第84話 夏の噂は秋に至る

「雪芽ってこっちの冬は初めてなんでしょ? 気を付けてね」

「そうそう、東京だと雪が降ったってだけで大騒ぎじゃん? こっちなんて30cmは余裕で積もるのにさ」

「そんなに積もるの? 電車とかバスとか止まらないの?」

「止まるわけないじゃーん! いっつも通り平常運転だよ。ちょっとは休みでもいいのにさぁ?」


 昼食を食べ終わった昼休み。俺の隣の席では楽し気な会話が繰り広げられている。


 雪芽ももうこのクラスに来て2ヵ月が過ぎた。修学旅行というイベントもあり、クラスの女子とは随分仲良くなった様だ。

 これはもう、俺が学校にいる間も付きっきりでいてやる必要はないのかもしれないな。また以前のように、昼休みを隆平とゲームでもして過ごすのもいいかもしれない。


 ゲームかぁ、最近めっきりやってないな。完全にソシャゲのログインだけになってる。

 前までは隆平と一緒に深夜まで一狩行ったり、戦場を駆けまわったりしたもんだけど、最近はご無沙汰だなぁ。

 飯島さんも現状を維持すればいいって言ってくれたし、少し気を抜いてもいいのかもしれない。



「なになに、何の話してんの?」

「雪芽がこっちの冬は初めてだって話。だからいろいろ教えてんの」


 そして大きな変化がもう一つ。雪芽はクラスの男子とも普通に話せるようになってきていた。

 男子たちも雪芽に話しかけるきっかけを待っていたのだろう。最近ではこうして近づいて来る男子もちらほら見かける。


 本当は俺が架け橋になってやれればよかったんだけど、そんな余裕はなかったからな。でもこれでクラスに一層なじめると思う。


「俺の住んでるとこはマジ雪深くてさ、道路の脇に雪の壁ができてんの!」

「え!? それでも学校お休みにならないの……?」

「なる訳ねぇって! こっちじゃそれが普通で、登校できるのも普通なんだから」

「とか言って、あんた去年は親に送ってもらってたじゃん。何偉そうに」

「ばっ、あれは親が無理矢理送ってくって言っただけだし! 俺はチャリで登校できたもんね!」


 男子が来てから一層騒がしくなったな。これじゃあ課題に集中できん。これ次の授業のやつなんだから、今やらないとヤバいってのに。

 昨日やらずに忘れてた俺が悪いんだけども。隆平の席でも借りようかな?


「陽介は去年どうしてたの?」


 俺が課題のノートをパタンと閉じると、課題が終わったと見た雪芽が話しかけてきた。


「ん、俺か? 俺は毎日チャリだったな」

「え!? 柳澤君自転車だったの!?」

「あー、そういや陽介は毎日チャリだったな。雪かき分けてよくあの坂上ってくるよなぁ」


 俺の発言が意外だったのか、雪芽と話していたクラスメイトが驚きの声を上げる。

 まぁ、確かに豪雪の日はいつもより自転車の台数少ないもんな。雪の上にできる自転車の轍もほとんどないし。


「疲れはするけどな。バスより早い」

「陽介ってホントにバス嫌いだよね……」


 嫌いってわけじゃないんだけどな。混むし遅刻するし、あまりいいことはないんだよ。



「そういえば柳澤君っていっつも雪芽と登校してくるよね。家近いんだっけ?」

「そうだな。毎朝駅から一緒に登校してる」

「毎朝!」

「駅から!」

「一緒に登校、だとぉ!? おいこら陽介ぇ、どういうことだよぉ!」


 何がおかしかったのか、女子たちはニマニマと笑みを浮かべ、男子はムンクの叫びのような顔をして俺に襲い掛かってくる。

 おい、呪詛を吐きながら肩を揺らすな! マジ怖いから!


「家近いし友達なんだから普通だろ!?」

「友達、ねぇ?」

「普通、ねぇ?」

「この野郎ぉ、裏切り者ぉ!」

「なんなんだよ、もう……」


 そこで女子の一人が、ニマニマ笑いを引っ込めて、思い出したように言った。


「それじゃあ夏希はどうするの?」

「夏希? あいつは毎朝ほとんど部活だろ? 一緒に登校なんて難しいだろ」

「いやそういうわけじゃなくて……。こりゃ夏希は大変そうだねぇ」

「おまえぇぇえ! マジで何なんだよ! 陽介と俺、何が違うんだよお!」


 訳が分からず雪芽を見ると、雪芽も困ったように笑っていた。

 そうだよな? わけ分かんないよな?



