第64話 言葉の意味は大人になると変わる
音が聞こえる。
電子的な音が短く鳴り終わると、再び静寂が訪れた。
静寂と言っても、静かなのはこの部屋だけで、外は相変わらず夏の喧騒で満ちている。
もう9月も終わるから、きっとこの喧噪も聞き納めだなんて思うと、少しだけ寂しい気持ちになった。
今までうるさくて煩わしかったものが、無くなると急に寂しくなる。
そういったいつまでも傍にあったものは、無くなってからその大切さに気付くのだ。そんなことを、どこかで聞いた気がする。
それは、まさに今の私ね。一時的な感情に身を任せて、大切なものをいくつも失っちゃった。
本当はあんなこと、言うつもりはなかった。心の底から思っていたわけでもない。ユッキーがいなくなっちゃえばいいだなんて。
でもあの時、頭に浮かんだ言葉が、溢れて止まらなかった。
だから今まで押し殺してきたユッキーに対する劣等感を、陽介にぶつけてしまった。
もうこれで、陽介とも顔を合わせられない……。私は一度に二人の友達を失ったんだ……。
「……あぁもう、何してんのよ、私」
そうしてベッドにうずくまってみても、現状は何も変わらない。
陽介と顔を合わせるのが憂鬱で、ついつい学校を休んでしまったけど、平日の昼間というのは不思議な静けさがあった。
よく考えてみると大して休日と変わらない静けさなのかもしれない。ここ田舎だし。
でも平日というのはそれだけ特別な感じがする。
そんな静けさは、まるで私を責めているように感じられた。
……そういえば、さっきの通知は何だったんだろ。
そう思いスマホを手に取ると、隆平からメッセージが届いていた。
休んだことへの小言とかかな。あいつやけに私のこと気にするし。
『学校どうしたー? さぼりか?』
ほらやっぱり。
まぁ、さぼりなんだけどさ……。
『あと池ヶ谷さんが退院したぞー。今日学校きてた。もう大丈夫だって言ってたよ』
……そっか、ユッキーはもう退院したんだ。よかった。
でも、直接ユッキーにおめでとうと言えない私が、嫌だった。
陽介と一緒にユッキーの退院祝いをできない私が、情けなかった。
私は、ホントに何をしてるのよ……。バカみたい。
「でも、陽介だって私の気も知らないでユッキーの味方ばっかりするんだもの。私ばかりが悪いわけじゃないわよ!」
そう口にしてみたものの、私が陽介に放った言葉が消えてなくなるわけじゃない。私だって陽介以上に悪い。
だから、仲直りしないといけないなって、謝らないといけないなって思うんだけど、でも私から謝るのはなんだか
陽介も反省してるなら、まぁ? 許してあげてもいいけど。
「……かわいくないなぁ、私」
そんな風に素直になれなくて、つまらない意地ばかりはって、大切なものを失っていく。
ふと、窓を見る。
締め切られたカーテンは、開け放たれた窓から吹いて来る風に揺られ、その隙間から太陽の光を部屋に落とし込む。
夏の厳しい日差しは、今ではずいぶん柔らかくなり、私を責め立てることはなく、カーテンの揺れに合わせてその形を変えていた。
その揺れにしばらく見入って、私はベッドから出る。
少しだけ、心が落ち着いた。
陽介やユッキーと顔を合わせるのは気まずいけど、明日から中間テストだし、行かないといけないわよね。
ここのところ落ち込んでて勉強もろくにできてないし、ちょっとはやらないと。
そう考えれば、今日学校休んだのは正解かもしれないわね。
そうして勉強机に向かい合う。
それでも、ペンの進みは思いの外遅かった。
――――
中間テストを終えた翌日の土曜日。私は街まで来ていた。
行き先は学校じゃない。だって今日は部活ないし。
じゃあどこに行くのかというと、私は以前陽介に聞いた占い師のところに来ていた。
一度は占いなんてと邪険にしたけど、今この状況に少しでも差し伸べる手があるのなら、それをつかみたいと、そう思ってしまった。
陽介はよく当たると言っていたし、陸部の子たちもそんな噂をしていた。
占いとか、そういう類はあまり信じてないんだけど……。失った友達を取り戻す手段があるかもしれないと思うと、一度受けてみるのもいいかもしれないと思った。
陽介に聞いていた場所に行くと、サロンのような雰囲気のブースがあった。
