第86話 噂の火種は不信感によって育つ

「なぁなぁ広瀬、ここってどうしてこうなるんだ?」

「うん? あぁ、これはね――」


 放課後の空き教室で、俺は15人程度の同級生を相手に勉強を教えている。

 初めはクラスメイトが5、6人程度だったのに、いつも間にか噂が広まったのか、他のクラスからも生徒がやって来て、このありさまだ。まったく、


 やってくる女子たちはどうせ俺目当てだろうし、男子たちはそんな女子たちを目当てにやってきているんだろう。ろくに勉強もできないやつが大勢いる。

 テストも近くなってきたからか、最初の方よりはまともに勉強するようになってきたが、それでも地頭の悪さは変わらない。こいつも何度同じところを教えてもすぐ忘れる。


 それでも俺は笑みを崩すことなく接してやる。それはみんながそういう俺を望んでいるからだ。

 だから俺は怒鳴らないし誰にでも優しい。部活も勉強もトップを取って、こうして面倒なことも積極的に行う。それがみんなの望む広瀬優利である限り。


「ねぇねぇ広瀬ぇ、これ終わったらみんなで一緒にご飯いかなぁい?」

「あぁ、魅力的なお誘いだけど、俺は帰らないといけないんだ。母が夕食を作って待ってるだろうから」


 だから本当はこの誘いにも乗ってやらないといけないんだけど、こればっかりはできない。

 夕食は家でとる。これは両親との約束で、俺はこれを破ることはできない。


「えぇ? そんなの連絡すればいいことじゃん! ねぇ一緒に行こうよぉ~」

「ごめん、母も寂しい思いをするだろうからやっぱり帰らないと。またテスト終わりに打ち上げでもしよう!」

「えぇ~」

「こら、あんまり広瀬君を困らせないの! ごめんね広瀬君、気にしないで?」

「あぁ、こっちこそごめんな」



 ……あぁ、面倒臭い。こいつらの媚びた声や視線、互いにけん制し合っているギスギスした空気、頭の悪い女ってのはこれだから嫌になる。

 そのくせ俺に近づこうとあれこれ策を練る。しかしそんな底の浅い策で俺に近づけるなんて、本当に思っているんだろうか。浅はかにもほどがある。

 俺は完璧なんだ。お前らみたいな欠陥品を相手になんてするものか。


 でも、それも仕方のないことなのかもしれない。俺のように容姿端麗、文武両道、何でもそつなくこなせて性格もいい。そんな完璧な人間の元には、そのおこぼれを狙う虫が近寄ってくるものだ。


 俺という人間をステータスにできるからだ。俺の友達というだけで、その人間は大きなアドバンテージを持つことになる。

 それに加えて女子ならば、俺を彼氏にできれば他者に対して大きく優位を取れることになる。この学校生活を人生の中で最も楽しい時間にできることは間違いないだろう。


 そんなことだから俺の元にはこんな奴らが多く集まってくる。それを鬱陶しくも思うが、これらが俺を崇めることで俺は今の地位を築いていると言ってもいい。そう言った意味では利用できなくもないと言えるだろう。



「ねえ広瀬君、明日ウチの友達も連れてきていいかな? 話ししたら来たいって言ってきかなくて……」

「ああ、構わないよ」

「やった! ありがとうね!」


 だが、余り増えすぎるのも問題だな。俺はあくまで崇拝される存在でなくてはいけない。決して手が届くと思わせてはいけないんだ。

 少しでも可能性があると思われてしまったら、虫は群をなして押し寄せて来るに違いない。


 ……やっぱりどこかで明確に線引きをした方がいいのは確かだな。急がないといけないかもしれない。


 もう2年も終わりの時が近づいている。来年の再来月にはもうセンター試験だし、もうそろそろ受験に向けて本格的に勉強に集中しないといけない。

 そのためにはこの虫共が邪魔だ。追い払うための口実が必要になる。


 だが心配はいらない。もう布石は打ってある。万事俺の思い通りだ。

 今まで俺の思い通りにならなかったことなんてない。今回のことも例外はなく、すべて俺の思い描く通りに事が進むはずだ。


 ……まぁ、すでにいくつか問題は起こっているけど、リカバリーできない訳じゃない。

 むしろ楽しませてもらってるよ。いつも思い通りじゃつまらないもんな?

