第72話 訪問者との面会は窓越しに

「じゃあはっきり言うぞ? 中学生にもにゃってうさぎさんパンツっていうのはどうにゃの?」

「…………え?」


 ……い、今、猫がしゃべった? 何か言えって言ったから!?


「いや、そんなわけないか。疲れてるのかなぁ、あたし」

「おい、せっかく人が声かけてやったってのに、無視はにゃいんじゃにゃい?」


 声のする足元を見ると、ハート猫が相変わらずふてぶてしい目をしてあたしを見つめていた。


「……ホントにあんたが喋ってんの?」

「あたりまえだろ」


 まるで人間みたいに口を動かして話す猫に、あたしは思わず後ずさる。


 え、いやちょっと待って。喋る猫ってのは見たことがある。なんか人間の言葉みたいに鳴き声を上げるあれだ。

 でもこいつはそれとはまったく別の、はっきりとした意思を持った言葉であたしに話しかけてくる。


「うわ、キモッ!」

「にゃんだその反応は! 俺はかわいい猫様だぞ!? キモいはにゃいだろ、キモいは!」

「うわぁー! ほんとに喋ってる! キモッ! てかこわッ!!」



 後ずさるあたしを追いつめる様に、ハート猫は距離を詰めて来る。

 その一歩は小さくとも、とんでもない威圧感を感じた。ていうかもはや妖気だこれ。


 あたしは必死に後ろに下がりながら、自分の自転車の鍵を探す。


「……あった!」


 自転車の鍵を見つけたあたしは、一目散に自分の自転車めがけて突っ走る。


「あ、待て! フギャ!?」


 足元にすがりついて来るハート猫を蹴飛ばし、あたしはただ逃げることだけを考えていた。


 やばいやばいやばい! あんな奴に関わったらやばい! だって喋る猫だよ!? ぜったいろくなもんじゃないって! 妖怪とか、そういうホラーな存在だって!!

 あたしホラーは苦手なんだよ! 無理無理、ぜったい無理ぃ!


 なんとか自転車までたどり着くも、焦りと暗さでなかなか自転車の鍵を開けられない。

 その隙にハート猫は起き上がろうとしていた。


「ちょ、待てって……。俺ちゃんと猫に見えてるよね……? にゃんで蹴飛ばされたの……?」

「お願い、早く開いて……! よし!」


 ようやく鍵の開いた自転車にまたがり、あたしは全速力で家に向かって逃げる。

 まだ後ろでにゃーにゃー騒いでるけど、その声はだんだん遠のいて、しばらくすると何も聞こえなくなった。



 ……逃げ切れた、かな?

