第3章 手にした未来と夏の終わり

帰ってきた日常

第46話 夏休みの終わりは日常に帰る

「よーし、じゃあ池ヶ谷は柳澤の隣の席に座れ。柳澤、しばらく池ヶ谷の面倒を見てやれ。いいな」

「はい」


 俺の返事に、クラスの視線が集まる。

 いくつもの目に見つめられて、俺は蛇に睨まれた蛙のように固まることしかできなかった。


 女子の視線はまだいい。なんていうか好奇の目というか、おもちゃを見つけた子どのような目をしているから。まぁ、いろいろと後でめんどくさいことになるのは必至だろうけど……。


 問題は男子の視線だ。

 今にも取って食ってやろうか、というギラギラした視線をあちこちから感じる。これはちょっと命の危険を感じざるを得ない……。



 雪芽がゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。

 俺と目が合うと、嬉しそうに笑った。


「よろしくね、陽介」

「ああ、よろしく」


 でも今は、今この瞬間は、それも忘れていいのかもしれない。

 雪芽が無事うちのクラスに転入してきた。それも何不自由ない元気な姿で。

 俺の隣で、こうして微笑んでいる。それだけで今は。

 俺の望んだ未来の中に、こうして立っているんだから。



「じゃあホームルームは終わりだ。お前たち、準備して体育館に行くからな。さっさと用意しろよ」


 山井田がホームルームの終わりを宣言すると、クラスの皆は一斉に立ち上がった。

 な、なんだ……? みんなやけにやる気で――


「池ヶ谷さん! これからよろしくね!」

「ねぇねぇ! 池ヶ谷さんってどうやって柳澤君と知り合ったの!?」

「あ! それ私も気になる~!」

「あ、あの……、順番に――」


 一斉に雪芽の席に集まる女子たち。

 すんごい勢いで雪芽に自己紹介したり質問したりしているようだが、全員で一斉にしゃべるので、何が何だか訳が分からなくなっている。

 見れば雪芽も戸惑っている様子。これは助け舟を出した方がいいかもな……。


「ちょっと皆! ユッキーが困ってるでしょうが!」


 そんな女子たちのうるさい声をかき消すように、教室に響き渡る聞きなれた声。

 一斉に口を閉ざした女子たちが道をあけたその先には、夏希がいた。


「1人ずつ順番にいろいろ聞いていけばいいじゃない。ね、ユッキー」

「ちょっとぉ、なんで夏希も友達になってるのぉ!」

「そうだそうだぁ!」

「あーもうっ! うるさいわねぇ!」


 夏希も大変そうだ。


 でも、雪芽の周りは少しずつ統制を取り戻しつつあるようだ。さすが夏希、あっちは任せてもよさそうだな。

 さて、じゃあ俺も始業式に向かう準備を――


「お~い、柳澤君~? ちょっとお話があるんですけどもっ!」

「お? ちょっと始業式まで面貸せや! どぉいうことか説明してもらうからよぉ!?」

「てめぇぶっ殺してやる!」

「ちょ、待てお前ら、目が、目が怖いんだけど!」


 立ち上がりかけた俺の行く手を遮る男子たち。目が怖い。


 見上げた面々は、約10ヵ月ぶりということもあってとても懐かしく感じられた。というより、ほとんどのやつの名前を忘れかけている。


「こらお前らっ! そんなのは後にしろ! いいから並べ!」


 そんな俺たちに、山井田が堪らず声を荒げた。


「「は~い……」」


 そして皆渋々と言った様子で廊下に出ていく。

 た、助かった……。危うく火あぶりにでもされるかと思った。



「ははっ、大変だなー、陽介」

「隆平……。お前少し肩代わりしてくれよ」

「そりゃ無理だって。死にかけたら助けてやるけどさぁ?」

「……それじゃあもう手遅れだろ」


 それもそうかと笑う隆平。




 ……あぁ、俺は帰ってきたんだな、日常に。




 そんな些細なことが、今はたまらなく嬉しくて。


 振り返るとそこに、夏希と並んで女子たちに囲まれている雪芽がいた。

 困惑した様子で、それでも楽しそうに笑っている雪芽が。


「……? どうした、陽介? そんなに怖いのか?」

「……ッ! そんなんじゃねぇよ」

「何も泣かなくても……」

「な、泣いてねえから! ホントに……」


 ……くそっ、涙もろくなっていけない。


 でも、あれだけ焦がれた未来の中に自分がいて、雪芽がいて。

 そこで雪芽が笑ってるんだぞ? そんなの見たらさ、涙が出てきてもしょうがないだろ。



