第54話 当の本人は喧嘩に介入できない

「なんだ、案外まだ走れるじゃない」


 走り終わった後、夏希はそう言って笑った。

 俺はそれにひきつった笑いを返すのが精いっぱいで、随分体がなまったことを実感する。

 息も上がって、肺が悲鳴を上げている。心臓も急に動くなと文句を言うかのように激しく脈打っていた。


「いやっ……、大分なまった!」

「そう? それでも結構早いと思ったけど。その様子ならもう少し練習すればもっと速くなれるかも知れないわね」

「んなわけあるか。そう簡単に速く走れるなら、誰も苦労しないだろ」


 俺がそう言うと、夏希はそれもそうだと笑った。


 こうして笑う姿と、雪芽と相対した時の表情があまり違い、少し戸惑う。

 雪芽と顔を合わせたときの夏希の表情は、何というか戸惑いや焦りのような感情の気がする。

 それは何に対しての感情なのか、そこまではわからないけど、仲直りしなくてはという焦燥だとか、前向きなことに起因していることを願うばかりだ。



 少し休憩しようという夏希の提案を呑み、俺たちは少しの間休憩することにした。

 隆平はさっきまで一緒だったが、今は自分の長距離走の練習に戻っていて、休憩は夏希と二人きりだった。


 今なら夏希は機嫌がよさそうだし、聞いてみてもいいかもしれない。

 雪芽と何があったのか。今の雪芽との関係についてどう思っているのか。

 具体的には仲直りするつもりがあるのかどうかを。


 俺だってこのまま二人がまともに会話もせずにギスギスしているのは嫌だし、気まずい。

 やっぱり雪芽には笑っていてほしいし、夏希も雪芽が笑っている風景の中で笑っていてほしい。

 そのことだけが俺がこの世界に望むたった一つの願いなのだから。

 それだけは、せめてそれだけは守りたい。



「なぁ、雪芽となんかあったのか?」


 体育館から延びるコンクリートの階段に二人腰かけ、夏希が水を飲み終わったタイミングでそう声をかけた。

 俺の質問に、夏希はバツが悪そうに顔をしかめた。


「まぁ、ね。ちょっとあったのよ。あんたには関係ない」

「関係ないってなぁ……。まともに会話のできないお前たちを見て、それを気にするなってほうが無理だろ」


 俺がそう言うと、夏希は憮然ぶぜんとした表情を崩さず、水を口に含む。

 俺はそれを気にせず、言葉を続ける。


「何があったのかまでは詮索しないけどさ、ちゃんと仲直りしろよ? いつまでもこのままじゃダメだって、夏希も気づいてるんだろ?」


 夏希はもう一口水を口に含むと、それをずいぶんゆっくりと飲み込み、チラリと俺と目を合わせてから言った。


「……それって、ユッキーに頼まれて言ってるの?」

「違う。俺はお前たちが心配で言ってるだけだ。雪芽に言われたからとかじゃない」

「そう、よね……。ごめん、変なこと言って」


 俺がきっぱりと否定すると、夏希は急に申し訳なさそうに項垂うなだれた。



 こんな風に元気がない夏希を見るのは中学以来だ。あの先輩のいじめを受けていた時の夏希も、ちょうどこんな風に項垂れて、無理をして笑っていたのを覚えている。


 夏希が元気をなくしている姿を見るのは、なんだか嫌だ。

 夏希はがさつで、男勝りで、やる気のない俺を引っ張ってくれる力強い存在でいてほしい。

 そんな理想を押し付けることを、きっと夏希は嫌がるだろう。


 一人の女の子として見てほしいと、今はもう存在しない夏休みで、夏希はそう言っていた。

 俺はその時確かに約束した。一人の女の子として夏希と接していくと。

 だから、本当は俺の勝手な理想なんて押し付けちゃいけないんだろうけど。でも、やっぱり夏希が項垂れているのなんて見ていたくない。


「いいから、気にするな。でもできれば雪芽と仲直りしてやってくれないか。あいつもそれを望んでるから」

「……私もできればそうしたいわよ。でも、まだ自分の気持ちの整理がつかなくて、それどころじゃないっていうか……。だからまだしばらくは無理かもしれない」


 無理だなんて、言わないでくれよ。

 そう言いかけて、口をつぐんだ。


「じゃあさ、気持ちの整理の助けになるかはわからないけど、占いとかどうだ? 駅前によく当たる占い師がいるって噂を聞いたんだ。実際俺も見てもらったけど、結構当たってて助かったことあるし、気分転換がてらこの休日にでも行ってみたらどうだ?」


