第67話 罪への罰は正座に説教

「なんかこうして並んで歩くの、久しぶりだね」

「そうね。手を繋いだのなんて初めてじゃない?」

「そうかな?」

「そうよ」


 ひとしきり泣いた後、私たちは手を繋ぎ、砂浜を歩いた。

 約束していた砂浜の向こう側まで、ゆっくりと。

 たどり着いたら帰らなくちゃいけない。そう思うとちょっとだけ名残惜しい気がする。



 視線を感じて横を向くと、ユッキーと目が合った。

 そうして二人顔を見合わせて、お互いひどい顔だと笑いあった。

 でもユッキーの顔は、憑き物が取れたように晴れやかで、きっと私も似たような顔をしているんだろうと思った。


「あーあ、もう着いちゃった」

「そうね。ちょっと名残惜しい気もするけど……」

「でも、修学旅行はまだはじまったばっかりだよ、なっちゃん! これからもっと楽しいことがたくさんあるんだから!」

「ふふっ、ええ、そうね」



 そうだ、もう落ち込むことは何もない。あとはユッキーと一緒に修学旅行を楽しめば――


「……って、何か忘れてると思ったら、私まだ陽介と仲直りしてないじゃない!?」

「あっ……」


 どうやらユッキーは私が陽介とも喧嘩していたことを知っていたようで、今思い出したといった表情を浮かべる。


「ど、どどどうしよう!? 私結構ひどいこと言っちゃったのよね……。陽介、私のこともう嫌いになってるかも……」


 私が絶望に打ちひしがれていると、ユッキーは明るい声で励ましてくれた。


「大丈夫だよ、陽介も反省してるって言ってたし、きっとすぐ仲直りできるよ!」


 どうやら陽介は、私と喧嘩していることをユッキーに話していたようだ。

 陽介から話したというより、きっとユッキーが気付いたんでしょうね。あいつ、結構顔に出るから。


「そうだといいけど……」


 陽介があんなに怒ってたの初めてだったし、ユッキーが言うほど簡単にはいかないと思うんだけど……。



 チラリとユッキーを見ると、彼女は何やら真剣な表情で考え込んでいた。

 しばらくすると顔を上げ、キラキラと輝く瞳で私を見つめる。

 なんだか嫌な予感がするんだけど……。


「よし! じゃあなっちゃん、今から陽介と仲直りしに行こう!」

「はぁ!?」


 い、今から? 今から陽介を呼び出して、そこで仲直りしろって!?

 む、無理無理! 今はさっき散々泣いた後だからひどい顔だし、まだなんて言って謝っていいのか見当もつかないし、無理だって!


「これから陽介の部屋に行って、陽介を呼びにいこっ」

「は、はぁ!? 部屋に行くって、今何時だと思ってんのよ!?」

「時計持ってないからわかんないよ」

「そうじゃなくてっ、もうとっくに就寝時間ってことよ! 私たちがこうして外にいること自体不味いのに、加えて男子の部屋に行くとか、もう大問題よ!? いろいろと!」

「そうなの?」

「そうなの!」


 あぁ、もうびっくりしたぁ! ユッキー急に変なこと言いだすんだもの。

 こんな時間に男子の部屋に行くとか、不味いじゃない? その、いろいろと。

 そんなこともユッキーは分からないの?


