第6章 夏は芽吹きを希う

第128話 2月の乙女は戦いに備える

「ねぇ、陽介って甘い物好きだっけ?」


 冬も折り返し地点を迎えた2月の頭。ユッキーは唐突にそんな事を陽介に聞いた。

 私は思わず陽介の答えに耳を澄ませる。


「甘いもの……? 好きだけど、それがどうかしたか?」

「ううん、別になんでもないよ? 陽介ってお料理は上手だけど、お菓子作りとかするのかなって思って」

「菓子は作ったことないなぁ。手の混んだもんって作るのめんどいし。それに料理だって適当で上手ってわけじゃないからな?」


 ……ふーん、そのへんの嗜好しこうは変わってないのね。

 いや、別にだからって何があるわけじゃないけど? 毎年あげてるわけじゃないし、去年はあげたんだから今年は別にいいんじゃない?


 そんな言い訳がましい考えを振り払うように、私は意地悪っぽく笑みを浮かべる。


「そうよねぇ、陽介は食費が浮くから料理をするだけで、料理が好きなわけじゃないものねぇ」

「悪かったなケチで」

「夏希が言いたいのは陽介は倹約家だねってことだと思うよ」

「なるほどな。なら最初からそういえよ」


 隆平が余計なことを言うものだから、陽介は満更でもない顔をして私に笑いかける。


「ち、違うわよ! 隆平も余計なこと言わない!」

「ええ〜? 俺は素直な方がいいと思うけどなぁ。なぁ、陽介?」


 楽しそうな笑みを口元に浮かべて、隆平はとんでもないことを陽介に問いかける。

 答えが気になって陽介の様子をうかがうと、いつもの何も考えてなさそうな顔をして言った。


「ん? そうだな。素直な方がモテると思うぞ」

「ばか、モテてどうすんのよ……」

「夏希? なんか言ったか?」

「夏希はすでにモテモテだからねぇ〜。主に後輩女子にだけど。だからこれ以上モテても仕方ないんじゃない?」

「なるほど。確かに夏希は面倒見いいからなぁ。姉御って感じ?」

「あ、姉御……」


 姉御、姉御……。姉御かぁ……。

 幼馴染でも結構あれなのに、この期に及んで姉御ねぇ……。うぅ、ちょっと泣きたくなってきたわ……。


「あ、あっー! 陽介、そろそろ休み時間終わっちゃうぞ! トイレ行こう、トイレ!」

「はぁ? 俺さっき行ったし――」

「いいから行こう! すぐ行こう!」

「お、おい! だから俺は――、って引っ張るなっ!」


 隆平は唐突にそんなことを叫ぶと、強引に陽介を引きずって教室の外に出ていった。


 ……あれでフォローのつもり? 自分で蒔いた種を回収して、自作自演もいいとこよ。後で嫌味の一つでも言ってやらないと。



「なっちゃん、大丈夫……?」

「大丈夫、大丈夫よ。あんなのいつものことだし、伊達に陽介と付き合い長いわけじゃないしね」


 私は自分に言い聞かせるようにして、ユッキーにぎこちない笑みを浮かべた。


「いやぁ〜、あれはひどいねー。ヒナも優利にあんなこと言われたら泣いちゃうかもっ!」


 すると、どうやら一部始終を見ていたらしいヒナが、困ったような笑みを浮かべながらやってきた。


「陽介君ってば、あんなほぼ脈なし宣言しといて無自覚なんだもんね。自覚しながらやってるぶん優利のほうがまだましって感じ?」

「脈なし……」

「あっ……」


 今気づきましたと言わんばかりに、口元に手をあてがうヒナはあざとい。

 まぁ、ヒナも半分は無自覚だろうから、怒るに怒れないのよね……。


 しかし、男子ってこういうのが好きなのかな?

