沈む太陽
第93話 冬の太陽は雲に隠されて
その日の朝、駅に行くと雪芽はいなかった。
少し早めに来たけど、もう雪芽がいてもおかしくない時間だ。寝坊でもしたのだろうか。
昨日、一昨日と、結局雪芽たちと仲直りすることはできなかった。由美ちゃんにあいつらが怒っている理由を聞かされて、俺の何がいけなかったのか理解できたのだが、いざ仲直りしようとするとなかなかセリフが出てこなかったのだ。
最初はなんて声をかければいいのかも分からないままで。それに俺は自分の選択が間違いだとは思ってない。確かに一番の方法じゃなかったかもしれないけど、正解には違いなかったと思うから。
そんなことを言えば夏希辺りはまた怒りそうだと思って、なかなか声をかけられなかった。
それでも、やっぱりあいつらのことを何も考えずに、自分勝手に行動したのは確かだ。関係ないって危険から遠ざけることだけが優しさじゃないんだって分かった。守るだけじゃなくて、一緒に戦えるのが友達ってものなんだって。
だから、今度からはあいつらを頼ってみようと思った。一緒に苦しみを分かち合って、戦ってくれるように。
伝えたいことをまとめるのに随分と時間がかかってしまったが、ようやく決心できた。
しかし、そのことを伝えようと思って今日は少し早く駅に来たのだが、肝心の雪芽がいないのだ。
「もう電車来るぞ……?」
ホームにアナウンスが鳴り響き、遠くに電車が見えても、雪芽は姿を現さなかった。
電車の中でメッセージを送ってみたが、それに返事が返ってくることはなかった。
本当に寝坊ならいいんだけどな……。もし雪芽に何かあったらって考えると落ち着かない……。
いつもと同じ時間に駅に来ないことや、返事がないことのせいで、嫌な胸騒ぎがする。
ここのところ俺と雪芽の関係は劣悪なものだったし、雪芽の体調が悪化していたとしても不思議ではない。
もしそうなっていたとしたら、また雪芽は倒れてしまうことになる。
「無事なんだよな……」
学校に向かおうと自転車にまたがり見上げた空は、薄く広がった雲に覆われていた。
……あるいはこんな空模様だから不安になってしまうのかもしれない。もし学校に来ないようだったら家まで様子を見にいけばいいじゃないか。
そう自分に言い聞かせて、俺は自転車をこぎだした。
学校につくと、何やらいつもと雰囲気が違った。
俺はここのところ視線や雰囲気に敏感になっていたから分かるのだが、今日は学校中が何やら騒がしい。やたらはしゃいでいる者もいれば、沈み込んでいる者もいる。
よく見て見れば浮ついているのは主に2年生のようだ。彼らの顔が面白い噂話を仕入れた時の母さんとそっくりだったのが印象的だった。
そして不思議なことに、いままで俺を射殺さんばかりに向けられていた視線が、今日はひとつも感じられなかった。
同じクラスの女子なんかはいまだに嫌がらせを続けていたりしたのだが、今朝はそれもなし。普通にロッカーを開けられた。
廊下にたむろす女子たちは、意気消沈した様子でなにやらひそひそと話し込んでいるし、何かあったのだろうか?
ロッカーに貴重品を入れてから教室に入ると、人だかりができていた。
あれは……、俺の席の周りだ。何かあったんだろうか?
一瞬机にいたずらをされたのかという考えが頭をよぎったが、それを振り払い前へ進む。
すると途中でさっきの女子たちと同じように沈痛な面持ちをした夏希たちが目に入った。どうやら相沢も含めた陸上部組で話をしていたようだ。
あいつらもこちらに気が付いたようで、目が合うと駆け寄ってきた。
「陽介……」
「お前ら、どうしたんだ? そんな暗い顔して」
「大変よ、ユッキーが……」
「倒れたのか!? 今朝姿がなかったからまさかとは思ったが……!」
「違うよ。池ヶ谷は元気でもう学校に来てる。今朝は夏希と一緒だったらしいんだ」
「どういうことだ……?」
「元気かどうかは分からないけどね……。見た方が早いと思う」
そう言って二人は俺の席の方を見る。そう、人だかりのできているところをだ。
言われた通り近づいてみると、どうやらその人だかりは俺の席ではなく雪芽の席のあたりに集まっている様だった。
そして皆口々に祝いの言葉を口にしている。
「いや~、ついにあの広瀬に彼女がなぁ! 羨ましいけどなんか納得ではあるな!」
「なんか意外だったけど、こうしてみると付き合うべくして付き合ったって感じするね~」
広瀬に彼女? それに付き合うべくして付き合ったって……?