 それから体育館へ向かう道中、始業式の始まる前、終わった後の帰り道等々。そのすべての中で、雪芽との関係や、どうやって知り合ったのか、そんなことを聞かれた。

 それは教室に帰って来て、ホームルームが終わった後にも及んだ。



「それではこれより、被告人柳澤陽介の裁判を開廷いたします。被告人は前へ」

「おいおい、なんだよこれ――」

「被告人は黙ってなさい! いいからお前は大人しく事実だけを述べてればいいんだよ。で、あんな可愛い子とどうやって知り合ったのか、まずはこれを聞こうか」


 俺は教室の隅に追いやられ、男子共に囲まれていた。

 大仰なことを言ってはいるが、つまりは俺と雪芽の関係が気になってるってことらしい。


「え、やだよめんどくさい」

「あ? 今すぐ死ぬか? おとなしく話せば悪いようにはしないぞ?」

「ったく、しょうがないな……。えっと、駅で会ったんだよ。補習に遅刻して、電車待ってる間にいろいろしゃべって仲良くなった。それだけだよ」

「あ、そういえばお前だけ補習だったもんな。プークスクス!」

「それは今関係ないだろ!?」



 それからも、男子たちは俺に代わる代わる同じような質問をぶつけてくる。

 全く、何回説明すればいいんだよ……。


 男子共の間を縫って向こう側を見れば、雪芽も同じように女子に囲まれていた。

 あっちもあっちで大変そうだな……。まぁ、こっちよりは平和だと思うけど。


「なるほどねぇ。仲良くなって、引っ越しをお手伝いして、学校案内もして、花火大会にも行って? しまいには夜景を見に行っただぁ?」


 似非えせ裁判長が俺のやってきたことを挙げるたびに、周りの男子共の目が据わっていく。


「裁判長、もう判決は出たのでは?」

「うむ。判決を述べる。被告人陽介は死刑」

「おいこら」


 一通り質問には答えてやったのに、問答無用で死刑判決が下された。俺に弁護士はいないのか?


「何で死刑なんだよ? 理由を聞かせてくれ」

「はぁ? そんなの陽介の分際であんな可愛い子と仲良くなったからに決まってんだろ。小山さんとも幼馴染で? 転入生ともすでに親友とか、ふざけるのも大概にしろよ? ってことで死刑」

「ちょっと待て、夏希は関係ないだろ!?」


 俺の言葉に、似非裁判官たちは騒めきだす。


「おいおい聞いたかジョニー? ヨースケのやつ、小山さんは関係ないってさぁ?」

「ハッハッハ! こいつぁ面白い冗談だなぁ、マックス!」


 お前らジョニーでもマックスでもないだろうが。

 下手なアメリカコメディー番組をやるなっての。



「ひとまずいっぺん死ね。したらわかるから、な?」

「まぁまぁまぁ! 皆、裁判はこのくらいにして、これから皆で池ヶ谷さんと仲良くなっていけばいいだろ?」

「そうっしょ! スケバンも不慮ふりょの事故で仲良くなっちゃったんだしさぁ?」


 そう言って俺を弁護してくれたのは、クラスの華やかグループ筆頭の男子生徒と、高野だった。


 確かこいつの名前は……、広瀬ひろせ、だったか? あまりよく覚えてないけど成績優秀、部活でもかなり優秀。ついでに高身長、イケメン、誰にでも優しいと三拍子そろった完璧イケメンだったはずだ。

 部活は何だったっか。身長高いし、バスケ部とかだろ。

 俺とは、高野同様ほとんど関わりのないクラスメイトだ。


 正直こんなクラスの人気者に弁護してもらえるなら願ったりだが、なんで俺なんかの弁護を?


 ……でも、広瀬はともかく、高野はなぁ、心配だなぁ。

 不慮の事故とか言ってるし……。なんかそれだと俺が雪芽と出会いたくなかったみたいに聞こえるだろうが。偶然と言え、偶然と。



「……というか待て。そのスケバンってのはなんだ?」

「んあ? スケバンはスケバンのことっしょ? 新しく名前考えてくれってから昨日徹夜で考えたんじゃん?」


 徹夜して出た答えがそれなのか、高野……。哀れな奴だ。


「それ、チェンジで頼む。俺は男だからスケバンにはなれないんだ」


 俺がため息交じりにそういうと、高野は首をかしげる。


「……? スケバンって男だとなれねぇの? てかスケバンってなに?」


 ……マジで言ってるとしたら、よく俺の名前からスケバンが出てきたなと感心する。

 てかそれ、以前のスケスケ番長とあんまり変わってないぞ。いや、スケスケ番長の方がなんかエロかったけどさ?


