第92話 雪の精は蜘蛛に捕らわれて
私がいつもの時間に駅に向かうと、やっぱり陽介はまだ来ていなかった。
以前も私が先に駅にいることが多かったけど、ここ最近は電車の出るギリギリに駅に来る。そんな態度が避けられているようでちょっと悲しい。
「でも、しょうがないよね……」
そう、しょうがない。これは私のせいでもあるから。
私が勝手に陽介をリレーの選手に推薦したから、アンカーに推薦したから。そのせいであんな噂が流れて、陽介は今とっても苦しんでいる。
私があんなわがままを言わなければ、こんな噂が立つこともなかったのかもしれない。そう思うと、陽介の態度は当然のことのように感じる。
でも、だからこそ、私は陽介の取った行動を受け入れられなかった。
広瀬君のアンカーを奪ったのは私だ。陽介じゃない。なのに、陽介は私たちは関係ないって言ってすべての罪を自分一人で背負った。私たちを守ろうとして。
その気持ちは嬉しい。陽介は優しくて、友達のためにそうやって自分を犠牲にすることもいとわない。
でも、すべてを背負ってはほしくなかった。それは私が背負うべき罪だから。
だけど、きっと陽介は私が全部の罪を背負い込むことを許さない。彼は優しい人だから。
それでも、半分は背負わせてほしかった。私も陽介が背負った罪を一緒に背負いたかった。
だってその方が辛くない。苦しくない。ありもしない罪で非難される方が、陽介が独りで私の罪を背負って苦しんでいるのを見るよりはるかに楽だから。
でも陽介はありもしない罪を独りで全部背負った。だから私はついついあんなことを言っちゃったんだ。
「ほかにもっといいやり方があったはず、なんてさ」
そうして陽介を非難して、突き放して。私は陽介の味方でいなくちゃいけなかったのに、勢いで陽介の選択を否定してしまった。
陽介に助けてもらった分、今度陽介が困っていたら私が力になるんだって思っていたのに、これじゃあ逆だよ……。
「……だって、関係ないなんて言うから」
そうしてむくれてみても、胸の奥にこびりついた罪悪感が消えることはなかった。
私はここ数日、そんな罪悪感と不満の間で揺れ続けていた。
駅のホームにアナウンスが鳴り響く。もうすぐ電車が来るようだ。
その時ホームへの入り口が開かれて、陽介が姿を現した。
陽介は私を目にとめると、直後に何もない向かいのホームへと視線を逸らした。
……やっぱり怒ってるよね。陽介は自分を犠牲にして私を守ってくれたのに、その私が陽介の行動を否定したんだもん。
でも陽介にも分かってほしい。独りでみんなから非難されて、辛く当たられている陽介を見るのは辛く悲しいってことを。自分を犠牲になんてしてほしくないってことを。
「おはよう」
「あぁ、おはよう。雪芽、その……」
私が声をかけると、陽介は挨拶の後になにかを言いかけた。
「……電車、もう来たな」
でも、陽介はその続きを言わなかった。
まだ何かを迷っているみたいに言葉を濁して、逃げる様にして電車に乗り込んだ。
ここ数日、陽介と私はこうして何かを言いかけてはやめるようなことを続けてきた。
お互いになんとかしなくちゃっていう気持ちはあるんだと思うけど、なんて言ったらいいのか分からないんだ。それにまだ私は陽介のしたことに不満を持っている。きっと陽介も同じだ。
だから私たちはこうして同じ時間の電車に乗っても何も話せずにいる。
いつもは無言の時間も心地よく感じていたのに、今はなんだか気まずい。
そうして今日も、結局何も話せないまま電車は目的地についてしまう。
陽介と改札を抜けたところで別れ、私はバス乗り場に向かう。
けれど、いつもは疲れた顔で別れを告げる陽介の顔は、少しだけ明るいように見えた。
この休日に何かいいことでもあったのかな? それならいいんだけど……。
最近の学校での陽介は、初めて出会った頃と同じような表情をしている。
辛くて、苦しくて。だけどそれを口には出さない。
