第89話 不満の矛先はただ一人に
「あれは俺が指示してやらせたことだ。全部俺の責任だ」
俺がそう言うと、クラスの連中はみんな驚いたように一瞬言葉を失う。
目の前に立つ広瀬は、笑っていた。しかし、その笑みの意味を考える余裕は今の俺にはなかった。
「ちょ、ちょっと! 何言ってんのよ陽介!? 私たちはあんたの指示なんて――」
「いや、俺が指示した。多少強引にな」
「陽介! どうしたんだよ!?」
「俺はどうもしてないさ」
夏希と隆平が真っ先に俺の言うことに異を唱えるが、俺にそれを受け入れるつもりはない。
これが今できる精一杯。広瀬の提案を聞いてそう思った。
――陽介、君が一人で罪をかぶるんだ。
広瀬は俺にそう持ち掛けた。
この騒ぎを治めるのは広瀬でも難しいから、一時的に俺がすべての罪をかぶることで不満を俺一人に向ける。そうしてみんなが落ち着いてきたころ合いを見計らって広瀬が俺の無実を証明する。広瀬はそう言っていた。
そうすれば雪芽たちに不満の矛先が向くこともないし、この事態の収拾が早まると。
――今はこの事態を落ち着かせることが先決だ。時間をかければまたあらぬ噂が流れて池ヶ谷さんたちにも矛先が向きかねない。それは俺としても嫌なんだよ。
そう言う広瀬に、俺は思わず俺に矛先が向くのはいいのかと尋ねた。
すると広瀬は苦虫をかみつぶしたような顔をして言うのだ。
――俺も陽介にこんな役回りを押し付けるのは心が痛むんだけどね。でも陽介は部活に入ってないから隆平や小山さんみたいに部活内でいろいろ言われることもない。池ヶ谷さんは学校になれてきたばかりの時期だから、悪い噂が流れると後が大変だろう? そういうことで陽介にお願いするしかないんだ。
それはもっともだ。そう思った。
俺がいくら否定しても奴らは聞く耳を持たないだろうし、広瀬に言ってもらってもどうせ脅したとか何とか言われるのがオチだ。
だったら一度俺がすべての罪をかぶって、ほとぼりが冷めるまで耐えていればいい。そうすればみんな聞く耳を持つようになるだろう。
それに真実を話せば、きっと雪芽たちに矛先が向く。
俺は何も指示してなくて、あいつらが勝手に俺を推薦したんだと言ったら、きっと雪芽たちが広瀬を
……それはだめだ。今雪芽の環境を大きく変化させるようなことはできない。それでなくとも雪芽や夏希たちにこんな冤罪をかぶせるわけにはいかない。
苦しむのなら、俺一人でいい。苦痛には慣れているから。
「指示したって、さっきは指示なんてしてないって言ってたじゃない! どういうこと!?」
「本当のことを言うつもりになったってだけだよ」
「でも柳澤君が指示したっていうならやっぱり雪芽たちも共犯なんじゃないの?」
「あいつらも最初は嫌がってたんだ。だから多少強引にお願いしたってわけ」
「それってほとんど脅してるのと変わらないじゃん!」
クラスメイト達の視線が刺さる。それは怒りであったり、軽蔑であったりと様々だが、どれも負の感情だった。
それからクラスメイト達は俺に罵詈雑言を浴びせる。雪芽や夏希たちが可哀想だとか、そんなに足が速いことを誇示したかったのかとか。しまいには広瀬でもあれくらい速く走れるから俺なんて大したことがないとか関係ないことまで言われた。
でも、その罵詈雑言の中で雪芽たちは被害者だった。俺に脅されて仕方なく手伝った、可哀想な被害者。
あぁ、よかった。これで雪芽たちに矛先が向くことはないだろう。クラスメイト達は今や世の中の悪いことは全部俺の責任だと言わんばかりの目をしている。
夏希と隆平は俺の無実を証言しているが、それもこいつらには届かない。俺に言わされてるとか、そんな勘違いをしてくれているんだろう。
そっと雪芽を盗み見ると、彼女は驚きと悲しみをごちゃまぜにしたような表情を浮かべていた。
……そんな顔をするな。俺は平気だから、これくらいなんてことないから。
「陽介、てめぇ広瀬に謝れよ!」
男子の一人が俺に胸倉をつかむ。今にも殴りかかってきそうな勢いだ。
