第127話 事件の終わりは謝罪に謝礼 下
杉山に連れられてたどり着いた部室には、以前のように杉山の友達が二人、お弁当を食べていた。
「あ、千秋の彼氏先輩! こんにちは~」
「ああ、こんにちは。お邪魔しちゃって悪いね」
「いえいえ~」
「ちょっと! この人は彼氏じゃないって言ってるでしょ!? あと先輩も普通に返事しないでください!」
杉山をからかう後輩たちに俺が笑顔で挨拶すると、杉山はそれを嫌がった。
前回もそうだったが、本当に彼氏ではないのだから、適当にあしらえばいいものを。よっぽど俺のことが嫌いなのかぁ……。
このまま彼氏先輩を演じてみても面白そうだが、そんなことをしたらいよいよ杉山に口も聞いてもらえなくなるだろうからやめておいた。夏希にチクられても面倒だし。
俺は前回同様、彼氏ではないと念を押して、杉山と共に奥の部室へと入っていく。
「そういえばさ、2年の広瀬先輩、ヤバい人だったらしいよ?」
ドアが閉まる瞬間、彼女たちがそんなことを話し始めたのが耳に入った。
あれから数日経って、広瀬の噂は学校中に広まったんだ。面識のない1年生が噂をするくらいおかしなことじゃない。
広瀬の知名度とテスト直後のスキャンダルということも相まって、今この学校では2年生を中心に様々な憶測が飛び交っている。状況としては俺のリレーの八百長噂が流れたときと一緒だ。
「それで? 今度はなんの用なんだ? また夏希関連?」
「当然です。私は夏希先輩のこと以外で先輩と関わったりしませんから」
杉山は手近な椅子に腰掛けると、膝の上に小さな弁当箱を広げ、食べ始めた。
あ、俺も弁当持ってくればよかった。……まぁ、杉山はそんなこと許してくれないと思うけど。
「まぁそれはいいんだけどさ。それで、夏希がどうかしたのか?」
「それが、私も何かがおかしいことは分かるんですが、何がおかしいのかはよく分からなくて……。だから先輩に前回お話したときから今までに、何があったのかをお聞きしようかと思ったんです」
「何かがおかしいって、今日も別に普段と何も変わらなかったぞ?」
「それは先輩が鈍感なんですよ。私くらいの夏希先輩愛がないから気がつくことすらできないんです。一回死んでもう一度人生やり直してください」
一回死んで、か。一度死んだことがあると言ったら、杉山はどんな顔をするだろうか。
多分ついに頭までおかしくなったかと言われるのがオチだな。あるいは死んでも治らなかったんですねとか言われそう。
そんなことを思いつつ、俺は座るためのパイプ椅子を探す。このままだと立ったまでいろとか言われかねないし。
俺は適当な場所にパイプ椅子を置いて腰掛けると、杉山にこれまでの経緯を話した。
かいつまんでではあるが、こうして話してみるといろいろなことがあったと痛感する。それだけ広瀬は周到に用意していて、俺はずっと手のひらの上で踊らされていたんだな。
……俺はもう少し他人の悪意とかに敏感になるべきなのかもしれない。いまいち自分が何言われようと気にしないからなぁ。
「なるほど。概ね私が聞いてきた噂の通りですか。ということはあのへんも本当ってことで間違いないかな……」
一通り話を聞き終わると、杉山は考えを巡らせるようにそう呟いた。
「あのへんって?」
「広瀬先輩が実は極悪非道の悪役で、先輩がそこから女子を助け出したヒーローだって噂です」
「え、ちょっと待て。なんだその噂。俺聞いてないんだけど」
「まぁ、噂ってありもしないことが大半ですから。先輩がヒーローだなんて間違ってもありえないですよ」
「うん、まぁそうなんだけどさ……」
「広瀬先輩を止めたのは高野先輩って人だって噂もありますし」
「まぁ、それも間違っちゃいないな」
「ほらやっぱり! 私おかしいなって思ってたんですよ。先輩は表舞台に立つような人じゃないですし、ヒーローとか絶対おかしいって!」
「お前なんで嬉しそうなんだよ……」
杉山の言う通り、広瀬を止めたのは高野だという噂も囁かれている。
あの現場を誰か見ていたのだろう。まぁあれだけ教室を騒がせて出てくれば野次馬も集るというもの。おかげで広瀬はクラスメイトを始めとする生徒たちから距離を置かれ、逆に高野は多くから人望を集める結果となった。
俺としては注目されるのは居心地が悪いので、高野がヒーローなら都合がいい。
まぁ、俺も方々から謝られ、その度にもう気にしていないと許してやることが続いているので、だいぶ疲れた。これに加えてやんややんや言われたらと思うと頭痛がしそうだ。
「それで、先輩は広瀬先輩からユッキー先輩を助けたんですか?」
「俺がって言うよりみんなでだな。結局俺は大したことしてないし」
「ふーん。じゃあもし、もしもですよ? 広瀬先輩に狙われたのが夏希先輩だったら、先輩はどうしてました?」