どうやら広瀬に彼女ができたらしい。クラスの中で騒いでいるところを見ると、お相手はクラスメイトのようだけど、誰だろう?
ほとんど人ごみに紛れる程度に近づくと、広瀬の姿が見えた。人混みの中心で照れ臭そうに笑っている。
そしてその隣には誰か女子が立っている。あの子が広瀬の彼女って子かな?
俺は少し顔をずらしてその生徒の顔を見て見た。でもその直後、俺は自分の目を疑った。
「ホント、広瀬と釣り合うのは
目に飛び込んできた光景を疑う隙もなく、俺の耳に決定的な言葉が飛び込んでくる。
そう、広瀬の隣で曖昧な笑みを浮かべて立っているのは――
「……雪芽?」
「あ……」
雪芽は俺に気が付くと、そっと目を逸らす。
「やあ陽介! 君もお祝いしてくれるのかな? 嬉しいよ!」
「お! 陽介~。今俺もお前の気持ちが分かったよ。ここまで完璧だと確かに嫉妬するわぁ~」
「まぁ、分からんでもないな!」
広瀬が声をかけると、群衆は俺の存在に気が付いたらしく騒ぎ立てた。
皆口々に広瀬を羨むようなことを言い、その次に俺に同調するようなことを言った。
なんだ? 何の騒ぎだ? これじゃあまるで、雪芽と広瀬が――。
「ささっ! お前も祝ってやれよ! 秀才カップルの誕生をさ!」
「カップル……?」
「あれ、聞いてないかな? 俺たち付き合うことになったんだ。ね? 雪芽」
そう言って雪芽に目配せする広瀬につられて、俺も雪芽を見る。
雪芽は俺と一瞬目を合わせると、広瀬を見上げて微笑む。
「はい。昨日からお付き合いしてるの」
「なんで……」
「俺が告白したのさ。そしたらオッケーしてくれてね」
未だ信じられずに雪芽を見ると、彼女はまたも曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
……そうか。広瀬と雪芽が、ね。
「そう、か。それはめでたいな。……ところで雪芽、一つだけ聞いてもいいか?」
「……なに?」
そうして出てきたお祝いの言葉は、どこか虚ろで、中身がない。
そんなまだ心が追い付いていない中でも、ひとつ気になったことがある。それは雪芽の笑顔だ。
雪芽は笑ってはいるがなんだか嬉しそうには見えない。俺を見て気まずそうに目を逸らす
……ただ単に俺が認めたくないだけなのかもしれないけど、それだけははっきりとさせたかった。
「雪芽は広瀬のことが好きなのか? 今幸せか?」
俺のその質問に、雪芽はなぜか苦しそうに顔をゆがめた。
それも一瞬のことで、すぐに雪芽は笑みを浮かべた。その笑みがいつもと変わらないように見えたから、あの苦しそうな顔はきっと気のせいなのだと思った。
「……うん、好きだよ。それにちゃんと幸せ。私は今、幸せだよ」
「…………そうか」
その言葉に偽りはない、はずだ。雪芽はちゃんと広瀬のことが好きで、今幸せなんだ。
二回言ったのは自分に言い聞かせるためじゃなくて、幸せを噛み締めているだけなんだ。
「……うん、そうか、幸せか。ならよかった。広瀬、雪芽、本当におめでとう。お似合いのカップルだと思うよ」
「そうか、ありがとう!」
「……うん、ありがとう」
だから気のせいなんだよ。お礼を言う雪芽の悲しそうな笑みも、何か言いたげな瞳も、全部。
「なんだよ、広瀬と陽介もすっかり仲直りじゃん? いや、マジで陽介の言う通りお似合いだって!」
「そうそう! ホントにおめでとう!」
俺はもうその場に居られなかった。これ以上あの群衆の中に居たら、頭がどうにかなりそうだった。
だから背を向けて、群衆を離れる。すると夏希たちが寄ってきた。
俺は夏希たちを
「陽介、大丈夫……?」
「……あぁ、ありがとな隆平。俺は大丈夫だ」
「陽介、あんた……」
「うん?」
「……ううん、なんでもない。そうよね、いきなりだもの、ショックよね……」
「ショック、なのかな? よく分かんないよ……」
そう、よく分からない。何もかも、全部。
なんで広瀬と雪芽が付き合うことになっているのか、なんで雪芽が幸せだと言っているのにそうだと信じられないのか、この胸に煙がこもるような、すっきりしない感覚は何なのか。
「……そうね。私も何が何だか分からない。でもこれだけは言える。ユッキーは広瀬君のことなんてこれっぽっちも好きじゃない。何か脅されてるのよ」
