ちらつく影

第83話 冬の足音は近くに迫って

 ハロウィンが終わって11月のある日の掃除の時間。教室にはあるものが運び込まれていた。


「ねぇ陽介、あれってなに?」

「見ればわかるだろ、ストーブだよ」

「ストーブってあんなに大きかったっけ?」

「まぁ、家庭用ではまずないな」


 教室の黒板側の入り口のそばにどんと置かれたそれは、確かに大きい。教卓と同じくらいの大きさか。

 それを見る雪芽は物珍しそうだ。


「この辺は冬になると寒いから、こうしてストーブを置くのよ」


 自分の担当の掃除を終えたらしい夏希が、雪芽にいろいろ教えている。


 東京の学校だとエアコンがあるのが普通なのかな。この学校は公立ってこともあって貧乏だからな。夏は扇風機、冬は石油ストーブだ。


 この学校、標高も高いし夏は涼しくていいんだが、いかんせん冬は厳しい。

 雪はものすごく積もるし、寒さも厳しくて勉強に集中できたもんじゃない。まぁ、普段から集中しているかと聞かれると何とも言えないが……。


「じゃああの管は?」

「排気管じゃない? ああやって校舎の外まで悪い空気を出してるのよ、きっと」

「ストーブに火が入ってるときに触ると熱いからな。気を付けろよ」


 今度は教室の天井につながれた銀のパイプを眺め、雪芽は感心したように声を漏らした。


 と言っても火が入るのは当分先だろう。今日は設置と試し炊きをするだけだ。

 室温が10度だかを下回らない限り、このストーブに火が入ることはない。

 でも、最近めっきり寒くなってきたし、火が入るのもそう先のことじゃないかもしれないな。


 教室の生徒のほとんどは、もうすっかり上着まで冬服に変わっていて、俺もそろそろブレザーを羽織るべきかと思案しているところだった。

 でも自転車で坂を上がってくると暑くてたまらないんだよなぁ……。とはいってもこうしているとちょっと寒いし、やっぱり必要だよなぁ。



「ちなみに冬はあの上にやかんが乗るんだ」


 取り止めのない思考でストーブを眺めていると、後ろからあまり関わりのない声がかけられた。

 振り向けば広瀬と、その後ろに高野が立っていた。


「でもピーッとは鳴らねぇんだなこれが! やかんなのにおかしいっしょ!」

「いやあきら、やかんだからってみんな鳴る訳じゃないよ」

「え!? そうなん!? リンリンマジ物知り~」


 高野は相変わらずだな。広瀬もこんな奴と一緒にいてよく疲れないな。


「えっと、なんでやかんを?」

「加湿のためだな。冬は空気が乾燥するし、感染症予防のためでもある」


 雪芽の質問に答えてやると、雪芽と高野が揃って感嘆の声を上げた。

 いや雪芽は分かるけど、どうして高野まで感心してるんだ。お前何のためにやかんが乗ってるか知らなかったのかよ。


「……陽介の言う通りだね。部屋を暖めると同時に加湿してるのさ」

「へぇー! 俺てっきり先生たちがカップ麺食うためにお湯沸かしてんだと思ってたわ! スケルトンもマジ物知りじゃん!?」


 いや高野、掃除の時にあのやかんの水捨ててるだろうが。お前去年何してたんだよ……。



「で、そのスケルトンってのは何だ?」

「んあ? スケルトンはスケルトンのことっしょ? 新しいあだ名考えたんじゃん」

「それだと俺が骸骨みたいだからやめてくれ。経験値にされちまうよ」

「ぶははっ! マジ何言ってるか意味わかんねーし!」


 それはこっちのセリフだっての。


 そもそもこいつ、聞いたことある言葉で適当にあだ名つけてるだけだろ。完全に意味わかってねぇじゃん。

 とりあえず「すけ」から始まる言葉をあだ名にしてるんだろうな……。まずそこから離れなさいよ。


「はは、明はあだ名のセンスが独特だな。陽介もそろそろ諦めた方がいいかもしれないよ?」

「ごめんだな。周囲にあらぬ誤解をされかねん」


 服の下はガリガリの骸骨だなんて噂されたりしたら……。うん、いやだな。



「そういえば、池ヶ谷さんはもう学校には慣れたかな? さすがに2ヵ月も経てばだいぶ馴染んできたと思うけど」

「はい、だいぶ。陽介となっちゃんのお陰だね」


 雪芽が俺と夏希を見てそう言うと、広瀬は満足げに頷いた。