「どうって、そりゃ同じようにしてたさ。俺にとっては夏希も雪芽も変わらない」
「本当ですか?」
一瞬、杉山の問いに言葉が詰まった。
それは夏希のことが大切ではないという意味ではなくて、夏希と雪芽に対する気持ちが同じではないと感じてしまったからだ。
俺は雪芽が好きだ。もちろん夏希のことも好きだけど、それは雪芽に向ける気持ちとは少し違う。その違いが、俺の言葉をほんの一瞬だけ止めたんだ。
「本当だ。どっちも俺の大切な友達だからな」
杉山はそんな俺を、少しの間無言で睨みつけるように見つめると、やがて納得したように頷いた。
「そうですか、ならいいんです。それじゃあお話は以上ですので、先輩は出てってください。ほら早く」
「おいおい、今ので夏希がおかしいっていう原因は分かったのか?」
「まぁ、大体は。でも先輩には教えません。癪なので」
「いやお前、それが重大なことだったらどうすんだよ? そんなこと言わないで教えて――」
「嫌です。それに教えたところで先輩にはどうにもできませんよ。どうしても知りたいなら自分で調べてください」
「……はいはい、分かったよ。それじゃあ、本当に色々ありがとな。今度夏希になにかしてほしいことでもあったら俺から頼んでやるよ」
相も変わらぬ扱いに、冗談のつもりでそう言ったのだが、
「いえ、結構です」
杉山はそんな風にそっけなく返した。
何かやらかしたかと記憶をたどってみるも、もともと杉山の俺に対する態度はこんな感じだったので、そこまで気にすることはないと思い直した。
そして、俺に対する興味を失ったようにスマホをいじりだす杉山を尻目に、俺は吹部の部室を後にした。
外に出ると、冷たい風が脇を通り抜けていった。
思わず首をすくめ、手に持ったまだ少し暖かいカフェオレを、両の手で包み込むようにして暖を取る。
冬も本番。廊下も教室も寒いが、外廊下は更に寒い。こんな小さな暖でもないよりはましだ。
「あれ、すけっちじゃん!? おつおつ!」
さっさと教室に帰ってストーブにあたろうと思ったところで、やかましいやつに声をかけられた。
「ああ、お疲れ。じゃあ俺は教室戻るから」
「ちょちょ! すけっち冷てーじゃん? 間違って買った、このつめた〜いココアより冷てーじゃん!」
早く弁当が食べたいので、スルーして教室に向かおうとしたところで、高野に回り込まれてしまった。
まるでゲームのモンスターだな。逃げるコマンドは許されなかったわけか。
「……なんか用か?」
「おう! 最近忙しくて後回しになっちまったからさ。ちゃんとお礼言っとかねーとなって」
この寒さを感じさせない明るい笑顔で、高野はそんなことを言った。
それにしてもまたお礼か。今日はなんだかそんなことばかりしてるな。
「お礼? 俺から言うことはあるにしろ、お前に礼を言われることなんてあったか?」
「ほら、俺が頼んですけっちには悪者役やってもらったじゃん? リンリンを追い詰めたり性格悪いことやってもらっちまってさ、マジわりぃって思ってたし」
そういえばそうだったな。広瀬を公の場で
広瀬の本心が知りたい。その上であいつを救いたい。ことが始まる直前、高野たちは俺だけにそんなお願いをしてきたのだ。
そんな二人の要望に、俺は広瀬を追い詰める悪役になることで応えた。
雪芽や夏希に知れたらまた怒られるだろうから独断で、だけど。
広瀬はどうやら俺に負けることがどうにも我慢ならない様子だったから、嘲るように笑ってみたり、上から目線で物を言ったりしたのだが、うまく行ったな。
「ああ、あれな。確かに柄にもないことだったけど、半分は本気だったしな」
でも途中からは本当に怒りがこみ上げて仕方なかった。演技なんかではなく、ただ単に怒っていたんだ。
「げっ、マジ!? アレ完全にすけっちの演技だと思ってたわー……。もしかしてすけっちって怒ると怖い系?」
「さあな」
「うっはぁ! 俺もきーつけよ」
軽い調子で己の額を叩く高野は、もう普通の高野だった。あの時の真面目な高野は見る影もない。
「しかしお前も怒ると怖いじゃないか。口調、というか変なあだ名も呼ばなくなったし」
「ちょっ、
俺が高野の豹変を言及すると、高野は照れたように頭を掻いた。
今でこそ
そしてずっと疑問だったことを聞くなら、今を持って他にはないと思った。
「なぁ、高野。お前実はバカじゃないだろ」
俺の問いかけを急なものと思ったのだろうか。なんだか間抜けな顔をしている。
「はあ!? いやいや、俺は間違いなく馬鹿っしょ? いつもすけっちと一緒にテストの最下位争いしてるし」
「ばっかお前、俺はワースト3、4位だから。お前よりは上だよ。……ってそうじゃなくて、地頭の話だよ。話は通じるし、理解も早い。あの作戦だってお前が考えたんだろ?」
