第61話 その笑顔は泣き顔に見える

 飯島さんは俺の顔を見ると、驚いたような表情をした。

 最近は飯島さんの表情も少しづつ分かるようになってきて、今は驚いているんだと分かる。


 そして飯島さんは俺の表情から、何があったのかを悟ったようで、表情を曇らせた。


 俺はその場で簡単に何があったのかを説明し、いつものカフェで待つと伝えてブースを出た。

 さすがに飯島さんも仕事があるし、俺の都合で振り回すのはよくない。そう思えるほどに、俺は落ち着いてきていた。



 慣れてきたってことなのか。雪芽が倒れてしまうことに。

 そんなの慣れたくない。慣れちゃいけないんだ。


 そんな風にいつの間にか感情を失って、ただ当然のことのように受け入れられるようになることが、たまらなく怖かった。

 そしていつか、雪芽の死をも無感情に流せるようになってしまうことが、俺は怖くて仕方がなかった。


 友達の死を悲しむ心をなくした時、俺はどうなってしまうのだろうか。

 その時俺は、果たして生きているのだろうか。



 いつものカフェの店内は、相変わらずがらりとしていて静かだった。

 ただ、絞られた音量で流れて来る音楽と、沸騰したお湯の立てる規則的な音が混じり合い、不思議と落ち着く空間ではあった。


 俺はいつもの席に腰を落ち着け、マスターにいつものコーヒーをお願いする。


 やがて運ばれてきたコーヒーを、そのまま一口飲んだ。

 砂糖もミルクも入れないコーヒーは、やはり少しだけ苦かった。



 ……もし。もしも、雪芽がこのまま死んでしまったとしたら。この世界は再び繰り返すのだろうか。

 その時、いったいどこまで時間は巻き戻ってしまうのだろう。俺は、どれだけの時間をやり直せばいいのだろう。


 いや、時間が巻き戻るという保証はない。このまま雪芽が永遠に帰らぬ人となることだって十分にあり得る話だ。

 それじゃあ俺が過ごした10ヵ月の夏休みは、雪芽の命をたった2週間延ばすことしかできなかったということになる。


 10ヵ月で2週間。そんなの割に合わねぇよ……。

 それとも、命の代価としては破格だと考えるべきだろうか。

 俺の人生の10ヵ月で、雪芽の寿命の2週間を買えたんだ。よかったじゃないか。


 ……そうじゃない、今考えるべきは雪芽が死んでしまった後のことなんかじゃない。今どうやって雪芽を病から救うかだ。

 それをこれから飯島さんと話し合おうってことじゃないか。しっかりしろ、俺。



 そうして活を入れたところで、店の入り口から軽快な鐘の音が聞こえてきた。

 顔を上げると、飯島さんがこちらを見つけて歩いてくるところだった。


 一通り挨拶を済ませると、飯島さんはコーヒーを注文して席に着いた。



「それでは詳しくお話を聞かせてください」


 それから俺は夏休みが終わって今までにあった出来事を詳細に話した。

 学校に通い始めたことや、テストと補習のこと。夏希と雪芽が何やら喧嘩をしているらしいということ。体育祭の種目決めや、リレーの練習に1日目の体育祭の様子。そして雪芽が倒れた今日の出来事を。


 飯島さんは一通り静かに俺の話を聞くと、いくつか質問をした。


「雪芽さんは今朝までは元気だったんですか?」

「はい、俺が見る限りは元気でした。夏希とは相変わらず喧嘩しているみたいで、ろくに話してもいませんでしたが……」

「では、雪芽さんが倒れてしまうまでに柳澤君が何か言ったこととかはありますか?」

「いや、大したことは……。ただ、俺と夏希の走りを楽しみにしてるとか、頑張ってとかそんなことを言っていたので俺は何か適当にお礼を言った気がします」

「そうですか……」


 それから飯島さんは何やら考え込み、しばらくの後に分かりましたと言った。


「今は雪芽さんが倒れた原因を探るより、雪芽さんを救う方を優先するべきでしょう。柳澤君、明日雪芽さんのお見舞いに行く予定なんですよね? でしたら私も同行させてもらえないでしょうか?」