「そうだね。まさか陽介がここまで面倒見がいいとは思わなかったよ」

「そうか?」

「そうさ。君は自分の安寧を何より大事にする人だと思っていたからね」


 広瀬は俺の目をじっと見つめて、微笑みを浮かべながらそんなことを言った。


「じゃあ池ヶ谷さん、何か困ったことがあったら俺にも相談してくれ。きっと力になれるよ」

「あ、うん。ありがとうございます」

「あはは、相変わらず池ヶ谷さんは丁寧だね。いいんだよ? クラスメイトなんだし、もっと気楽に行こう!」


 そうして広瀬は、挨拶もそこそこに爽やかな笑顔で去っていった。

 う~ん、あれが学校の人気者か。あの全身からあふれ出すオーラ、俺には一生かかっても無理な気がする。



「……ちょっと陽介、いいの? 言われっぱなしで」


 広瀬が去ると、いままで口を噤んでいた夏希が不満げにそう漏らした。


「言われっぱなし? 俺何か言われたか?」

「自分の安寧を何より大事にするって、そう言われてたじゃない」

「言われたな」


 俺の反応を見て、夏希は呆れたようにため息をつく。

 な、なんだよ? 別になにも悪いこと言われてないだろ?


「あのねぇ、広瀬君はあんたのこと自分の保身ばかり考えていて、周りがどれだけ大変だろうが関わらない奴だって言ったのよ! そんな風に言われていいわけ?」

「いや、それは深読みしすぎだろ。夏希、広瀬に当たりきつくないか? なんでだよ?」

「……ふんっ、この鈍感」


 夏希は怒ったようにそっぽを向き、そのまま俺の元を去っていった。


「なんだよ……。なぁ、雪芽?」

「うん、私もなっちゃんの気持ち分かるもん」

「へ? あ、あぁ、そうなのか……」


 ……なんなんだよ、一体。





 ――――





 その日の放課後、俺は机に並べられたコーヒーとガトーショコラを交互に口に運びながら、その苦みと甘さの狭間を揺蕩たゆたっていた。

 目の前に座る飯島さんも、チーズケーキ口に運び、舌鼓したづつみを打っている。


 俺たちがいるのはいつものカフェではなく、高校の近くにあるこれまた隠れ家的なカフェだった。

 以前飯島さんに何かお礼をと尋ねた時、またお茶に付き合って欲しいと言われたのでこうして場所を変えてみたのだ。



 どうやらこの店は自家製のケーキが目玉らしく、せっかくだからということで注文してみた。

 俺のガトーショコラも甘さ控えめで大変おいしい。俺は甘いものが苦手とかではないからもっと甘くても大丈夫だが、これなら甘いものが苦手な人でもおいしく食べられそうだ。


 ……しかし、飯島さんの食べているチーズケーキもなかなかおいしそうだな。


「飯島さん、これ一口食べてみますか? おいしいですよ」

「いえ、私のことは気にしなくていいですよ。こうして新しいお店を紹介してもらえただけで嬉しいですから」

「いやー……、実を言うと俺がそっちのを食べてみたいだけなんです。一口交換しませんか?」

「え!? こ、交換ですか?」


 飯島さんは手にしたフォークを取り落としそうになってなんとか持ち直した。

 あれ、やっぱり嫌だったかな? まぁ、自分の注文したものは自分だけで食べたいよなぁ。


「あっ、嫌なら大丈夫です! また来た時に注文しますから」

「ああ、えっと、そういうわけではなくて、いろいろ大丈夫かなぁと」

「大丈夫? あぁ、俺体は丈夫なので飯島さんが風邪気味でも大丈夫です!」

「そういうことではないんですが……。まぁ、合意ってことなら大丈夫なんでしょうか?」


 飯島さんは逡巡の後にそっとチーズケーキの皿を俺に寄越した。

 俺も交換するようにガトーショコラを差し出し、さっそくフォークを手に取る。


「いただきます。……うん、うまい! ほのかな酸味がいいですね。やっぱり今度来た時に頼もうかな……」


 でもコーヒーと合わせるならチョコ系がいいんだよなぁ。コーヒーじゃなくて紅茶とかと合わせてみるのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながらチーズケーキの皿にフォークを戻し、飯島さんに差し出すと、飯島さんはまだガトーショコラを食べていなかった。