 ……って、あぁ、そうか。

 ユッキーにとって修学旅行は初めてのことで、就寝時間に外に出ることも、男子の部屋に行くことも、どれだけ危険なことか分かってないのかもしれない。


 ……いや、さすがにそれはないか。ユッキーのことだし、単にそこまで気が回ってないだけかも。


「じゃあ、しょうがないね。今日のところはあきらめて帰ることにしよっか」

「うん、それがいいわ」


 そうしてなんとかユッキーを説得することに成功し、私たちは砂浜をホテルに向かって歩き始める。


 砂浜に吹く風は少しだけ冷たかったけど、繋いだ手は熱いくらいだった。



「それでなっちゃん、就寝時間に外に出るとどうなるの?」


 そう聞くユッキーの顔は、本当に何も知らない様子で、私は思わずため息をこぼしそうになる。


 この子は本当に見ていて危なっかしい。純粋というより無知なだけじゃない? 私が側で守ってあげないといろいろ危ないわね……。本当に仲直りできてよかった。



「いい? 就寝時間に部屋から出るということは、よっぽどの理由がない限り重罪なの」

「じゅ、重罪……?」


 私の言葉にユッキーは不安そうに顔を歪める。


 さすがに重罪までは言い過ぎかもしれないけど、でもそれくらい脅しておかないとユッキーはまたやりかねないし。


「そう。例えるなら牢屋にとらわれた囚人が脱獄するくらいの罪よ」

「そ、それはすごいことだね……」


 ユッキーはようやく自分がやらかしたことの重大さに気が付いたようで、沈痛な面持ちを見せる。



 だがその罪も、ばれなければ罰せられない。ばれなければ犯罪じゃないのよ。

 ……でも、ばれた時には凄惨な罰が待っている。


「そして万が一先生たちに見つかった日には、とんでもない罰が待っているわ」


 ユッキーは生唾を飲み込み、私の言葉の続きを待っている。

 私も意を決して口を開いた。考えるだけでも恐ろしいその罰の名を。




「その罰とは、1時間の正座よ」




「…………え? 正座?」


 ユッキーは私の言葉に驚き、声も出ないようだ。


 それもそうよね。あんなに恐ろしいこと、想像するだけで言葉を失ってもおかしくない。



「かつて、こんな奴らがいたわ」


 そして私は語りだす。かつていた馬鹿どもの話を。


 あれはたしか、中学の時の修学旅行の夜だった気がする。就寝時間になってから外に出た男子がいたらしいという話だ。

 その男子たちは、ホテルを探険したかったようで、複数人で外に出たという。先生にばれたら一大事、説教されることは必至だったが、彼らは探険という響きに抗えなかった。


 そして悲劇は、探険を終えた男子たちが、意気揚々と部屋に戻ってきたときに起きた。



「何があったの?」

「見回りに来ていた先生に見つかったのよ。そしてお説教が始まったの」


 部屋の扉の前に正座させられ、1時間ほど説教をされたという話だ。

 その話は翌日学年中に伝播でんぱして、男子たちはしばらくの間そのことでいじられることになるのだった。


「でも、それくらいなら大したことないんじゃ……?」


「何言ってるのよ!? 後に修学旅行の話題が出るたびにそうしていじられるのよ? 私なら耐えられない! ……まぁ、これは中学の時だからそうなる確証はないけど、どこの中学でも同じようなことがあったらしいから、高校になっても同じような罰が待っている可能性は高いってことよ」



