第129話 少女の想いはチョコに込めて

 駅ビルの中にあるスーパーで、私達はあーでもないこーでもないと頭を突き合わせていた。

 手にしたスマホにはチョコの作り方が書かれていて、今はその材料を見ている。


「板チョコに生クリーム。後はお好みでトッピングなんかを買えばいいのね? なーんだ、そんなに難しくないじゃない」

「バレンタインコーナーならすぐそこにあったよ。一通りそこで揃うんじゃないかな」


 ユッキーはスマホから目を離すと、さっさと歩き出した。

 その後を追いながら、ヒナが不思議そうに首を傾げる。


「チョコは分かるけど、生クリームって何に使うの? トッピングとか?」

「混ぜるんでしょ? 生クリームのトッピングチョコとか見たことないわよ」

「たしかにー! 生クリーム乗ってるのはチョコケーキだった」

「それも場合によるとは思うけど……」


 とまあ、さっきからこんな調子で誰もチョコ作りに詳しくない。

 それもそのはず。誰も作ったことないんだから。


 初め、私は溶かして固めるだけのシンプルなチョコでいいと言ったんだけど、ユッキーとヒナに猛反発されてしまった。


 初めて作るんだから思い出に残るすごいのを作りたい! とはヒナの言い分だ。いや、初めてだからこそ初歩的なものにすべきだと思うんだけど……。


 ユッキーはあまり簡単だと陽介に見直してもらうには足りないと言い出し、私はこっちの意見に説得されたわけだ。

 まぁ、せっかくなら少しは手のかかるやつを作ってみたいしね。あんまり大変なのはゴメンだけど。



「あぁ、そういえば道具とかどうしよっか?」

「どうしようって、何も考えてなかったわけ?」

「えへへ、ごめんねなっちゃん」

「はぁ、ユッキーって時々考えなしよね……」


 ユッキーはバツが悪そうに笑みを浮かべると、お母さんに聞いてみると言ってスマホを取り出した。

 その間にバレンタインコーナーに並べられたものに目を向けると、なにやら馴染みのない調理器具や容器が並んでいる。


 泡立て器に……、これはヘラ? それに耐熱ボウルとアルミカップ。どれも見たことはあっても使ったことはないものばかりね。

 まっ、料理なんてほとんどしないから普通の調理器具だってまともに使ったことないけど。


「あっ! ヒナこれ小さい時好きだったなぁ~。つまみ食いしてママに怒られてた」


 私と同じようにバレンタインコーナーに並べられたものを物色していたヒナは、何かを見つけたのか楽しげな声を上げた。


「へぇ~、……ってこれトッピングのカラフルチョコよね!? これだけで食べてたの……?」

「そう! ちょー美味しいからっ!」


 なんかすごく想像できるわ……。ヒナって昔からこんな感じだったのね。


「あっ、道具一通り揃ってるって!」


 ヒナとそんな話をしていると、お母さんへの確認が取れたらしいユッキーが喜びに目を輝かせる。


「ほんと? ならよかったわ。調理器具まで全部そろえなくちゃいけなくなったら大変だし」

「てことは、あとは材料買っていくだけって感じ?」

「ってことだね」

「じゃあ材料だけ買って、雪芽んちにレッツゴー!」


 そうして、かごにあれこれ詰め込むヒナを止めながら、チョコ作りの材料を買い込んでいくのだった。





 ――――





「うわぁ……、何にもない……」


 電車に揺られること数十分。私達は手に買い物袋を下げて無人駅へと降り立った。

 着くなりヒナはぽかんと口を開けて、ただ目の前に広がる雪の田園を眺めている。


「そこがいいんじゃん。とっても静かで落ち着けるよ?」

「え~? 雪芽おばあちゃんみたーい」

「お、おばっ……」

「あははっ! 確かにちょっと年寄り臭かったわねっ」

「そ、そんなことないもん!」


 そんな風にユッキーをからかいながら、私達は誰もいない駅を出る。


 ついこの間、思い出したように降り積もった雪を踏みしめながら、ユッキーの家に続く道を進む。


 そう、私達はユッキーの家を目指している。ヒナもいることを考えると、わざわざこんなところまで来てもらうより、私とユッキーがヒナの家に行ってチョコを作ったほうがいい気がするんだけど、どうやらユッキーには別の思惑があるみたい。


 誰かもうひとり呼んだって言ってたけど、誰を呼んだんだろう? ユッキーったら勿体もったいぶって教えてくれないんだもの。


「着いたよ。あれが私の家」

「おぉ〜、かわいい家! 新築?」

「そうなのかな。もう出来てるやつを買ったんだって。私にも詳しいことはよく分からないんだけどね」


 少し離れたところにユッキーの家が見えてくると、ヒナは好奇心に目を輝かせる。


 駅から歩けなくもない距離にあって、新興住宅街に位置しているユッキーの家は、この不便な田舎にあって便利な方だ。

 私や陽介の家は本当に山や畑の中にある感じで、駅まではまず歩いていけないし、買い物に行こうと思ったら車は必須だ。特に自転車が使えないこの時期はそんな便利さが羨ましくもなる。



 ユッキーはきれいに雪かきされた駐車場を通って、玄関のドアに手をかける。

 ドアの先に続く玄関もきれいに靴が並べられていて、そこには2足の少女のものらしきスノーブーツが雪解け水を滴らせていた。


 これがユッキーの呼んだっていうもう一人ね。でも2足あるけど……。一人じゃなかったの?


