第101話 親の期待は子にのしかかる
「……うん、分かったよ。もう敬語はやめる」
「ふふっ、ありがとう、雪芽」
俺は
うん、存外手こずることもなかったな。陽介のことを引き合いに出したのが効いたのかもしれない。
しかし、どうしてそこまでしてあいつに入れ込むのか。俺には理解できないな。
雪芽は陽介の優しさに惚れたと言っていたが、その程度なら俺でも問題なく与えられる。俺と陽介の何が違うと言うんだ。
……まあいい。別に雪芽の気持ちが俺に向いていなくても構わないのだから。俺の目的はすでに達成されたも同然。あとは現状を維持するだけなのだから。
そのために雪芽を脅すことで俺から離れないよう拘束し、同時に陽介との関わりも希薄にできた。
もし仮に雪芽が陽介に助けを求めたとすれば、陽介は俺の予想の範疇を超える可能性があったが、今となってはそれもなさそうだ。
まさに牙を折られた獣。今となっては牙があったのかも疑わしいけどね。
しかし、こんなに早い段階で雪芽に俺の計画が露見するとは思わなかった。陽介に罪を被るように吹き込んだのがバレるのは想定済みだったが、まさか噂を流したのが俺だとバレるとは……。
おかげで最後までとっておきたかった雪芽を脅すという悪手に出ざるを得なかった。
だが、俺はきちんと黒幕が俺であると悟られないように気をつけていたのに、こんなに早く露見するなんておかしい。
どこかから情報が漏れている……? でもどこから?
「話がないなら部活に行ったほうがいいんじゃないの? エースなのにこんなとこにいちゃだめだと思う」
「エースだなんて、俺はそんな大したもんじゃないよ。それにしても嬉しいな。雪芽が俺のことをそう評価してくれていたなんてね」
俺の言葉に、雪芽は複雑な心境を表すかのように顔をしかめる。
そんな顔をされるとこちらとしても複雑な気持ちだが、これも俺の行動の招いた結果か。
こうなるのが嫌で脅すのは最後までとっておこうと思ったのに、本当にどうしてバレたんだ? せめて来年の夏までは安全だと思ったんだが。
うん、そっちの調査も進めないといけないな。まずは俺が噂を初めて流した時、つまりあの打ち上げに参加していた駒から洗うか。
「まあ、俺でも時にはサボりたくもなるってことさ。いつでもどこでも完璧でいるのは疲れるからね」
「……」
「あはは……、今のは自分で完璧なんて言うなってツッコむとこだよ、雪芽」
「え……? ごめん、私そういうのよく分からなくて……」
「そうか! それなら仕方ない!」
……さて、この状況をなんとかして改善しないと。当初の予定だと、他人の目があるときは俺の彼女のように振る舞ってもらえるのに支障がない程度の好感度を維持する予定が、こんなことになってしまったからな。
話しを振れば返ってくるだけましだと思うしかない。その点は雪芽の律義さに感謝だな。
二人きりのときはこの調子でも構わないが、誰か他人の目があるときにまでこの調子では困る。雪芽にはまだしばらくは俺の彼女として隣にいてもらわないといけないのだから。
「おう、なんだお前らまだ居たのか。これからここで懇談始めるから出てけ出てけ~」
教室に山井田が入って来て、気の抜けた声でそんなことを言った。
「仕方ない。場所を移そうか」
渋々といった様子の雪芽を引き連れて、俺たちはそばにあった空き教室に入った。
適当な場所に並んで座り、俺は未だ鋭い視線を向ける雪芽に話しかける。
「そういえば雪芽は今日誰が懇談会に来るんだい? お母さんかな?」
「うん、お母さんが来る予定だけど……」
「そうか。雪芽のお母さんは厳しい人なのかな?」
「別にそんなことない。優しい人だよ」
「それは、いいことだね」
俺は長く息を吐くと、少しだけ俯く。
この話をするのはいつぶりだろうか。初めて明とヒナに話して以来、俺はこの話を自分から誰かにしたことはなかったな。
「
「……そんなに厳しいの?」
「……少しだけ聞いてくれるかな?」
情けない笑みを浮かべる俺に、雪芽はためらいがちに頷くのだった。
俺の家族は父母と、上に兄と姉がいる。兄と姉はすでに大学も出て、兄は税理士、姉は不動産会社で働いている。
父は現役で活躍する銀行員。母は個人で事務所を構える弁護士。二人とも厳しい世界を生き抜き、今の地位と富を手にした人たちだ。
