第63話 雪の精は決意に燃える
私が入院し始めて、昨日で2週間が過ぎた。
今日は土曜日で、陽介が最後のテスト勉強をすると言って私のもとを訪ねてきていた。
今はうんうん唸りながら物理の勉強をしている。
私はというと、最近は随分体調も良くなって、激しく動かなければ移動もできるほどには快復してきていた。
これも飯島さんのお陰かな?
というのも、飯島さんが1回目のお見舞いに来てくれた数日後、独りでもう一度私のもとを訪ねてきたのだ。
「言い忘れていたことがあって。雪芽さん、以前私があなたに言ったこと、覚えてますか?」
「えっと、いつの話でしょうか……?」
「初めてお会いした時のことです。自分の気持ちに素直になってくださいと」
「はい、覚えてます。というか、思い出しました! ごめんなさい……」
「いえ、いいんですよ。それより、雪芽さんはまた遠慮しがちのようでしたので、ご自分の気持ちに素直に従ってみてくださいと、そう言おうと思ったんです。なにやらご友人関係でも悩みを抱えている様子だったので、病は気からとも言いますし、まずはご自分がどうしたいのかをちゃんと考えてみることをお勧めしますよ。きっとあなたの選ぶその道は、正解のはずですから」
それだけ言うと、飯島さんはお見舞いのフルーツを置いて帰ってしまったのだ。
それから私はどうしたいのか、自分自身に問い続けていた。
病院のベッドの上というのは暇で仕方がないので、時間だけはたっぷりあった。
陽介のことは、一度は諦めた。リレーのアンカーとして走る陽介を見た時に。
なっちゃんのミスを本気でカバーして、それがさも当然と言うか、なんてことないように振る舞っている陽介を見て、なっちゃんには敵わないなぁと思ったんだ。
やっぱり、なっちゃんと陽介が共に築いてきた時間は、私には容易に埋められるようなものじゃなくて、二人の間に割って入ることはできないなぁと、感じたんだ。
だから私は手を引こうって、そう思ってた。
でも、陽介が倒れてすぐの私のお見舞いに来てくれるって話をお母さんから聞いて、不覚にも嬉しくなってしまった。
手を引くならそこで突き放すべきだったんだろうけど、私にはできなくて、私はまだ陽介に未練たっぷりなんだなぁって思った。
諦めるなんてできるのかなって、そう思っちゃった。
それで、お見舞いに来てくれた陽介の顔を見て、優しさに触れて、やっぱり私はこの人が好きだって、そう思ったんだ。
それから私は諦めるべきなんだけど、諦めきれない。そんな葛藤を抱えていた。
そんな時に飯島さんのあの言葉。それが決定打となった。
諦めきれないってことは、諦められないってことだよね。
だから、私は諦めないって決めた。うん、決めたんだ。
たとえ敵わなかったとしても、最後まであがいてみようかなって。最後まで陽介のことを好きでいようって、そう決めた。
……でも、本当にそれでいいのかな?
私はまだ迷っている。
だって私の決断はとってもわがままだから。
陽介のことを諦めないって決めて、でもなっちゃんとも友達でいたいって、そう思っちゃう。
だけど、これが私の偽らざる本心。自分の気持ちなんだ。
飯島さんの言う通り、自分の気持ちに素直になるなら、私はなっちゃんと友達のままで、陽介を諦めない道を選ぶことになる。
そんなわがままが通るのかなぁ……。
「う~ん……、ダメだ」
「え!?」
私の心の声に応えが返ってきたのかと驚き顔を上げると、目の前で陽介が問題集と格闘していた。
な、なんだ、問題が分からないってことね。びっくりしたぁ……。
「ん、どうした雪芽? 体調悪いか?」
「う、ううん、大丈夫。それより陽介の方こそ大丈夫? なんだか元気ないみたいに見えるけど……」
そう、陽介は今日顔を見せてからこの方、ずっと表情が晴れない。
本人は隠しているようだけど、私にはわかるんだから。いっつも陽介のこと見てるし、少しの変化でもわかる。
……なんて、恥ずかしいから言えないけど。
「ん? いや、大したことじゃねぇよ。昨日ちょっとな……」
「もしかしてなっちゃん?」
「……なんでわかるんだよ」
「陽介分かりやすいもん」
ホントは当てずっぽうだったんだけど、そんなこと言ったらどんな内容か話してもらえなくなるかもしれないもんね。黙っておこう。
「まぁ、そのなんだ。昨日ちょっと夏希と喧嘩してな」
「陽介が? なっちゃんと? 何を喧嘩したの?」
「んー……。雪芽のお見舞いに来いって、そう言ったんだ。そしたらいろいろあって喧嘩になった」
「え!? 陽介またなっちゃんに私のお見舞いに来るように言ったの!? 無理に誘わないでって言ったのにっ」
「ご、ごめんって。でもあいつには来てほしかったんだよ。お前だって夏希が来たら嬉しいだろ?」
私が少し怒ると、陽介は怒られるのが分かってたのか、申し訳なさそうに眉を下げて謝った。