 だから代わりに道標を置くことにした。

 飯島さんはいい人だし、きっと夏希の力にもなってくれるはず。



 この問題は俺だけじゃどうにもできそうにない。


 情けない限りだと思う。友達同士の喧嘩の仲裁もできないなんて。

 でも、夏希と雪芽がいつまでもこんなのは嫌だから、多少情けなくても他人を頼ったほうがまだましだ。


 夏希は小さくありがとうと呟くと、最後に一口水を飲み、立ち上がった。


「さあ、練習に戻るわよ。広瀬君にあんな啖呵きったんだもの、ちゃんといい成績残せないと恥ずかしいわよ?」


 そう言って笑う夏希の笑顔は何かを隠しているように少し嘘くさい。

 その笑顔はまるで示し合わせたかのように雪芽のそれとそっくりで、そのことに一抹の寂しさを感じる。


 ……俺には言いたくないってことだよな。どんな理由があるのかはわからないけど、教えてもらえないっていうのは仲間外れにされているようで、少し寂しいな。


「あぁ。夏希があんなこと言ってくれなければ、もっと気楽に走れたのにな」


 だからそんな風におどけて見せた。


 そんな俺に対して、夏希は少し寂しそうに笑うのだった。





 ――――





 翌日の土曜日。俺は襲い来る筋肉痛の中、部屋の掃除にいそしんでいた。


 久しぶりに走ったからあちこち筋肉痛だ。やっぱりリレーなんてやりたくねぇ……。

 というより、体育祭なんてなければいいのだ。俺みたいなインドア派には堪える。



 無難に馬跳びとかで済ませる予定が、なんでリレーなんぞにでなくちゃいけないのか。

 それもこれも、これから家に来る雪芽のせいなのだが、あいつに振り回されるのもなんだか慣れてきたもので、こうして文句を言いつつも一応はやる気になっている自分がいるのを感じていた。