「それは構いませんが、雪芽の親に聞いてみないことには明日行けるかどうか……」

「でしたらお見舞いに行く日が決まりましたら私にも連絡をください。とはいっても時間はあまりありません。早い方がいいでしょう」

「わかりました」


 それから少し、夏休みが終わってから今までのことを詳しく話したりして、今日は解散となった。



 家に帰って晴奈に雪芽が倒れたことを話すと、晴奈は顔を青くして言葉を失った。

 それから雪芽の容体を知りたがったが、俺が求める答えを持っていないとみると、即座に静江さんに連絡を取っていた。



 しばらくすると静江さんと電話を終えた晴奈が俺にも雪芽の容体を教えてくれた。


 どうやら雪芽の意識は戻ったらしく、今は少し元気になった様子だということだ。

 脳に異常はないようだし、熱中症でもないと言われ、ただの貧血だろうと診断されたらしい。

 今はひとまず安静にということで入院することが決まったらしく、貧血の症状が直ったら退院だという話だ。


 そのことに静江さんも安堵した様子だったということで、晴奈も安心した様子だったが、俺はそんな気分にはなれなかった。



 当然だ。今までのことから考えて、雪芽はまず間違いなく白血病だ。

 まだ血液中の白血球に異常が確認されていないだけで、白血病の症状は出ている。

 きっと骨髄穿刺こつずいせんしを行ってみればすぐにわかる。それでなくとも、きっと数日後には血液中の白血球数にも異常がみられるようになるだろう。


 今まで通りに雪芽の病気が進行するのなら、明日には白血病という診断がなされてもおかしくない。そうなればもう……。


 ……いや、まだだ、まだ終わらせたりしない。

 もうこれ以上、雪芽の訃報ふほうなんて聞きたくない。雪芽の葬式になんて出たくない。雪芽の骨なんて、拾いたくないんだから。


 そう決意して、俺は明日お見舞いに行けるかどうかを晴奈に聞こうとした。


「お兄ちゃん、明日は暇でしょ? いや暇じゃなくても暇になってもらうからね。雪芽さんのお見舞い、行くんだから」


 どうやらその必要はなかったらしく、俺は少しだけ笑みを浮かべて頷いた。



 俺はその後、夏希にメッセージを送り、雪芽の容体を伝えた。


 それから晴奈に頼んで、静江さんに雪芽への言伝を依頼した。

 内容としては俺たちがお見舞いに行ったあとに飯島さんも来るということ。夏希はおそらく来ないだろうということの二つだ。



 ……夏希、どうしてだよ。雪芽のことを心配していたじゃないか……! なのにどうして?

 喧嘩のことなんて、今はそれどころじゃないだろ? もうこれで会えなくなっちまうかもしれないのに……。


 それから、夏希へ送ったメッセージに、既読が付くことはなかった。





 ――――





 翌日の土曜日。俺は晴奈と一緒に静江さんの運転する車に揺られていた。


「雪芽さん、大丈夫なんですか?」

「ええ、晴奈ちゃんたちが来るって聞いたら嬉しそうにしてたのよ? きっとすぐに良くなるわ」


 ルームミラー越しに静江さんは笑った。

 その笑顔は少し疲れていたけど、確かにそう思っているように見えた。



 それから雪芽の入院している病院に到着した。

 そこは以前と同じ病院だったが、病室は異なっていた。

 当然だ、これまでの夏休みで空いていた病室が、今現在も空いているとは限らないからだ。



「あ、陽介、晴奈ちゃん。来てくれたんだね、ありがとう」


 病室に入ると、雪芽は嬉しそうに微笑んだ。

 その笑みにはまだ生気があって、夏休みの時よりもひどくないことが伺えた。


 まだ白血病の診断を受けていないようだし、元気のようだけど……。夏休みの時とは違うのか……?


「よかったぁ……。元気そうですね、雪芽さん」

「うん! 倒れたなんて聞いたからびっくりしたでしょ? でもお医者さんも貧血だろうって言ってるし、きっともう大丈夫だと思うから、安心してね」


 雪芽が晴奈に向けた笑顔は、確かに俺たちを安心させるだけの元気があった。


 ……どういうことだ? 雪芽が倒れたのは白血病なんかじゃなくて、本当に貧血……?

