」
「はい。犯人はかの猫を通して妹さんに接触した。しかし初めは柳澤君に接触しようとしていた。なんのためか」
「……観察?」
「そうです。犯人はあなた達を観察するためにかの猫を送り出した。これは犯人との接触にほかなりません」
確かに、言われてみればそうだ。言い換えれば俺達はエロ猫を通して犯人と接触したことになる。
でも、どうしてそれが神の仕業じゃないと言い切れるんだろうか。
「神の目に奇跡は映らない。あるのはただ必然のみである」
「え?」
「私が柳澤君と同じ年頃に、私の友達が神に言われた言葉だそうです」
「神に……?」
俺が呆けた表情をしていたからだろうか、飯島さんはクスリと笑った。
しかし、それはどこか懐かしむようでもあった。
神の声を聞いた、なんて到底信じられないが、そんな事を言う筋合いは俺にはないよな……。
もしその話が本当だとして、さっきの口ぶりからも飯島さんは神を知っているんだ。少なくとも俺よりは身近に神を感じ、理解している。
「ええ、そうですよ。歴とした神様に言われたんです。でも今はそちらよりもこの神の言葉の意味のほうが重要です」
そうして飯島さんはコーヒーを一口飲むと、再び真剣な表情で語りだす。
「先程の神の言葉。あれは神が未来を見通す目を持っていることを意味します。ではなぜ犯人はあなた達を観察せよと猫に命じたのでしょうか?」
「……観察ってことは、俺達の状態を知りたかったってことですよね? てことは、状態を知って、次の行動を決めようとした、んじゃないでしょうか」
俺の答えに飯島さんは満足げに頷く。どうやら正解だったようだ。
「そうでしょうね。観察した結果が
「でもそれだと未来を見通せていたわけじゃなくなる……」
「故に、神ではない可能性が高いと私は考えています」
それに加えて神は人に不干渉であるなら、エロ猫の持ち帰った結果から俺たちの行動を変えようとするのはおかしい、か。
確かに、夏休みを何度も繰り返させたり、この犯人は自分の望む未来へと俺たちを進めたいという意志を持っているようだ。
しかし、それは飯島さんが知っている一柱の神の話だ。
「でも飯島さん、個体を捕まえて群体を語るのは違うと思いますよ。それだと俺一人が人類の全てになっちゃいます」
「神が複数存在するとするなら、まさにその通りです。そもそも神は曖昧で不定形の存在ですから、型にはめること自体無意味とも言えます」
俺の反論に、飯島さんはあっさりとそれを受け入れた。
しかし、その目は俺の反論に納得のいっていない様子だった。
「でも、犯人が神であると、私達の遠く及ばない存在であると認めてしまったら、悔しいじゃないですか」
「悔しい……?」
「だってそうでしょう。犯人が神であるなら、私達にできることはないんです。ただもてあそばれるままに
飯島さんはじっとカップの中のコーヒーを見つめている。
その目は悔しそうでもあり、辛そうでもあり、悲しそうでもあった。
「私だって分かってはいるんです。どれだけ筋道を立てて犯人が神でないとした主張よりも、犯人が神であると説明するほうがはるかに楽で、説得力があるということを。
あれだけのことができるのは、神をおいて他にないと納得するほうがはるかに簡単であるということを。分かって、いるんです……」
黒い水面は、飯島さんの手の震えを受けて小さく揺らめく。
飯島さんはそんな水面に映る自分を
「でも、それじゃあ私は本当になんの役にも立てない。あなたの助けになることができないんです。
あなたを、いつ終わるともしれない地獄に置き去りにしてしまう。死ぬまでその苦しみに耐えてくださいと、そう言わなくてはいけなくなってしまうんです」
「飯島さん……」
「だから言いたくなかった、犯人が神の可能性が高いことを。私達の手の届かない存在であると、この状況を何も変えることができないということを、認めたくなかった……」
普段凛とした飯島さんがこんなにも弱音を吐くなんて、少し意外だった。
感情表出が乏しい飯島さんが、こんなに自分の気持ちを
そして、飯島さんにこんなにも背負わせてしまっていた自分が許せなかった。
「飯島さん、最近忙しくされていたのはそのことを確かめてくださってたからなんですね」
「……え?」
「俺のために必死で犯人が人である可能性を探って、その神の声を聞いたっていうご友人にも会いに行ってくれたのかな。とにかく、俺を救おうとしてくれた、んですよね?」
「それは、そうですが……。どうしてそれを?」
「勘です勘。なんとなくそんな気がしただけですよ」
「か、勘……」
あっけにとられたように俺を見る飯島さんは、少し間の抜けた表情で。大人の人にこんな事を言うのもいけないけど、なんだか可愛らしかった。
「でも飯島さん、あなたがそこまで思い詰めることはなにもないんですよ。だって、俺のやるべきことは相手が神だろうが人だろうが、何も変わりやしないんですから」
