第53話 隣の花は真っ赤に見える

「なんであんなことしたんだよ?」


 帰りの電車の中で、陽介は私にそう尋ねてきた。

 その顔は憮然としていた。

 やっぱり、なっちゃんから陽介の昔のこと聞いたのを怒ってるのかな?


「だって、陽介となっちゃんが昔どんなだったか気になって……」

「そうじゃねぇよ、リレーのこと」

「え? あぁ、それはなっちゃんから陽介の昔のこと聞いて、走ってるのを見たくなったから、それで」


 てっきりなっちゃんに昔のことを聞いたことを言ってるんだと思ったんだけど、どうやらリレーのことらしかった。


 私の言葉に陽介は苦虫をかみつぶしたような顔をする。


「夏希のやつぅ……、余計なこと言いやがって」

「違うの! 私が聞きたいって言ったの。なっちゃんは悪くないんだよ!」


 私は必死にそう言った。

 だって、本当になっちゃんは何も悪くない。私が無理を言って聞かせてもらった話だし、悪いのは私であってなっちゃんじゃない。


「まぁ、もういいけどさ。なっちゃったもんは仕方ないし」

「あれ? 怒らないの?」

「なにが?」

「私がなっちゃんから陽介の昔のこと聞いたの」


 私がそういうと、陽介は小さく鼻で笑った。


「そんなことじゃ怒んねぇよ。別に隠してたわけでもないし、昔のことだからな」

「でもさっき、ちょっと怒ってるみたいだったけど……」

「いや、怒ってはないよ。ただリレーなんてめんどくさい事押し付けやがってとは思ってたけど」


 どうやら憮然としていたのは私がリレーの選手に推薦したかららしい。

 昔のことを聞き出したことについては何も気にしてないみたい。



「なっちゃんにも怒らないでね……?」

「怒んねぇよ。それより、何かあったのか? 夏希と」


 陽介はサラリと核心をついてきた。

 まぁ、私となっちゃんの様子がおかしいのは誰が見ても明らかだったよね……。さすがに陽介でも気が付くか。


 でもこの話をするには私となっちゃんが陽介のことを好きだってことを話さなくちゃいけない。だけどそれはさすがにできない。


「えっと、ちょっと喧嘩しちゃって……」

「喧嘩? お前ら仲いいのに、何を喧嘩したんだよ」

「それは……、秘密」

「雪芽はそればっかだな」


 陽介が呆れたようにそう言った。

 それが、何十回と聞いてきたセリフをまた聞かされた時のような言い方で、少し違和感を覚えた。



「あれ、私そんなに秘密なんて言ったっけ?」

「いや言ってるだろ。親友の条件はって聞いたときとか――」


 すると陽介は突然真剣な表情になって、少しの間黙って何かを考えていた。

 しかし、すぐに声を上げて笑った。


「ははっ、そうでもなかったかもな! 俺の勘違いだ、うん」


 その笑いが、なんだか嘘の様で少し不安になった。


 私なんかよりよっぽど、陽介の方が大きな秘密を抱えているよ……。

 それは話してくれないんだよね、今はまだ。


「でも、夏希と喧嘩ねぇ……。ちゃんと仲直りはしろよ? それに俺が必要なら言ってくれればいいしさ」

「うん、ありがと。陽介は優しいね」

「こんなの、大したことじゃねぇよ」


 その優しさが、今はちょっとだけ辛い。

 こうして私が陽介の優しさに甘えている分、なっちゃんは寂しい思いをするから。



 本当は私も陽介とはちょっと距離を置いた方がいいのかもしれない。

 私は確かに陽介が好きだけど、なっちゃんの友達でもあるんだから。


「ね、陽介は明日から放課後、ちょっとリレーの練習しなよ! なっちゃんや塚田君と一緒にさ!」

「はぁ? なんでそんなこと――」

「いいからっ! どうせなら優勝したいし、陽介がブランクがあるとか言って全力を出せないのは嫌だし!」


 そうすればなっちゃんと陽介は一緒の時間が増えるよね。

 その分私はちょっと寂しくなっちゃうけど、今まで陽介とはずっと一緒だったし、放課後一緒に帰れないくらい我慢できる。


「でも俺、物理の補習があるんだけど……」

「それは今週末に私が勉強見てあげる! 休日はお父さんが家にいるから、陽介の家でね」

「それならまぁ、大丈夫だけど……」


 まだちょっとめんどくさそうにしてるけど、きっと陽介なら大丈夫。

 なっちゃんと陽介が一緒に走ってる姿を見てみたかったし、なにより確かめたいこともあった。


 だから、これでフェアだよね? なっちゃんは陽介とリレーの練習をして、私は陽介の勉強を見てあげる。



 本当は私がずっと陽介を独占していたい。