「あ、先に来てるみたい。……でもどうして2足あるんだろう?」


 ユッキーもやってきた二人目のことは知らないようで、疑問符を浮かべている。

 しかしそれもつかの間で、会ってみれば分かるとばかりに顔を上げた。


「ただいまー!」

「あら、雪芽お帰り。それに夏希ちゃんと、ヒナちゃんね? いらっしゃい」


 ユッキーが声をかけると、扉の向こうからおばさんが顔を出した。

 ほんと、いつ見てもきれいな人……。ユッキーのお姉さんだって言われても信じられちゃいそう。

 私のお母さんもこんなに綺麗だったら、私も少しは違ってたのかな。なんて、言っても仕方ないか。


「お邪魔します」

「おじゃましまーす! ……ってか雪芽ってお姉さんいたの?」


 どうやらヒナは見事に勘違いしてるようだ。その勘違いを正してやろうと口を開きかけたその時、おばさんの後ろから小さな影が2つ顔をのぞかせた。


「あっ、雪芽さん帰ってきた! おかえりなさい!」

「すみません、ウチも晴奈について来ちゃいました」


 そこにいたのは晴奈ちゃんと由美ちゃんだった。

 どうして由美ちゃんが、という思いはユッキーも同じようで、ただいまを投げた表情のまま固まっている。


「え、え? 雪芽って妹もいたの……?」


 ヒナも含めて、私達は誰ひとりとして状況に追いつけなかったのだった。





 ――――





「え!? お姉さんじゃなくてお母さん!? うっそ、マジ若い……」

「うふふ、まだ若いのにお世辞が上手なのね〜。それじゃあおばさんは家のことをやっているから、何かあったら呼んでね」


 事情を知って固まるヒナを置いておばさんはキッチンを出ていった。


 残された私達は、少しの沈黙の中で互いを探り合う。

 由美ちゃん。この子のせいだ。陽介の元カノのこの子がどうしてここにいるのよ……?


「え、じゃあこの二人は? 雪芽の妹じゃないの?」


 そんな気まずい空気もお構いなしに、ヒナは晴奈ちゃんと由美ちゃんを無遠慮に見つめた。


「違いますよ。まぁあたしは雪芽さんの妹みたいなものですけど」

「ウチも違いますよ? 雪芽さんや夏希さんとはライバルみたいな感じですっ!」

「妹じゃないのに妹? 雪芽と夏希のライバル……? んんん? ヒナこんがらがってきた〜!」


 ……だめだ、ヒナがいると話が全然進まないわ。ヒナには後で説明するとして、今は一先ず晴奈ちゃんと由美ちゃんがここにいる理由を聞かないと。



「でも勝手に由美を連れてきちゃったことはごめんなさい……。雪芽さんにチョコ作りに誘ってもらったって自慢したら、自分も行くって聞かなくて」

「だって晴奈チョコ作ったこと無いっしょ? ウチがあげたチョコにホワイトデーのお返しくれてたくらいだし」

「だって作るのめんどいし、あげる人もいないし」

「――ということで、経験者のウチが晴奈をサポートしなくてはと思ったわけです!」

「な、なるほど。そういうことだったんだ」


 なるほどと言う割には納得のいかない表情で、ユッキーは由美ちゃんの言葉の裏を読もうとしているみたい。

 まぁ、こんな時期だし、私もその真意は気になる……。


 別れたってことは聞いてたけど、それ以外については何も聞いてないし。ていうか陽介が全然教えてくれないんだもの!