……あぁ、殴られるのは嫌なんだよなぁ。痛いのは勘弁してほしい。
「あぁ、落ち着いて! 暴力はいけない! 平和的に解決しようよ、ね?」
間一髪のところで広瀬が俺たちの間に割って入り、俺を背にかばうようにしてそう言った。
男子も一番の被害者の広瀬がそう言ったのでは強く出れず、渋々拳を下げた。
「みんなは陽介が俺を陥れたとかって言ってるけど、俺はそんな風には思ってない。だから落ち着いてくれ」
「……分かったよ。でもその前に一つ聞かせてくれ。どうして広瀬を陥れようなんて考えたんだよ」
先程俺の胸倉をつかんだ男子は、他のクラスメイト達の声を代表してそう言った。
「そうだね。陽介、どうしてそんなことをしたのか教えてくれるかな?」
「……あぁ。ちょうど体育祭の直前くらいに雪芽と俺の昔のこと話しててな。そこで中学の時に陸上やってた話ししてたら実際に走ってみたくなってさ。広瀬を陥れるつもりなんてなかったんだよ。まぁ、結果的にそうなったかもしれないけどさ」
「……本当なの? 雪芽」
女子が雪芽にそう問いかける。雪芽は突然出てきた自分の名前に驚いた様子で口を開く。
「昔のことを話したのは本当だよ。でも陽介に指示されて何て――」
「本当だってさ! 柳澤君、ちょっと身勝手すぎるんじゃないの!?」
「そうだよ! そんな理由で広瀬君のアンカーまで奪っておいてさ! みんな広瀬君の活躍を期待してたのに、許せないッ!」
そうして再び火が付き始めたクラスメイト達は、俺の作った動機も気に入らないらしく、バッシングを始めた。
それにしても、広瀬のファンの女子たちはすさまじいな。ファンがいること自体最近知ったんだけど、これじゃあファンというより信者だな。そして唯一神広瀬を貶めた俺はさしずめ異教徒ってことか。
「まぁまぁ、陽介も悪気があったわけじゃなさそうだし、許してやってくれないかな?」
「広瀬君は優しすぎるんだよ! こういう時はガツンと言ってやんないとっ!」
「いいんだよ、俺も気にしてないから」
「う~、じゃあせめて柳澤君は広瀬君たちに謝んなさいよ!」
そう言って女子は俺を睨む。先ほどまで広瀬に向けていた表情と打って変わって恐ろしいものだ。
謝る、ねぇ……。なんで何もしてない俺が頭を下げないといけないのか。まぁこれも俺が決めたことだから仕方ないけど。
「分かったよ。広瀬、それに雪芽に夏希に隆平も、俺の身勝手に巻き込んで悪かったよ」
「いいよ、俺は気にしてないって言ってるだろ? そもそも俺はそんなことで怒ったりしてないからさ」
そう言って広瀬が爽やかに笑うと、広瀬のファンたちは蕩けるような表情でそれを眺めていた。
そしてその場は徐々に俺を許す流れへと変わっていく。
「そうだよね、広瀬君がその程度のことで怒るはずないし! でもやっぱり広瀬君の活躍を見たかったなぁ」
「柳澤君、広瀬君の温情に感謝することね」
「……まぁ、広瀬が許すなら俺たちがこれ以上あれこれ言っても仕方ないか」
皆そんな風に口々に呟き、矛を収めていく。
しかし俺に向ける視線はまだ鋭い。広瀬が許すならということで仕方なく納得している感じだ。
「ほらみんな、この話はこれでおしまいだ。そろそろ俺も部活に行かないといけないから、解散にしようか」
広瀬が声をかけると、皆まるで何事もなかったかのように日常に帰っていく。
もともと広瀬のファンじゃない生徒たちはこの件にそれほど興味もなかったらしく、俺に敵意の視線を向けることもなく教室を出て行った。ただ、疑わしいものを見るような目をしていたから、今まで通りの付き合いをするのは難しそうだけどな。
とりわけ騒いでいた広瀬のファンや友達は凍えるような視線を残して行ったから、今後が心配だけど……。
そして雪芽たちはというと、何も言わずじっとこちらを見て佇んでいた。
固く口を閉ざしこちらを見つめる目は、どこか怒っているようにも感じられた。
「じゃあな陽介。これからしばらく大変だろうけど、耐えてくれよ」