「変わらない……?」
「そうです。俺のやるべきことはただ一つ、雪芽を守ることだけ。それだけです」
相手が誰であろうと、俺のすべきことが変わらないなら、それは俺にとって大きい問題じゃない。
ただ目の前の運命に抗うだけなんだから。
「だから飯島さん、役に立てないだなんてそんなこと言わないでください。俺が今ここにいるのはあなたのおかげなんですから」
飯島さんはしばしコーヒーに映る景色を見つめていた。
やがてそっと顔を上げると、はにかむような笑顔を見せた。
「……ありがとうございます」
でもそれは、少し寂しそうにも見えたんだ。
自分の手元にあるコーヒーカップの中を見つめれば、同じ景色が見えるかもしれないと覗き込んでみたけど、そこには飯島さんと同じように微笑む俺の姿があるだけだった。
――――
飯島さんと別れてすぐ、俺は帰りの途中にある駅ビルに向かった。
そうしてたどり着いた一角でしばし立ち止まる。
「う〜む、どうしたもんか……」
口ずさめるほどに聞き慣れた名曲が流れる店内で、俺は思わず唸る。
目の前にあるのは聞き慣れない名前の材料や調理器具。そしてこの時期どこに行っても目につくアレだ。
「チョコって言ってもなんか色々あんのなぁ」
スマホの画面と目の前の材料とを見比べて、俺はイメージを膨らませる。
やっぱ最初はベーシックに、溶かして型に入れてちょっとトッピングすればいいか? 別に本気で作るわけじゃないし、そんなに凝る必要ないもんな。うん、そうしよう。
そう、俺はチョコを作るための材料を買いに来たのだ。
これで自分のために作っていたらだいぶ寂しいやつだが、これは自分のためでも、憐れなる同志に施してやるためでもない。
母さんに聞いたら調理器具は一通り揃ってるから心配いらないと言われた。だとすると、あと買っていくのはチョコくらいか。
しかし母さんのやつ、俺がチョコを作るって言ったら可愛そうなやつを見るような目で俺を見やがって……。
それからたっぷり時間をかけて自分用のチョコでないことを説明したのだが、今年はお母さんの分はいらないわねとか、ホワイトデーのお返しはちゃんとしたのにするのよとか言って、全然話を聞いてくれなかった。
自分用チョコはまぁいいよ。でも自分用のホワイトデーのお返しはないよなぁ? 寂しいやつを通り越して憐れだよ。惨めだよ。
……確かに、自分でも何やってるんだろうって思うけど、これくらいしか思いつかなかったんだから仕方ないじゃんか。
俺だって晴奈とこのままだなんて嫌だし、仲直りのきっかけにでもなればって……。
ついでに雪芽や夏希、隆平たちにも友チョコ渡して、飯島さんにもお世話になってるし義理チョコを渡したい。
……こんなこと、去年は考えもしなかった。
クラスの男子が当日ソワソワしてて、その日の終わりに肩を落として帰る。そんな日常に限りなく近い日。それがバレンタインだったのに。
そうだよ、昔はこんなイベントごとなんてゲームの中でしか楽しんだことなかった。
そう、あの夏がやってくるまでは。
後悔のない今を生きる。それがいずれ来る絶望に備えて、俺に唯一できたことだ。こうしたイベントというのは、そのために都合が良かった。
――あなたを、いつ終わるともしれない地獄に置き去りにしてしまう。
ふと飯島さんの言葉を思い出した。
地獄、か。まさにそうだな。
いつまた雪芽が死んで、世界が繰り返すか分からない恐怖に怯えながら暮らすのは、やっぱり苦しい。
――今はまだ、犯人が神である可能性は考えないようにしておきましょう。私達の手が届く所にいると、そう信じていましょう。
だから、飯島さんが別れ際にあんなことを言ったことにも納得はできる。
これはつまり、希望だ。ループの可能性を消して、正しく過ぎていく世界を手に入れるための希望なんだ。
そして、それは俺のためにある希望だ。俺が真に心穏やかに過ごせるために、飯島さんは犯人が人である可能性を持ち続けようとしているんだ。
優しい人だ。あの人はいつも俺を救ってくれる。
でも、正直俺は犯人に手が届かなくても仕方がないと思ってる。
犯人を捕まえればループの謎は分かるんだろうけど、やっぱり俺にとってそれは大事なことじゃないから。
雪芽が笑っている。それだけで俺はなんだって耐えられる。
でももし、もし犯人が雪芽を脅かすようなことがあるならば――。
「……その時は何を捨てでもお前にたどり着くぞ」
……っといかんいかん。怖い顔でチョコを睨みつけてもしょうがないよな。さっさと買うもん買って家帰るか。
そうして俺は数枚の板チョコとアーモンドなどのトッピングをかごに詰め、レジへと向かうのだった。
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