第55話 女の闘争は水面に浮上せず
月曜日の朝、私はバス停で学校行のバスを見送っていた。
今ちょうど3本目を見送ったところだ。次あたりに乗らないと学校には間に合わないと思うけど……。ユッキー遅いわね……。
私はというと、朝部をさぼってこうしてユッキーを待っていた。
この土日に自分の気持ちと向き合って、ある程度整理できたので、そのことでユッキーと話しておきたかったのだ。
結局陽介に紹介された占い屋というのには行かなかった。
占いなんて言う胡散臭いものに自分の未来を決められたくなかったし、そこでユッキーには勝てないなんて言われたら、私はどうなってしまうか分からなかったから。
だからこの週末、ずっと自分はどうしたいのかを自分に問い続けていた。
私は陽介のことが好きで、ユッキーもそうだと知って、取り乱してしまった。
だってユッキーはあんなに綺麗で、純粋で。
私が何年もかけて成し遂げられなかったことを、いくつも成し遂げて見せたから。
それは夏休みが終わって雰囲気が変わった陽介のことであったり、今まで走ろうとしてこなかった陽介をたった一言で走らせたり。どれも私にはできなかったこと。
そのことをユッキーが成し遂げたことが悔しくて。ユッキーには勝てないって思った。
そんなことができるユッキーが羨ましくて、憎たらしくて。きっとこれは嫉妬なんだと思った。
彼女の顔を見ていると、声を聴いていると、私はどんどん
話をしようと思って口を開けば、私の汚い気持ちばかりが飛び出して来る。
そんな中で、私はどうしたいんだろうと考えた。
結論から言うと、私は陽介を諦めたくないってことだった。
ユッキーを相手にして、私に勝ち目なんてないかもしれないけど、でもまだわからないから。
だからそれまでユッキーとは敵同士。
それでもし、私が陽介のことを諦めることになったら、私はまだユッキーの友達としていられるのかな? それはまだわからなかった。
今日はそのことをちゃんと言って、自分の気持ちを固めたかった。
「……負けない。絶対負けないから……」
思わずそう呟いた瞬間、私の視界に影が伸びてきた。
「あれ、なっちゃん……?」
立ち止まり、首をかしげる影を見て、私は顔を上げる。
その影の主は驚いた表情でそこに立っていて、私と目が合うと、少しだけ目をそらした。
「どうしたの? なっちゃん朝は部活のはずじゃ……?」
「おはよう、ユッキー。ちょっと話したいことがあったんだけど、もうバス出ちゃうから、話は後でね」
「う、うん」
未だ驚いているユッキーと一緒にバスに乗り込み、学校へと向かう。
その道中、私たちは何も話さず、ただバスの揺れに耐えていた。
バスを降りて、学校の最寄のバス停から学校に行くまでの道すがら、私は話を切り出した。
「この週末、ずっと考えてたんだけど」
ゆっくり歩く私たちを、学校の生徒たちはチラリと一瞥くれただけで追い越していく。
きっと、もうすぐ授業開始時刻だというのに何をゆっくりしているのか、不思議なのだろう。
学校へ向かう坂道は断続的に続く木陰によって、少し涼しい。
9月に入ったというのにまだ暑いが、木陰によってその暑さが和らぎ、詰まっていた息がすっと吐き出される。
「私、陽介のことを諦めるつもりはないわ」
私は学校へと続く最後の坂の前で振り返る。
そして、少し後ろに立っているユッキーに向かって頭を下げた。
「だからごめん」
「え……?」
頭を上げると、ユッキーは驚いた表情で立っていて、私の言葉の意味を理解できていないようだった。
「これはその、この前ひどいこと言っちゃったことに対するごめんと、これからもひどいこと言っちゃうだろうから、それに対してもごめんってことで……」
「……うん」
ユッキーは小さく頷いて、微笑んだ。
木陰の下にあっても白く輝く肌が、なんだか神秘的に見えて、ユッキーは妖精みたいだと思った。
「でも、私はそのことが間違ってるとは思ってないから。だからもう謝らないわよ」
「わかってるよ、なっちゃん。私も同じ。陽介のこと、まだ諦めたくないから」
「じゃあ、私たちは敵同士ってわけね」
「うん」
ユッキーは少しだけすっきりした顔で頷いた。
友達じゃなくて、敵同士。そんな関係の変化に、なぜか私も肩の荷が下りたような気がした。
もしかしたらユッキーも同じ気持ちだったのかな……?
