第4章 猫と秋晴れとちらつく影

小さな運命

第71話 ハートの猫は秋に物言う

「はいこれ、沖縄のお土産」

「……なにこれ?」

「いやだから、沖縄のお土産だって」

「そうじゃなくてっ、このお土産は一体何って聞いてんの」


 あたしがバカ兄貴から手渡されたのは、何かよくわからない黄色のモフモフだった。

 手足と目と口が付いているところを見ると、何かのキャラクターみたいだけど……、なにこれ?


「パイナップルのなっちゃんだってさ」

「……で、これをあたしにって?」

「そう」

「これ、有名な奴なの?」

「さあ?」


 荷物を片づけながら、バカ兄貴は首をかしげる。


 さあ? って、よくわかりもしないものをお土産に買ってきたのか、このバカ兄貴は……。


「いらないよ、こんなの。もうあたしも子供じゃないんだし、キーホルダーなんてつけないし」

「そうか? 俺が中学の時は女子はデスティニーのキーホルダーとかつけてたけど」

「それはデスティニーだからでしょ? こんなわけわかんないやつ、恥ずかしくてつけられないよ」

「そか。雪芽とおそろいだから買っていったら喜ぶかと思ったんだけど」


 ……え、雪芽さんとおそろい? うそ、雪芽さんがこんなのを買ったって言うの!?


「なっちゃんって夏希のあだ名なんだよ。雪芽が呼んでるんだけどさ。それでなっちゃんだぁって喜んで買ってたぞ?」

「……嘘じゃないよね?」

「んだよ。いらないなら捨ててもいいんだぞ」

「そこまではしないけどさ……」


 あんまりあたしが拒むものだから、お兄ちゃんも少しムッとした様子で投げやりにそう言った。

 さすがに貰ったものを捨てるわけないけどさ、でもなんかよくわからないキャラクターをつけるのはなぁ……。



「何よ晴奈~。お兄ちゃんいなくて寂しがってたのに、帰ってきたらつんつんしちゃって素直じゃないのねぇ」

「そうなのか?」


 居間で言い争っているあたしたちの声が聞こえたのか、台所からお母さんが顔を出して余計なことを言った。

 バカ兄貴はそれを真に受けて、意外そうな表情をする。


「なっ、なわけないじゃん! いつあたしが寂しいなんて言ったの!?」

「だって晴奈、お兄ちゃんはいつ帰ってくるのーとか、お兄ちゃんがいないと食卓が静かだねとか言ってたじゃない」

「そ、それはバカな兄貴がいなくなって清々したって意味で言ったの!」


 それでもお母さんはしばらくニヤニヤして、あたしの言い訳に耳も貸さなかった。


 そんなんじゃないってのに! 別にあたしはバカ兄貴がいなくて寂しいなんてことこれっぽっちもなかったし、こうして帰ってきたせいで独り占めできてたお菓子も取られるし、いいことなんてないっての!

 ……まぁ、話し相手がいなかったのは少し退屈だったかもしれないけどさ。



「それに、お兄ちゃんがくれたお土産。別につけなくたっていいじゃない。部屋に置いとくとかすればいいでしょ?」

「まぁ、それなら……」

「じゃあそうしなさい。ほら陽介、お風呂湧いてるから先入っちゃいなさい」

「はーい」


 ま、まぁ、よく見て見ればかわいい顔してるし、部屋に飾っておくくらいならいいかな?

 雪芽さんとおそろいって話が本当なら、それだけでこのよくわからないパイナップルにも価値があることになるし。


 ……ってそうじゃない! 私がお兄ちゃんがいなくて寂しかったなんていう誤解をされたままなんて屈辱!