「ははっ! あきらは面白いな! なんで陽介の名前がスケバンになるんだよ?」

「え!? リンリンわかんねぇの!? 陽介だから、スケバンっしょ?」

「……やっぱりわからないな。それに俺のあだ名もなんでリンリンなんだ?」

優利ゆうりだからリンリンっしょ?」

「そ、そうか……」


 広瀬よ、笑顔が引きつってるぞ。

 やっぱり高野と仲のいい広瀬でもこいつのネーミングセンスはよくわからないらしい。



「そういえば、高野はすでに雪芽と知り合いだよな?」

「お? それな! めっちゃんとはもう1回会ってるし? ダチなんじゃね?」


 まぁそれはないと思うけど。

 俺だって4回顔合わせるまで友達になれなかったんだから。


 そして高野の言葉を聞いた男子共は、あり得ない速度でぐるりと首を回し、高野を見る。

 どうやらタゲ移しは成功したらしい。


「明くぅん? それほんとぉ?」

「んあ? マジだけど?」

「それでは被告人高野明の裁判を開廷します。主文、死刑」

「ちょ!? なんでだよ!?」


 男子共が今度は高野の裁判を開始する。

 何が何だかわかってない様子の高野。それを囲って男子たちは楽しそうだ。



「……ほんとに、夏休みは終わったんだな」

「陽介、夏休みに何かあった? なんか老けたんじゃない?」

「なにもねぇよ。なにも」


 不思議そうに隆平が顔を覗き込んでくる。


 目の前で繰り広げられている茶番も、クラスメイトのやり取りも、以前はもっとありふれていて、騒がしいだけだと思っていた。

 でも今は、そんな騒がしさが懐かしい。


「こら陽介! なに笑ってんだよ! お前も死刑なんだからな? ほらこっち来い!」


 こんな風に当たり前のことに涙を流しそうになるなんて、以前の俺は思いもしなかっただろう。

 長期休み明けのテンションも、以前ならめんどくさいとすら思っていたはずなのに。

 今はなぜか、とても尊く思えるのだから。



「おーい、お前らまだ全員いるか?」


 教室の入口から聞こえた声に、皆振り向く。

 そこにはさっき出ていったはずの山井田がいた。


 皆いったん会話を止め、山井田を見る。


「まさかいないだろうからと言い忘れていたが、宿題をやってこなかった奴、いたら各授業の初めまでにやっておくように。他の先生はともかく、俺の授業でやってこなかった奴にはが待ってるからな。覚悟しておくように」


 それだけ言うと、山井田は再び廊下に姿を消した。

 そして少しの沈黙の後、クラスメイト達は談笑を再開する。


「宿題なんて、やってこない奴いるのかよ?」

「まぁ俺は危なかったけどなぁ。終わってるから関係ないけど!」


 そんな話題で少しの間男子たちは盛り上がっていた。

 その中で沈痛な面持ちをしている男が一人。高野だ。


「……やべ、俺何もやってないんだけど」

「え、嘘だろ? やばいじゃん明。山井田さんのお仕置きって確か……」

「あ、ああ、聞いたことがある。去年宿題をやってこなかった奴がその後1週間を死んだような目をして過ごしていたって。何があったか聞いても答えてくれなくて、やばいってことだけ広まったあれだろ……?」


 その場の全員が高野を憐れむ視線を送る。

 高野も顔を青ざめ、ガクガク震え始めた。


 山井田さんのお仕置きってそんなにやばいのかよ? 危なかったー、俺はやっといたし。


 ……あれ? やっといた、よな?


 …………。




「……ちょっと待ってくれ。俺もやってないんじゃね?」




 俺の呟きに、周りの男子共は今まで高野に向けていた視線を俺に向けた。


 いやだって、最初の夏休みの時はやったんだよ? それってやった内に入らない? あ、入らないですかそうですか……。



「あ~……、お前らを死刑にするって言ったけど、あれやっぱなしでいいわ」

「あ、ああ、そうだな。もはや死刑みたいなもんだし……」

「あ! 俺もう部活の時間だ! じゃ、じゃーな」


 口々にそう言い残し、一人、また一人と俺と高野の肩を叩き教室を去っていく。

 その笑顔はなぜかとても優し気で、今までの理不尽さをまるで感じさせない菩薩のようなものだった。


「明、陽介、がんばってくれ……!」

「じゃ、じゃあ俺も部活だから行くな? 二人とも頑張れよ……」


 広瀬と隆平もそう言い残して去っていった。

 残された俺と高野は、さっきまでの喧騒が嘘のような静けさに包まれていた。



「……スケバン、お互いに頑張ろうなっ!」

「ああ、そうだな。後そのあだ名、早く変えてくれ」


 ふっ、悪いな高野。俺はすでに一度宿題を終わらせている身。お前とはスタートラインが違うんだよ。

 ひとまず数学の宿題だけでも全力で終わらせて、残りは後回しだ。大丈夫、きっと今夜中には終わるはずだ。

 ……終わるよな?