 だからもう少し楽しませてくれよ? 



「どうしたん? リンリン、なんか楽しそうじゃん?」

「……そうかな? もしそう見えたなら、きっとテストの結果を見るのが楽しみなんだよ」

「ははっ! まだテストやってねーのに自信満々じゃん!? やっぱリンリンすげーわ!」


 明は横から俺の顔を覗き込むと、陽気に笑う。

 その手にペンは握られておらず、ゲームの画面を映し出したスマホが握られていた。


 ……まったく、明は何をしにここにきているんだ? 勉強する気がないなら先に帰っていればいいものを。


「でも雪芽がこの前のテストで女子のトップだったって話聞いたよ? 優利も人の面倒ばっかり見てないで自分の勉強しないとヤバいんじゃない?」

「それでヒナがいい点とれるなら俺もそうするけどね」

「うぐっ……、ヒナだってやればできるしぃ!」

「ははっ、じゃあ俺が手伝わなくても大丈夫かな?」

「でき……、なくはないけど、今回は手伝ってもらう~!」

「分かったよ」


 俺の隣に座るヒナは、辛うじてペンは持っているものの、30分前から一問も進んでいない。これは休日に明と合わせて見てやる必要があるかもしれないな。



 明とヒナ、この二人は俺にとって他の奴等とは違う存在だ。安易な言葉で言うなら、二人は友達ということになる。

 打算無しで俺のそばにいてくれる、中学以来の友人。唯一心を許せる二人。


 二人とも勉強は苦手だし、すぐに遊びだしてしまうけど、この高校についてきてくれた。県で3番目くらいの高校だったから両親には叱られたけど、俺はこの二人と同じ学校で過ごせて本当に嬉しい。

 あの厳しい受験勉強にもついてきたのだから、テスト勉強くらいどうってことないと思うんだけど……。どうやらそれとこれとは話が違うらしい。



「なぁ広瀬、やっぱここよく分かんねぇよ。もっかい教えて?」


 だから今はこいつらに勉強を教えてやるとするか。決して笑顔を崩すことなく、みんなが望む広瀬優利の顔で。


「まったく、しょうがないな。いいかい? ここは――」


 ……あぁ、本当に面倒臭い。





 ――――





 テスト最終日の教室は、普段の倍近い賑わいを見せていた。いつもうるさい連中が、いつにもましてうるさいというわけだ。頭が痛くてしょうがない。


「うぇい! リンリンお疲れ~! リンリンのお陰で今回も楽勝だったわ! まじサンキュな」

「ヒナも余裕だった~。優利の教えてくれたところばっかり出るから寝る時間もできちゃったし」

「二人とも、赤点回避のことだけじゃなくてもっと上位を目指さないと……」


 明とヒナも問題なさそうでよかった。

 二人にはこの前の土日でみっちり教えたから、赤点回避は確実だろう。俺が教えた奴が赤点だなんて両親に知れたら、俺が怒られてしまうからな。



「陽介はどうだった?」

「あぁ、雪芽のお陰でばっちり。今回も補習はなさそうだ」

「そっか! よかったぁ」


 後ろの方から聞こえてくる会話に、俺は耳をそばだてる。

 どうやら陽介も問題なさそうだ。これで打ち上げを断る理由はないよな?


 そして俺は最後のチャンスをやるために席を立つ。

 歩み寄っていくと雪芽は表情を硬くした。



「やあ、二人ともテストお疲れ! 今日この後みんなで打ち上げをするんだけど、よかったらどうかな?」


 俺の言葉に雪芽は陽介の顔を伺う。陽介の答え次第で出方を決めるつもりだろう。

 でも雪芽、これは最後のチャンスだ。もし従わないのだとしたら、俺も強硬手段に出ないといけなくなる。


「悪いな広瀬。俺たちは自分たちで打ち上げをすることになってるんだ」


 しかし、陽介はそんな俺の救いの手を無下に扱った。


「だったら一緒にやればいいじゃないか。人数が多い方がきっと楽しい!」


 それでも俺は笑みを崩さない。そしてもう一度このバカに警告してやるんだ。

 いいか、これを断れば次はない。最後のチャンスなんだぞ?