 だって、なっちゃんと陽介は小学校のころからずっと一緒で、仲良くなったのは中学からといっても、私とは一緒にいた時間が違うもん。かないっこないよ。


 それになっちゃんは私と違って健康的だし、陽介とも互いに信頼し合ってる感じだし、あと胸も大きいし……。

 私が欲しいもの全部持ってるようななっちゃんに、私が敵うとは思えない。


 それでも、まだわからないから。

 だから確かめようと思った。陽介の走りを見て。

 陽介がなっちゃんのために本気で走る姿を見たら、私は納得できる気がしたから。


 だからそれまではなっちゃんとは敵同士。

 それでもし、私が陽介のことを諦めることになっても、なっちゃんとは友達でいよう。そう思った。



「……それで、雪芽。夏希からは俺の話、どこまで聞いたんだ?」


 私がそんな決意をしていると、陽介は不安げにそう尋ねてきた。


「どこまでって、中学の仮入部から、陽介が部活を辞めるまでだけど」

「夏希、変なこと言ってないだろうな?」

「言ってないと思うけど……。あっ! でも陽介って意外とやるときはやるんだなって思ったよ。ほら、先輩を相手に練習しろー! って凄んだこととか!」


 私がそういうと、陽介は恥ずかしそうに両手で顔を覆った。


「……というとあれか、俺がボコボコにされたっていう話も?」

「うん、聞いたよ」

「おふっ」

「でも、なっちゃんはわざと殴り返さなかったって言ってたよ? そうなの?」


 私がそう聞くと、陽介は顔に当てていた両手を膝の上で組んだ。

 露わになった表情は、少し恥ずかしそうで、そのあまり見ない表情に思わずキュンとした。

 そんな表情を私に見せてくれることが嬉しくて、体が熱くなる。


「いや、まぁ確かに殴り返したらあの先輩と同じだなと思って手は出さなかったけど、殴り返せてたかって聞かれると微妙だな……。俺はそういうの得意じゃないし」


 確かに、陽介が誰かを殴っているイメージがわかない。

 私が好きになった優しい陽介は、温かい、まるで太陽のような笑顔で笑っている陽介だから。


「それで、責任を感じて部活をやめちゃったの?」

「いや、違うよ」


 私の質問に、陽介はきっぱりとそう言い切った。


「俺が部活を辞めたのは、それが丁度いいタイミングだったからだ。俺に部活は向いてないんだよ。根性も、継続力もない俺にとって、部活は続けられるほど熱中できなかったってだけ」


 陽介は昔を懐かしむように笑って言った。

 でもその口調は力強くて、これ以外に正解はないと、そう断言しているかのようだった。


 でもそれは少し夢がない。なんて、そう思ってしまうから。

 だから私はなっちゃんを守って、責任を全うして辞めたってことにしておこうと思った。





 ――――





 次の日の体育の授業で、私たちはそれぞれ体育祭に出場する種目の練習をした。

 私はムカデ競争に出ることになっていて、運動が苦手な私でもなんとかなりそうで安心した。


 広いグラウンドのトラックでは、陽介たちがリレーのバトン渡しの練習をしていた。

 さすがになっちゃんや相沢さん、塚田君は現陸上部員だけあってとっても上手に見える。

 私は素人だから何がうまいのかはよくわからないけど、とてもスムーズに受け渡しができていて、受け取ったほうもスピードが落ちていない。


 陽介や広瀬君もそれなりに上手に見える。庭さんはまだ練習中って感じかな? でもすぐにうまくなりそう。



 塚田君は陽介と走れることが何より嬉しいって感じ。1年生の頃はずっと陽介を陸上部に誘っていたんだって聞いた。


 そういえば、塚田君と陽介たちってどうやって仲良くなったんだろう? また今度聞いてみよう。



 その今度は一体いつになるんだろう。そんなことをふと思った。


 なっちゃんと仲直りはしたい。でも、陽介のことは好き。

 だからどうすればいいのか、私はわからずにいた。


 なっちゃんと仲直りするために、陽介へのこの気持ちを諦めるのか。

 好きな気持ちを優先して、なっちゃんとこのままなのか。

 どっちをとってもどちらかを失ってしまう。

 でも私はそのどちらも失いたくない。


 だけど、もしどちらか選ばなくちゃいけないとしたら、私はどっちを選ぶんだろう?

 それが、まだわからなかった。



 そう、だから確かめるんだ。陽介となっちゃんが走ってる姿を見て。バトンがつながる所を見て。

 もしその光景を見て、なっちゃんには敵わないってわかっちゃったら、その時は陽介のことを諦めよう。それでなっちゃんと仲直りするんだ。


 ……それで、本当に私はいいのかな? 納得できるのかな?

