重なる想いと夏の終わり

第69話 互いの心は秘密に溢れている

 二人で話がしたいなんて言うから、喧嘩のことなのかなと思っていたのだが、目の前の夏希は一向に話し始める気配がない。

 なんだかもじもじしているというか、いつもの堂々とした感じがない。男っぽさが抜けているとでもいえばいいのだろうか? なんにせよ、水着姿ということもあってかやけに意識しちまうな……。


 いつだったか、夏希は自分に魅力がないとか言っていたけど、その健康的な肉体が、浜辺の男子たちの視線を集めていることに気が付いていないらしい。

 雪芽も人目を引くが、夏希も同様にそうだということを、少しは意識した方がいいと思うぞ? なんというかその、目のやり場に困る……。



「それで、話ってなんだよ?」


 そんなふうに無駄に意識してしまっているからか、夏希の顔をまともに見れないし、言葉もどこか硬くなってしまう。

 そのせいか、夏希もなかなか言葉が出てこない様子で、話を促してもなかなか口を開かない。


 それでもしばらくの後に言いたいことを整理するように、ポツリポツリと話し出した。



「陽介、その、あの時は感情的になって、いろいろ言っちゃったけど、あれが全部本心ってわけじゃなくて、頭に浮かんだ言葉をそのまま口走っちゃったっていうか、だからその……」