「いいや、いいよ。打ち上げ場所は俺んちでやることになっててさ、もう食材とかも買い込んであるから」

「……そうか、それは残念だ。今度誘うときは事前に言っておいた方がいいね」

「あぁ、そうだな」


 そう言って陽介はへらへらと笑う。



 ……あぁ、笑うな。笑うな笑うな笑うな! 反吐が出そうになる!


 俺は陽介のこの間の抜けた笑顔が大嫌いだ。何も苦労せずに怠惰に過ごしてきた奴の笑い。努力もせず手に入れられたものだけで満足して、そこより上を目指そうとしないクズの笑みだ!


 俺はそこで視線を感じてハッとする。見れば雪芽が俺を怯えたような目で見ていた。

 ……しまった、感情が高ぶって敵意が漏れ出ていたかな。いけないいけない。

 俺はすぐに笑顔を取り繕って頷く。


「それじゃあ打ち上げ楽しんでくれ!」

「あぁ、お互いにな」


 そうして俺は陽介たちに背を向ける。



 あぁ、なんてバカな奴なんだ。最後のチャンスもふいにして、俺を怒らせた。

 雪芽が俺の差し伸べた手を取らないのも、あのバカと一緒にいるからだ。何もかも、陽介が悪い。


 雪芽と初めて出会うのが陽介でなく俺だったら、きっとこんなことはしなくて済んだだろうに。

 それでも運命は陽介を選んだ。だから俺も最初はそれに従った。

 だけどいつまでたっても雪芽は俺に心を開かない。俺に従わない。

 それもこれも、全部陽介が悪い。小山さんを使って雪芽から俺を遠ざけ、自分は四六時中雪芽のそばについている。そうして俺が雪芽に近づく隙を与えない。


 あいつがッ……! 全部あの陽介が悪いッ!! あいつさえ、あいつさえ遠ざければ、きっと雪芽は俺のものになるんだ! 全部思い通りになるんだッ!!


 ……だから、恨むなよ? 陽介。

 俺だって本当はこんなことするつもりはなかった。6人抜きの噂でお前が遠ざかってくれれば、それでよかったのに。

 人気者になるチャンスを与えてやったのに、お前はそれを掴まずただクソみたいな日常を選んだ。それも自分一人の平穏じゃなく、雪芽と一緒にいる日常を。


 前みたいに自分一人の平穏という殻に閉じこもっていればよかったものを、ヒーロー面してしゃしゃり出てくるからこうなる。



 ……さて、計画を実行に移そう。時期もテスト終わりでちょうどいいし、皆話題に飢えている。噂が広まるのはあっという間だ。

 後は打ち上げの時に火種をばらくだけ。そうしたら勝手に火事が起きる。


 この後のことを想像して、俺は誰にも気づかれないようにそっと微笑みを浮かべるのだった。



 やがて面倒臭いことこの上ない打ち上げが始まった。


 打ち上げでは皆、テスト期間中に溜まっていた会話の欲求が爆発していて、その中では当然、陽介の6人抜きの噂も流れていた。

 その話題の中、俺は少しだけ暗い表情をする。


「あれ? 広瀬君なんか元気なさそうだけど、どうかしたの?」


 するとほら、カモが釣れる。実に扱いやすくていい駒だ。

 さて、火種を撒くとするか。


「いや、その陽介のことなんだけど、少し悪い噂を聞いてさ……」

「え? どんなこと?」

「う~ん、信じたくはないんだけど、実は――」


 そうして俺の話す陽介の噂を聞いて、みんな表情を険しくしていく。

 それでも皆の口から出る言葉は疑いの言葉だった。そんなの信じられないとか、いい人そうなのにとか。

 だがそれでいい。その不信感があれば、やがて火種は燃え上がる。


「俺もそんなはずないって信じたいんだけどね、少し気になっちゃって……」

「でも俺は柳澤がそんなことする奴には見えないけどなぁ」

「そんなの見かけによらないかもしれないじゃん! 柳澤君って何考えてるかよく分からないし」

「確かに、火のない所に煙は立たないっていうし……」



 さあ、これでお前の日常は終わりだ。どうする? 陽介。

 受け入れるか、抗うか。どちらでも構わない。


 あぁ……! 陽介、君は果たしてどんな表情を浮かべるのかな。今から楽しみで仕方がないよ。

 俺は少し先の未来に思いを馳せ、そっと微笑むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る