「なに? 私のこと呼んだ?」


 この会話に加わる声がもう一つ。新たにやってきたのは噂の当人だった。

 丁度耳に入っていたのか、トイレに行っていた夏希は帰ってくるなり首をかしげる。


「夏希は大変だって話」

「でも、夏希と柳澤くんって幼馴染なんでしょ?」

「そうだけど……」


 女子の言葉に夏希は戸惑いながらも頷く。

 女子たちはそれを聞いてまだまだ時間がかかるだの、案外もうすぐだとか話している。


「俺なんてなぁ、俺なんてなぁ……、女子の幼馴染すらいないんだぞぉ……。うぅ……」

「分かったから泣くなって!」


 終いには泣き出す男子をなだめつつ、俺はこの場を撤退しようと考えていた。

 課題が、課題がまだ残ってるんだ。ここで泣き付かれている場合じゃない!



「で、で? 馴れ初めは?」

「な、馴れ初めってっ――、中学で部活が一緒だっただけよ!」

「そういえば柳澤君、昔陸上やってたんだよね? 雪芽が言うまで知らなかったよ」


 そこで女子の一人が思い出したように声を上げ、俺に声をかける。

 俺はようやく引きはがした男子を余所へ追いやり、席を立とうとしていたところだったのだが、再び腰を落ち着けることになった。


「まぁ、昔な。もうやらないけど」

「どうしてさ? リレーの時あんなに速かったじゃん! あたし感動しちゃった!」

「私もー! 柳澤君ってオタクっぽいイメージあったから、なんか意外だった!」

「はは、まぁ確かにそうかもな」


 オタク、オタクかぁ……。まぁゲームばっかりやってればそうみられても文句は言えないな。

 雪芽が初めて俺の部屋に上がったときも、ゲームのフィギュアを見てアニメのやつかどうか尋ねていたっけ。

 ……てことはだ。雪芽も俺のことそういう風に見てるってことか……? いやまぁ、あながち間違いじゃないから何とも言えないけど。



「楽しそうだね。何の話かな?」


 雪芽と夏希も加えた女子たちが盛り上がっていると、広瀬がやって来て声をかけた。


 なんだろ、最近広瀬と話をする機会が多いな。雪芽が転入してくるまでは事務的なことでしか話したことなかった気がするけど……。


 あれかな、雪芽を通して俺も交友関係が広がったってことなのかもな。

 いいことなのかは別としてもだ。だって高野とか、一緒にいても疲れるし……。


「あ、広瀬君! 柳澤君が足速いのに部活入らないなんてもったいないって話してたの!」

「そうそう! 陸上とかサッカーとか、いっぱい活躍できそうなのに……」

「確かにね。俺も陽介があんなに足が速かったなんて知らなかったよ。ぜひともバスケ部に欲しいな!」

「いやだよ。バスケは苦手なんだ。頼まれても入らないぞ」

「そうか、残念だ」


 そう言う広瀬はあまり残念がっているようには見えなかった。いわゆる社交辞令ってやつだろう。コミュ力のお高いことで。




「噂の6人抜きが入ってくれれば、うちの部も活気づくと思ったんだけどな」




 しかし、広瀬は社交辞令の後に聞き捨てならないことを言った。


「噂の、何だって……?」

「あれ? 知らないのか? 陽介は体育祭の後から学校中でちょっとした噂なんだよ。最下位からの怒涛どとうの追い上げで1位に返り咲いた6人抜きの選手ってね」


 ちょっと待て、なんだそれは!? 俺はそんな話聞いてないぞ!?


「あー、それなら陸上でもそうよ。部長が勧誘して来いってうるさいのなんの……」


 夏希も思い出したようにそう言う。

 ってことは、まさか本当に噂になってるのか……? 確かに目立ったかもしれないけど、学校中で噂になるほどか?