そんな家族に囲まれて育った俺は、必然的に同じような道。つまり成功者への道を歩むことを期待された。
期待されたと言えば聞こえはいいが、結局それ以外の道を認めてもらえなかったのだ。
幼いころから勉強漬けの毎日。友達と一日中日が暮れるまで外で遊ぶなんてことはもっての外で、仲良くする友達にまで口を出された。
「互いに高め合っていけるよい友達を持つこと。それが成功への近道なのだ」
父はよくそんなことを言っては、俺と仲の良かった友達を切って捨てさせた。
そして両親は勉強と並行して俺に様々な習い事をやらせた。
水泳にピアノにサッカー、野球や剣道に空手など。クラスの誰かがやっている習い事は、漏れなく俺もやっているといった具合だった。
そしてその誰よりも俺は上でなくてはいけなかった。サッカーならどのポジションでもトップであり続け、剣道なら道場の誰よりも強くなくてはいけなかった。
何か一つでもトップを獲り逃すと、俺は両親に必ずこう言われた。
「あなたの兄や姉は同じことをしてもいつもトップだったのよ? もっと頑張りなさい」
「才能がないなどと弱音を吐くなよ? 才能がないのならその分努力しろ。努力すればそんなものいくらでも超えて行けるのだから」
そう言って見せられた
その輝きは今でも俺の心の奥深くに、どこまでも昏い影を落としている。
そうして俺は習い事でトップの成績を修めては次の習い事へといった具合に、様々なことをやらされた。
学校のテストでは常に満点でなくては努力が足りないと言われ、満点をとってもできて当然という顔をされるだけだった。
俺が両親に褒められたことがあっただろうか。今思い出してみても一度もない気がする。
そんな両親の圧力の中にあって、兄姉の存在もまた救いにはならなかった。
俺の兄と姉は、言うなれば天才だ。
何かの才能に秀でているというわけではなく、ただ努力することに関しての天才なのだ。
努力することが好きなのでも嫌いなのでもなく、ただ当たり前のように努力する。そして早々に自分なりの正解を見つけてその道を極める。そうすることに何の特別な感情も持たないことが、彼らの才能だった。
きっと人々は彼らを神童だ何だと崇めたのだろう。そんなことが容易に想像がつくほどに、彼らは何でも極めて見せた。
「あいつらのように多くのことでよい結果を残せば、やがてお前に本当に適している仕事が何か分かる。だから努力しなさい」
父のその言葉の中に、俺の自由な意思など含まれてはいなかったのだった。
自分のやりたいことではなく、自分にできる最適なことをしろと、父は俺にそう言ったのだ。
そんな幼少時代を送った俺は、両親と兄姉の期待という名の脅迫に怯える様にして、中学でも必死にトップを維持し続けていた。
部活動でバスケ部に入り、勉強と部活の両立を果たさなくていけないというプレッシャーに
そんな中、俺はあいつらに出会ったんだ。
ある日の昼休み。校庭へと続く渡り廊下の陰に隠れるようにして、タバコを吸おうとしている生徒を見つけた。
よく見ればクラスで見た顔だったから、俺は声をかけたんだ。
「何やってるんだ? タバコなんで中学生が吸うようなものじゃないだろう?」
俺の言葉にそこに
「んだよ、テメーには関係ねぇだろうがガリ勉」
「そうそう。ヒナたちの勝手だしぃ? それにこれはヒナのじゃなくて明のだし? ヒナ関係ないもーん」
「ちょおいヒナ! そりゃねぇっしょ!? てかこれ俺のでもねぇし! さっき拾ったやつだかんな!?」
騒々しい奴らだと思ったよ。同時に関わらなければよかったとも思った。彼らは俺の住む世界から遠く離れた存在だったからだ。
俗に当時のあいつらを不良というのだろう。いや、頭に「なんちゃって」が付く不良かな。後で分かったけどあいつらは特に悪いことはしてなくて、悪ぶってるだけだったようだし。
でも俺は完璧でなくてはいけなかった。完璧な優等生でなければ。
だから彼らの、特にクラスメイト達の不良行為を見逃すことはできなかった。
今思えばそんな人間と関わること自体を両親たちは嫌うのだと思うが、当時の俺はみんなに認められる優等生を演じるのに必死だったのだ。
「それじゃあ吸おうとしてたわけじゃないと?」
「そそ、そうだよ! 俺タバコとかきょーみないし? 別にカッコイイとか思ってねぇっつーか?」
「えー? 明この前はタバコ吸ってる男ってカッコよくね? とか言ってたじゃーん」