 夏希はそこまで言うと、不安げに俺の目を見て、それでもはっきりとその言葉を言った。


「ごめん、ね。陽介は親切で言ってくれてたのに、私は意地を張ってばっかりで」

「……いや、俺の方こそ夏希の気も知らずにいろいろ言って、押しつけがましかったな。確かに二人の問題にずけずけ踏み込んで、配慮が足りなかったと反省してる」


 思いの外素直な夏希の言葉に、俺も自然と言葉が口をつく。



 なんだかこんな風に面と向かって謝ったりするのは、子供じみて恥ずかしいと思うけど、きっと必要なことだから。

 だから曖昧にせず、しっかり言葉にして伝えないといけない。


「だからさ、俺の方こそごめん」


 夏希は首を振って、悪いのは自分だと言った。


「ユッキーがいなくなっちゃえばいいだなんて言ったけど、そんなこと、本当に思ってたわけじゃない。勢いでも言っちゃいけないことだって思う」


 それは……、そうだ。たしかにいなくなればいいだなんて、思っても口にしてはいけないことだと思う。

 俺に非があるとしても、その言葉だけは取り消してもらわないといけない。じゃないと俺は今後夏希を信用できなくなるから。


「だから、あの言葉、取り消してもいいかな? 私は、ユッキーの友達としていられるかな?」


 夏希は俺の期待を裏切らず、確かにそう言ってくれた。

 だからそんな風に不安げに、俺の様子を伺わなくたって、俺はもう夏希を許したんだ。


 雪芽と何があったのか知らないが、もうすっかり仲直りしたみたいだし、俺はもともと雪芽と夏希が喧嘩していることが嫌でお節介を焼いたわけだし。

 だから俺の答えも決まっている。


「ああ、あの言葉は取り消された。これで俺が怒る理由ももうない。雪芽とも仲直りできたみたいだし、もうあれこれ言う理由もないしな」


 俺がそう言うと、夏希は不安げだった表情を明るくし、満面の笑みを浮かべて言った。




「うん……! ありがとう!」




 子供みたいな笑顔だ。心の底から笑っている、そんな笑顔。

 夏希のこんな表情、最後に見たのはいつだったか。もう覚えてもいない。



 ……なんだか少し、雪芽のそれと似ているな。


 夏希も少し、雪芽と出会って、友達になって、喧嘩して仲直りして、変わっていっているのかもしれない。


 きっとそれは俺もそうだ。

 雪芽と出会ったあの日までの俺は、きっと夏希と喧嘩することも、怒ったりすることもなかった。

 何を言われても、何をされても、こじつけの理由で納得して、諦めて。


 でも今は、違う。

 今の俺は以前よりずっとわがままで、欲張りで。

 雪芽に生きててほしい。夏希と雪芽が友達でいてほしい。そんなことを願うようになった。


 その変化はきっと、いいもののはずだ。

 だって、こんな風に仲直りしただけのことで、俺は今こんなにも嬉しい気持ちになっているんだから。



「さあ、もう雪芽たちのところに戻ろうぜ。せっかく雪芽とも仲直りできたんだし、みんなで沖縄の海を満喫しないとな」

「陽介、あんたそんなキャラだったっけ?」

「……さぁな。沖縄の暑さでおかしくなってるのかもな」

「ふふっ、なによそれっ」


 そうして笑う夏希の笑顔は、憑き物が取れたように晴れやかで。

 そんな純粋な笑顔を前に、俺は思わず目をそらした。


 ……あれ、夏希ってこんなにかわいかったっけ? なんかちょっとドキッとした。


 それが、ここしばらく夏希の笑顔を見ていなかったせいなのか、水着のせいなのか、俺には分からなかった。


 でもきっと、夏希の中で何かが変わったんだ。

 そうでなきゃ、きっと沖縄の空気のせいだと、そう思った。



 夏希と一緒に雪芽たちの元へ帰ると、隆平が必死に雪芽と会話をしている最中だった。

 隆平は俺たちの姿を認めると、助かったといった表情を浮かべ、大きく手を挙げた。


「お待たせ、話は終わったよ」

「陽介~、お前後で覚えてろよぉ……」


 俺たちが雪芽たちと合流するなり、隆平は俺に小声でそう耳打ちした。

 さすがにまだ雪芽と隆平は仲良しってわけじゃないから、会話も一苦労だったみたいだ。


 雪芽も少しはましになったとはいえ、まだ男子と話すのは緊張するみたいで、俺と夏希の顔を見て安心した様子だった。



「なっちゃん、仲直りできたんだね」

「うん、ありがと、ユッキー」

「じゃあ仲直りも済んだことだし、海行こう! 海!」

「あ、じゃあ俺部屋からゴーグル取ってくる。陽介たちは先行ってていいよー」


 雪芽の提案に、隆平は何を思ったかそう言い残すと、砂浜を駆けて行った。


 あいつ、がっつり泳ぐ気満々じゃないか? 多分雪芽が言いたかったのは波打ち際で遊ぼうってことだと思うんだけど……。



 そうして隆平が走り去っていった先を眺めていると、雪芽が口を開いた。


「陽介も、なっちゃんと仲直りできてよかったね。私のお見舞いに来てくれた時も随分落ち込んでたもんね」

「い、いや、別に落ち込んでなんてないぞ? 反省していただけであって、そういうわけではなくてだな」


 俺がそうして言い訳をしていると、夏希が何か思い出したように声を上げた。



「あっ、お見舞いで思い出したけど、陽介が言ってたあれ、ユッキーに私が千羽鶴をあげたとかってやつ。あれなんだったのよ? 私覚えないんだけど、ユッキーはどう?」

「え、千羽鶴? 心当たりは何もないけど……」


 夏希が言い出したことに、俺はすっと、上半身の血が落ちていくのを感じた。


 言われてみて気が付いた。確かに俺はそんなことを口走っていたような気がする。

 あの時は頭に血が上ってたから、考えなしにあれこれ言っていたんだ。なんでそんなこと覚えてるんだよ、夏希……。


「あ、あぁ、あれな? あれは……、そう! 夢だよ、夢の話。雪芽が倒れたからさ、なんか悪い夢見ちゃって、それがあまりにリアルだったから、さ」

「へぇ、どんな夢だったの?」

「……いや、夢の話はいいだろ? なんか恥ずかしいし」


 自分のことが話題になっているからか、雪芽が俺が言った夢の内容に興味を示したが、話すわけにはいかないんだよ。

 だってあの夏休みは、確かに夢のような出来事の連続だったが、とんでもなく悪夢だったんだから。



「それよりも、夏希は前と同じ水着だけど、雪芽は前とは違うやつなんだな! そっちも似合ってていいと思うぞ?」


 俺が話をそらすためにそう言うと、雪芽と夏希は顔を見合わせてキョトンとした表情をしている。


 ……あれ? 俺そんなに変なこと言ったか?