 それも、その時になってみればわかるのかもしれない。



 どこからともなく湧いて来る不安を無理矢理に押し込め、私は自分の競技の練習に戻っていく。

 私はムカデ競争だから、皆とちゃんと息を合わせる練習をしないとね。


 そうしてトラックで未だ練習をしている陽介たちに背を向けた一瞬、目に映った風景の中で、なっちゃんは楽しそうに笑っていた。





 ――――





「さあっ! 陽介はこれからリレーの練習だね!」

「ホントにやるのかよ……?」


 放課後になってそう声をかけると、陽介は帰り支度をする手を止めて、面倒臭そうに顔をしかめた。


「当然! あっ、なっちゃんに私に言われたから来たって言わないでよ? あと明日の勉強見てあげることも」

「それは喧嘩してるからか?」

「……まぁ、そうかな」


 曖昧に微笑むと、陽介は優しげに笑って頷いた。


「そう悲しそうにするな。何を喧嘩したかは知らんが、夏希だって落ち着いてくればちゃんと話せるようになると思うから。そしたらしっかり仲直りするんだぞ?」

「分かってる。ほら、私はもう帰るから、陽介も行って」


 私がそう言うと、陽介は帰り支度を進め、バッグを手に立ち上がる。



「じゃあ俺は行くけど、雪芽一人で帰れるか?」

「帰れますー! 私だって高校生なんだからねっ!?」

「そっか」


 陽介は笑って私に背を向ける。

 そうして去っていく陽介の背中に、声を掛けそうになって、ぐっとこらえた。


「あ、少しでも体調悪くなったら連絡しろよ?」


 突然振り返った陽介に、思わず心臓が跳ねた。

 無意識に声出してたのかと思って焦っちゃった……。


「うん、分かった」

「あと、変な男に絡まれたら無視するか大声上げて助けを呼べよ?」

「それも分かった」

「それと、痴漢や盗撮にあったら連絡を――」

「もうっ! 分かったから早く行って!」

「おい、押すな押すな!」


 いつまでたっても行こうとしない陽介に業を煮やし、背中を力いっぱい押した。

 それでも陽介は何度も心配そうにこちらを振り返っていた。


 まったく……、私は子供じゃないんだよ? まるでお父さんみたいなこと言うんだから……。



 長い時間をかけてなっちゃんと合流した陽介を見届けて、私も帰り支度を進める。

 いつもはもっと時間のかかる帰り支度も、あっという間に終わってしまい、私は教室を出た。


 今日は陽介もいないし、歩いて帰る意味もないのでバスで帰る。

 その道のりはあっという間で、15分もしないうちに駅についてしまう。


 用事もないので駅のホームで次の電車を待っている間も、妙に長く感じて。

 隣で大きな声で話すおばさんたちの会話がやけに気になったり、ホームを歩くハトを意味もなく眺めたり。


 よく考えたら、こうやって通学路をじっくり眺めながら帰ったことはなかったなぁ。

 ちょっと新鮮で、新しい発見がたくさんあって。少し面白いかも!



 いつもは陽介が開けてくれる電車の手動ドアも自分で開けた。ちょっと重くて驚いた。

 いつもの二人掛けのシートは、今日はちょっと広くて。でも癖で膝の上に荷物を置いていた。

 車窓の外は田んぼや畑だらけで、こんな風景だったかと今更のように不思議に思った。



 いつもの無人駅に降り立ち、改札を抜けた先で見つけた猫にハート型の模様があるのを見つけた。


「あっ、見てハート型!」


 そうして振り返った先には誰もいなくて。

 いつもは返ってくる優し気な笑みと、簡素だけど温かい言葉がないことに、少しだけ寂しい気持ちになる。


「あはは……、なにやってるんだろ、私」


 そうして呟く言葉にも、返事は返ってこない。


「ウニャァ~」

「あははっ、うん、ありがとね!」


 足元の猫の目は、そんな私の弱気を見抜くようにまっすぐだった。

 そして弱気な私を慰める様に、私の靴にほおずりをしてどこかへと立ち去っていった。



「……ホントにいつも陽介と一緒だったんだなぁ。私」


 そう呟いて初めて、その事実とありがたさを実感した。



 この町に来てから、私の側にはいつも陽介がいてくれて。

 学校に行くときも、学校にいるときも、こうして帰るときも、必ず陽介が側にいてくれていた。

 そうしていつも私を心配してくれてて、何かあればすぐに助けてくれた。


 ……私、陽介に頼ってばっかりだなぁ。



 でもなんで、陽介は私の側にいてくれるんだろう?


 なんで優しくしてくれるのか聞いたときは、私の特別になりたいって言ってたけど、それと関係あるのかな?


 思えば陽介とは出会ってまだ1ヵ月なんだよね。私って陽介のこと、まだまだ全然知らないんだ。


 そう思った瞬間、懐かしむ表情でアルバムをめくるなっちゃんの顔が浮かんだ。

 その瞳は優し気で、ここじゃない昔を見ていた。


 その瞳が見ている景色の中に、陽介がいることがなんだか羨ましくて、悔しくて、憎らしかった。




「……負けたくない。負けたくないよ……」




 そう呟いた声は少し湿っていて。

 でも見上げた空はどこまでも高く、青く澄んでいた。


 夕立でも降ってくれればいいのにさ。そうしたらいっそ楽になれるのに。


 そうしてお母さんが迎えに来てくれるまで、私は空を睨み続けていた。

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