 陽介がもしこんなタイプが好みなんだとしたら、私は茨の道を進まなくちゃいけないのかもしれない。


 そんないらない心配をしながら、私は辛い現実から目をそらす。

 でも、今までもおんなじようなことは何度もあった。今更こんな事でいちいち傷ついてもいられないわね。


「いいのよ、別に。陽介はああいうやつだし」

「ごめん夏希ぃ、ヒナは脈なしだって言いたかったんじゃなくて、陽介君がどうしようもないねって言いたかっただけなのぉ……」

「分かってるわよ、だから大丈夫だって」


 本当に申し訳無さそうに謝るヒナを見てると、やっぱりわざとじゃなかったんだと分かる。


 でもあれね、心配してることを言われるとこう……、不安になるというか。もしかしてなんて嫌な想像ばかりが膨らんじゃう。

 それもきっと、広瀬君の騒動のせいよ。だってあんなの見せつけられたら誰だって……。


「……うん、決めたよ! なっちゃん!」


 唐突に声の上がった方を見ると、ついさっき脳裏をよぎった顔がなにやら決意を固めた目をしていた。


「……なにを?」




「一緒にチョコ、つくろ!」




「「…………はい?」」


 謝罪のために手を合わせたままのヒナと一緒に、私は間の抜けた声を上げるのだった。





 ――――





「というわけで、まずは材料から集めないと」

「いえーい! ヒナ女の子同士でお買い物とかほとんどしたことないから楽しみぃ!」


 まだ雪が残る駅前で、ユッキーはさも楽しげにそう言った。


「ちょっと待って! 陽介がいたから聞けなかったけど、まだ一緒にチョコを作るってことへの説明がないんだけど!?」


 陽介はさっきまで一緒にいたけど、先に帰らせて今は私とヒナ、そしてユッキーだけとなっている。

 ヒナが一緒なことに陽介は疑問を拭いきれてなかったようだったけど、買い物の約束があるというと納得したように帰っていった。


 そして、陽介がいる以上チョコの話しを出すわけにはいかないからずっと黙ってたんだけど、こうしていなくなった今、ちゃんと説明してもらわないといけない。

 私が詰め寄ると、ユッキーは困ったように笑って一歩後退る。


「ま、まぁまぁ。私もお菓子作りとかしたことないし、一緒にやったら心強いし、楽しいんじゃないかなぁって」

「いや、そうじゃなくてっ。どうして私が陽介にチョコを作ってあげなくちゃいけないのかってことよ!」

「あれ? 私、なんて言ったっけ?」

「え? ……あっ」


 してやったりと顔に書いてある。嵌めたわね!? ユッキー!

 隣のヒナもニヤニヤとした笑みを浮かべている。こいつはユッキーと私、どっちの味方なのよ……。



「まぁ、陽介にあげるために作るっていうのは本当なんだけどね。私の見立てだとなっちゃんは陽介にチョコをあげたことはない。……んだけど、あってる?」

「……あげたことならあるわよ。去年だってあげたし」


 私がユッキーから目をそらしてそんな強がりを言うと、ヒナが胡乱うろんげな目をして疑いの声を上げた。


「えー? 夏希去年はブラックサンターあげてたじゃん。明らかな義理チョコって有名で、ヒナが明にあげたやつ。そんなんじゃあげたうちに入らないしぃ?」

「ヒナ、それだと高野君が可愛そうだよ……」

「だってヒナは優利一筋だもーん。期待させるだけのほうが可愛そうじゃん?」


 ま、まぁ、たしかにヒナの言う通りブラックサンターは義理よね……。い、一応本命なわけだし、ちゃんとしたのじゃないとあげたうちには入らないのかも……。


「とにかく、なっちゃんはそんなんだから陽介にあんな事言われちゃうんだよ!」

「そ、そんなんって……」

「だから見返してやろうよ! みんなですっごく美味しいチョコ作って、陽介になっちゃんは素敵な女の子なんだって思い知らせるの!」


 嬉々としてそんなことを語るユッキーは、一体どうしてそこまでしてくれるんだろう。

 だってユッキーだって陽介のことが好きなはずだし、私が陽介を好きなことも知っているはずなのに。


「どうしてユッキーはそこまでしてくれるのよ」


 そうして何度目かになる疑問をぶつけると、ユッキーはいつか見せたような楽しげな表情で言うのだった。


「だって、私はなっちゃんの友達で、ライバルだから」

「……そう。ライバルとしてまともに戦えないんじゃつまらないものね」

「二人の関係って、やっぱヒナには理解できなーい。ま、二人がいいならそれでいいと思うけどぉ」



 闘志を宿した瞳で見つめ合う私とユッキーの横で、ヒナは呆れたような表情をしている。

 そういえばこの子、当然のようについてきてるけどチョコ作れないのかな?


「そういえば、ヒナは去年広瀬君に手作りチョコあげたんでしょうね? さっきあんだけ煽ってくれたんだから作れないなんて――」

「作れないけど?」

「あっさり認めたわね!?」

「だってヒナ、あげるよりもらう側だし? テキトーに配っとけばホワイトデーに男子からたくさんお返しもらえるし、一口チョコのほうが楽でいいんだもん」


 ヒナはなぜかドヤ顔でそんなとんでもないことを言った。

 しかし、直後にはいつもの人懐っこい笑みを浮かべる。


「でもやっぱり優利には愛情込めた手作りチョコ食べてもらいたいって思うし、今年なら優利のチョコも減ってるだろうからチャンスだしね!」

「すごい魂胆こんたんね……。まぁ、去年の広瀬君を見れば誰だってその気が失せるのは分かる気がするけど」

「まぁそれが一番の理由だけど、今年はもうひとりあげなきゃいけない人ができたから、その人のためにもねぇ」

「へぇ~。ヒナは広瀬君のことしか考えてないかと思ってた。誰なの?」


 ユッキーの素朴な疑問に、ヒナはさも当然のようにその名前を口にした。




「陽介君!」


「「は?」」




「こ、怖い怖い二人ともっ! せっかくの可愛い顔が台無しだって!」


 思わず低い声が出てしまったけど、どうしてヒナが陽介に……? まさかあいつ、また私の敵を増やしたんじゃ……!?