「俺そんな話聞いてないぞ? それに体育祭なんて2ヵ月も前のことじゃないか。なんでまだ立ち消えてないんだ?」


「最初は2年生の間で噂になって、今になって学校中に陽介のことが知れ渡ったからじゃないかな? 今まで話を聞かなかったのは陽介があの6人抜きの選手だってみんな知らなかったからだと思うよ。あるいはいつも小山さんと一緒にいるからもう陸上部に入ったものだと思われていたとかね」


 ふむ、学年を超えて噂が広まるのは結構ゆっくりってことか……。


 それにしてもそんな噂になってるとは……。速やかに消してもらいたい! 俺は静かに学校生活を過ごしたいし、第一部活なんてやるつもりはないからいちいち断るのも面倒だ。


 俺が広瀬にその噂について詳しく聞こうとしたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

 それを聞いて皆口々に挨拶を述べ、自分の席へと戻っていく。


「すごいね、陽介人気者だね!」


 隣に座る雪芽は嬉しそうに笑う。


「そうだな。……はぁ」


 しかし俺はため息を返すのに精いっぱいだった。

 噂、噂かぁ……。面倒ごとにならないといいけど。



 こんな気分になるなら噂のことなんて聞かなければよかったと後悔していると、教室のドアを開けて先生が入ってくる。


「はい皆さん、授業を始めますよ。それじゃあ後ろの席の人から課題を前に回してくださいね」


 あ、やべ……、課題やってねぇ。


 俺はもう一度、誰にも気づかれないようにため息を吐くのだった。





 ――――





「うわぁ! こんなに綺麗に紅葉するんだね!」

「ここ来るの久しぶりね~! 近場ってやっぱりなかなか来ないわよね」

「確かに、小学校以来か?」


 土曜日の午前中、人もまばらな山の上の公園で、俺たちは赤や黄色に染まった木々を見上げていた。

 紅葉狩りをしようって話をしてから随分時間が経ってしまったが、幸いにもまだ山の木々は葉を落としてはいなかった。


「あたしたちも来るの久しぶりだよね?」

「うん。遠足とかじゃないとこっちまでなかなか来ないもんね」


 晴奈と由美ちゃんも、そう言って懐かし気に木々を見回す。



 この公園は山の中腹にあるからか、随分と大きい。

 巨大なアスレチックがあったり、恐竜のオブジェがたくさん設置されていて、小さい子供たちが遊びに来たり、老人が散歩に来たりする。


 俺たちも昔に来て以来だが、近くで紅葉を見るならここだと思い、やってきたのだ。



 そして俺たちはしばらく色づいた山の中を歩く。

 雪芽たちはスマホを片手にしきりに写真を撮っていて、これは綺麗だの、これは可愛いだのと騒いでいた。


 そうして賑やかに山を登り、ちょうど開けた場所に出たあたりで、頃合いとばかりに腹の虫が鳴いた。


「ここらで昼飯にするか」

「やった! 私もうおなかペコペコ」

「私も。それに陽介のお弁当がどんなものか、楽しみね!」


 昼食に沸き立つ雪芽と夏希。確かに俺の手にぶら下がっているのは俺と晴奈が作ってきた弁当だ。

 夏希と雪芽が紅葉狩りに行くなら昼食を作って来いとせがむものだから、仕方なくこしらえてきたのだが、5人分となると結構な手間だった……。


「陽介さんの手作り弁当……。じゅるり」

「晴奈も手伝ってくれたから、俺と晴奈の手作り弁当だけどな?」


 由美ちゃんも待ちきれないと言った様子だ。そんなに期待されても困るんだけどな……。



 レジャーシートを広げて、その上に弁当を広げると、3人から歓声が沸き起こった。

 並べられているのはサンドウィッチと、いくつかのおかずにコーンポタージュだ。


 サンドウィッチは手軽だし、おかずも量は少ないが種類は多くしてみた。そして肌寒い季節だからこそおいしさが増す温かいスープ。一般的だが変に凝る必要もないと思い、晴奈と話し合って決めたものだ。


「とまぁこんな感じだ。遠慮せず食べてくれ」

「さあ雪芽さん! これあたしが作ったんです、ぜひ食べてみてください!」

「じゃあいただくね! ……うん、おいしい!」


 晴奈は自分の作ったサンドウィッチを雪芽に勧め、雪芽の笑顔を見て自分も満面の笑みを浮かべている。

 ふふっ、よかったな。今日頑張って早起きしたもんな。


「じゃあ私は陽介の作ったやつをもらうわ。どれほどのものか試してあげる」

「なんで夏希はそんなに偉そうなんだよ……。ほら、これとか食ってみ?」


 尊大な態度の夏希におかずのからあげを差し出すと、それを勢いよくぼおばった。


「……む、ちょっと濃いけどおいしいわね……。なんか悔しいんだけど」

「そりゃよかったよ」

「今度作り方教えなさいよね」

「まぁいいけどさ」


 だからなんでそんなに偉そうなんだよ。訳の分からん奴だ。


「じゃああたしには陽介さんの愛が一番こもったものをください!」


 そしてとんでもないことを言い出したのが一人。由美ちゃんだ。

 愛のこもったものって、なんだその注文は!? 愛情は最高のスパイスってことか……?