「でも、雪芽は広瀬のことが好きだって、幸せだって言ってた」
「そんなの、嘘に決まってるじゃない!」
「雪芽がそう言ったんだ! だったらそれを信じるしかないだろ!?」
声を荒げると、夏希は驚いたように目を丸くする。
……ちょっと感情的になりすぎたか。
「……夏希、ごめん」
「二人ともまだ混乱してるんだよ。俺もそうだけど……。だから話をするのは落ち着いてからにしよう」
「……ええ、そうね」
夏希は少し怒ったように
隆平は少しの間俺を心配そうに見つめていたが、やがて夏希の後を追って教室に帰っていった。
俺は独りになった廊下で頭を抱え、しゃがみ込む。
周囲の生徒たちは思い思いの顔をして各々の教室に入っていく。気が付けば予冷が鳴っていたようだ。
雪芽に、彼氏ができた。しかも相手は広瀬だ。俺なんかより運動も勉強もできて、顔だっていい。責任感もあってみんなの人気者。何も問題はない。
問題はない、はずなんだ。何も、悪いことなんてない。いいことじゃないか、友達に恋人ができた。めでたいことだ。
……でも、なぜか俺は手放しで喜べなかった。口ではお祝いの言葉を述べても、心ではそうは思えなかった。
それは雪芽が嬉しそうに見えなかったから? 友達が遠くに行って寂しいから? 雪芽と俺の関係が変わってしまうことを恐れているから?
「わっかんねぇよ……」
「どうした柳澤? もう授業始まるぞ。教室に入れ」
見上げると、授業のためにやってきた山井田が心配そうに俺を見下ろしていた。そうか、もう授業が始まる時間なのか。
「本当にどうした? 具合が悪いなら保健室に――」
「大丈夫です……」
立ち上がって歩き出す。その視界はなんだかぼんやりとしていた。
自分の席の隣に座る雪芽の後ろ姿を見て、何かが沸き上がってきたが、今はそれと向き合っている場合じゃない。
俺は意識して何も考えないようにし、自分の席に着く。
授業の準備をして、シャーペンを手に取って、黒板だけを見つめる。
雪芽の方は見れなかった。隣にいるその存在を感じるだけで胸の中は不快なモヤモヤで満たされて、訳が分からなくなってしまうというのに、その姿を目に映してしまったらきっと、俺はどうにかなってしまう気がした。
そうして受ける午前の授業は、何一つとして身が入らなかった。
――――
昼休みに俺が飲み物を買って教室に帰ってくると、俺の席には広瀬が座っていた。
隣の席の雪芽と何かを楽しそうに話している。雪芽の顔は見れなかったが、きっと笑顔に違いない。
俺は置いてあった弁当を手に取ると、そっと教室を後にした。
「やっと見つけた。こんなとこにいたのね」
逃げる様に教室を後にして中庭で一人弁当を食べていると、誰かが俺の視界に影を落とした。
見上げると、ジュースを片手に持った夏希が俺を見下ろしていた。
「……なんだよ」
「教室にいないから探しに来たのよ。何もこんな寒いところでお弁当食べなくてもいいじゃない」
「ほかに行くとこないから」
「じゃあうちの部室来る? さっき見てきたら誰もいなかったし」
それから俺たちは陸上部の部室に移動した。
ここは女子部員が普段過ごす部室のようで、俺が入ったらいけないんじゃないかと思ったのだが、夏希は誰もいないし大丈夫だと言った。
そうはいっても気まずく、弁当を広げてみたものの箸はなかなか進まなかった。
「ねぇ、やっぱりユッキーは広瀬君に脅されてると思う」
「またそれか」
「だっておかしいじゃない! ユッキーは広瀬君のこと苦手だったのよ? それが急に付き合いだしたりして……」
「広瀬が告白したんだって言ってた。それで気が変わったんじゃないか?」
からあげを口に運んでみたが、噛んでも噛んでも味はあまりしなかった。
おかしいな、結構濃い味付けのはずなのに……。
「陽介、あんた本気で言ってるの? ユッキーが広瀬君のこと好きだって」
「本人はそう言ってた」
「あんたっ……! ユッキーがどれだけあんたのことを――」
夏希はそこで口を
「このままユッキーが広瀬君に取られてもいいの? 陽介は何も思わないの?」
「……分かんねぇよ、何もかも。全部いきなりのことで、頭の中ぐちゃぐちゃだ。だから今は雪芽の言葉にすがるしかないんだよ」
「あ……、ごめん」
謝る夏希の表情に怒りはなく、ただ申し訳なさそうに項垂れていた。