一人で全部抱え込んで、じっとこらえている。でも、あの時ほど瞳の奥は暗くない。それでも辛いことには変わりないんだけど。
……力になりたい。陽介をこんな状況に追い込んじゃったのは私のせいなんだから、なんとかしたい。
出会った頃は陽介が何か抱えていることに気が付いていても何もできなかったけど、今は違う。陽介が何に苦しんでいるのか、私は知っている。
だからこそ、私は陽介の
――――
「やっぱりこのままじゃだめだと思う」
昼休み。お昼を食べ終わった後の時間で、塚田君は真剣な表情をしてそう言った。
陽介は飲み物を買いに行ったのか、姿が見えない。
「そんなの分かってるわよ。でも、具体的にどうするのよ?」
「それは……。だけど、これじゃあ陽介が可哀想だよ。俺たちまで陽介の敵になっちゃったら、誰があいつを守ってやるのさ」
「じゃあなに? 陽介のしたことが正しかったって認めて、謝って仲直りしようって? そんなの無理よ。それにそれじゃあ陽介がまた同じことを繰り返すかもしれない。その度にこんなことになってたらたまったもんじゃないわよ」
塚田君はなっちゃんに強く言われて、口を
確かに、陽介がどうして私たちが怒っているのか理解しない限り、また同じことが起こる。その度に私たちは傷つく陽介を見ないといけない。それは嫌だ。
「でも、あの時はああするしかなかったんじゃないかな? 確かに陽介のしたことは最適解じゃなかったかもしれないけど、正解の一つだったんだと思うよ」
「陽介は何も悪くないのに、全部あいつのせいになるのが正解? そんなのってない!」
「落ち着いて、夏希。池ヶ谷が言いたいのはそうじゃなくて、結果的にそれで事態は収まったってことだよ。あれ以上の騒ぎになってたら、もっとひどいことになっていたかもしれない。だから陽介の選択はある意味では正しかったってことだよ」
私の発言に、なっちゃんは怒りを露わにする。
そんななっちゃんを塚田君が
「……でも、自分を犠牲にするなんてやっぱり間違ってる。中学の陸上の時も、リレーのバトンパスの時も、あいつはいつも自分を悪者にして私を守ってきた。守ってくれるのは嬉しいのよ? 大切に思ってくれてるってことだし。でも、私を守って傷ついていく陽介を見ている私は、守られているだけで何もできない。それって対等じゃないでしょ?」
甘えてばかりはもう嫌だ。なっちゃんは小さく呟いた。
……確かに、私も陽介の優しさに甘えてばかりだった。私が困っている時に助けてくれるのが当たり前になっていた。そんな施されるばかりの関係なんて、到底対等とは言えないよね。
友達ってもっと対等で、施すとか施されるとか、どちらか一方に偏ったりしないんだ。
それはきっと、私が望んでいる陽介との関係でも同じこと。だからやっぱり、このままじゃだめなんだ。
「そうかもしれないけど、もう過ぎたことを責めても仕方ないだろ? 一人で抱え込んでる陽介を、ほっとくことなんてできないよ」
「それはそうだけど……。でも、仮に陽介と仲直りしたとして、どうやってあの噂が嘘だってみんなに伝えるのよ? きっと誰も信じない」
「それは……、う~ん……」
私たちはそこで黙り込んでしまう。結局仲直りできたとして、その先の見通しは何も見えない。
一度広まった噂という名の真実は、そう簡単に覆せない。大きな影響力を持っているなら話は別だけど、私たちはそんな力を持っていない。
それに、私たちは陽介の友達で、アンカーに推薦したのも私たちだ。本当のことを言ったところで陽介を
きっと、新たな敵を作らない限り、この件は解決しない。その敵に私がなったとしても、状況は何一つとして変わらない。
「自然に消えるのを待つか、何か他の大事件が起こるのを待つかのどっちかかな……。どちらにせよ時間はかかるな」
「そうね……」
結局それが一番なのかもしれない。そうして噂が時効になるまで、私たちが陽介を支えていくしかないのかも。