 そんな話をしているうちに、私たちはホテルのエントランス前まで戻ってきた。


 チラリと中を伺った限りでは、先生の姿は見えない。今なら行けそうね。



「でも、私たちはもうホテルの外に出ちゃったよ? どうするの?」

「どうするのって……、なんとかばれずに戻るしかないでしょ」

「大丈夫かな?」

「今ならエントランスを突っ切れそうね。行きましょ」


 そうして私はユッキーの手を引いてホテルのエントランスに突入する。

 自動ドアをくぐり、素早く階段の下まで移動する。



 こうしてばれないように階段の様子を伺ったりしていると、昔陽介が一人でやっていた遊びを思い出すわね。

 なんか、ヘビがどうとか言って、スニークミッションだとかなんとか。そんなことを言ってあちこち隠れながら移動してた。


 あの時は何をバカなことをしているんだと笑っていたけど、今こうして我が身に降りかかると、中々に笑えない。



 そうして階段を突破し、私たちは何とか3階へ。


 私たちの部屋は遥か上階、7階にある。本当はエレベーターを使いたかったけど、あれは音が大きくて目立つし、大変だけど階段で行くしかない。



「……先生たち、いないね」

「そうみたいね。飲み会でもしてるのかも」

「飲み会?」

「夜には先生たちでお酒を飲むんだって、隆平たちが言ってたのを聞いたわ」


 もしそれが本当で、今この時間に行われているとしたら、私たちはほぼノーリスクで自室に帰ることができる。


 そう願いながら階段を次々突破していく私たち。もしかしたら案外あっさり帰れるかもしれない。


 そうして私たちはついに、自室のある7階に到達した。



「……クリア」

「なっちゃん、さっきから時々呟いてるけど、それなに?」

「なんでも、陽介曰く誰もいなかったら言わないといけないらしいわよ?」

「……なにそれ?」

「さあ? 私もよくわからないけど、何かのおまじないとかじゃないの?」


 そんなことを言いながら、私は左右に伸びる廊下をチラリと見やる。

 どうやら誰もいないみたいだけど……。行けるかな?



 そう、階段は案外簡単に突破できるのよね。

 先生たちに見つかるリスクがあるのは各階につながる踊り場だけ。そこさえ突破してしまえば、隠れるのは容易だ。


 でも、廊下はそうはいかない。見通しがよく、遠くからでも発見されるリスクがある。

 そのうえ隠れることができるのは部屋の中のみ。つまり、一気に移動して自室に入るしか逃れる方法はないわけ。



「……ユッキー、覚悟を決めなさい」

「う、うん。なっちゃん、目が本気だね」

「当り前よ、ここでばれたら陽介と仲直りした後に笑われ続けるに決まってるもの。それだけは嫌よ」

「そ、それは確かに私も嫌かも……」


 私たちは二人して神妙な面持ちで頷き合い、廊下の先を見る。


 ……大丈夫、誰もいないわね。行くなら今ッ……!



