第82話 ハートの猫は秋に消えゆく

 あたしが駅に到着すると、そこには誰もいなかった。ただ猫が一匹、街灯の下に座っているだけで。


「にゃはは、来ちまったか」


 あたしが自転車を止めて近づくと、エロ猫は呆れたように笑った。

 その様子は以前と何ら変わりなくて、今日いなくなっちゃうなんて話は嘘のように思えた。


「……もういなくなったのかと思った」

「そのつもりだったんだけどにゃ。まさか最後の最後に陽介に見つかるとは思わにゃかった」


 そう言うエロ猫の姿は、街灯の下にぽつりと立っているせいか、随分希薄に見えた。

 そうしてあたしは立ち止まる。これ以上近づいたらエロ猫が闇に掻き消えてしまう気がした。



「今までどこにいたの? すごい探したんだから」

「隣町とか、好みのおんにゃの子を探してぶらぶらしてた」

「じゃあ好みの女の子は見つからなかったんだ」

「どうしてそう思う?」

「今ここにこうして戻って来てるから」


 エロ猫はいつものように少し間の抜けた笑い声をあげた。

 それにあたしは安心して、エロ猫に近づいていく。


「あんなに姿をくらましてたのに、どうして待っててくれたの?」

「陽介に言われたんだ。晴にゃがお前と会えにゃくてにゃいてる、男の約束はどうしたーってにゃ。晴にゃをにゃかせるわけにはいかにゃいからにゃ。こうして待ってた」

「あたし泣いてなんてないけど」


 あたしの言葉にエロ猫は目を丸くする。

 あのバカ兄貴、いつあたしが泣いたっていうのさ。こんなエロ猫のために泣いてなんてやるもんかっての。


「にゃに!? じゃあ俺は陽介に騙されたのか……? あいつ~!」

「あんたが逃げ回ってるからでしょ。それより、どうして何も言わないで消えたりしたの?」

「……猫は最期の時を人に見せにゃいものだからにゃ」


 そう言うと、エロ猫は少しだけおかしそうに笑った。

 まるであたしには分からない内輪ネタで、一人面白がっているように。


「最期って、まるで死ぬみたいじゃん」

「まぁ、あながちそれも間違いじゃにゃいかもにゃ。こっちでの俺は死ぬも同然だし」

「え……?」

「気にするにゃ、こっちのはにゃしだ」


 死ぬも同然って、どういう……?