 まぁ、それも飯島さんが来てくれればわかるはずだ。俺一人で判断できないことが不甲斐ないが……。



「しかし元気ならよかった。急に倒れた時はどうしようかってマジで心配したんだからな?」

「あははっ、ごめんね。なんだか陽介が走り終えて、1位になったって分かったら力が抜けちゃって。興奮しすぎたのかな? 陽介の走り、すごかったから」

「謝んなくてもいいよ。ただ早く元気になってさえくれればさ。体育祭は終わったけど、すぐに中間テストがあるんだから、それまでには元気になれよ?」

「うん。心配してくれてありがと。陽介のためにも早く元気にならないとね」


 俺のために……? それは俺を心配させないようにってことなのか?


「じゃなきゃ陽介がまた赤点取っちゃうもんね」

「おい」

「確かにね。お兄ちゃん最近赤点ばっかで、そろそろお母さんも塾に通わせなくちゃとか何とか言ってたし」

「おい! 俺その話知らないんだけどっ!?」



 ……でも、こうして話をしていると、何でもないように見える。

 今も晴奈と他愛のない話をしているが、会話の途中にも笑顔が多い。もしかして俺の思い過ごしか?


 雪芽はもともと体が弱かったらしいから、こういったことは何度もあったのかもしれない。静江さんも落ち着いていたし、倒れることはあまり珍しいことじゃないのかもしれない。


 まさか、雪芽は本当に何でもないことで倒れて、俺が過敏に反応しただけなんじゃないか……?

 だとしたら一安心なんだけどな……。



 それからしばらく雪芽と話をしていると、飯島さんがやってきた。


 ちょうどその時、晴奈と静江さんは不在だった。

 晴奈はお見舞いの品を忘れたとかで、雪芽の着替えなどを取りに戻る静江さんに同行したのだ。


「こんにちは、お加減いかがですか?」

「あ、えっと飯島さんでしたよね。大丈夫です。この通り元気です」

「それはよかった。昨日柳澤君から話を聞いて、心配だったもので」


 昨日連絡はしていたが、雪芽はやはりというべきか、戸惑っていた。

 大して親しくもない人が、どうしてお見舞いに来るのか不思議なのだろう。

 もし俺が同じ状況だったとしたら、同じように戸惑いを浮かべると思う。



 それから飯島さんはここに来た経緯を雪芽に話していた。

 俺が、雪芽が倒れて心配だと昨日のうちに駆け込んで来て、雪芽は大丈夫なのか占って欲しいと頼まれた。だから早い方がいいと思い今日来たのだと、そう言っていた。


 よくすらすらとそんな話が出てくるものだと感心する。

 当然、俺と飯島さんの間にそんなエピソードはないし、俺と一緒に作った話でもない。

 しかしそれなら自然だし、俺も話を合わせやすい。アリバイもなくもない。


 前も初めて雪芽と引き合わせた時、雪芽が俺と飯島さんの関係を知りたがっていたが、あの時もすらすらとさもありそうなことを話していて、すごいと思ったものだ。

 飯島さんはそういった才能があるのかもしれないな。



「ということなので、お見舞いの品と言っては何ですが、一つ占いでもどうでしょうか?」

「じゃあお願いします!」


 だから話し終えるころには雪芽の戸惑いもきれいさっぱり消えていて、すんなりと占ってもらうことになっていた。



 それから飯島さんは雪芽の手相を見て、手元のメモ帳に何やら書き込んでから、すぐに良くなりますよと言った。

 その後少し、具体的にどうなるのかみたいな話をした後、飯島さんは挨拶もそこそこに帰っていった。


 今日得た結果は、今夜情報を共有して、詳しくは明日話し合うことになっている。

 だから俺は何も言わず飯島さんを見送り、病室には俺と雪芽の二人きりになった。



「それにしても、陽介ってそんなに占いとか好きだったんだね。私知らなかったなぁ」


 雪芽は飯島さんを見送ってしばらくすると、そんなことを言った。

 その目はなんだか疑うような目で、例えるなら怪しい宗教にはまった友人を見るような目だった。


「い、いや違うぞ? 別に取り分けて占いが好きってわけでもなくて、飯島さんの占いはよく当たるって評判だし、実際よく当たるんだよ。だから困ったときは頼っちゃうっていうかだな……」