 隣りにいる、できてから付き合いも長くなってきた私の敵……、もといライバルを見ると、なんだかふてくされたような顔をしていた。


「それで? とりあえず言い訳を聞こうじゃない」

「うん、そうだね。その後のことはその後決めればいいし」

「だから怖いってっ! 別にヒナは陽介君のことが好きなわけじゃないからっ! ……まぁ、嫌いじゃないけど」

「「ふーん」」

「いや、だって優利のことでたくさんお世話になったし、お礼を形にして渡すには絶好の機会でしょ? だから優利に向けた愛の本命チョコを作るついでに、陽介君へのお礼チョコも作ろうって、そういう話だし!」


 まるで猛獣に睨まれているかのような必死の言い訳をするヒナに、私とユッキーは疑いの目を向け続ける。

 お礼のチョコ、ね。まぁ確かに筋は通ってるわね。広瀬君の騒動における陽介の功績は大きいし、感謝してもしたりないっていう気持ちは分かる。


 なんせあの陽介嫌いの千秋までがよくやったって褒めてたくらいだから、きっと相当なことなんだと思う。

 私としては終始見ていて気持ちのいいことばかりじゃなかったけどさ。



「まぁそういうことにしておいてあげる」

「ほっ……」

「で? 前から気になってたんだけど、いつからヒナは陽介のことを下の名前で呼ぶようになったわけ?」


 ほっと胸をなでおろしたヒナは、続く言葉に再び顔をひきつらせる。


「え、っと……。それはほら、優利のゴタゴタで仲良くなったっていうか、あれだけのことがあればお互い友達って感じじゃん? だから親愛の意味も込めて……、ね?」

「そういえば、陽介もヒナのことヒナって呼んでたよね。前は名字で呼んでたのにね」

「そ、それはヒナが頼んだんだよ! ヒナって名字で呼ばれるの嫌いだから。陽介君優しいからヒナって呼んでくれるようになったんだって!」

「へー、随分と仲良しになったんだ」

「雪芽? 目が笑ってないよ……?」


 ユッキーの追撃もあって、ヒナはもう泣きそうな顔をしている。

 さすがにいじめすぎたか。まぁどうせ悪いのは陽介だろうし、今日はこれくらいにしといてやろう。


「ま、これ以上ヒナを問い詰めても何も出てこないでしょ。あとは陽介に聞けばいいと思う」

「そうだね。陽介にはいろいろちゃんと説明してもらわないと」

「……陽介君、南無なむ


 あー、もうっ。ホントにあいつはどうしようもないわね! 私が見てないところで勝手に女の子の友達作ってくるし、気づいたら彼女つくって別れてるし! ホント、どうして私はあんな奴のことを好きになっちゃったんだろ……。


 ……まぁ、そんなこと言ってもしょうがないか。好きになっちゃんたんだもんね。

 はぁ……、恋は惚れたほうが負けっていうのはこういうことかぁ。


 どうしようもなく馬鹿な自分にため息を付いて、それでもそんな自分がどこか憎めずに呆れ笑いをした。

 これは、あいつが思わず振り向いちゃうようなチョコ、つくってやんないとね。



「……よしっ! じゃあそろそろ始めましょ。バレンタイン大作戦!」

「あー! それヒナが言おうとしてたのにぃ!」


 時は2月の頭。街はピンクに茶色に彩られ、駅ビルの中はバレンタインの文字が踊る。

 耳を打つのは思わず口ずさんでしまいそうなほどの有名曲。鼻をつくのはあまーいチョコの香り。


 決戦の日は2月14日。これから始まるのは女子の聖戦。恋の戦、バレンタイン。

 聖戦と呼ぶには欲望がダダ漏れな気もしないでもないけど、それはそれ。この気持だけは純粋だって思うもの。


 さて、それじゃああのボンクラを振り向かせるために、らしくなさ全開でチョコでもなんでも作ってやろうじゃないの! それも恋敵のユッキーと一緒に!


 そうして私達は、みんなで一緒に戦いに身を投じるのだった。

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