 そんなあたしの疑問もお構いなしに、エロ猫は緊張をほぐすように伸びをする。

 そして街灯の下を出て、駅舎の方へ向かっていった。


 あたしもそれにならって駅舎の扉をあけると、エロ猫はスタスタと中に入っていく。

 そのままホームに出て、灯りの差すベンチに飛び乗った。

 そしてお前も座れと言わんばかりにこちらを見つめる。



「俺が姿を消したのは、こっちでの役目を終えたからだ」


 あたしがベンチに腰掛けると、エロ猫はゆっくりと語りだした。


「役目って、誰かの観察とかだっけ? 結局誰の観察だったの?」

「それは言えにゃい。言えるのは俺は最初、晴にゃじゃなくて陽介に接触する予定だったってことだけだ」

「じゃあどうしてあたしに声かけたのさ」

「晴にゃがうさぎさんパンツにゃんてはいてるからだろ? 思わずツッコミたくもにゃる」

「はぁ!? 勝手に見といてあたしのせいにすんなっ! このエロ猫!」


 あたしは怒ってるのに、エロ猫は楽しそうに笑う。動いた尻尾がベンチのひじ掛けにぱたりと当たった。


「そのにゃ前で呼ばれることも、もうにゃいんだにゃ。にゃ前というよりあだにゃだったけど」


 エロ猫は懐かしむように目を細めると、しみじみとそう言った。

 その言葉に、あたしはこの夜がエロ猫と過ごす最後の時なんだと確信した。



「……ねぇ、エロ猫は今日どこかに帰るって言ってたよね? いつ帰るの?」

「そうだにゃぁ、あと数十分もしないうちに帰ることににゃるかにゃ」

「数十分……。そこって遠いの?」

「あぁ、とっても遠い」


 その瞳は故郷を見つめているのだろう。とても遠い目をしていた。


「アメリカくらい遠い?」

「もっと遠いかもにゃぁ」

「ブラジルくらい?」

「さあ、もっと遠いかもしれにゃい」

「また、会える?」

「さあ、俺には分からにゃい」


 要領を得ないエロ猫の言葉に、あたしはもどかしい思いを抱えつつも、きっと問い詰めても話せないと言われるだけだと分かっていたから、何も聞かなかった。


 もう会えるかどうかも分からないほど遠くへ、エロ猫は行ってしまう。それもあと少しの後に。

 きっとそれが本当だということは、エロ猫の雰囲気を見れば分かる。

 だからあたしはエロ猫に会えたら言いたかった言葉を言わないといけない。でも、それを言ってしまったら本当にエロ猫とお別れなんだって思ってしまうから、言えなかった。



 しばらくの間、あたしたちは静かな夜に聞き入っていた。夏に比べて随分静かになった夜に、聞き耳を立てていた。


「俺は、晴にゃでよかったと思ってる」


 あたしが言い出せずにいると、エロ猫は静かにそう言った。

 何のことだとエロ猫を見ると、エロ猫はあたしに向かって目を細め、懐かしむように続けた。


「初め晴にゃはにゃかにゃか俺のことを信用してくれにゃいし、はにゃしもまともにできにゃかった。でもにゃんだかんだと言いつつも、俺のことを気にかけてくれたし、今もこうして追いかけてきてくれた。晴にゃはとっても優しい子だ」


「……別にそんなんじゃない」

「すにゃおじゃにゃいのが玉に瑕だにゃ」

「うっさい」


 そうして軽く頭をごつくと、エロ猫は嬉しそうに微笑んだ。




「でも、そんにゃすにゃおじゃにゃいところも含めて、俺は晴にゃが好きだ」


「……は?」




 今好きって、あたしのこと好きって言った……?

 あぁ、そっか。猫としてあたしのことが好きってことだ。

 でも、蹴っ飛ばしたり殴ったりしたけどそれでも懐いてくれるってことは……、エロ猫はM猫でもあった……?


「だからあいつらの観察を終えて、もう帰って来てもいいと言われてもこっちに残った。晴にゃのことが気がかりだったからにゃ。でもそれももう解決して、俺に思い残すことはにゃい」


