第66話 その結末は月に祝福されて

好敵手ライバル……?」

「そう! 好敵手ライバルだよ!」


 そう話すユッキーの顔は、なんだか楽しそうだった。

 新しい発見をした子供のような、そんな純粋な目。


 まったく、ライバルの意味分かってるの!?


「それって結局敵対してることに変わりはないじゃない! 今までと何が変わるっていうのよ!」

「ううん、違うよなっちゃん。好敵手ライバルは競い合う友達のことだよ」

「そんな都合のいいことがまかり通るとでも!?」

「うん」


 はっきりと頷くユッキーに、私は一瞬言葉を失う。


 そんな、そんな風に簡単に解決できる問題じゃないっ。だって、私とユッキーは同じ人を好きになって、そのためにこんなに苦しんで、それでも友達でいようだなんて、そんな都合のいいこと……!



「む、無理よ! そんな簡単に割り切れる問題じゃない! たとえ仲直りできたとしても、もう前みたいに3人一緒に笑うことなんてできない!」


 でも、と。私の中のもう一人の私は囁く。

 それはとっても魅力的じゃない。何が不満だっていうのよ?


 私だってユッキーと友達のままでいたい。出会ってすぐあんなに仲良くなれたのはユッキーが初めてなくらいなんだから、喧嘩したままは嫌だ。


 だけど、素直に頷けない。頷いてしまえば、陽介をユッキーに取られてしまう気がして。


「無理じゃないよ」

「どうしてそう言い切れるのよ!?」

「なっちゃんも陽介も諦めないって決めたから」


 そんな一方的な言葉を放つユッキーの目は、そう信じて疑うことのないまっすぐな目だった。

 その目に見つめられて、私は感情が高ぶるのを感じた。



「決めたって……! それだけで変えられるならこんな苦労はしないわよ! それに私には勝ち目がなくて、ユッキーと競い合うことすらできないんだからっ! その関係を認めてしまったら、私は同時に陽介を諦めることになっちゃうのよ!!」


 それでもユッキーの瞳は揺るがない。

 なっちゃんなら大丈夫、私は知ってるよ? そんな風に言われているように感じた。


 違うのよユッキー、世界はそんなに簡単じゃない。あんたが望んだだけで変わるほど、私は単純じゃない!

 何もかも信じて疑わないような、そんな目で私を見ないで!


「勝ち目がないのは私だよ? なっちゃん」

「違う! 陽介はユッキーのことを特別に思ってる! あいつがあんたに向ける目は、ただの友達に向けるものじゃないのよッ! 何年も一緒にいた私は分かる! ユッキーだって感じてたはずよ!?」


 するとユッキーは曖昧に頷き、寂しそうに笑った。


「うん、気がついてはいたよ? 陽介が私のことを気にかけてくれていること。でもそれは好きとか、そういうものじゃないと思う。心配でいつもはらはらしている感じがするもん。多分手のかかる妹みたいに思われてるんじゃないかな」

「それでも、陽介はユッキーのことばかり見ている! ユッキーを中心に回っている! ユッキーのことを好きになるのだって時間の問題よ!」



 そう、それが決定的な要因。私がユッキーに勝てない一番の理由。


 確かにユッキーの言う通り、私と陽介の間にはそれなりに長い付き合いがある。ユッキーよりも陽介のことはよくわかってるつもりだし、ユッキーが勝ち目がないなんて言う理由も、少しはわかる気がする。


 でも、ユッキーは私と初めて会った時すでに、陽介の気持ちを奪っていた。



 陽介は夏休み前とは別人のようになっていた。

 いつもどこか遠くを見つめていて、その瞳の奥に悲しみを隠して、大人みたいに笑っていた。


 何があったのかはわからない。それでもきっと陽介が変わったのはユッキーのせいだ。

 だって陽介は、ふとした瞬間にユッキーを見て悲しげな目をしたり、ユッキーが楽しげに笑うと、その一瞬を噛み締める様に微笑むのだから。


 ユッキーはどうやったのかは分からないけど、陽介の親愛を受けている。確かに今は妹みたいに扱われているかもしれないけど、いつそれが好意に変わってもおかしくない。

 そんな状態で、私に勝ち目なんて、やっぱりないのよ。



「……じゃあ、なっちゃんはこのままでいいの? 陽介と喧嘩したままで、私ばっかりが陽介の傍にいて、なっちゃんが言うようにいつか陽介の私に向ける感情が、好意に変わるまで待ってるつもりなの?」

「それはっ……! でも、なんでユッキーは私を助けるような真似をするのよ!? このまま私のことなんて放っておけば、陽介を独り占めできるかもしれないのよ!」




「友達だからだよ!!」




 とも、だち……?