「ふーん。飯島さん、綺麗な人だもんね」

「はぁ? まぁ、確かに綺麗な人だとは思うけど、それはいま関係ないだろ?」

「……陽介のバカ」

「なんでだよ!?」


 雪芽は不満そうに頬を膨らませているが、それでも元気そうなことには変わりなかった。

 飯島さんの占いの結果が気になるところだが、今は待つしかない。



「でもホントによかったよ、雪芽が元気そうで。俺はてっきり何か大きな病気なのかと思ってたから」

「そんなに心配してくれたんだ?」

「当たり前だろ? さっきまで元気だった奴が急に意識を失って倒れたんだから、心配しない方がおかしい。てっきり俺はまた雪芽がいなくなるんじゃないかって怖かったんだからな?」

「また……?」


 雪芽は不審そうな目で俺を見る。


 やばい、ついうっかり本音を言っちまった。早く言い訳をしないと……!


「いや、今のは間違いだ。そうじゃなくて、雪芽がなにか命にかかわる病気で、死んじゃうんじゃないかって怖かったってことだよ」


 俺がそういうと、雪芽は心底おかしそうに笑って、笑いすぎで眩暈めまいを起こしていた。

 俺が慌てて駆け寄ると、雪芽はなんてことないと言った風に片手をあげ、俺を制した。


「私が死んじゃうって、ただ倒れただけだよ? 陽介は心配性だよね。いつも私のこと心配してくれてるし」

「倒れただけってっ、お前なぁ……。ホントに心配したんだからな? 友達が目の前で倒れて、意識がないんだぞ? 心配しない奴なんているかよ、まったく……」


 俺がそう言うと、雪芽はまた笑った。

 その雰囲気が、俺にはなんだか嬉しそうに見えた。



 雪芽は一通り笑い終えると、余韻を残したままふっと、呟いた。


「なっちゃんにも心配かけちゃったかなぁ……」

「まぁ、心配はしてたな。俺と同じくらいショックを受けていたようだったから、相当心配してたと思う」


 それを聞いて、雪芽はなんだか申し訳なさそうな顔をした。


 お前がそんな顔する必要はないんだよ、雪芽。

 だってお前は自分の不注意で心配をかけたわけじゃないんだから。お前は何も悪くないんだから。



「ホントは今日、あいつも誘う予定だったんだけど、部活だから来れないってさ。薄情だよな? 喧嘩しているとはいえ見舞いにも来ないなんて……」


 俺がそう言うと、雪芽は首を左右に振った。


「薄情なんかじゃないよ。それでいいの。心配してくれてたってだけで私は十分だから」

「でもっ――」

「いいのっ! ……陽介、なっちゃんを責めないであげて? なっちゃんにちゃんと寄り添ってあげて?」


 その瞳がやけに寂しそうで。

 でもその言葉には力があって。


 表情と言葉が矛盾したそのお願いに、俺はただ頷くことしかできなかった。


「……ありがと」


 お礼の言葉を述べる雪芽の表情は、寂しさをはらみながらも嬉しそうだった。



 どうして自分が大変なときに夏希の心配なんてするんだよ……! 夏希に寄り添ってやれって、じゃあお前はどうするんだよ! 寂しそうな目をしたお前を、放っておけってのか!?


 そんな言葉を、俺は吐き出すことができなかった。


「夏希のことは俺に任せて、お前は自分が早くよくなることだけを考えてろ」


 だからそんなありきたりな言葉でその場を濁した。


「うん、そうするね」


 だって雪芽がそんな風に笑うから。


 自分の中の何かを押し殺して、笑っているはずなのに寂しそうに見えて。

 そんな雪芽の笑顔を見てたらさ、何も言えなくなっちまうだろ……。


 でもな、雪芽。俺はお前のそんな笑顔、見たくはないんだよ。

 そんな笑顔はな、笑顔とは言わない。




 それはな、泣き顔って言うんだよ。



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