 思い残すことはないと言うエロ猫は、やっぱりこれから死んじゃうかのように見えた。

 どこか薄ぼんやりとしていて、触れてもすり抜けてしまいそう。


 不安になってエロ猫の尻尾をつかんでみると、あたしの手の中でビクンッと震えた。


「にゃ、にゃにする!? そこは敏感にゃんだぞ……?」

「……キモイ」


 上目づかいでひじ掛けにしなだれかかるエロ猫に、あたしは思わず素直な感想を述べてしまった。

 エロ猫はそれにぶつくさ文句を言っていたけど、しばらくするとそのままベンチに横になった。

 だらんと垂れた尻尾が揺れるのを、面白がって目で追っている。



 それから少し、思い出話をした。

 この1ヵ月の思い出、エロ猫と出会ってから起こったいろんな出来事のことを。


 最初はエロ猫のことを妖怪だと思って気持ち悪がってたこと。でも実はパンツばっかり覗こうとする変態だった。

 妖怪覗き猫だって言うと、エロ猫は笑った。


 学校に現れてあたしにつきまとったこと。いろいろお節介を焼かれたっけ。

 由美との問題にまで首突っ込んで、ほんと何考えてんだって感じ。まるでお兄ちゃんみたいだ。


 そしていなくなってからのこと。事故にあったんじゃないかって心配して、うるさくつきまとってくるのがいなくなって、ほんの少し寂しかった。

 そのことを話すと、エロ猫はからかうこともせず、ただ小さな声でありがとうと言った。



「俺はにゃ、晴にゃ。こっちに来た1ヵ月、とっても楽しかった。人間や動物たちのいとにゃみ、色づく草木、風や水の匂い、おんにゃの子のパンツ。どれも俺には新鮮だった」

「おい、最後の」

「それに、晴にゃにも出会えた」


 ……こいつは、そういうことを急に言う。

 さっきまでふざけてたと思ったら、突然真面目なトーンで言うんだからさ。やめろって、ホントに。


「俺は幸せだった。あの方に拾われて、苦労も多かったけど楽しかった」


 エロ猫は目を閉じて、ここじゃないどこかへ思いを馳せる。


 あの方とか、苦労とか、一体何のことなのかは分からないけど、きっとエロ猫にとって大切なことだったんだ。

 だってエロ猫は笑っていたから。幸せそうに、楽しそうに。



「さて、もう時間だ。俺に残された力もあとわずか。お別れだ」


 エロ猫は立ち上がり、一つ伸びをすると軽やかにベンチから飛び降りた。

 そしてスタスタと駅舎の出口へと向かっていく。


 あたしも立ち上がり慌ててエロ猫を追いかける。

 そうして駅舎を出たところ、あたしとエロ猫が初めて出会った場所でエロ猫は立ち止まった。


「晴にゃ、本当に色々ありがとう。できればもう少し話していたかったけど、もうお別れだ」


 振り向くエロ猫は、大きな丸い目であたしを見つめている。

 その口元は微笑んでいるようにつり上がっていたのに、少しだけ寂しそうに見えた。



「……もう行っちゃうの? まだ暗いし、明日出発しても遅くないんじゃない?」

「にゃはは、そういうわけにもいかにゃいんだ。俺は、俺という存在は今ここで、いにゃくにゃらにゃいといけにゃい」

「ここで、いなくなる? どういうこと?」

「見ていれば分かる。ほら、少しづつ消え始めている」


 自分の体を見てそう言ったエロ猫は、少しだけ光って見えた。

 まるでホタルのように、蛍光ペンライトのように、ぼんやりと光を放っている。


 やがて光は粒となり、空へと昇っていく。まるで月に帰るように、夜に溶けるように。


「エロ猫……? あんたどうして光って……?」

「ホントはこんにゃ姿、晴にゃに見せるつもりはにゃかったんだけどにゃ」

「そうじゃなくて……! あんた帰るって言ってたじゃん!? どこか遠くへ行くって! なのになんで、まるで消えてなくなるみたいにッ!」


 そこであたしはさっきエロ猫が言っていたことの意味を理解した。


 死ぬも同然って、会えるかどうかも分からないって、こういうことだったの……? 消えていなくなっちゃうなんて、そんなこと……!


「うそ、でしょ……? 消えてなくなっちゃうの? それじゃあもう二度と会えないってこと? そんなのってない!」

「どうした? 晴にゃは俺が鬱陶うっとうしかったんじゃにゃいのか?」

「最初はそうだったけどっ、でも今は違うの!」

「パンツのこと怒ってたじゃにゃいか」

「もう別に怒ってない!」

「実はさっきも覗いてたんだけど」

「サイテー!」


 もうっ! あたしは真面目に言ってるのに、どうしてこんな時もエロいことしか考えられないんだよ! このエロ猫は!