「じゃあ行きましょ。1時限目、遅刻しちゃうわよ」
「うん」
それから私たちは一言も発することなく教室に向かい、その日以来またまともに話すことはなくなったのだった。
でも、その関係は今までとは少しだけ違った。話さないことが苦痛ではなくなったのだ。
話さなくちゃ、仲直りしなくちゃっていう焦りや義務感のようなものから解放されたせいかもしれない。
ユッキーとは敵同士。もう友達じゃない。そんな思いが、こうして話もしない関係に大義名分を与えてくれているからかもしれない。
そうして過ごすこと3日。ついに体育祭がやってくるのだった。
――――
9月6日木曜日。天気は晴れ。
例年通り厳しい残暑の中で行われた開会式が終わると、生徒たちはそれぞれ暑さや式への文句や、これから行われる球技大会の種目について思い思いの感想を述べながら、教室へと帰っていく。
今日行われる体育祭1日目は球技大会となっていて、バスケットボール、サッカー、卓球、バレーなど、様々な球技の試合がそこかしこで行われることになっている。
私はバスケに参加することになっていて、それ以外は暇だから、なにか他の種目に出ているクラスメイトを応援するつもりでいた。
私の試合は午前中の第1試合。開会式が行われた旧体育館とは別の、新体育館で行われる予定だった。
確か陽介と隆平はサッカーに、ユッキーは卓球に参加するらしい。
一応あいつらの試合も応援することにしよう。
「やあ、小山さん。今日の試合、よろしく頼むよ!」
「ええ、お互いにね」
教室へと帰る道すがら、広瀬君が後ろからそう声をかけてきた。
その後ろには高野君もいる。
「バスケは女子が入れれば得点2倍だからな! 頼むぜきっつん!」
体育祭でのバスケの試合はすべて男女混成バスケとなっている。
そのため、男女でのパワーバランスをとるためか、女子が入れたシュートの得点は2倍となっているのだ。
だから必然的にシュートは女子が打つ方が有利で、男子はそのサポートがメインとなる。
私は別に女子バスケ部とかじゃないから、あまり期待されても困るんだけど……。
「まぁ、ほどほどに頑張るわよ」
「違うっしょ!? やっぱ狙うなら優勝じゃん!? 1組は去年もあんまりだったし、今年こそは優勝したいじゃん!」
「分かったわよ。やれることはやってやるから」
「そうこなくっちゃ! やっぱきっつん話分かるわー」
「じゃあ小山さん、またコートでね」
そう言って広瀬君と高野君は私を追い越して他の生徒に声をかけに行った。
ていうか、きっつんって私のあだ名なのよね? いったいどこをどう取ったらきっつんになるの……?
「ねぇ、まずどこの試合見に行く?」
「あたしはバスケかなぁ。1組の広瀬君が出るって聞いたし!」
「え!? じゃあ私も見に行く!」
そんな会話がどこからか聞こえてきて、私は少しだけげんなりする。
あぁ、きっと観客とかすごいんだろうなぁ。そして私がシュートを外そうもんなら
もう、なんでよりによって広瀬君と同じ種目になっちゃったかなぁ? 出来れば1回戦でさっさと負けて、陽介たちの応援に向かいたい……。
そうして私は、下手くそなプレーをする陽介の姿を想像して、小さく笑うのだった。
――――
それから、私たちの試合は順調に進んでいった。
男子バスケ部のエースと言われる広瀬君、広瀬君の陰に隠れがちだけど、それでも二番手と言われている高野君の二人の力もあって、初戦は余裕だった。
私も何本かシュートを入れられたし、まぁよかったんじゃないかな。外した時は予想通りひどいもんだったけど。
私以外にも女子は当然いて、その大多数が広瀬君のファンらしく、コート内からも、コート外からも何か言いたげな視線を感じた。
そんな目をするくらいならあんたたちが入れなさいよと思ったりもしたが、男子はなぜか私にばかりパスを出す。きっとまともに動けるのが私だけだからだろうけど……。
そんな風に非常にやりづらい状況だが、続く第2試合も危なげなく勝利した。
やっぱりバスケ経験者がいると非常に動きやすい。私が適当にゴールの側に移動すれば、広瀬君や高野君が的確なパスをくれるからだ。
しかし、広瀬君以外の男子のパスを他の女子が取り、広瀬君にパスするなど意味の分からない行動をされることも多く、試合の流れはあまりよくなかった。
ボールに食いつく女子の勢いはまるで獲物に食らいつく野犬の様で、ある種恐ろしさのようなものすら感じた。
きっと私のような女子があれをやっても誰も何とも思わないんでしょうけど、普段大人しい子が、例えばユッキーとかがやると余計怖いんでしょうね……。
そして迎えた第3試合。ここで広瀬君は現状を打破するためにある提案をした。
「せっかくいい位置でパスを受け取った女子がシュートを打たないことがあったよね。あれをなくそう! 俺にパスをしなくてもいいから、女子は自分が取って、ゴールに近かったら積極的にシュートを打っていってくれ! もし入らなくても俺たちがカバーするし、安心して!」
「「はーい!」」
女子が前に出れば相手チームの男子たちは一瞬足が止まるし、シュートが入れば得点も2倍でいいことづくめ。確かに理にかなった作戦だとは思うけど……。
「じゃあ夏希、私たちも次からシュート打っていくから、よろしくね」