クラスメイトのほとんどが出払った教室で、広瀬は俺にそっと耳打ちをした。
あぁ、問題ないさ。広瀬が想像以上にフォローしてくれたおかげで、あれ以上の騒ぎにならなかったし、これくらいなら事が落ち着くまで耐えるのは造作もない。
俺が去りゆく広瀬の背を見つめ、これからの日々に思いを馳せていると、今まで事態を静観していた庭と高野が近づいてきた。
「柳澤君、さっき言ってたこと、ホントなの?」
「俺も気になる。すけっち、マジであんなことしたん?」
二人とも、いつも広瀬の
でも、今は真剣な表情をして俺にそう尋ねて来る。きっと怒っているんだろうな、いつも一緒の友達を陥れたって。
「……ああ、したよ」
「……ふ~ん、そっか。じゃあね」
俺が怒鳴られるのを覚悟でそう言うと、庭は意外にも興味なさげにそう呟き、身を
高野は庭を追うべきか一瞬迷うような仕草をした後、もの言いたげな視線を俺に投げて庭の後を追って小走りに教室を出て行こうとする。
「高野」
高野の背中に声をかけると、あいつは何かを期待するような目をして、振り向いた。
「すけっちってあだ名、前にも変えてくれって言ったのにまた使ったな? 違うのに変えてくれよ」
「……わーったよ。なんかいいの考えとくって」
そして高野は庭と共に教室を出て行った。
誰もいなくなった教室で、俺は雪芽たちに向き合う。皆それぞれの感情をその瞳に宿している。
夏希は怒ってるな。長年一緒だから分かる、あれは相当怒っている時の顔だ。
隆平は戸惑いと心配かな。俺が突然言い出したことへの戸惑いがまだ残ってるのと、隣の夏希がいつ怒鳴りだすかってそわそわしてる。
雪芽は……、悲しんでる、のかな。雰囲気からはそう感じ取れるけど、何を悲しむ必要があるっていうんだ?
「陽介、あんたなんであんなこと言ったのよ?」
「そうするのが一番手っ取り早くこの状況を収められるって思ったからだよ」
「そう広瀬君に言われたのね」
「……ああ。でも俺は納得した」
「私は納得してない」
「夏希が納得する必要はないだろ? お前たちに被害はないんだからさ」
俺がそう言うと、夏希は一瞬目を見開き、その後に俺を睨み付けた。
「あんたは何も分かってない。ホントに陽介ってバカ……!」
それだけ吐き捨てると、夏希は乱暴に荷物を手に取り教室を出て行く。
……なんだよ。バカって、そこまで言うことないだろ。俺はお前らが非難されるのが嫌だからこうして一人でありもしない罪をかぶってるっていうのに。
「ちょっと待ってよ夏希! ……陽介、何か他に手はなかったの? こんなの、あんまりだよ」
隆平もそう言い残して夏希の後を追い、教室を出て行った。
「二人とも何が気に入らないんだよ。俺が損な役回りを引き受けて、あいつらには何もないじゃんか。なぁ?」
同意を求めて最後に残った雪芽に声をかけると、雪芽は小さく頷いた。
「うん、陽介の言う通り私たちには非難の目が向けられることはないよ。でも、私も二人とおんなじ気持ち。ほかにもっといいやり方があったように思うよ」
「お前まで……」
「……じゃあ私、先に帰ってるね」
そうして雪芽までもが俺を置いて去っていった。
俺はただ独り、誰もいない教室で固く歯を食いしばる。
何だっていうんだよ。俺はお前たちを守ってやろうと思って広瀬の提案に乗ってやったっていうのに、これじゃあただ俺が貧乏くじを引かされただけじゃないか。
「……って、何考えてんだ俺は。お礼を言われたくてこんなことしたわけじゃないだろ」
そうは言ってみても、やっぱりどこかで期待していたんだろう。ありがとうと言われることはなくとも、心配してもらえることを、味方でいてもらえることを。
それでもあいつらは俺を非難していった。そんなやり方は間違っていると。
「じゃあどうすればよかったってんだよ……」
そう零すたった一人の教室は、いつもよりずっと寒く感じた。
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