「私ちょっとお手洗いに行ってくるね」
再びみんなで黙り込んでしまったので、私は一度席を立った。
解決策が見えない重い空気に身を置くより、少し気分を変えた方がいいと思ったんだ。そうすれば何かいい案が見つかるかもしれないし。
「池ヶ谷さん」
私がお手洗いを済ませて教室に帰ろうとすると、廊下で誰かから声をかけられた。
「ちょっと話したいことがあって、放課後時間あるかな?」
顔を上げると、広瀬君がにこやかな笑みを湛えて立っていた。
この人は陽介に罪をかぶるように提案した人だ。なっちゃんは噂を流した犯人も広瀬君なんじゃないかと思っているらしい。
でも、陽介がクラスの皆から
でも、陽介があんな選択をする原因になった人でもあるし、私もちょっと気にくわない。
「放課後ですか? まぁ、大丈夫ですけど……」
私が
「そうか! それはよかった! じゃあ放課後、体育館裏まで来てくれるかな? 裏門の側のところ、分かるかな?」
「場所は分かるので大丈夫ですけど、話って何なんですか?」
「とても個人的で、とても大切な話だよ」
広瀬君は真剣な目をしてそう言うと、最後まで笑みを崩すことなくその場を立ち去った。
個人的で大切な話って何だろう……? それも私に?
陽介のことと何か関係があるのかな? それも、放課後になってみれば分かることだけど。
――――
「だめよ! 絶対だめ!」
放課後になって、私が広瀬君と話に行くと伝えると、なっちゃんは真っ先にそう言った。
「広瀬君は陽介を陥れた犯人なのよ? 何されるか分かったもんじゃない!」
「まだ犯人だと決まったわけじゃないよ? それにただ話をするだけだって言ってたし」
「そんなの信じられるわけないでしょ!? 絶対何か裏がある! 行っちゃだめだからね」
「やめなよ夏希。ここは学校だし、何かするにしても人目がある。それに行くか行かないかを決めるのは池ヶ谷でしょ?」
頑なに私を止めようとするなっちゃんに、塚田君が諭すようにそう言った。
私もそんなに脅されると怖くなってくるけど、大切な話らしいし、聞きに行ったほうがいいよね。
「私なら大丈夫だから、二人は安心して部活に行って来て。何かあれば先生たちもいるし」
「……ユッキーがそう言うなら。でも、あいつの言うことを聞いちゃだめよ」
「うん、ありがとね」
そうして去っていく二人を見送って、私は荷物を手に取る。
陽介はもうとっくに帰っちゃったみたいで、隣の席には誰もいない。なんだかいつも一緒だったから、そのことがとても寂しく感じた。
体育館裏に向かうと、そこにはすでに広瀬君が待っていた。
「やあ、来てくれたんだね。嬉しいよ」
「……それで、話って何ですか?」
「ははっ、いきなり本題か。それも悪くないけどね」
そうして広瀬君は一息置くと、笑みを消して静かに口を開いた。
「一目見た時から君のことが気になっていたんだ。池ヶ谷さん、俺と付き合ってくれないかな?」
「…………え?」
広瀬君の口から告げられた言葉は、私が想像していたどんな言葉とも違うものだった。
突然の愛の告白に、私の頭の中は真っ白になる。戸惑い、疑問が渦巻いて、理解が追い付かない。寒かったはずの体が、急に熱くなる。
「戸惑うのも無理はない、かな。俺と君は特に親しかったわけでもないしね。だからこれはいわゆる一目惚れってやつなんだよ」
戸惑う私を置き去りに、広瀬君は照れ臭そうに言葉を並べる。
「どうして……?」
「それは、君が素敵な人だからさ。初めて見かけたのは実は夏休みの時でね、明が転入生が学校に来ているっていうから様子を見に行ったんだよ。そこで陽介と一緒にいる君を見かけた。一目見てこの人だと思ったよ! 端正な顔立ち、あふれ出す気品! 俺は君に心奪われた!」
私は少しづつ理解が追い付いてきた頭で必死に考える。
つまり、広瀬君は私に一目惚れしていて、話があるっていうのは愛の告白のことだった……?