「まぁ、なっちゃんが来てくれるなら私も嬉しいけどさ……。でも喧嘩になるほど私のお見舞いに来たくなかったんだぁ……。それも仕方ないと思うけど……」
「いや、喧嘩の原因はそこじゃないんだ。まぁ発端はそこなんだけど、大体喧嘩っていうのは頭に血が上って、いらんこと言ってるうちに論点がそれていくもんなんだよ。……今は反省してる。俺も言いすぎたなって……」
そういう陽介は、随分と堪えている様子で、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「結局何が原因だったの?」
「いやー、それは……、多分夏希も頭に血が上ってたんだよ。それで雪芽のこと少し悪く言ってたから、俺もムキになって言い返しちまってな? そしたら夏希が俺は雪芽を
「それって……、私が原因ってこと!?」
「まぁ、言ってしまえばそうなるかもな」
まさか私のせいで、陽介となっちゃんが喧嘩していたなんて……。
「陽介は私のことを庇ってくれた、そういうこと?」
「いや、庇うって程じゃないけど……、まぁ」
「ふーん、そうなんだ。……ありがと」
「お礼を言われるようなことじゃねぇよ。結局約束破っちまったし……」
そうだ、約束。
私は陽介になっちゃんを責めないで、寄り添ってあげてと言っていたのに、陽介は見事に全部破ってくれちゃった。
「約束を守れない人は嫌いです」
「ごめんなさい……」
しゅんとして謝る陽介。なんだか犬みたいでちょっとかわいい……。
ってそうじゃないでしょ! そう簡単に許したら、またやりかねないんだからっ!
でもなんでそこまでして陽介は、なっちゃんに私のお見舞いに来させたかったんだろう?
陽介は簡単に約束を破るような人じゃない。なにか特別な理由があるはずだと思うけど……。
「俺はさ、夏希と雪芽にはずっと友達でいてほしいって、そう思ってる。勝手な願いだってことはわかってるけどさ」
「それは、私だってなっちゃんとはずっと友達でいたいよ? でも、お見舞いにこだわることはないと思うけど」
「それこそ俺の勝手な願いなんだよ。雪芽のお見舞いには俺と晴奈と、あと夏希がいないといけないんだ。そうじゃないときっと後悔するから」
「後悔?」
「え、あ、あぁ、こっちの話だ。気にすんな」
そう言ってごまかす陽介の表情は、夏休みのころ、陽介が浮かべていた表情と同じだった。
何か奥深くに抱え込んだものを、必死に見せまいとしているような、そんな表情。
どこか遠くて、儚い。
でもそっか。陽介は陽介なりに、色々考えてるんだ。
なっちゃんのことも、私のことも。
ふふっ、だいぶわがままな願いだけどね。
そうしたら私も少しわがままになってもいいのかもしれない。
なっちゃんとも友達もままで、陽介を好きなままでいる。そんな願いを抱いてもいいのかもしれない。
なっちゃんと友達でいることは陽介も願っていてくれて、そんな風に願ってくれる陽介が、やっぱり私は好き。
「うんっ! じゃあ陽介、その願い、叶えちゃおう!」
「はえ?」
「私も私の願いを叶えるから、陽介もその願い、叶えちゃおうよ!」
「な、何だよ急に?」
「だからまずは中間テストだね! がんばろっ!」
「いや、お前はその前に退院だろ……?」
「あははっ、そうだね!」
そんな風に笑っても、眩暈なんて起こさなかった。
もう体調もずいぶんよくなったし、今日でまたよくなった気がする! 陽介の顔を見たからかな、なんて。
その日、陽介が帰った後、先生は私の容体を見て嬉しいことを言ってくれた。
「うん、もう大丈夫そうだね。明日で退院していいよ。おめでとう」
そして私は次の日、退院することが決まったのだった。
翌日の午前中。病院の人たちと、陽介と晴奈ちゃんに見守られ、私は無事退院した。
祝福の言葉が飛び交う中、私はお母さんに手を引かれ、車に乗り込む。
陽介たちも一緒に車に乗り込み、賑やかな帰り道だ。こんなに楽しい気分の退院は初めてかも。
そっか、私は退院したんだ。また日常に戻っていけるんだ。
そんな幸せを、かみしめていた。
――――
退院して初めての学校で、私はいろんな人に心配をかけていたことを知った。
教室に到着するなり声をかけられ、心配された。
もう大丈夫だよって、何回言ったんだろう。本当にみんなごめんね。
クラスの中にはお見舞いに来てくれた人や、寄せ書きをくれた人もたくさんいて、嬉しかったのを覚えている。
その人たちにお礼を言って回って、あっという間に1日は過ぎていった。
ただ、なっちゃんはお休みだったみたいで教室にはいなかった。
それがちょっとだけ気がかりだった。
「雪芽、ちょっといいか」
そういう陽介の声も表情も明るくて、もしかしたらこの人が一番私の退院を喜んでくれてるんじゃないかって、そんな気がした。
そうだったらとっても嬉しいんだけど、どうなのかな?