その姿を見て思い出した。俺も夏希たちに謝らないといけないことがあったんだった。いろいろあってすっかり忘れていた。
「夏希、俺の方こそごめん」
「なにが?」
「噂のこと。俺が相談もせずに全部一人で背負い込んだこと、反省したんだ。傷つく俺を見るお前たちも辛かったんだって」
俺がそう言うと、夏希は目を丸くした後に困ったように笑った。
「そのことなら私も悪かったわ。陽介の味方でいるべきだった。ユッキーたちともそう話してて――」
夏希はそこで言葉を途切れさせると、悲しげな顔をして首を横に振った。
「ううん、この話はまた今度にしましょ。今はそこまで考えらんない」
「……そうだな」
それから俺たちはどちらとも言わず部室を後にした。
結局、弁当はほとんど食べられなかった。
夏希が教室に戻っても、俺は弁当を食べる場所を探して校内をさまよっていた。
「やっと見つけた。こんなところにいたんだ」
そして結局また中庭で弁当を広げようとしたところで、さっきと同じようなセリフを聞いた。
見上げてみると、庭と高野が立っていた。険しい表情をして俺を見下ろしている。
この二人は広瀬の友達だ。その二人が俺になんの用事があるというのだろうか。
「……なんだ?」
「柳澤君さ、優利と雪芽が付き合い始めたの、どう思う?」
「またその話か……。どうもこうも、めでたいことじゃないか。雪芽も幸せだって言ってた」
「そんなはずない。雪芽の顔見た? あれのどこが幸せなの? 急に付き合いだすなんて、おかしいって」
「そうそう、リンリンは最近めっちゃんのことマジ気にしてたけど、別にマブってわけじゃなかったし、なんかおかしいっしょ」
……またか。またこの話か。
どいつもこいつも、俺に同じ話をしてどうしろってんだよ。俺に何をしろってんだよ……。
「柳澤君は雪芽の一番の友達でしょ? 友達が困ってたら助けないとだめじゃん」
「でもお前らは広瀬の友達だろうが。友達の幸せを奪うようなことを俺にさせてもいいのかよ?」
「それは……」
「おい、すけっち! じゃあめっちゃんはどうなってもいいってのかよ!?」
高野の言葉に、俺は手に持った弁当箱を強く握りしめる。
プラスチックの弁当箱がゆがむ音がした。
「……いいわけないだろ? 俺だって雪芽が助けてくれって言ったら助けるさ。何をおいてもあいつを救い出してやる。今までだってそうしてきたんだ……!
でも! 今雪芽は生きていて、広瀬のことが好きだって、幸せだって言ったッ! その言葉を、あいつの意思を尊重すべきだろ!?
もうどうしたらいいのか分かんねぇよ!! みんな俺に何をしろってんだよッ!!」
俺は二人を押しのけると走り出す。制止する二人の声を置き去りに、教室に向かって
教室に飛び込んで、俺は自分の荷物をまとめる。俺の席に座っている広瀬を無理矢理どかせて、帰るための準備をした。
「ちょっと陽介? なにしてんのよ?」
「…………もう疲れた。こんなところ、一秒だっていたくない」
「ちょ、陽介!? どこ行くのよ!? まだ授業あるのよッ!?」
止めに入った夏希を振り切って、俺は走る。
もう、何が何だか分からない。自分の気持ちも、雪芽の気持ちも、夏希や庭たちの気持ちも。
そんな分からないことがたくさんあって、俺はもう疲れた。考えることに疲れたんだ。
独りになりたい。たった独り、静かな場所で過ごしたい。ゆっくりと物事を整理するための時間がほしかった。
そして俺は自転車にまたがり、学校を後にした。午後の授業をすべて放り出して、俺は逃げ出した。
しかし、自転車をいくら速く走らせようとも、それはぴったり後ろをついてきて、俺の耳元で囁く。
雪芽は本当に幸せなのか? じゃあなんで広瀬と付き合いだした?
お前のその胸のモヤモヤはなんだ? どうしてそんなに苦しい?
どうして? どうして? どうして?
「あぁぁあぁあッ!! 分かんねぇ分かんねぇ分かんねぇよッ!! なに! 一つ! 分かんねぇんだよぉッ!!」
思いは叫びとなって、木枯らしに乗って鈍色の空に昇っていく。
それでも耳元の囁きは止まらなかった。胸に開いた穴は、塞がらなかった。
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