 あまり食い下がると怪しまれるからできないしさ。


「それで、その人はどなたですか? もしかして陽介さんにチョコをあげようとしてる人じゃないですよね?」


 そして由美ちゃんは完全に置いてけぼりのヒナに目を向けた。

 その顔は笑ってるけど、漂う雰囲気は笑ってなんてない。


「え、陽介君にチョコ? あげるつもりだけど?」


 キョトンとした表情でヒナがそう答えると、由美ちゃんは浮かべた笑顔はそのままに、私とユッキーのもとへと詰め寄ってくる。


「……ちょっと雪芽さん、夏希さん。なにがどうなってもうひとり増えてるんですかっ!? さすがのウチもこれ以上増えられると困るんですけどぉ!」

「ち、違う違う! ヒナは別に陽介のことが好きなわけじゃなくて、広瀬君のことでお世話になったからって、それだけだよ」

「……広瀬? それって陽介さんを苦しめた諸悪の根源ですよね? その被害者ですか?」

「いや、被害者というより関係者ね」

「関係者? つまり敵ですか」


 すっと、由美ちゃんの目が据わる。その瞳は向こうで晴奈ちゃんと話をしているヒナに定められていた。


「いやっ、敵じゃなくて味方だった人だよ!?」

「味方……。ふむふむ、なら問題ないですねっ!」


 ユッキーの言葉に由美ちゃんはコロリと表情を変える。

 お、恐ろしい子だわ……。陽介のこととなるとこの子、すごく攻撃的なんだけど……。



「……なんだか、由美ちゃん変わったね」

「そう? 陽介の目がないから猫かぶるのをやめただけだと思ってたけど」

「ほー? 夏希さん、言ってくれるじゃないですか。……まぁ、猫かぶって背伸びしてたのは確かですけど」


 私の口から思わず挑発的な言葉が飛び出すと、意外にも由美ちゃんは真摯に受け止めた。




「……でも、もういいんです。背伸びしたってせいぜい陽介さんの胸に頭が届くだけで、同じ目線では見つめ合えないって分かったから」




 そう言う由美ちゃんの目は、なんだか大人びて見えて。私は少しだけこの目に見惚れてたんだ。


「だから、ウチはウチのペースで大きくなっていくんです! いつか陽介さんがもう一度付き合ってくれって言っちゃうような、素敵な女の子になるんですからっ!」


 幼い考えだと、そう思った。

 でも笑いはしないし、させない。だってその思いは真剣で、純粋で、眩しいくらいに美しいのだから。




「うん、やっぱり変わったね。なんだか前よりずっと、綺麗になった」




 私の思いを代弁してくれたユッキーの言葉に、由美ちゃんは挑発的に笑う。


「とーぜんです! だってウチ、陽介さんの彼女だったんですよ? 色々経験して大人に近づいたんですからっ!」

「むっ」

「……言うじゃない」


 なんだ、この子全然諦めてないじゃない。ライバルが一人減ったと思ってたけど、どうやら違ったみたいね。


 私はユッキーに視線を向ける。すると、ユッキーもこちらを見ていた。

 目があった私達はかすかに頷く。


 ええ、そうね。由美ちゃんにはまんまと先を越されちゃったわけだし、もう負けるわけには行かないもの。

 だから今は協力して、陽介が美味しいって言ってくれるようなチョコを作らないとね。



「へー! じゃあ晴奈ちゃんは陽介君の妹なんだ~。確かに似てるかも。目つきとか」

「全然似てないですよ! あたしはバカ兄貴みたいに間抜けな目はしてません!」


 私とユッキーが密かにそんな決意をしている横で、ヒナと晴奈ちゃんはなにやら楽しげだ。

 さっき会ったばかりなのにもう仲良くなるなんて、さすがはヒナね。広瀬君たちといっしょにいるんだもの、ノリの良さはスクールカースト上位のそれだ。


「てことは、晴奈ちゃんは陽介君にあげるためにチョコ作るんだ」

「はい? 違いますけど。あたしは雪芽さんたちにあげるためのチョコを作りに来たので」

「あ、あれ~? でも妹からチョコもらえないと、陽介君も悲しむんじゃないかなー?」

「毎年お母さんが買ってきたやつを、二人からってことにしてあげてるので、別に悲しまないんじゃないですか?」

「でもでも、せっかく作るなら日頃のお礼とか、そういうの伝えるチャンスだと思うなぁ」

「あんなバカ兄貴に伝えるお礼なんてないですよ」


 晴奈ちゃんは陽介の名前が出ると、ふてくされたようにそっぽを向いてしまった。

 どうしてこんな態度なのか、なんとなく想像はつくけど……。


 思い当たる節である由美ちゃんに目を向けると、由美ちゃんは困ったような笑みを浮かべた。


「晴奈、ウチが陽介さんと別れてからあの調子で……。ウチはもう吹っ切れたんだって言っても聞いてくれなくて、まだ陽介さんと喧嘩してるみたいなんです」

「なるほどね……」


 小声で状況を教えてくれた由美ちゃんは、晴奈ちゃんをチラリと見やると、まるで手のかかる妹にするように、小さくため息を付いた。




「だから、これが晴奈と陽介さんが仲直りするきっかけになればいいなって。まぁ、ウチと陽介さんの関係をもとに戻すことも兼ねて、ですけど!」




 ……確かに、陽介にはもったいないくらいのいい子ね。そのせいでちょっと、損しちゃいそうな気もするけど。


「そうね。これでいろいろ、変わるといいわね」

「はいっ!」



 変わるといい、か。

 思わず口から出た自分の言葉に、私はふと夢想した。


 チョコを渡すのと同時に私の気持ちを伝えたら、なにかが変わるのかな。

 きっと変わるんだと思う。でもそれは、必ずしも私が望む方へ変わるとは限らないんだ。望まぬ方へ、私が一番恐れる未来へと進んでいってしまうことだってありえるんだ。


 それならいっそ、このまま変わらなければいい。私とユッキーと陽介。3人友達のまま、自分の気持ちを隠して笑っていればいい。

 もしかしたらそれが、私達3人が最も幸せになれる方法なんじゃないか。晴奈ちゃんをなだめるユッキーを見て、私はそんなことを考えていたのだった。

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