 はぁぁ、やばい怖かった……。こんなことになるなら何か言えなんて言わなきゃよかった。


 帰ったらお兄ちゃんに相談しよ。あんな妖怪猫がいたんじゃもう駅に行けないよ。

 てかお兄ちゃんもう帰ってるかなぁ? 今日用事があるって街に行ってたみたいだし、自転車駅に置いてあるかどうか確認しとけばよかった。

 でもあんなのいる中で冷静にそんなことできないよ! もしまだ帰ってなかったら電話でもいいから相談しよ。


 それとも先に保健所……? いや、そのことも含めてお兄ちゃんに相談しよ。


 そうしてあたしは恐怖に身を震わせながら、急いで家に向かうのだった。





 ――――





「駅に喋る猫?」


 家に帰ると幸いお兄ちゃんはもう帰って来ていて、さっそく猫ことを相談してみた。

 するとお兄ちゃんは少し怪訝そうな顔をして、半信半疑の様子。


「ホントだって! 確かにあたしに向かってうさぎさんパンツはにゃいんじゃにゃいの? って言ったもん!」

「晴奈、今日うさぎさんパンツなのか?」

「そ、そんなことどうでもいいでしょ!? てか妹のパンツ気にするなんてマジキモいんだけど」

「すまんすまん。お詫びと言っちゃなんだが、今日の俺は黒無地のボクサーブリーフだ」

「いや、そう言うことじゃないし。バカ兄貴の今日の下着とかどうでもいいから。てかマジキモいから勘弁して。お母さんに言いつけるよ?」


 まったく真面目に話を聞いてくれないバカ兄貴に、思わずそう言うと、バカ兄貴は嬉しそうに笑って言った。


「少し落ち着いてきたか? お前の話とっ散らかっててよく分からなかったんだよ。もう一回落ち着いて話してくれるか?」


 ……なんだよ、そうならそうと言ってくれれば落ち着いたのにさ。わざわざパンツの話なんかしなくても。

 てか、思い返したらあの猫あたしのパンツ見てたってことじゃん。今度会ったら殴っとこ。二度と会いたくないけど。


「あぁ、あともう一つ。さっきのこと母さんには……」

「言わないよ。でも次はないから」

「……はい」


 はぁ、ホント、バカな兄貴で困るわ……。



「なるほどなぁ。駅のハートの猫がねぇ。でも喋ってるとこなんて見たことないぞ?」


 あたしが落ち着いてもう一度事情を話すと、お兄ちゃんは真剣な顔をしてそう返した。


「あたしだって何が何だか……。でも確かにあの猫喋ってた。喋ってるように聞こえるんじゃなくて、ちゃんと喋ってたの!」

「まぁ、晴奈がそう言うなら信じるさ。猫が喋るくらい、いまさら不思議でもないし」

「え?」

「あぁいや、こっちの話」


 そう言ってごまかし笑いを浮かべるお兄ちゃんは、それでもなんだか楽しそうだった。


 でも、あたしは少し安心していた。

 いくらバカとはいってもお兄ちゃんは確かにあたしのお兄ちゃんだ。いざって時は頼りになるし、こうして荒唐無稽こうとうむけいに思える話を信じてもくれる。

 そうして誰かに信じてもらえて、寄り添ってもらえることって、こんなに安心するんだ。



「それでお前怖くなって逃げてきたのか?」

「そう。だって喋る猫なんて妖怪でしょ?」

「晴奈そういうの苦手だもんな。まぁ、ひとまず今日はいったん忘れろ。明日俺と一緒に駅まで見に行こう」


 当たり前のようにそう言うお兄ちゃんに、あたしは頷きかける。

 しかしそこであることを思い出した。お兄ちゃんには明日用事があったはずだ。


「でもお兄ちゃん、明日は由美とお昼一緒に食べる約束してるんじゃないの?」


 するとお兄ちゃんは驚いた表情を浮かべ、その後に困ったように笑った。


「よく知ってるな。まぁそうなんだが、午前中なら暇だからさ。一緒に行こう」


 そう言ってあたしの頭に手を乗せて、髪をくしゃくしゃにかき回す。


「ちょ、やめてよ!」

「ははっ、そう不安そうな顔をするな。大丈夫、お兄ちゃんがついてるんだから」

「……ありがと」

「ん?」

「~~ッ! バカ兄貴のくせに偉そうにすんな! でもありがとッ!」

「ふふっ、はいよ」


 あたしは抱えていた不安や恐怖が、きれいさっぱり消えていることに気が付いた。

 ……まったく、こういうときだけちゃんとお兄ちゃんなんだから。



 そうして、あたしが安心してお風呂に入ってくると、庭から何やら物音が聞こえてきた。

 網戸をひっかくようなその音は、次第に荒っぽくなっていく。


 なんだろ、すっごく嫌な予感がする……。

 ひとまずあたしは2階にいるお兄ちゃんを呼んできて、確認してもらうことにした。



「確かに、変な物音がするな。……よし、下がってろ」


 お兄ちゃんは真剣な表情でそばにあった殺虫スプレーを手にすると、あたしを後ろに下がらせて、一気に窓のカーテンを開け放った。


「……あれ、誰もいないな」


 お兄ちゃんは拍子抜けしたような声を出して、あたりを見回している。

 それでもどうやら何も見つけられなかったようで、あたしを振り返った。


「大丈夫みたいだぞ。晴奈も確認してみるか?」


 そう促されて、あたしは窓に近づく。

 確かに、一見して誰もいないように見える。音もぱったりと止んでしまった。


 そうして庭を見回して、誰もいないことを確認した後、ふと落とした視界にあれが映った。


「よっ! 今日はよくも蹴飛ばしてくれたにゃ」

「うわぁ! 出た!!」


 思わず驚きで飛び退き、勢い余って尻もちをついた。

 それでもあたしはりつかれた恐怖のままに、お兄ちゃんの背中に身を隠した。


「お、おいおい、どうしたんだ晴奈? 誰かいたのか?」

「違う違う! 猫! ほら、窓の下にいるじゃん!」

「猫?」


 そうして前に出るお兄ちゃんの背中にぴったりくっついて一緒に前に出ると、やっぱり妖怪猫はまだそこにいた。



「ホントだ。こいつ駅のハートの猫だな。晴奈が話してたやつか」

「にゃに隠れてんだよ? あ~、もしかして俺に再会できて照れてんの?」

「ほらっ! 今喋った」

「え? 喋ったか? 俺にはただにゃーにゃー言っているようにしか聞こえなかったけど……」


 ……え? い、今確かにはっきりと喋ってたじゃん!? 窓越しとはいえ、お兄ちゃんの後ろにいるあたしにまではっきりと声が聞こえたのに、お兄ちゃんに聞こえてないわけない!


「いや、聞えたでしょ!? 照れてんのって言ってたじゃん!?」


 あたしがお兄ちゃんの服の裾を引っ張ってそう抗議しても、お兄ちゃんは困った顔をするだけだ。

 本当に聞こえてないの……?


「無駄だ。俺の声は晴にゃ、お前にしか聞えにゃい。他の人間にはにゃーにゃー言ってるようにしか聞えにゃいんだよ」

「うそでしょ……?」

「ホント。証拠にそこの陽介は俺の言葉が分かってにゃいだろ?」

「え、なに? どうしたんだ?」


 確かに、お兄ちゃんはあたしを背にかばったまま、猫とあたしを交互に見やり、戸惑いの表情を浮かべている。

 じゃ、じゃあ、ホントにこの猫の言うことは、あたしにしか分からないってわけ……?