 私は腰を落としたまま一気に踊り場から飛び出す。

 それにユッキーも遅れず付いて来る。運動は苦手らしいけど、これなら大丈夫そうね。


 足音は立てないように走らず、けれど急ぎ足で廊下を進んでいく。

 1つ、2つ、部屋のドアが通り過ぎていくたびに、部屋番号がひとつづつ増えていく。


 そしてついに、私は自室の部屋のドアノブに手をかける。

 ゆっくりとドアノブを押し下げ、ドアを引く。


 後方を確認しつつ、ユッキーを先に中に入れ、私も続いてドアの内側に素早く潜り込んだ。


 ……大丈夫、誰にも見られてないわね。



「やったわね! ユッキー、私たちはこれで――」


 部屋に入って私は言葉を失った。

 それはユッキーも同様で、ただ茫然と部屋に立ち尽くしていた。


 そして私も目の前に立ちふさがる人影に、思わず言葉を失った。



「あらら、おかえりなさい?」

百瀬ももせ先生……」


 私の呟きに、目の前に立つ先生は優しげな笑顔を浮かべる。

 しかしなんでだろう? 笑顔のはずなのにとっても怖い……。


「随分と遅いじゃないですか。もう就寝時間はとっくに過ぎているというのにねぇ?」

「先生、なっちゃんは、夏希ちゃんは悪くないんです! 私が誘って、それで……」

「あらら、そうなんですか? 私はてっきり小山さんが池ヶ谷さんをたぶらかしたんだと思っていましたが……。なにか事情があるなら話してみてください」


 ユッキーの言葉に、先生は驚いた表情を浮かべる。


 私がたぶらかしたって、とんだ言いがかりね。百瀬先生は物理の担当だから、私とはあまり縁がないし、適当なイメージを持たれていてもおかしくないけど……。



「なるほどそうですか……。池ヶ谷さんは成績も優秀ですし、不良行為を働くために部屋から出たわけではないと察しはつきますが、それでもいけないものはいけないんです」


 先生はユッキーから事情を聴いて矛を収めるも、そのまますんなりと、じゃあお休みなさいというわけにはいかないらしい。


「はい、じゃあそこに正座してください」

「うぅ、結局こうなるのね……」

「なっちゃん、覚悟を決めよう!」


 そういうユッキーの顔は、真剣で。

 そのセリフは私がさっき言ったものだけに、ただ頷くことしかできなかった。



 そうして私たちは覚悟を決めて先制の前に正座し、先生はそれを見て満足げに頷く。


「いいですか? そもそもこんな遅い時間に女の子が外に出るということは――」


 お説教が始まり、先生が何かを言うたびに私たちは返事をした。


 布団の敷かれた座敷では、結奈が苦笑いで私たちを眺めていて、ヒナは気にもせずに寝息を立てていた。


 結奈はともかく、ヒナにばれなかったのは幸いね。ヒナはおしゃべりだからお説教されているところなんて見られたら、明日にはクラス、いや学年中にこのことが知れ渡ってしまうところだった。


 結奈にはあとで口止めしておかないと。

 ……駅前の高級ドーナッツで勘弁してくれるかな?



 そんなことを考えながらお説教を受けていると、私が思っていたよりも早く、先生はお説教を切り上げた。

 時間にして大体10分くらいかな? ホテルの外にまで抜け出した割には短くてラッキー!


「――ということで、もうしないように。いいですね?」

「「はい……」」


 同時に返事をしたユッキーと一瞬目を合わせ、案外大したことなかったとほくそ笑む。


 その時、後ろのドアが開き、新たな人影が部屋に入ってきた。



「お待たせしました百瀬先生。お前らなぁ、ゆっくり寝ることもできんのか?」


 後ろを振り返ると、見慣れた顔が呆れたように立っていた。


「あらら、山井田先生、ちょうどいい所にいらっしゃいましたね。後はお願いします」

「はい、本当にご迷惑をおかけしまして……。お前ら、いいか? そもそもこんな遅い時間に女子だけで外に出るということは――」


 そうして始まったお説教の第2ラウンドに、私は勘弁してくれという思いを顔に出さずにはいられなかった。

 隣のユッキーに目をやると、彼女も同じような表情をしていた。


 なんだかその様子がおかしくて少し顔がにやける。

 そもそもこんな風にお説教されてるのはユッキーのせいだっていうのに、不思議なくらい怒りの感情はわいてこない。



「――ということで、次はないからな。わかったらもう寝ろ」

「「はい、すみませんでした……」」


 なんとか笑いをこらえてお説教をやり過ごし、先生たちが部屋を出ていくまで殊勝な態度で正座を続ける。


 やがて足音が遠のき、聞えなくなった辺りで、私は耐えきれなくなって噴き出した。

 するとほとんど同時に隣でも笑い声が聞こえて、振り向くとユッキーもくすくすと笑っていた。


 私たちは顔を合わせて再び笑いあい、その様子を結奈だけが不思議そうに見ていた。



「なに笑ってるのよユッキー?」

「だって、なっちゃん何も悪くないのに、ふふっ、正座してるし!」

「あははっ! ホントよまったく!」


 そうして二人して笑いあった。

 何がそんなに面白いのか、私にもよくわからない。

 ただ、嬉しかった。こうしてユッキーと何でもないことで笑いあえることが。一緒に並んでいられることが。

 それはきっとユッキーも同じなんだと、彼女の笑顔を見てそう思った。



「何がおかしいのさ、二人とも……」


 結奈は呆れたようにそう言ったけれど、その表情は安心したようにも見えた。



 それからしばらくの間、私とユッキーは何でもないことが嬉しくて、笑い続けた。

 布団にもぐりこんでも、部屋の明かりが消えても、小さな笑いが止むことはなかったのだった。

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