ちょ、ちょっと待って! それってつまり、広瀬君が私のことを好きだっていうこと……!?
「それに加えて勤勉で頭もいい! 君ほど素敵な人がいて、惚れない男がいるか!?」
「ちょっと待って! な、なんで急に告白何て……。こ、困りますっ!」
「うん? 確かに急かもしれないけど、この思いを抑えきれなかった。それで、どうかな? 俺と付き合ってくれないかな?」
私は早鐘を打つ胸を押さえ、大きく息を吸う。
そして吸った息を全部吐き出すころには、幾分心も落ち着いてきた。
……うん、急なことで戸惑っちゃったけど、私の答えは決まっているんだ。
「ありがたいお話ですけど、お断りします。私にはもう心に決めた人がいるので」
私の答えを聞いても、広瀬君は落胆した様子は見せなかった。
むしろそう答えられるのを予想していたかのように微笑み、首をかしげる。
「それって、陽介のことかな?」
「え……? どうしてそれを?」
「見ていれば分かるさ、池ヶ谷さんが陽介のことが好きなことくらいね。でも言っちゃ悪いけど陽介は普通の人だ。俺の方が勉強も運動もできるし、何がとは言わないけど整ってる。どうして陽介がいいのかな?」
「陽介はとても優しい人だから。私が困っている時はすぐ駆けつけてくれるし、いつも気にかけてくれて手を差し伸べてくれる。一緒にいると安心できて、いつまでも一緒に居たいって、そう思えるからです」
陽介のことを悪く言う広瀬君に、私は若干ムキになって言い返した。
それでも広瀬君は笑みを崩すことなく、余裕をもって頷く。
「そうか、池ヶ谷さんは本当に陽介のことが好きなんだね。それじゃあやっぱり考え直してはくれないのかな?」
「はい。申し訳ないですけど」
「そうか、仕方ないね」
あれ? 案外あっさり引いてくれた? 一目惚れとか言ってたのに、案外そうでもなかったのかな。
なんだか
広瀬君は私に背を向けると、やれやれといった風に肩をすくめる。
そして長い溜息をついた後、こちらを振り返って言った。
「本当に仕方ない。できればこの手は使いたくなかったんだけど、君が拒むなら仕方ないよね」
「なんのことですか……?」
広瀬君は口元を歪めると、楽し気に話し始めた。
それから聞かされた話に、私は自分の耳を疑った。
そんなこと、できるはずがない。それにそんなことができるなら、もうとっくにやっててもおかしくないのに……。
でも、もしそれが本当なら……。
そんな話に乗ってはいけないと思う反面、広瀬君にならそれが可能だとも思える。
「でも……」
「返事は今すぐじゃなくてもいい。ゆっくり考えてくれ。あぁ、でも人には言わないでくれよ? もし断られたとしたら恥ずかしくてしょうがないからね」
そう言った広瀬君の笑みからは、断られることなんて微塵も想像していないように見えた。
――――
広瀬君からの告白を受けた翌日。私は放課後になった体育館裏に広瀬君を呼び出していた。
「返事、聞かせてくれるのかな? もう少し時間がかかると思ったけど、早かったね」
「はい、あとは自分を納得させるだけ。結論はとっくに出ていましたから」
私は一日考えて、自分はどうするべきかを決めた。
その答えを伝えるべく、私はゆっくりと口を開いた。
「やっぱり私は広瀬君のことを好きになれません。なのであなたの気持ちには答えられないです」
私はそこで一呼吸置く。そう、返事はまだ終わっていない。
「でも、あなたの申し出は受けたい」
「つまり?」
「あなたとお付き合いすることに決めたということです」
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