 ユッキーの発した叫びに、私は少しの間呆気にとられる。

 ユッキーがこんな風に大きな声を出すなんて、思いもしなかったから。



「勝ち目とか、敵だとか、そんなのどうでもいいの! 私はなっちゃんに敵わないって思ってて、なっちゃんは私に敵わないって思ってる。それならフェアでしょ!? ならいいじゃん!」

「だ、だって陽介にとってユッキーは特別で――」


「そんなのなっちゃんだって一緒だよ! 陽介があんなに本気で、なっちゃんのために走ったのは嘘だったっていうの!? あれは私にはなっちゃんを庇ったように見えたよ? なっちゃんのせいで1位を逃したら、クラスの皆からなっちゃんが攻撃されるのは目に見えてたもん! 違う!?」


「それは私じゃなくてユッキーだったとしても同じことしたわよ! あいつならッ!」

「確かに陽介は優しいから、私が同じミスをしたとしても助けてくれると思うよ? でも私じゃなくて相沢さんだったら? 庭さんだったら? 陽介はあそこまで本気にはならなかったんじゃないの!?」


 ……そう、かもしれない。


 陽介が結奈やヒナのために本気で走る姿を、私は想像できない。

 それは陽介と結奈たちがそこまで仲良くないからかもしれないけど、たとえば隆平が同じようにミスをしたとして、陽介は本気で走ったのかな?


 答えは分からないけど、陽介がユッキーと同じくらい私のことを大切に思ってくれているとしたら……。



「なっちゃんばっかりが苦しんでたわけじゃないんだよッ!? 私だって、陽介との思い出がたくさんあるなっちゃんが妬ましくて、陽介と一緒に走ることができるなっちゃんが羨ましかったッ! こんなに苦しくて辛いくらいなら、陽介のことなんて好きにならなければよかったって思った!!」


 その告白は、きっと私が抱えていたものと同じ気持ちだ。

 相手が持っていて、自分が持っていないものにばかり目が行って、妬ましくて、羨ましくて。

 それに遠く及ばない自分が情けなくて、悔しくて。

 そんな風に汚い感情ばかりを覚える自分が嫌になってくる。


 きっとそんな気持ちを、ユッキーも抱えていたんだ。


「私が陽介を好きになる前になっちゃんに出会っていれば、なっちゃんが陽介のことを好きだって気が付いていたら、きっと私はすんなりと諦められた! 陽介のことなんて好きにならなかった!!」