 誤解を解かそうと振り返ると、もう二人はいなくなっていた。


「……ホントに、そんなんじゃないってのに」


 そう呟く言葉は、むなしく空を切るだけだった。





 ――――





「それで結局、今は部屋に飾ってあるってわけ?」

「そ。そういえば由美はお土産貰ったの?」


 あたしがそう尋ねると、由美は嬉しそうに頬を緩めた。


「それがまだなんだけど、今度会った時に渡すねって言われた~。これって陽介さんから会おうって言われたってことだよね!? やばいどうしよぉ!」

「いや、たぶんそれただ渡すために会うだけだと思うけど……。はいこれお土産って言って、そのままバイバイとかじゃない?」

「陽介さんがそんなことするわけないし! きっとそのままデートだよ!」


 あのバカ兄貴がそこまで気が回るわけないじゃん。あの人がお土産渡すために会うって言ったら、ホントにお土産渡すだけで終わるに決まってる。

 きっとそんなことを言っても、今の由美には届かないんだろうなぁ。なんか電車の揺れに合わせてふらふら揺れてるし。



 そんな由美の懐から、バイブレーションの音が聞こえた。

 どうやら由美のスマホに通知があったらしい。


 由美はあたしに断りを入れると、スマホの画面に目を通す。

 そしてその顔に喜色を浮かべた。


「陽介さんからメッセ来た!」

「え、お兄ちゃんから?」

「お土産この連休中に渡したいって。明日とかどうって……、これってデートのお誘いってことでいいんだよね! ねっ!?」

「デートじゃないってことだけは確かだな」

「いや絶対デートだしっ」


 その自信はどこから来るんだ。由美はちょっとお兄ちゃんに夢見すぎだと思う。


 それにしても、お兄ちゃんが由美にまでお土産買ってきてたのには驚いた。それをちゃんと自分の手で渡そうとしていることにも。

 きっとバカ兄貴のことだから、あたしに頼んで由美に届けさせるかと思ってたのに。いったいどういう風の吹き回しだろう。



 夏休みの始まりにあった何か。それがお兄ちゃんをそんな風に変えたのかもしれない。

 一見すればいい変化なんだけど、夏休み中のお兄ちゃんの雰囲気を見ると、本当にいい変化なのかはなはだ疑問だ。

 それでも今は少しだけ元のバカ兄貴の雰囲気が戻って来て、あたしはちょっとだけ安心したんだ。


 雪芽さんが倒れたときはものすごく焦っていて、明日世界が終わるって言われた人みたいな顔してたけど、雪芽さんが退院してからは少しだけ元気になってた。

 それでも修学旅行に行くまではなんか悩んでたみたいだったけど、昨日帰ってきたときにはもういつものバカ兄貴だった。


 ……ちょっと待って、雪芽さんがお兄ちゃんになにか影響を与えたのはほぼ確実として、雪芽さんの入院にあんなに動揺してたってことはもしかして……?

 ……いや、だったらもっと浮かれて、バカっぷりに拍車がかかってもいいはず。なのにお兄ちゃんはいつも真剣な表情で、不安気で、悲しそうだった。


 きっとあたしが知らない何かが、雪芽さんとお兄ちゃんの間にあったんだ。それがロマンチックな何かじゃないことだけは確か。


「明日かぁ〜。ねぇねぇ晴奈、お昼に誘ったら陽介さん来てくれるかな!?」


 ……今由美が妄想しているような何かでないこと。それだけは確かだな。


「さあね。バカ兄貴は基本暇だから付き合ってくれるんじゃない?」

「つ、つつ付き合う!? 晴奈ったら気が早いって!」

「何の話だよ……」


 ホント由美は人生楽しそうだよね……。



 でも、もしお兄ちゃんが雪芽さんの事好きだったとしたら、由美はどうするんだろう。

 まぁ、雪芽さんほどの人とバカ兄貴が釣り合うとは思えないから、万が一にもあの二人がカップルになることはないだろうけど、お兄ちゃんに好きな人がいるって分かったら、由美はお兄ちゃんを諦めるのかな。


「あっ、見て見て晴奈っ! 陽介さん明日お昼付き合ってくれるって! えっ、マジどーしよ!? 今日新しく服買ったほうがいいかな……?」


 案外、玉砕したお兄ちゃんに取り入って、由美がお兄ちゃんの彼女になったりして。


 ……あれ、なんでだろ。ちょっとだけモヤッとする。

 そんな未来を想像することが、嫌だ。

 だってその未来の中で、あたしは笑ってない気がしたから。


「晴奈? どうしたの?」

「え……? ううん、なんでもない。それより由美、服買うお金なんてあるの?」

「事情を話せばお母さんがお金出してくれるはず!」

「なにそれずるい」


 それ以上、由美は追求しては来なかった。

 だからあたしも、これ以上そのモヤモヤについて考えることをやめて、街についてからのことに思いを馳せるのだった。





 ――――





「結局ほぼ全身買ったじゃん。これでお金貰えなかったらどうするの?」

「だいじょーぶだって! 全部古着だし、値段もそこまでじゃないから」


 街から帰って来る頃には、由美は両手に紙袋を抱えていた。

 つられてあたしも少し買っちゃったけど、お小遣いもあまりないし、やめておけばよかったかな……。



「じゃーね晴奈。また明後日とか暇だったらあそぼ!」

「うん、分かった。じゃあまた連絡して」


 そうして由美は笑顔で手を振り、去っていった。


 朝会った時よりもいい笑顔しちゃってさ。よっぽど明日が楽しみなんだろう。

 どうせ由美が思うようなことは何もないっていうのにさ。


 ……あたしはなんでそんな意地悪なことしか考えられないんだろう。素直によかったじゃんって言えないんだろう。

 由美とお兄ちゃんが仲良くしているのが、由美の恋路がうまくいくことが気に入らないのは、なんでなんだろう。


 なんとなく、なんとなくだけど、友達とお兄ちゃんが恋人っていう絵面が気に入らないんだ。だってそうなったら由美のことお義姉ちゃんって呼ぶわけでしょ? なんかなぁ。


 考えだすとまたモヤモヤしてきて、なんだかすっきりしない。

 あぁ、もういいや! 考えても仕方ないし。でもなんかむしゃくしゃするから帰ったらバカ兄貴に文句言ってやろう。



 そう思って、あたしも家路につこうと一歩踏み出そうとした。

 しかし、何か小さな影がそれを遮った。




「お前は……、この駅の猫?」




 足元の毛玉は、この駅でよく見かける野良猫だった。

 黒と白の毛色をした猫で、誰かが餌でも上げたのか、ここに居ついている。

 体にハートの模様があるから、ハート猫とか、ハート柄とか、みんな適当に呼んでいる。


 ハート猫はあたしの足元にぴったり寄り添って、じっとあたしの顔を見つめていた。何か言いたげな瞳でじっと。


「……なにさ。何か言いたいことがあるならはっきり言いなよ」


 なんだかあたしが由美に向ける感情に文句を言われているようで、ついそんな言葉が口をついた。

 猫がしゃべれるわけないのにさ、何してんだろあたし。




「じゃあはっきり言うぞ? 中学生にもにゃってうさぎさんパンツっていうのはどうにゃの?」




「…………え?」



 この日、あたしはおかしな運命と出会った。

 それはちっぽけな猫の姿をしていて、ふてぶてしい目をしていて、言葉を解する。


 これはそんな、不思議な秋のお話し。出会いと別れのお話だ。

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