簡素なパーテーションで区切られたその場所に入ると、30歳近くの女性がこれまた簡素なパイプ椅子に座っていた。
「こんにちは」
女性は私と目が合うと、表情を変えずにそう言った。
その瞳がまっすぐで、なんだか私の心の奥まで見通されているように感じる。
簡単に挨拶を済ませ、私が対面の椅子に座ると、女性は占いについて軽く説明し、
それから女性は私の掌をしばらく見つめた後、何か納得したような声を上げた。
「あぁ、あなたが。なるほどそういうことですか……」
「えっと、何か……?」
「いえ、世間は思ったより狭いなと思いまして」
女性はそう言うと、微かに笑みを浮かべた。
「それより、あなたは今、友人関係で悩みを抱えているようですね。……これは、好きな男の子の取り合いになった……? そしてその男の子とも今は少し険悪の様に見えます」
全て見透かされたその言動に、私は思わず息を呑んだ。
「そ、そんなことまでわかるんですか!?」
「はい。詳しいことまではわかりませんが、ある程度なら」
す、すごい。これが評判のよく当たる占い……。
確かにここまでぴったり言い当てられれば、信じちゃいそうよね。現に私も信じちゃってるし。
で、でも、まだ分からないわよ。占いっていうのは大衆に当てはまることを言って、さも当たっているように錯覚させるのが主な手法だっていうし。
「もし、あなたがご友人との関係を修復したいと考えているなら、きっとその願いは叶うでしょう。それも近いうちに」
「え、ほんとですか!?」
「はい。これから1週間、なにか大きなイベントごとなどはありますか?」
イベントと言えば、修学旅行しかない。この土日だってその準備に充てるつもりだし。
「修学旅行があります」
「では、その中でご友人と向き合う機会があるかと思います。その機会を逃さないようにすれば、きっと仲直りできると思いますよ」
「……でも、機会があっても仲直りできるとは限りませんよね?」
私がそう尋ねると、女性は優しげな微笑みを浮かべる。
その目がなんだか羨ましそうに見えたのは、私の気のせいかな。
「そうですね。ですが、あなたが自分の気持ちを素直に相手に伝えて、相手の言葉を素直に受け止めれば、きっと大丈夫です。落ち着いて話をして、二人がそれでいいと思える妥協点を探すのがいいと思います」
「妥協……。友情のために好きな人のことを諦めろってことですか?」
「そうですね……、あなたは恋と友情、どちらを優先したいと考えてますか?」
女性は、私の質問に、質問で返した。
恋と友情? どちらかなんて、選べるものなのかな……?
ユッキーとは友達でいたい。でも、そのために陽介のことを諦めることは、できない。
今ある確かなつながりをとるか、未来にあるかもしれない希望をとるか。そのどちらも、私は手放したくない。
「それでいいと思います」
私が黙り込んでいると、女性は静かにそう言った。
まるで私の心の中の葛藤が見えているように、その言葉は的を射ていた。
私が驚き顔を上げると、女性は先ほどと同じように微笑みを湛え、言葉を続けた。
「恋と友情、そのどちらもあなたにはかけがえのない大切なもの。どちらも大人になったときにあなたを彩る素敵な思い出になる、あるいは一生続く繋がりになるでしょう。そのどちらかを選ぶ、なんてこと、きっとあなたにはできない。いや、する必要がないと言ってもいいでしょう」
「選ぶ必要がない……?」
「はい。選べないのなら、選ばなければいいんです。いえ、どちらも選ぶ、というのが正しいかもしれませんね」
……でも、それはできない。
だって、ユッキーは陽介のことが好きで、私も陽介を諦めたくはない。二人が陽介を好きなままで友達でいるなんてこと、できるわけがない……。
そんなの、夢物語よ。
「恋と友情、どちらかしか選べないというのはもっともな考えだと思います。ですが、そうしなくてはいけないなんて、決まってないんですよ。どちらも大切。なら、どちらも選んでしまえばいいんです」
またも、女性は私の心を覗いたかのように言葉を並べる。
どちらも選ぶ……。そんなことが、本当に可能なのかな? 私は、ユッキーと友達のままで、それでも陽介を好きでいられるのかな?
ユッキーと敵同士にならなくても、いいのかな?