 一体何がどうなってんのか、もうあたしには分からない。

 なんでこの猫の言葉があたしにだけ分かるのか、なんで家までやってきたのか、あたしとお兄ちゃんの名前も知ってたし。


「あー、もうやだぁ……」


 そうしてあたしは座り込むことしかできなかった。





 ――――





「だから、俺は大事にゃ用事があったの。でも晴にゃが話せっていうから声かけちゃったわけ。んで、俺は初めて声かけた人としか話せにゃいから、今はこうして晴にゃとしかはにゃせにゃいの」


「じゃあなんであたしたちの名前知ってるのさ」

「それは最初からお前たちのことを知ってたからさ。あの駅によくいるだろ?」

「じゃあなんでついてきたの?」

「大事にゃ用事のために、お前の協力が必要にゃの」

「用事って?」

「それは――、あーもうっ! 一気に質問するにゃ! 俺だって初っぱにゃからミスっていろいろ大変にゃんだぞ?」


 何とか落ち着きを取り戻したあたしは、お兄ちゃん監視の元、窓越しに妖怪猫と対話していた。

 なんかこうしていると警察の取り調べみたいだなぁ、なんて考えられるほどには落ち着いてきた。


「……それで、この猫はなんて?」


 お兄ちゃんはまだちょっと信じられないって表情だけど、この状況を受け入れているみたい。

 まぁ、前からお兄ちゃんはゲームみたいなシチュエーションにあこがれてた節があるから、こういう異常事態にも適応できるのかも。


「なんか大事な用事があるんだって」

「はぁ? なんかよく分からんな」

「おーい! いいからまず入れてくれ! この時季夜は冷えるんだぞ!?」

「今はなんて?」

「家に入れてくれって」

「だめだろ。野良猫は何持ってるかわかったもんじゃないし、第一勝手に入れたら母さんに怒られる」


 そうして騒ぐ猫を無視して、あたしたちの尋問は続いた。

 それでも大した情報は得られなくて、結局この猫がどんな大事な用事をかかえているのか、何で喋れるのかといったことは、分からず仕舞いだった。



「まったく、そもそも晴にゃがうさぎさんパンツにゃんて履いてにゃければ、こんにゃことにはにゃらにゃかったんだぞ!」

「はぁ!? てかこのエロ猫、あたしのパンツ見たんじゃん! あとで一発殴ってやる!」

「それにどうせ見るにゃらもっとえっちぃパンツがよかったにゃぁ……。あんにゃ子供っぽいもの、見ても嬉しくにゃい」

「こいつ……! 今すぐぶっ飛ばしてやる」


 怒りで我を忘れ、窓を開け放とうとしたあたしを、お兄ちゃんが止めに入った。

 お兄ちゃんどいて! そいつ殺せない!!


「まぁまぁ、大体会話の内容は察しがつくけどさ、今は抑えろ。それに猫、お前はもう帰れ。そこでそうして粘っていても、俺たちはお前を家に入れてやれないし、また明日駅で話そう」

「……まぁ、それもそうだにゃ。今日のところは帰るとするよ。じゃあにゃ」


 お兄ちゃんがエロ猫にそう言うと、エロ猫は随分あっさりと背を向け、暗闇の中へと消えていった。


「おぉ、本当に帰った。やっぱ俺の言ってる事理解できてるってことだよな」

「……お兄ちゃん信じてなかったの?」

「いやいや、もちろん信じてましたよ?」

「お兄ちゃん、目」



 そんな感じで、急襲したエロ猫は案外あっさり引き下がったのだった。


 どうやらお兄ちゃんも、半信半疑だったところを完全に信じてくれたみたいだし、エロ猫の目的も曖昧にだけど分かったり、案外この急襲も収穫があってよかったのかも。

 てか、そう思わないとやってらんないよ……。あぁ、なんかどっと疲れが……。



「大丈夫か? 晴奈」

「うん……。それよりさ、お兄ちゃんこそ明日本当にいいの? 由美と約束あるのに」


 あたしがそう言うと、お兄ちゃんは複雑な表情を浮かべて、その後に曖昧に笑った。


「うーん、まぁいいよ。由美ちゃんとの約束にはちゃんと間に合わせるし、暇してるといろいろいらんことまで考えちゃいそうでさ」

「いらんこと?」

「あー、いや、大したことじゃない。とにかく、明日は俺も付き合うから、朝ちゃんと起きろよ?」

「それこっちのセリフ」


 何かをごまかすようにその場を立ち去るお兄ちゃんの背中は、ちょっとだけ寂しそうに見えた。



 あたしもいろいろあって気が付かなかっけど、今日のお兄ちゃん、少し元気ないかも。

 まぁ、お兄ちゃんが元気いっぱいな時なんてそうそうないけど、なんか悩んでるみたいに見える。

 それと何か関係あるのかな?


「あー……、だめだ。もう寝よ」


 そこまで考えを巡らせたところで、あたしの脳は疲れて回らなくなってしまった。


 もう寝よう。それでまた明日考えればいいや。

 そうしてベッドまでの道のりを、ふらふらと歩んでいくのだった。

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