「……えっと、陽介。前って、私たちプールとか海とか、一緒に行ったことあったっけ?」

「そうよ、私も陽介に水着を見せたのなんて随分前よね? それも学校の授業とかだし」




 ……あぁ、そうか。俺はまた……。




 俺は曖昧に笑みを浮かべ、何とか笑って見せる。

 でも俺の口から出て来る笑い声は、随分乾いていて、嘘っぽく聞こえた。


「は、ははっ、悪い悪い、それも夢の話だったわ! うんうん、夢で見るよりずっとかわいいぞ?」

「か、かわいい!? ……って、そうじゃなくてまた夢? それに夢の中の私の水着と、今の私のやつが一緒って、まるで予知夢ね」

「か、かわいい……。陽介が私のことかわいいって」



 ……どうやら誤魔化せた、かな。


 危なかった。夏休みの出来事は俺にとっては実際にあった出来事でも、こいつらにとっては全く知らない出来事なんだ。


 そんなこと、分かってたはずなのに。気を付けてきたはずなのに。ダメだなぁ、俺は……。

 こうしたふとした瞬間に、ぽろっと口からこぼれてしまう。


 だってこいつらは、俺と一緒にプールに行った時と同じ顔で、同じ声で、同じ口調でそこにいる。

 なのに記憶だけは違う。俺だけが知っているもしもの世界を、こいつらは知らないんだ。



「にしても、夢で私たちの水着姿を見るとか……。変なことしてないでしょうね?」

「……陽介、変態」

「いやいや、何もしてないし! てか夢の中くらい自由にしててもいいだろ!?」

「じ、自由にって、まさかあんた……!」

「うぅ~、陽介のバカぁ!」

「おいこら、勝手に話を進めるなっ!」


 思い出を共有できない寂しさも、こうして夢だと言い張ることしかできない虚しさも、感じる暇もなくこいつらは騒がしい。


 ……そう、だよな。思い出はこれから作っていけばいい。あの夏休みに負けないくらい、もっと楽しくて、決して忘れることができないような思い出を、たくさん。

 そうするために、俺はこの未来を目指したんだから。



「俺の夢の話はもういだろ? それよりお前たちは結局なんで喧嘩してたんだよ?」


 これ以上水着の夢を見たって話を掘り下げられると、ボロが出てしまいそうなので、話題を変えるためにそう言ったのだが、雪芽と夏希は顔を見合わせるだけで何も言わない。


「え~っと、それは……。ねぇ、なっちゃん?」

「ええ、そうよね。ユッキー」


 そうして何が楽しいのか二人笑い合うと、同時に俺を見て、声をそろえて言った。




「「秘密!」」




 その顔がなんだかいたずらの成功した子供の様で、俺は茫然とただその笑顔を眺めていた。

 そしてようやく出てきた言葉は、ため息交じりの呆れたようなものだった。


「またそれかよ……」


 でも、なんだかそれでも悪い気分じゃない。

 きっと今の俺の顔を鏡に映したら、幸せそうに笑っているに違いないと、そう思った。



 それからの海水浴の時間は、隆平が帰って来てから海でひと泳ぎしたり、砂浜に寝転がって埋まっている男子の胸を巨乳にしたりして楽しく過ぎていった。

 雪芽たちは貝を拾ったりしていたから、あちらもあちらで楽しんでいたようだ。


 そうしてホテルに戻り、風呂に入ったのちに夕食となった。

 風呂の時間に、男子たちが女子の風呂の時間に覗きに行こうとして先生につかまったりする事件があったが、概ね平和に過ぎていった。



 そうして就寝時間までのちょっとの自由時間、俺はなんだか興奮冷めやらなくて、ベランダに出て星を眺めていた。


 手すりに背中を預け、口をだらしなく開いたまま見る星空は、夏休みのキャンプをした時に見た星空とは違って見えた。

 具体的に何が違うのか、それは分からないが、確かに何かが違って見えたのだ。