 ユッキーの叫びは、徐々に湿り気を帯び、震え始めた。

 今までため込んでいた思いが、せきを切ったように溢れてきているんだ。陽介に喚き散らしたときの私と同じように。


「でも私は陽介のことを好きになっちゃったッ! その後になっちゃんが現れて、勝てっこない、諦めようって思っても、もう遅かったの!」


 ユッキーはついにその目から涙を流した。

 それは月明かりに輝きながら、砂浜に吸い込まれていく。


 そうして涙を流しながらも、ユッキーは私の目を見つめたままだった。




「だって一度好きだと気づいたから! もうその気持ちをなかったことになんてできないよッ!!」




 そうしてユッキーは駆けだす。

 砂浜に、さっきよりも広い間隔をあけて足跡が刻まれていく。


「ユッキーッ!」


 私はそれを追いかけた。

 ユッキーの足跡の隣に、私の足跡が刻まれていく。



 ユッキーはしばらく走ると、ふいに立ち止まった。

 そして目元を拭い、背を向けたまま小さく呟く。


「だから私、決めたの」


 その声は潮騒しおさいにかき消されそうだったけど、何とか聞き取れた。


「諦められそうにないなら、諦めなければいいって。でも、それでなっちゃんと友達じゃなくなっちゃうのは嫌だった」


 そう、その2つは相容れないもの。どちらか片方しか選べない選択肢。

 だから両方選ぼうなんて夢物語は、叶いっこないのよ。


 でも、なぜか私はそう一蹴に伏すことができなかった。



「自分の気持ちに素直になって、考えてみたの。そうしたら、私は両方とも諦めたくないって思った。だからその両方を叶えちゃおうって、そう思った」


 自分の気持ちに、素直に……。

 その言葉を、私は知っている。


 じゃあ私はどうしたいんだろう? そう自分に問いかけてみて出てきた答えは、そんな夢物語が現実になったらいいなってことだった。


「なっちゃんはどう? やっぱりなっちゃんはこんな私とは友達でいてくれない?」



 ……まったく、私は何を意固地になっていたんだろう。

 不安で小さくなったユッキーの背を見て思う。


 ユッキーが私と同じ気持ちでいて、私とユッキーは対等だって知って。

 私だけが苦しくて、辛かったわけじゃないって、少し考えればすぐにでもわかりそうなものなのに。

 私は悪くないってユッキーを敵に仕立て上げていた。


 私は単に、後からやってきて、陽介とあっという間に仲良くなったユッキーに、嫉妬していたんだ。

 後から来たくせに、陽介は私のものなのに、って。

 ユッキーが陽介を諦めるのが筋だなんて勘違いをして、意地悪ばかりしていた。


 陽介は誰のものでもないし、後とか先とか、そんなことは関係ないって、分かってたはずなのに。

 ……本当に、私は何をやっていたんだろう。



 そうと分かったなら、目が覚めたのなら、もうこんなことはやめにしよう。

 だってユッキーの笑顔は本当に幸せそうで、素敵なんだもの。涙なんて似合わない。


 ユッキーとまた前みたいに笑って過ごせるなら、好敵手ライバルだって悪くない。そんな風に思えてくる。



「ううん、そんなことない」


 だから私も素直になろう。いつまでもつまらない意地を張ってないで、意味の分からない虚勢を張ってないで、本当に自分がやりたいことをしよう。


「私だってユッキーと同じよ。ユッキーと友達のままで、陽介も好きなままでいる。それが一番いいことだと思うから」


 そんな夢物語がもし叶うなら、それはとっても素敵なことだと思うから。




「じゃあ、私と一緒だっ」




 振り返ったユッキーは、砂浜を歩き始めたころと同じセリフを言った。


 でもその時と表情は打って変わって明るい。

 それはまるで小さな月がもう一つ、私の目の前に現れたように感じられて。


 とびっきりの笑顔で涙を流すユッキーに、私はたまらず駆け寄る。

 そして力いっぱい抱きしめて、ユッキーはこんなに華奢だったんだと実感する。


 こんな細い体に、私はなんて酷いことをしてきたんだろう。



「ごめん、ごめんねっ……! 私ユッキーにひどいことばかりしたっ」

「ううん、私もなっちゃんの気持ちも考えずに、勝手なことを言って、ごめんねっ」


 ユッキーの流す涙が、私の肩を濡らす。

 そこはほんのりと温かくて、その温かさが胸にみた。


「私、本当は分かってた。ユッキーは何も悪くないってこと。なのに陽介をユッキーに取られたなんて、陽介は私のものじゃないのにね」


 分かってた、分かってたのよ。

 それでも素直になれなくて、一言謝って仲直りすれば、それでよかったはずなのに。

 敵同士だから、なんて虚勢を張って、絶対に負けないなんて息巻いて、バカみたいだ。


「それなのに私、ユッキーに辛く当たって、友達なのに敵だなんて言って、お見舞いにも行けなくてっ! つまらない意地ばっかり張ってて、ごめんねっ」


 私の頭の横で、ユッキーが必死に首を振っている。

 声も出せずに、ただ嗚咽だけをらして、それでも必死に否定しようとしてくれている。


 そんなユッキーにつられて、私までなんだか声が震えてきた。



「私だってユッキーと仲直りしたかった! 友達に戻りたかった! 楽しいことがあっても一緒に笑えないことが辛かった!」


 一つ言葉を吐き出すたびに、私の中から溢れて来るのは、涙だ。

 感情のままに言葉を叫んでも、それは汚いものじゃない、ただ純粋な気持ちが溢れて来る。


「素直になれない自分が嫌になって、不甲斐なくてっ。それをユッキーにぶつけた! そうしたら引くに引けなくて、意固地になって、だから仲直りなんて出来っこないって、そう思ってたっ」



 言いたかったこと、言えなかったこと。それを口にするのは思っていたほど難しくなかった。


 ……素直になるのは言葉で言うほど簡単じゃないって、そう思ってた。

 でも、今になって分かった。私が思ってたほど、素直になるのは難しいことじゃなかったって。


「もし、もしユッキーが許してくれるなら、こんな私ともう一度――」


 だってこんなにもすんなりと、言いたかった言葉が口をつく。


 恋と友情、どちらも諦められない、大切なものだから。

 まずはこの底抜けに純粋で、守ってあげないと心配でしょうがない女の子と、もう一度――


 私はそっとユッキーから離れて、しっかりとユッキーの目を見つめる。




「――友達に、なってくれるっ?」




 きっと嗚咽で何を言っているか聞き取りづらかっただろう。それでもユッキーはしっかりと頷いた。


「うん! うんっ! うんっ……!」


 何度も、何度も、ユッキーは頷いた。

 その度に私は胸がいっぱいになって、溢れる気持ちを抑えきれなくなっていく。




「これで私たちは、友達だねっ……!」




 そう言って笑うユッキーの笑顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだったけど、その笑顔は私が見た中で一番綺麗な笑顔だと思った。



 それから私たちは、しばらくの間抱き合って泣いた。

 月だけが見守る砂浜で二人、大声で泣き続けた。



 私はごめんねとありがとうを繰り返し叫んでいた。


 敵同士になったあの日、私はもう謝らないと言って一度だけごめんねを言った。

 でも、あんな自分が楽になるためだけのごめんねは、謝罪じゃない。

 ちゃんと、私がしてきたことすべてをユッキーが許してくれるまで、私はごめんねと言い続けた。


 そして友達だって言ってくれたこと。それに対する感謝の気持ちを、私は表す術を知らなくて。

 だからずっとありがとうと言い続けた。

 声がかれるまで、涙が、かれれるまで。

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