 ちらりと、未だ何人かの女子に囲まれている雪芽を見ると、目が合った。

 雪芽は困ったように微笑むと、再び会話に戻っていく。


 ……雪芽って勉強できるのかな? 後で聞いてみよう。





 ――――





「なっちゃんも一緒に帰れればよかったのにね」

「しょうがないだろ、部活なんだからさ」

「そうだけど……」


 俺は雪芽が女子たちから解放されるのを待って、一緒に下校していた。

 雪芽はまだ部活に入っていないし、俺も帰宅部だからだ。



 学校からの下り坂を、二人並んで歩く。

 その距離は、以前桜の公園から歩いて帰った時と同じくらいだ。


「なぁ、どうだった? 学校」


 俺の質問に、雪芽は今日の出来事を思い出したのか、おかしそうに笑った。


「思ってたよりもみんないい人たちでよかった! 陽介とのことをいろいろ聞かれてちょっと困っちゃったけど……」

「俺のこと? 変なこと言ってないだろうな」

「とっても優しい人だって言っておいたよ」


 うん、別に変なことじゃないけども、それはそれで恥ずかしい。


「あと、陽介となっちゃんが言ってた大変なことの意味がようやく分かった! 陽介、男の子たちに囲まれて大変そうだったもんね」

「ホントだよ……。憐れみで何とか許してもらったけどな」

「憐れみ?」



 雪芽に宿題の件を伝えると、彼女は朗らかに笑った。

 地面の白いタイルが太陽光を反射しているせいか、その笑顔が眩しい。




「じゃあ私が手伝ってあげようか? これから家に来てくれれば教えてあげるよ?」


「え!?」




 俺が、雪芽の家に?

 ちょ、ちょっと待て、それは願ってもない誘いだが、雪芽はその意味を分かって言ってるのか?

 ……自宅に男の俺が行ってもいいってことなのか?


 チラリと、雪芽の顔を伺う。

 彼女はなんてことなさそうに微笑んでいるだけだった。


 友達だから大丈夫、ってことなのか。

 まぁ、そうか。引っ越しも手伝ったし。俺だけ変に意識するのもおかしなことだな。


「……じゃ、じゃあ、お願いしようかな」

「うん!」


 俺がそう言うと、雪芽は満面の笑みを浮かべるのだ。

 それはこの夏の中にあっても一層輝いて、俺は眩しくなって目をそらした。




「なぁ、今日は何月何日だ?」




 俺の問いかけに、雪芽はキョトンとする。


「なぁに? 急に。今日は8月24日でしょ? 夏休み明け最初の、私にとってはこの学校で最初の日だよ」

「そっか。うん、そっか……。雪芽、これからもっと楽しい思い出を作っていこうな」

「それは賛成だけど……、どうしたの? 陽介、泣いてる?」

「泣いてねぇよ。雪芽、制服似合ってるな」

「な、なんで急に!? で、でも、ありがと……」



 俺はこれ以上雪芽の笑顔を見ていられなかった。


 隣で笑う雪芽の姿を、目に焼き付けておきたいはずなのに。

 この笑顔がいつ失われてしまうかもわからないから、しっかりとこの瞬間をかみしめたいはずなのに。

 なのに、俺は目をそらしてしまう。


 だってどうせ、目に焼き付けようとしても、視界は滲んでしまうのだから。ろくに見ることなんてできやしないのだから。


 だから、今は隣で雪芽が笑う気配を感じられればそれでいい。

 確かに俺の隣で笑っていることが分かれば、それでいいんだ。



 それから、雪芽が女子たちと仲良くなった話しや、夏希がいろいろ手を尽くしてくれた話、俺が男子共にどんな目にあわされたか、そんな話をしながら駅までの道を歩いた。

 雪芽は終始楽しそうで、学校生活に抱いていた不安は、今日という1日でほとんど霧散したようだった。



 よかったな、雪芽。ほんとによかった。


 目元をぬぐって手についた水滴は、夏の暑さであっという間に空気に溶けていった。

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