「妥協というのは何かを諦めることじゃありません。諦めないために努力することを妥協というんですよ。そしてあなたたちにはそれができる。なにせあなたたちはまだ若いんですから」
「歳をとるとできないんですか?」
私がそう尋ねると、女性は少しだけ困った表情をして、頷く。
「大人になると、妥協の意味は変わってきてしまいますから」
その言葉の意味を、今の私は理解できなかった。
きっと大人になったらわかることなのかもしれない。そんな風に漠然と感じることしかできなかった。
「ご自分の気持ちに素直になってください。そうすれば近いうちに必ず、ご友人とも、好きな男の子とも仲直りできると思いますよ」
「必ず、ですか?」
すると女性は少しだけ楽しそうに、
「ええ、必ずです」
そう言った。
――――
いよいよ修学旅行を目前に控えた月曜日。私は返ってきたテストの結果を見て、驚愕した。
この土日に先生方が急いで採点したんだろう。全教科が返ってきたんだけど、どれも以前より大幅に下がっている。赤点ぎりぎりの点数が散見された。
チラリと様子を伺ったところ、ユッキーと陽介は大丈夫だったみたい。
陽介はユッキーに勉強見てもらってたみたいだし、赤点回避しててもおかしくはないけど、私があんたたちのことで悩んで、勉強が手に憑かなかったって言うのに、そっちは何とも思わなかったってこと?
でも、テスト期間中も、今日だって、陽介は私を見ると気まずそうに目をそらしたり、何か言いかけては止めたりしていた。
居心地の悪い空気ね。こんな関係のまま、修学旅行なんて楽しめないわよ……。
テストが終わった解放感もあってか、他のクラスメイトはみんな明日の修学旅行に沸いていた。
もう斑決めも済んでいて、それぞれの班員同士で楽しそうにおしゃべりをしている。
私はというと、班員が私を含めて4人いて、私のほかに結奈、ヒナ、ユッキーがいる。
ユッキーは転入してきたばかりで、友達が少ないから必然私と一緒ということなんだろうけど、今はそれが気まずい。
陽介は高野君、広瀬君、隆平と同じ班で、どうしてその組み合わせになったのか不思議でならなかった。
修学旅行の班決めは男女それぞれ4人ずつで班を作って、全体で行動するときはその男女2班をくっつけて1つの班にするから、広瀬君のいる班は当然女子班で取り合いになる。広瀬君はそのことを分かっていて陽介と一緒になったのかも。
そうすれば陽介は必然ユッキーと私がいるこの班と一緒になるから、広瀬君は気楽でいられる。陽介たちとはこの前のリレーで縁もあるし、不自然じゃない。
……考えすぎかもしれないけど、もしそうだとしたら、私はやっぱり広瀬君のことを好きにはなれないな。
一見して爽やかそうに見える笑みの下で、そんな打算的なことを考えているとしたら、だけど。
「ほらお前らー、静かにしろ。ホームルーム始めるぞ」
山井田先生が教室に入って来て、ホームルームが始まる。
その内容はもっぱら明日の修学旅行についての注意事項で、朝は遅刻するとか、持ち込む荷物についての注意とか、何度も聞かされた退屈な内容だった。
クラスメイト達はそれよりも目前の修学旅行に意識が行っていて、先生の話なんてろくに聞いちゃいない。
それは私も同じ事なんだけど、意識の先は修学旅行じゃない。
いや、まったく修学旅行のことじゃないってわけじゃないんだけど……。
占い師の女の人が言っていたこと。そのことについて考えていた。
あの人は恋も友情も、両方諦める必要はないって言ってたけど、本当にそうなのかな。
私だって本当は諦めたくなんかない。ユッキーも、陽介も。
でも、そんな都合のいいことがまかり通るわけがない。お互いに陽介のことが好きだって確証を得て、それでも今まで通り仲良くしようねなんて、言えない。
……ユッキーはどうなんだろう。
あの子は今の私たちの関係をどうしようと考えているんだろう。
その答えを知るには、ユッキーと話をする必要がある。
その機会がこの修学旅行中にあると、占い師の女の人は言っていた。
計らずともユッキーは私と同じ班。確かに機会はいくらでもありそうだけど……。
それに陽介との件もある。そっちも近いうちに解決できるって言ってたけど、修学旅行中ってことになるのかな?
素直になれば大丈夫だと、そう言っていたけど。素直、か……。
それはきっと、言葉で言うよりずっと難しい気がする。
それでも、諦めないための努力なら、してみたい。
なんにしても、明日からの4日間、その内のどこかでこの状況をどうにかできるかもしれない。そんな予感がしていた。
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