「これから時間あるか? 飯島さんのところに寄っていこうと思うんだけど」
「また飯島さん? ホントに陽介も好きだよね」
「い、いや、別にそういう意味じゃなくてだな? 単にまだ俺は心配だというかなんというか……」
ちょっと
まさかほんとに飯島さんみたいな人がタイプとか、じゃないよね……? 綺麗な人だもん、気になるのは仕方ないと思うけど……。
そんな私の疑いの目を躱しながら、陽介はてきぱきと帰り支度を整えていく。
それから飯島さんのもとを訪ねると、彼女はいつものカフェでいつものコーヒーを飲んでいた。
一通り挨拶を済ませ、私たちと飯島さんは向き合って座った。
「それにしても退院できて本当によかったですね。柳澤君もこれで一安心でしょう」
「ちょ飯島さん、そんなことはいいんですよ。どうなんですか? 雪芽は」
陽介の質問に、飯島さんは私に手を出すように言った。
私が手を出すと、飯島さんはしばらくの間私の掌を見つめて、やがて力強く頷いた。
「えーっと……。はい、大丈夫そうですね。ひとまず山場は越えたでしょう」
「よかったぁ……」
飯島さんの言葉に、陽介は脱力しきった様子で机に突っ伏した。
まったく、お行儀が悪いよ?
「ご自分の気持ちに素直になられたんですね?」
「はい。言われた通り、自分が何をしたいのか考えて、多少難しいかもしれないけど、頑張って叶えてみようって、そう思ったんです」
「それがいいでしょう。いざとなれば柳澤君も助けになってくれますから、気にせず頼ってしまいましょう」
そう言う飯島さんの顔は、安心したようにも見えるし、嬉しいようにも見えた。
この人、余り表情が変わらないから、こうして笑っているのは珍しいかも。
たまにこうして笑う人の笑顔が魅力的に見えるのって、ギャップっていうんだっけ? まさか陽介もこのギャップにやられたとか……?
「それに聞きましたよ、明日からテストだと。そちらの結果もこのまましっかり勉強していけば問題なさそうですから、頑張ってくださいね」
「はい! 陽介もね」
「ああ、分かってるよ。今度は赤点なんてとらないからな」
そうして三人、ひとしきり笑った。
静かな店内に、私たちの笑い声だけが響き渡る。
でも、こんな風に楽しい気分になる度に、なっちゃんがここにいないことが寂しくて。
私だけ陽介とこうして一緒にいることに、罪悪感を感じる。
早く、仲直りしたいなぁ。
チラリと隣に目をやると、陽介も同じこと考えていたのか、少し暗い表情をしていた。
「あの、なっちゃん――、友達とは仲直りできるんでしょうか?」
私は飯島さんにそう尋ねてみた。
すると彼女は頷いた。
「はい、あなたの思いを真剣に、ありのまま伝えればきっと。それも近いうちに叶います。9日以内には叶うと、そう出ていましたから」
「そうですか……! 頑張ってみます」
「9日というと、最低でも修学旅行中には仲直りできそうだな! よかったじゃないか」
陽介がそう言うと、飯島さんは真面目な顔をして陽介を諭した。
「だめですよ柳澤君。占いは未来の一つを見るものであって、未来を決めるものではありません。占いで出た結果が必ず叶うとは限らないんです。怠けているとその願い、叶わなくなりますよ。それに、あなたも仲直りする必要があるんですから、他人事じゃないですよ」
「す、すみません……」
なんだか姉弟みたいだ。
そう表現するのがぴったりなやり取りで、思わず笑ってしまう。
明日からの中間テストを終えれば、修学旅行は目前だ。こんなところで赤点なんてとってられないよね。
一番心配なのは陽介だけど、これまでにたくさん勉強してきたし、私が見た限りだと問題なさそう。
あとはなっちゃんだけど……、きっとなっちゃんなら大丈夫だよね。
まずは中間テスト。その後に修学旅行。そこで、なっちゃんと仲直りするんだ……!
そう心に決めて、私はコーヒーを飲む。
……やっぱりもうちょっと砂糖足そうかな。
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