 雪芽にどんな意図があって俺をリレー選手に推薦したのかはよくわからないが、案外本当に俺の走っている姿を見てみたくなっただけとかのような気がする。

 そんな好奇心だけでいちいちこんな面倒なことに巻き込まれていたら体が持ちそうにもないが、まぁなってしまったことには仕方がない。やれるだけやってみようとは思う。



「あれ、お兄ちゃん掃除なんてしてどうしたの?」


 俺が掃除機で部屋の埃を吸い込んでいると、晴奈が物珍し気に顔をのぞかせた。


「んー? これから雪芽がうちに来るんだよ。俺の補習の勉強見てくれることになってな」

「え! 雪芽さん来るの? いつ!?」


 雪芽が来ることにやけに驚く晴奈。何をそんなに驚くことがあるんだろうか。


「だから今日だって」

「そうじゃなくて、何時なんじってこと!」

「あぁ、えっと、11時だって言ってたな。それがどうした?」

「11時ってことは……、あと30分もないじゃん! お兄ちゃんそういう大事なことはもっと早く言ってよ!!」


 そう言ってきびすを返す晴奈。

 何をそんなに急いでいるんだ? 晴奈は関係ないことだろうに。


「てちょっと待って、お兄ちゃんその格好で雪芽さんに会うつもり?」


 と思ったら、晴奈はすぐ戻ってきて俺の格好を見てそう言った。

 そういう俺の格好は部屋着のジャージで、まぁ一目見て部屋着と分かるようなくたびれたものだ。


「あ、やっぱダメか?」

「当たり前じゃん! そんな恰好で雪芽さんに会おうって発想がまず恥ずかしい」

「そこまで言わなくても……」


 いいから着替えておいてと言い残すと、晴奈はまたすぐに自分の部屋に引っ込んでいった。


 うーん、やっぱり着替えないとダメか。外出するわけでもないし、着替えるのは面倒だと思ったんだが……。



 この辺はほとんど人もいないし、誰に見せるわけでもないので近場に行くだけならジャージが基本だ。

 それに、友達を家に呼ぶことがまずあまりない。この家は町から離れた山のふもとにあるから来るだけで一苦労なのだ。


 でも、昔由美ちゃんが遊びに来ていた時とか、普通に部屋着だった気がしたのだが、それとは違うのか? よくわからん。


 しかし、勉強を教えてもらう立場で部屋着というのも失礼だよな。

 確かに着替えたほうがよさそうだ。



 それから俺は着替えと掃除の続きをしていたのだが、なぜか晴奈も部屋の掃除と余所行きの格好に着替えていた。

 なぜ晴奈が? とも思ったが、それは聞いてもきっとよくわからないだろうから聞かないでおくことにした。



 しばらくして、玄関のベルが鳴る。

 俺はグラスの用意を中断して玄関へ向かう。


「おう、いらっしゃい」

「うん、お邪魔します」


 玄関を開けると、雪芽が少し硬い笑顔で立っていて、向こうには静江さんの運転する車が発進するところだった。


 後ろから何を慌てたのか、晴奈もやってきて、一通りの挨拶を済ませる。

 立ち話もなんだからと家に上がらせ、ひとまず俺の部屋に通す。


「へぇ……、これが陽介のお部屋なんだ。ふ~ん……」


 部屋に通されると、雪芽は何が珍しいのか辺りを見渡して、何か見つけてはいちいち感心している様子だった。

 まぁ、ベッドの下にエロ本とか隠してるわけじゃないし、ごみ箱の中身もちゃんと片づけておいたし、見られて困るようなものは何もない。……はずだ。


 一抹の不安は残るものの、勝手にいろいろいじったりはしないだろうと高をくくって、俺はお茶を取りに台所に戻る。


 グラスに麦茶を注ぎ、お菓子を用意していると、晴奈が自分が持っていくとやけに張り切ってお盆を持って行った。



「晴奈ちゃんはこれからお出かけ?」

「いえ、さっきまで少し出かけてて。雪芽さんはバカ兄貴の補習の面倒見てくれるって聞きましたけど、嫌ならやめてもいいんですよ?」

「ふふっ、違うよ晴奈ちゃん。私が手伝うって言いだしたの。だから嫌だなんてことないんだよ?」


 俺が晴奈の忘れたコースターを持って階段を上がると、俺の部屋から何やら楽しそうな声が漏れ聞こえてきた。


 晴奈は雪芽のこと大好きだからなぁ。きっと久しぶりに会えて嬉しいのだろう。まるで恋する乙女のようだ。


 いやしかし、晴奈が雪芽と……? いや、兄としていざというときは受け入れてやらねばな。

 その場合雪芽は俺の義妹になるのか。同級生が義妹で妹の伴侶とか、いろいろ複雑すぎてお兄ちゃんついていけない……。



「じゃあ勉強が終わったら晴奈ちゃんのお部屋にもお邪魔しちゃおうかな」

「はい! むしろバカ兄貴の勉強なんて放っておいてそっちをメインにしましょうよ!」

「おいこら、俺の勉強の邪魔をするなよ? あとお兄ちゃんをバカ呼ばわりするのはやめなさい」


 部屋に入るなりバカ兄貴呼ばわりされていて、なんだか兄として情けない気持ちになりながらも、一応は注意しておく。


「げっ、お兄ちゃん……。いつからいたの?」


 後ろを振り返った晴奈の顔と言ったら。まるで女子中学生が面倒臭い兄を見るかのような視線だ。

 まぁ、俺は面倒臭い兄ではないので? あくまで例えだが。



「さっきからだ。ほら出てった出てった! 俺はこれから勉強するんだから、邪魔するなよー」

「勉強って補習のでしょ? 全然偉くないんだから偉そうにしないでよね。あと、雪芽さんに変な事したら静江おばさんに言いつけるから」

「なんもしねぇよ!」


 俺の反論に、晴奈は何やら納得した様子で部屋を出ていった。

 度胸がどうのこうのと言っていたが、納得してもらえたなら問題ない。


 実際、雪芽の部屋にお邪魔した時だって何もなかったし。まぁ、俺は紳士だからな、当然だが。


 今日の雪芽は私服で、よく見る白のワンピースとは違い、都会的な大人っぽい出で立ちでちょっとドキッとしてしまうが、それでも俺なら何もしないと保証できる。そう、なぜなら俺は紳士だから!



 そんな風にある種自分に言い聞かせながら、雪芽の対面に座る。

 その間にも雪芽は珍し気に俺の部屋を眺めていて、なんだかこっちが居心地悪くてしょうがない。


「あれって何かのアニメのやつ?」


 雪芽が指さしたのは本棚に置かれた小さなフィギュア。モンスターをかたどったものだ。


「いや、あれはゲームのやつだ。モンスターを狩るゲーム。知らないか?」

「へ~、ゲームなんだ。私そういうのに詳しくないから知らなかった。陽介はゲームが好きなの?」

「まぁな。最近はあんまりやってなかったけど」

「どうして?」

「補習してたり、お前たちと遊んだり、宿題やったりと忙しかったからな。やってる暇がなかった」


 本当は繰り返す死の運命から雪芽を救うために奔走しててそれどころじゃなかったのだが、それを話すことはできない。

 きっと雪芽に話しても分かってもらえないだろうし、仮に分かってもらえたとしても俺が雪芽を救ってやったなんて恩着せがましいこと、言うつもりはない。


 俺は見返りを求めて雪芽を救おうとしたんじゃない。ただ雪芽とともに未来を生きていたかっただけなんだ。

 雪芽に頼まれたわけでもなく、俺が勝手に動き回っただけ。だからこの事実は俺と飯島さんだけが知っていればいい。雪芽をいたずらに不安にさせる必要なんてないんだ。


「ほら、そんなことはいいからそろそろ始めようぜ。どうしても気になるならまた後でいくらでも教えてやるから」

「ほんとっ? じゃあパパっと終わらせちゃお!」

「いや、できればじっくり教えてほしいんだけど……」


 ……でも、まぁいっか。

 最近は夏希とのことがあって雪芽も寂しそうにしてることが多かったし、たまにはさ。

 こうして楽しそうにしている雪芽を見れることが、俺はなにより嬉しいから。


 そうして雪芽の指導の下、俺の補習に向けた勉強は始まったのだった。

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