 そうしてエロ猫はカラカラと笑う。そのうちにも、エロ猫の体はどんどん光の粒になって天に昇っていく。

 少しだけ輪郭がぼやけてきているように見えた。


「あたし、エロ猫に言わないといけないこと、まだまだたくさんある。だからもう少しだけ待ってよ!」

「……急に子供みたいにゃことを言うにゃ。もうこれは止められにゃいんだ」

「でもっ! でもっ……!」


 ぼやけた輪郭はやがて穴が開いて、尻尾の先、前足の毛の先から少しづつ消えていく。


 ……言わないと、いけないんだ。もう、今ここで。

 黙っていてもエロ猫はいなくなっちゃう。もう二度と会えないかもしれない。だから、今言わないと。


 あたしは溢れて止まらない感情の波を、何とか押しとどめて、今言うべき言葉を探す。



「エロ猫、あたし、あんたに言ってなかったことがある」

「にゃんだ?」


 エロ猫の言葉はあったかくて、優しくて、やっぱりお兄ちゃんみたいだ。


「初めて会った時、蹴っ飛ばしちゃってごめん。殴ったりもしてごめん……」

「気にしてにゃい。あれは俺も悪かった」


 素直になって、そうして出てきた言葉は、何も飾ることのない純粋なあたしの気持ちだった。

 強がることも、虚勢を張ることもない。本当のあたしの気持ち。


「あたしが学校で独りぼっちだったとき、側にいてくれてありがとう。鬱陶しがってたけど、ホントは嬉しかった」

「……そうか、それにゃら俺も、救われた気分だ」


 恥ずかしくて言えなかった。そうして澄ましていることが大人なんだと勘違いしていた。

 気取る必要なんて、もうどこにもなかったのに。


「由美とのことも、あたし一人だったらきっと何も解決してなかった。だから背中を押してくれて、ありがとう……!」

「俺はきっかけにすぎにゃい。陽介がいにゃければ、きっと無理だった」


 あたしは首を振る。そんなことはないと。

 エロ猫がいなかったら、あたしはお兄ちゃんに迷惑をかけたくなくて話さなかったかもしれない。だから、エロ猫が話を聞いてくれて、アドバイスをしてくれて、あたしは本当に助かったんだ。