「いい言ってねぇし! 男はやっぱココハシガレットだろ!?」
「いや、ヨケーに分かんないし」
「うん、分かんないね」
「はあ!? ヒナはともかくガリ勉までそう言うのかよ〜……」
そんなアホなやり取りがおかしくて、俺は思わず噴き出した。
突然噴き出した俺を見て、あいつらは驚いたように目を丸くしていた。
しかし、やがて一緒になって笑いだし、ひとしきり笑った後にこう言った。
「お前も笑うのな! ガリ勉っていつも難しい顔してるから笑わねぇんだと思ってたわ!」
「そうそう! ガリ勉も――って、あんたの名前ヒナ知らないや。なんていうの?」
「知らないって、同じクラスだろう? 俺は広瀬優利。君たちは……」
「ふーん、優利っていうんだ。でもそういう優利もヒナたちの名前知らないじゃん。おあいこだよ! ヒナは庭雛美っていうの。ヒナって呼んでよね」
「んで俺が高野明。明でいいよ」
それが俺と明、ヒナとの出会いだった。
でもその後すぐに仲良くなったわけじゃない。俺は相も変わらず優等生を演じるのに必死だったし、明やヒナとは住む世界が違ったからな。
でもあいつらはそうは思わなかったようだ。あの出会いをきっかけにして、ちょくちょく俺に絡んでくるようになったんだ。
初めは体育の授業で明が張り合ってきたり、昼休みにヒナが話しかけてきたりとその程度だったが、そんなことが毎日続くようになっていった。
俺も最初は疎ましく思いつつもあまり気にしていなかったのだが、明がついにはバスケ部にまで入って来て、さらに俺を追い越さんばかりの勢いで成長してきたのだ。
俺も負けじと必死に努力して、気が付けば俺と明はバスケ部のエース争いをするような仲になっていた。
ああいう関係をライバル、というのだろうか。互いに切磋琢磨して、認めるところは認めながらも、絶対に負けたくないと敵対心を燃やす。
俺は知らなかったんだ。そんな関係があることを。自分に張り合ってくる人間がいることを。
きっとそれが、俺にできた初めての友達だったんだと思う。
明とヒナは小学校のころから一緒で、しかしよく一緒にいる様になったのは最近だと言う。
そして気がつけばそこに俺も混ざるようになっていったんだ。
「……っと、随分長く話し込んじゃったね。こんなに話すつもりはなかったんだ。ごめんごめん」
「そう、だったんだね」
雪芽は俺の長い話を聞き終わると、真剣な表情で顔を伏せた。
しかし、何かを思い出したように顔を上げると、俺の方をキッと睨んで言う。
「でも、そんな話をされても私は広瀬君に同情なんてしないよ。あなたのやったことが許されるとは思わないで」
まぁ、そう簡単にいくとは思っていなかったさ。でもこれは無駄ではない。いずれ意味を成す。
「そんなことは思っていないよ。ただ俺は雪芽に知ってほしかったんだ。俺のことを」
「……そう」
「まぁつまりさ、さっきの話に戻るけど、俺にとってこの懇談会は試験みたいなものなんだ。家は母が来て、先生相手に根掘り葉掘り俺のことを聞くだろうから。ひどいときは先生にもっと厳しく指導してくれなんて言うときもあるしね」
「そうなんだ……」
今話したことは偽らざる本当のことだ。相手に心を開いてもらうためには、まず自分が隠し事をしていてはいけない。隠し事があると悟られてはいけない。
だが雪芽にはすでに隠し通せていない。こうなってしまえば話してしまうほうが得策となる。このことは完璧な広瀬優利は決して話さないことだ。これは俺の弱さだから。心を許すと決めた相手にだけ話すことができるはずの、俺の心だから。
「あぁ、もうこんな時間か。さすがに俺もそろそろ部活に行かないと」
俺は席を立ち、荷物を手に取る。
「雪芽、話を聞いてくれてありがとう。嬉しかったよ」
そう言い残して俺は教室を後にした。
ドアを閉めたあと、体育館へ向かう廊下に踏み出す。
「ありがとう、嬉しかったよ。か」
そんな言葉が出てくるんだな。驚いたよ。
心を開いてもらうための布石だったはずなのに、俺の方が心が軽くなってどうする。俺は常に支配する側でいなくてはいけないのに、
「……ふっ。結局俺もまだまだ完璧には程遠いってことか」
夕日の差し込む廊下で、俺はそんなことを呟きながらため息をつくのだった。
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