そう言って
それから始まった第3試合は案の定ひどいものだった。
表面上は自然な流れでパスやシュートが行われているのだが、水面下では女子たちの果てしない闘争が繰り広げられていた。
例えば、私がシュートを決めると、当然チームの皆は声をかけてくれる。
「ナイス! 小山さん」
広瀬君が私に向かって笑顔でそう言おうものなら、自陣に戻る際にファンの女子が、
「夏希ばっかずるい」
と呟くものだからたまったものじゃない。
私は広瀬君のことなんかなんとも思ってないし、ずるいと言われる
そうしてとってもやりづらい第3試合は何とか勝利し、次は準決勝だ。
勝っても負けても表彰台は確定しているから、今までの私たち1組の成績からは考えられないくらいの好成績だ。
「夏希、随分勝ってるじゃん。俺たちなんて初戦で敗退だったのに」
「ホントだよ。あーあ、夏希にも陽介の神プレーを見せたかったなぁ! 陽介ったらディフェンダーなのに相手のシュートをカットしようとしてオウンゴールしたんだよ! オフェンスの方が向いてたんじゃないのー?」
「いや、あれはホント悪かったって……。あーくそっ、これはこの先しばらくはこのネタでいじられるやつだ……」
「まぁみんな勝つ気がなかったから怒られなかったじゃん。ネタになるだけよかったと思うしかないな!」
そんな風に話す二人の試合はもうとっくに終わってしまって、私は結局陽介たちの試合を見に行けなかった。
こんな試合さっさと負けて、陽介たちの試合を見に行きたかったなぁ。なんて言ったら怒られるだろうけど……。
「そういやちょうどさっき、雪芽も初戦敗退したって言ってたな。多分そろそろこっちに来ると思うけど、遅いな……。俺迎えに行ってくるわ」
「あと10分で試合始まるわよ?」
「大丈夫、すぐ戻ってくるから」
そう言って陽介は行ってしまった。
ユッキーのことは迎えに行くんだ。きっとこれが私だったら迎えになんて来てくれないのに……。
まぁ、私はこの学校で1年半過ごしているし、ユッキーはまだ約2週間しか経ってないからこの学校の構造もよくわかってないだろうし、そういうことなんだろうけど……。なんだかユッキーの方を優先しているような気がして、ちょっとモヤモヤする。
「それにしても夏希、ちょっとやりにくそうだねぇ?」
「うーん、広瀬君のファンのせいで大変よ。あーあ、早く終わんないかな、バスケの試合」
「ははっ、夏希は広瀬とリレーでも一緒だから、それのせいもあるかもね」
「ホント、勘弁してよね……」
心底うんざりしてそう言うと、隆平はご愁傷さまと言って笑った。
「夏希としては陽介一筋だもんねぇ。広瀬なんて眼中にないと」
「う、うるさいわねぇ! ……まぁ、事実だけど」
「その肝心の陽介はいま池ヶ谷さんのところに行っちゃったけど」
「……うるさいわよ」
「ごめんごめん! まぁ、俺はちゃんと見てるからさ!」
私が睨み付けると、隆平は取り繕うように笑ってそう言った。
その顔は体育館の熱気のせいか、少し赤らんでいた。
「隆平が見てても、何の慰めにもならないわよ」
「そ、そうか……」
なんだか意気消沈した様子の隆平。さすがに何の慰めにもならないは言いすぎだったかな?
でも、私がちょうど引っかかってることを言うからよ! まるで見透かしたようなタイミングで言うんだもの、カチンと来ても仕方ないでしょ?
それから試合が始まり、少し経ったあたりで陽介はユッキーを連れて戻ってきた。
試合は広瀬君ファンの子たちの戦いが苛烈を極めた。
私はそれに巻き込まれて疲れ果て、ベンチに後退していた。
それから広瀬君のパスを奪ったなんだと口論になり、チーム内でいがみ合っているうちに敵にシュートを決められた。
広瀬君をはじめとした男子はこんな状況を立て直そうと必死だったけど、根本的になんで女子が争っているのかわかってない時点で解決には至らず、そんな風にまとまりに欠ける私たちのチームは準決勝で敗退した。
私はそんな敗北への一本道をたどるクラスメイト達をベンチから眺め、応援の代わりにため息をこぼしていた。
そして同時に、あの中に私がいなくてよかったとも思ったのだった。
何とも歯切れの悪い幕引きだったが、3位という事実は変わらない。
そんな快挙に、クラスメイトはひとまずの喜びを表すのだった。
それから陽介たちと共に、まだ残っている試合を観戦して1日目は過ぎていく。
バレーの試合では先生たちのチームが健闘していて、普段堅苦しい雰囲気の先生たちが楽しそうにバレーをしている様子が新鮮で面白かったり、女子のフットサルで1組が優勝したという吉報を聞いたり、楽しい時間だった。
ユッキーはグラウンドが広いとか、体育館が二つあることがすごいとか、ちょっとしたことが新鮮で驚きだったようだ。
その度に陽介が解説をしていて、ちょっと気に入らない。
そんな風にモヤモヤしながらあちこち巡っていると、正面から見知った顔が歩いてきた。
その人物は私を見つけると顔を喜色に染めて、駆け足でこちらに近寄ってくる。
「夏希せんぱーい! 探しました! そしてやっと見つけましたよ!!」
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