「愛がこもってるかは分からないが、これとかは手間がかかってるからその分愛情はこもったのかなと思うよ」


 そうしてカツサンドを差し出すと、由美ちゃんは嬉しそうにそれを受け取り、なぜか慎重に口に運んだ。


「あぁ……、陽介さんの愛情を感じます……」

「そ、そっか」


 恍惚とした表情なのが少し気になるけど、まぁ喜んでくれてるってことだよな? それなら俺も嬉しいけど……。


 そうして賑やかなまま時間は過ぎていき、あれだけあった弁当はすっかりなくなってしまったのだった。

 ぺろりと平らげて満足そうな顔をしてくれるだけで、作ったものとしては嬉しいけどな。晴奈も嬉しそうだし、きっと同じ気持ちだろう。



 それから俺たちはまたゆっくりと山を下り始めた。


 楽しそうに落ち葉で遊んだりしている彼女たちを見ていると、俺は戻ってきたんだと実感する。

 季節はもう変わった。あの夏の気配はずっと遠くに行ってしまって、ともすれば夢だったのではと思うほどだ。


 ……帰ってきたんだ。日常に。あの夏に負った傷を、この2ヵ月はだいぶ癒してくれた。

 体育祭の後に雪芽が倒れたのは衝撃だったし、まだ悪夢が続いていると分かって恐怖した。でも、この2ヵ月は何もない。あれだけおかしかった世界は、何事もないかのように振る舞っている。


 ……もう、なにも起きてほしくない。このままゆっくりと、何も変わらないままで過ぎてほしい。

 冬が来て、春が来て、また夏が来て。それでも何も変わらないまま、また秋が来る。そんな当たり前のことを、今は切に願う。



 俺がそんなことを考えながら紅葉と戯れる彼女たちを見ていると、由美ちゃんがそっとこちらに近寄ってきた。


「陽介さん、考え事ですか?」

「いや、ただこういう日常も悪くないって思ってたんだ」

「確かにそうですね! あたしもこうして陽介さんと一緒にいられるのは嬉しいです!」

「ははっ、そうか。ありがとう」


 俺の言葉に由美ちゃんは静かに笑みを浮かべると、雪芽や夏希と楽しそうに話をしている晴奈を見つめた。


「陽介さん。晴奈のこと、本当にありがとうございました」

「こっちこそ、晴奈の友達でいてくれて本当にありがとう。メッセージでは伝えたけど、こうしてちゃんとお礼を言ってなかったな。ごめん」

「いえ! あたしもちゃんとお礼を言えなくてごめんなさい」

「いや、お礼を言うのは俺の方だよ」

「いえ、あたしの方です!」


 そうして二人、顔を突き合わせて笑い合う。


「まったく、由美ちゃんは強情だなぁ」

「陽介さんこそ!」


 そしてまた笑い合う。


 晴奈はいい友達を持った。こんな風に気にかけて側にいてくれて、ちゃんとお礼も言える礼儀正しい友達を。


「由美ちゃん、ありがとう」


 俺は一歩踏み出す。まだ色づいている落ち葉が、くしゃりと音を立てた。


「俺は嬉しいよ。晴奈にこんなに友達想いの素敵ないい子が側にいてくれて。これからも晴奈のこと、頼んじゃってもいいかな?」


 少し待っても返事がないので振り向いてみると、由美ちゃんはぼぅっと惚けていた。

 俺と目が合うと、由美ちゃんは慌てて頷いて、


「も、もちろん! 晴奈はあたしの親友ですから!」


 と、言ってくれた。


 ……うん、晴奈、由美ちゃんを大切にしろよ。きっとこれほど素敵な出会い、人生の中でもそうないと思うからな。



 ひらりと、風に舞った落ち葉が目の前を横切った。


 ……変わらないものなんてない、か。

 それでも、そうだとしても、きっと変わらないものもあるって、そう信じたい。

 舞い落ちる葉を見て、そんなことを考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る