「あれ? 飯島さんは食べないんですか?」

「……そうですね、遠慮しておきます」

「甘いの苦手なんですか? これそんなに甘くないですよ」

「いや、お腹いっぱいと言いますか、なので大丈夫です」


 そう言うと飯島さんはガトーショコラを俺に返す。

 まぁ、そういうことなら俺が全部食べちゃうけどね。これ美味しいし。チーズケーキ一口分得したな。



「そういえば飯島さん、雪芽をあんな状態にした犯人は見つかったんですか?」

「そうでしたね、今日はその話をするために来てもらったんでした。結論から言うと、犯人は見つかってはいません」

「そもそもいるんですか? 俺には犯人なんて言われてもピンと来ないというか……」




「います。確実に」




 そう言い切る。確信を持った力強い言葉に、俺は思わす息を呑んだ。


「存在は確認したわけではありませんが、確かに感じます。雪芽さんの死と結びついたループ、柳澤君にだけ残る記憶、雪芽さんの内面と密接にかかわった寿命。どれも誰かの意思が見え隠れしています。まるで雪芽さんを生かそうとしているかのような……」


「雪芽を生かそうとしている? なんのために」

「それは分かりません。情報が少なすぎてどうにも……。柳澤君の方はなにか変わったことはありませんでしたか?」


 変わったこと……、一つ心当たりがあるな。

 ついこの間消えたエロ猫のことだ。ハートの猫はまだ駅にいるが、晴奈は確かにあれはエロ猫じゃないという。俺から見ても意思は感じられないし、きっと本当なのだろう。



 俺は掻い摘んで飯島さんにエロ猫のことを話した。

 あくまで俺はエロ猫と会話したわけではないから、俺が感じたエロ猫の意思や、晴奈から聞いた話を中心に話した。

 エロ猫が消えてから晴奈に聞いた気になることもあったので、それも話しておいた。


 すると飯島さんはしばらく考え込み、自分の考えを慎重に話し始めた。


「おそらくですが、そのエロ猫、もとい猫は犯人と関わりがあると思います。猫の目的が観察とであることや、妹さんが聞いたというという人物など、その猫の後ろに何者かがいるとみて間違いないでしょう」


「そいつが犯人、ってことですか?」

「可能性はあります。犯人とかかわりのある何者かという可能性もあるので、そう決めつけるのは早急ですが」


 エロ猫はその人物の小間使いってことなのか? でも晴奈の話だとこれと言って聞き出したりはしてこなかったみたいだけどな……。



「それで、その犯人というのは何者なんです? エロ猫を使えたり、時間を巻き戻せたり、俺の記憶を維持したり。普通の人間じゃないですよね?」

「そう、ですね。超能力者や神通力の持ち主など、なにかしら超越的な力を持った人物でしょう。あるいは……」


 そこで飯島さんは言葉を止めると、何かを振り払うように軽く頭を振った。


「いえ、これは仮説にすぎません。この段階だと何の証拠もないただの空想です。しかし、その猫と話ができなかったのが悔やまれますね……」

「俺もエロ猫と話をしてみたかったですよ。コミュニケーションは取れてもざっくりしか言いたいことが分かりませんでしたからね」



 そこで飯島さんは少し複雑そうな顔をすると、ためらいがちに口を開いた。


「それでその……、なんで名前がエロ猫なんですか? 口にするのがはばかられると言いますか……」

「あぁえっと、その名前は妹がつけたんです。女の子のスカートばかり覗くエロい猫だからエロ猫、と。俺に撫でられても喜んでましたから、よく分からない奴でした」

「な、なるほど……」


 あ、ちょっと引いてる。いや、俺が言ったわけじゃないのでそんな目で俺を見ないでくださいよ!



 それからしばらくは雪芽の現状や、周囲の環境の変化について飯島さんと話をして、解散となった。


 お会計は飯島さんがすべて払おうとしていたので、ここはお礼なんだからと俺が無理矢理におごった。

 合計で2500円か……。財布の中身がほぼなくなったな……。でも、いつまでも飯島さんに奢ってもらってばかりというのも申し訳ないし、手相を見てもらってるのに料金を一度も払ったこともない。これじゃあ俺が落ち着かないというものだ。



 そうして外に出て飯島さんと別れると、冷たい風が俺の肌を撫でる。


「うぅっ、やっぱりちょっと寒いな……。ブレザー着た方がいいか」


 空に向かって息を吐いてみる。さすがにまだ白くはならないか。

 というよりうっすらと曇った空のせいで吐いた息が白いのかどうかも分からん。


「……帰りに肉まん買ってこうかな。あ、でも金ないわ」


 もう一度、今度は地面に息を吐き、俺は自転車にまたがる。

 ……帰ったら母さんに今月分の小遣い貰わないと。


 そうして駅までの坂を下るころには、俺の体も懐も、すっかり冷え切っていたのだった。

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