 それは場所が違うからか、独りで見ているからか、あるいは俺の気持ちがあの時とは違うからなのか。



 そんなことを思っていると、上の階のベランダに誰か出てくる音がした。

 確か上の階は女子の部屋だったから、俺と同じようなことを考えた奴が外に出てきたのかもしれない。


 ずっと見上げていて目でもあったら気まずいと思い、部屋に戻ろうとしたところで俺は足を止めた。

 上の階から聞こえてきた声に、聞き覚えがあったからだ。


「ん~、夜になると涼しくて気持ちいなぁ。なっちゃんも来ればよかったのに」

「……雪芽?」

「……あれ、陽介? なんで陽介が下にいるの?」


 俺は先ほどと同じ体制で上を見上げ、声をかけてみると、雪芽がベランダから顔を出した。


「いや、この部屋が俺たちの部屋だからだよ」

「あぁ、それもそっか」


 そう言ってはにかむ雪芽は、もうすっかり元気な様子で安心した。

 それでもあの時だって元気だったのに急に倒れたんだ。安心はしても油断はできない。



 雪芽が倒れるきっかけは、今のところよくわからない。


 初めは俺との関係が親友であれば大丈夫なんだと思っていたけど、今回は俺と雪芽の間には何もなかった。

 夏希とのことで、雪芽の俺を見る目が変わった可能性はあるかもしれないが、高くはないだろう。



 雪芽が倒れるきっかけについては飯島さんがある仮説を立ててくれた。

 確かにそれは今回のことも、夏休みを抜けた時のことにもそくしているし、概ね正しいとは思う。


 でもまだはっきりしたわけじゃない。倒れるきっかけをはっきりさせて、対策を講じない限り、俺たちに真の安寧は訪れない。日常は戻ってこないんだ。



「なぁ、雪芽は倒れる直前、何を考えてたんだ?」

「え? 急にどうしたの?」

「いや、元気だったのに急に倒れたから、ちょっと気になってさ」


 俺がそう聞くと、雪芽は手すりに頬杖をついて思い出すように言った。


「う~ん、あの時はなっちゃんには敵わないなぁって思ってたの」

「敵わないって、足の速さか?」


 そう言うと雪芽は笑って、首を振る。

 それに合わせて後ろに束ねた髪が、左右に揺れた。


「違うよ、運動じゃもともとなっちゃんには敵わないし」

「じゃあなんだよ?」


 すると雪芽は懐かしむような顔をした後、楽しそうに微笑んで、


「秘密っ」


 またそう言うのだった。



 その答えが、雪芽の倒れた原因に関わってきているんじゃないか。そう思っての質問だったのだが、また秘密か。


 でも、雪芽が秘密にしていること以上に、俺は大きな秘密を抱えている。

 だから無理に聞き出すことはできないし、するつもりもない。


「ほんとに雪芽は、そればっかだな」


 だから俺はそうして笑うことにした。

 秘密を秘密のまま、お互いに隠しあって。その秘密を明かす日が、いつか来るとも分からずに。



「……なぁ、来年の夏休みにさ、みんなでキャンプに行こうぜ。そして星空を眺めるんだ。きっと今見ている星空よりも、ずっと綺麗だと思うからさ」

「キャンプかぁ、私したことないからやってみたいかも」

「あぁ、だからそれまで元気でいてくれよ?」

「うん! 陽介がいれば大丈夫な気がするっ」


 そんな風に、星空を背景に笑う雪芽の笑顔を、きっと守っていこうと心に誓った。

 来年の夏も、その次の夏も、この先ずっと、雪芽が笑顔でいられるように。

 そんな密かな誓いを胸に、修学旅行最後の夜は更けていく。


 やがて就寝時間になるまで、俺は雪芽と他愛ない話をした。

 そんなささやかなことが当たり前にできる今を、噛み締めながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る