「それで――」


 少しの間だったけど、エロ猫はあたしに優しくしてくれた。気遣ってくれた。

 確かに最初は身の危険を感じたりもしたけど、ちゃんとお兄ちゃんとの約束を守って、あたしの嫌なことはしないでいてくれた。


 その優しさが、あったかさが、あたしを包むもう一つの光になっていた。

 そう、それはまるで、まるでもう一人の――、




「あたしも、あんたと過ごせて楽しかった! あんたに会えてよかったぁ!!」




 もう一人のお兄ちゃんのように、思っていたんだ。




「……そうか。うん、そうかっ……」


 俯くエロ猫の体は、もうずいぶん透けてきていた。

 体の下半分はほとんど闇に溶け、今もなおゆっくりと光となり消えていく。



「にゃぁ、晴にゃ。もっと近くに来て、よく顔を見せてくれ」

「うん……」


 あたしが近づいてしゃがみ込むと、エロ猫はゆっくりとあたしの顔に自分の顔を近づけた。


「にゃはは、にゃいてるのか? おんにゃの子ににゃみだは似合わにゃいぞ。笑ってろ」

「な、泣いてなんかない! ほら、ちゃんと笑ってる」


 あたしが無理やりにでも笑顔を浮かべると、エロ猫は本当に嬉しそうに笑った。


「そうだ、おんにゃは愛嬌。笑ってろ笑ってろ」


 エロ猫の体はもうほとんど消えていて、はっきりと見えるのは顔だけになってしまった。

 あとはまるで光の残滓のようにぼんやりとしていて不明瞭だ。



 エロ猫はそこであたしの膝に自分の消えかけの手をポンと当てると、言い聞かせる様に言った。


「いいか、晴にゃ。俺とはこれでお別れだ。次にもし俺を見かけても、それは俺じゃにゃい。ただのハート柄の猫だ」

「どういう意味……?」

「じき分かる」


 そうしてエロ猫はもう一つの手をあたしの空いてる膝に当てると、体を伸ばした。

 近づくエロ猫の顔と、あたしの顔。それはあっという間に距離をなくした。


 ちょん、と。あたしの鼻先に冷たく湿った感触が残る。

 驚いてエロ猫を見ると、エロ猫は楽しそうに笑っていた。

 でももう、その笑顔もほとんど薄れかけていて、はっきりとは見えなかった。


「じゃあにゃ、晴にゃ。陽介と由美を大事にしろ」

「エロ猫ッ!」


 あたしの膝から温もりが遠ざかる。

 その手が地面につく頃にはもう、エロ猫の姿は全く見えなくなっていて、ただ光の粒だけが思い出したように月に帰っていく。




「あ、今日のパンツ、似合ってると思うぞ」




 最後の光の粒が空に昇るころ、微かな残響を残してエロ猫は消え去った。

 それはゆっくりと天に昇って行って、やがて月の光の中に溶けて消えた。


「……は、はは、結局最後までそれか。ホントにまったく、エロ猫なんだからっ……!」


 そうしてエロ猫は天に帰っていった。1ヵ月の思い出と、微かな温もりと、鼻先の湿り気だけを残して。



 この日、あたしはおかしな運命と別れた。

 それはちっぽけな猫の形をしていて、嬉しそうに笑っていて、言葉を解する。

 ……そして、ちょっとエロい。


 これはそんな、不思議な秋のお話。あたしとエロ猫の、出会いと別れの、お話しだ。





 ――――





 次の日の放課後、あたしは何となしに駅まで足を運んでいた。なんだかここに来ればエロ猫に会えるような気がしたのだ。


 結局昨日のハロウィンパーティーはドタキャンしちゃったし、今度雪芽さんたちに謝っておかないと。

 あたしのことについてはお兄ちゃんが雪芽さんたちにうまく言っておいてくれたみたいだから、そのことでお兄ちゃんにもお礼を言わないとね。



 そうしてたどり着いた駅には、いつも通り誰もいなかった。

 あたしはそれもそうかと笑みを浮かべ、自転車を止めて改札をくぐる。


 ……少しだけ、静かなところで独り、過ごしてみたくなった。

 こうしてベンチに腰掛けても、隣で話しかけてくる猫はいない。いつも通りの静かなあたしの日常。

 でも今は少しだけ、落ち着かない。それもきっとしばらくすれば慣れるんだろうけど。



 しばらくの間空を眺めていると、あっという間に暗くなってきた。最近は随分と日も短くなった


「そろそろ帰るか」


 あたしが立ち上がり駅舎を抜けると、目の前に見た背中があった。

 白くて、ところどころに黒い斑点がある。そのうちの一つがハートのように見えることから、この辺の人たちはハート猫とかハート柄とかって呼ぶ、あの猫が。




「……エロ猫?」




 あたしはその名を呼ぶ。ここにいるはずのない、消えてしまったはずのあいつの名前を。

 その猫はあたしの声に素早く振り向くと、口を開いた。


「ニャァ」

「え……?」


 でもそこから放たれたのは、いつもの軽口でも、いやらしい言葉でもなかった。ただ普通の猫のような鳴き声だった。

 その猫はすぐにそっぽを向いてスタスタと歩いて行ってしまった。人の意思のようなものを感じさせない、気まぐれな猫のように。


「……そっか、やっぱりエロ猫はもういないんだ」


 呟き見上げた空に、まだ月は昇っていなかった。


 エロ猫は、一体どこに帰ったんだろう。月か、空か、それとも幽霊や妖怪の住む世界だろうか。



 あたしの背後で電車がホームに入ってくる音がした。でもきっと、誰も吐き出さずに出ていくのだろう。

 もう帰ろう。ここにもうエロ猫はいないのだから。いるのはただの、ハートの猫だけ。


「あれ、晴奈? どうしてこんなとこにいるんだ?」

「お兄ちゃん……?」


 かけられた声に振り向くと、間抜けな顔をしたお兄ちゃんが立っていた。

 いつも一緒にいる雪芽さんや夏希さんの姿は見えない。どうやらお兄ちゃん一人のようだ。


「……エロ猫を探していたのか? どうだ、いたか?」

「ううん、もういなかった。ハートの猫はいたけど、あれはもうエロ猫じゃなくてただの猫だったよ」

「ただの猫……?」


 お兄ちゃんは怪訝そうな顔で首をひねる。


「それより、雪芽さんたちはどうしたの? 一緒じゃないの?」

「あ、ああ、なんか二人して街で買い物だとさ。後輩も一緒でさ、俺は追い払われたってわけ」

「憐れ、お兄ちゃん」

「うるへえ」


 そうこぼしながら、お兄ちゃんは自転車を取ってくる。

 あたしも自分の自転車にまたがりながらそれを待っていると、お兄ちゃんは思い出したように声を上げた。


「あ、そうだ晴奈。今日は母さんの帰りが遅いから、俺たちで何か夕食作らなきゃいけないんだけど、何食べたい?」

「う~ん、そうだなぁ……。豆腐ハンバーグ!」


 あたしの提案に、自転車にまたがったお兄ちゃんは苦笑いを浮かべる。


「それ前も作っただろ? また食べたいのか?」

「いーじゃん! あれ結構楽しかったし!」

「……そっか、じゃあ献立決まり! さっそく家帰って作るか!」

「うん!」


 そうして二人並んで自転車をこぎだす。

 並んで走る田んぼの畦道は少し狭く感じたけど、それも悪くないって、そう思えた。

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