高野は俺の発言に目を丸くする。そして慌てたように色々と言い訳を並べた。
「ち、違う違う! あれはほとんどヒナが考えたんだって! 俺はヒナの言うとおりにしただけで、結局リンリンのこと殴ったりめちゃくちゃしちまったし? 全然そんなんじゃねぇって!」
「嘘言え。ヒナは広瀬のこと好きだったんだろ? だったら広瀬を撤退的に追い詰めろなんて発想は出てきにくいはずだ。お前がなにか説得したんじゃないのか?」
「マジでちげーって! やめてくれよなぁ、そういう人のイメージ壊すようなことぉ!」
……ま、そういうことにしといてやるか。高野がバカを演じるように、俺も演じてるんだから。何事もない日常に生きる柳澤陽介を。
「で? ヒナのことが好きなお前はどうしてヒナと広瀬をくっつけるような事をしたんだ?」
今度は先程よりもずっと驚いた表情で固まった高野は、みるみるうちに顔を赤くする。
そのまま餌を求める
「な、なななんでェ!?」
「んなの見てればわかるだろ。俺だってそれくらい気づけたぞ。それで、どうしてだ? あのまま広瀬を悪者にしてればヒナを手に入れられたかもしれないのに」
「そ、そんなの、決まってるっしょ? 俺はヒナもリンリンも大切なんだよ。だから二人が一番幸せになれる方法を考えて、実行しただけだ」
「お前はそれでいいのか? きっとあいつら付き合うぞ? その時お前はすぐ側でそれに耐えられるのか? 以前と変わらずに笑えるのか?」
この問いに対する答えに、俺は興味があった。なぜなら、俺には到底無理な気がしたから。好きな人が側にいて、思いも伝えられず、その人は自分以外の人と恋人になる。きっと辛いことだ。
「そんなん、たりめーっしょ?」
だが、高野はなんの迷いもなくそう言い切った。まだ少し赤い、でもいつものバカみたいに明るい笑顔で。
「好きな人が幸せなら、それが一番じゃん? もし俺がヒナに気持ちを伝えたとして、それでヒナが悩んだり苦しんだりしたら本末転倒っつーか? だから、ヒナが幸せなら俺は笑うよ」
「……そうか。悪いな、野暮なこと聞いて」
「いいって! は、ははっ! つーかなんか恥ずいなこれっ!」
高野は強いな。俺がもし同じ立場だったら同じことが言えるだろうか、同じように笑えるだろうか。
「……じゃあ、今度こそ教室戻るぞ。高野はなんか用事あるのか?」
「いんや、俺も教室戻るわ」
この寒い外廊下にいつまでもいる必要はない。さっさと教室に戻るとしよう。
俺と高野はどちらともなく歩き出す。
「あ、一ついい忘れてた」
「んあ? どったんすけっち?」
「そのあだ名のこと。それな――」
「ああっ! わーったって! 変えろってゆーんだろ? 明日までにはなんかいいの考えとくから! ちぇ〜、これしっくり来んのにさぁ……」
「いや、そうじゃなくてだな」
間の抜けた顔を向ける高野に、俺はずっと言おうと思っていたことを告げる。
「そのままでいいぞ。コロコロ呼び名が変わるのもめんどくさいし」
「……は?」
「だからそのすけっちってあだ名。変えなくていいぞ」
「……え、まじ? マジでかすけっち!?」
固まっていた高野は、状況の理解が追いついたのかすごいテンションの上がりようだ。そんなに喜ぶことかね?
「ああ、マジマジ。もう好きに呼んでくれ。ヒナもお前もいちいち呼び方にこだわり過ぎだから面倒だわ」
「マジ? マジでマジ!? すけっちマジヤバイな!?!?」
「やかましいわ」
「やっば、これですけっちと俺はマブじゃん? え、てか俺のこと名前で呼んでくれよ! 何ならあだ名つけてくれてもいいし!?」
「やだよめんどくさい」
「はぁ〜!? すけっち相変わらず冷てーじゃーん! ……てかまって」
騒ぎ立てていた高野は、唐突にやかましい言動を止めると、やけに真剣な顔をして俺の進路を阻んだ。
「今すけっちヒナのことヒナって呼んでたしね?」
「……」
「あぁ!? 目ぇ逸らすなって! 何でヒナはあだ名なのに俺はだめなんだよ!」
「やかましいから」
「んだよそれぇ!? なぁすけっち、俺もあだ名で呼んでくれよぉ! なんだって文句言わねぇからさぁ……」
「いーやーだ」
「すけっちぃ!」
あぁ、これだから嫌だったんだよ。こいつはやかましすぎる。俺は静かに暮らしたいんだっての。
……まぁ、でもたまにはこんなのもいいかもしれないな。いや、ホントたまにだけど。
「あっ! すけっち今笑ったしょ!? なになに、俺のあだ名考えてくれた!?」
「ちげーよ」
「なぁんで〜!」
やっぱりたまにでも嫌だ。そんなことを考えながら、俺は高野と一緒に教室までの道のりを、ゆっくり、ゆっくりと、歩いたのだった。
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