第47話 二人の関係は言葉にできない
私は、陽介と一緒に電車に揺られながら、今日あったいろいろな出来事の話をしていた。
相沢さんや飯山さん、斉藤さんは名簿も近かったし、いろいろお話できたなぁ。
他にもいろんな人が話しかけてきてくれて、最初は驚いちゃったけど、でもみんないい人たちだった。
なっちゃんもいてくれたし、初めて会う同年代の子たちだったけど余り緊張せずにお話しできた。
でもこれも、陽介が私にそのままでいいって言ってくれたからかな? なんて。
陽介は私の隣の席で私の話に相槌を打っている。
私ばっかりしゃべってつまんないかなって思ってたけど、その顔は楽しそう。
楽しそうというより、嬉しそう? まるで子供が初めて友達ができたって親に報告している時の親の顔みたい。
まったくもう、私は子供じゃないんだよ?
でも、私があれが楽しかった、これが嬉しかったって話すたびに、なぜか陽介は今にも泣きそうになっていく。
さっきも泣いてた様だったし。まぁ、本人は泣いてないって言うんだけど。
あの日、あの駅で、陽介は私と陽介の関係が何なのかを尋ねてきた。
親友になれたのかって。そうじゃないでしょって言いそうになっちゃった。
でも、今の私たちは親友っていう関係が一番近いような気がしたのも事実だ。
友達というには親密で、特別な関係。きっとこの関係に名前なんてなくて、表しようがなかった。
だから、今は親友でいい。
親友なら陽介が抱えている何か。それを聞くことができる日も近いんじゃないかなって思うから。
前みたいに何もかも抱え込んで、それでも笑う陽介は見たくない。今日みたいに突然何でもないことで泣きそうになっている彼の根底に、何があるのかを知りたい。私にも、その重荷を分けてもらいたい。
でもきっと陽介は直接聞いても話してくれないんだろうなぁ。
だって陽介、変なところで強情だから聞いても教えてくれない気がする。
話をしているうちに電車はあっという間に駅についてしまった。
少し名残惜しい。せっかく二人きりだったのに。
そう思うと、少しだけ顔が熱くなる。やっぱりまだこの感じにはなれないなぁ。
恋、だなんて、物語の世界の話だと思ってた。
でも、今の私には、そんな物語の中で恋する数多の少女たちと一致することが多すぎて、もはや疑いようもない。
電車のドアを開ける陽介の後ろ姿を見る。
あぁ、私はこの人に恋してるんだなぁ。
そっと手を伸ばす。でも、私の手が触れる前に陽介は電車から降りてしまった。
空を切った手をそっと下ろして、私も後に続いた。
「じゃあ帰ったらすぐに家に来てね。ほんとは私が陽介の家に行けたらよかったんだけど、今日はお母さんが用事で出かけてて、送り迎えをしてもらえないから。ごめんね」
「ああ、別にいいよ。それより持ってくお菓子は何が――」
そこまで言いかけて、陽介は動きを止めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! ……今何て?」
陽介はなんだか焦った様子でそう尋ねた。
どうしたのかな?
「私が陽介の家に行けたらよかったって言ったけど……」
「そうじゃなくて、その後」
「……? お母さんが用事で出かけてて送り迎えが――」
「それ! 本当か……?」
なんだか不安? 心配? そんな表情を陽介は浮かべている。
お母さんがしばらく帰ってこないのは本当だけど、それがどうかしたのかな? お母さんがいなくても私が宿題見てあげるんだし、大丈夫だと思うけど……。
「うん、本当だけど、どうかしたの?」
「……いや、雪芽がいいならいいんだ。帰ったらすぐ行くよ」
「うん。待ってるね」
そう言ったのに、なぜかまだ煮え切らない様子の陽介。ホントどうしたんだろ?
その答えは、陽介と別れて家に帰る途中で出た。
今日はお母さんが迎えに来れないから、歩いて帰っているのだが、その道中が暇すぎてなぜなのかずっと考えていたのだ。
そう、今日はお母さんが家にいない。それで、お父さんもいつも通りお仕事だし、当然家にはいない。
ということはだよ? 家にいるのは私だけってことになるよね? そこに陽介を呼べば、当然私と陽介の二人きりになるってことだよね?
「それって、私の部屋で陽介と二人っきりってこと!?」
思わず立ち止まり、口に出して叫んでしまった。
その声に驚いて、田んぼにいたサギが飛び立つ。
それに驚いて、思わず小さな悲鳴をこぼしてしまう。
あの鳥、ちょっと大きいから急に飛び立つとびっくりするんだよね。
悠々と空を跳ぶサギの姿をボーっと眺めてから、私はさっきまで何を考えていたのかを思い出した。
……そうだよ! 私これから家で陽介と二人っきりになっちゃうんだよ!? ど、どうしたらいいんだろう……。
陽介のことだから、いきなりってことはないと思うけど、男は狼だって聞くし……。
でもそんなこと心配するのは陽介に失礼かな……? でもなぁ、いやでも!
そんなことを悶々と考えながら、私は気が付いたら家についていた。
鍵を開けて、まだあまり慣れていない我が家にただいまを投げる。
しかしお帰りは帰ってこない。当然か、今は誰もいないんだもん。
陽介と、二人っきり……。
……それはそれで、ありなのかも。
「……って! なしなし! 今のなし!」
誰ともなしに呟いた言葉は、部屋の壁に吸い込まれて消えた。
後に残るのは遠く聞えるくぐもったセミの声だけ。
その静けさに、私はなにをやっているんだろうと気恥ずかしくなってくる。
「はぁ……、とりあえず着替えよ」
制服を脱いで、部屋着に着替える。
壁に掛けられた制服を見て、私は今学校に通ってるんだって実感する。
陽介や、なっちゃんという友達がいる学校に。
ふと、教室で男子たちに囲まれている陽介を思い出した。
困ったように、でもどこか嬉しそうにしている陽介を。
きっと私と同じようになんでもう友達なのかとか、いろいろ聞かれたんだろうなぁ。確かに私が転入してきて大変だったみたい。
……でも、だったらなんで陽介だけが大変みたいに言ってたんだろう? なっちゃんも同じように大変だった思うし、私も陽介と同じような立場だったと思うんだけど……。
あ、もしかして陽介が裁判だ何だって言われてたあれのことかな? 何を裁かれてたのか私にはよくわからなかったけど、死刑だ何だって大変そうだったし。
……って、そんなこと考えてる場合じゃなかった。陽介はすぐ来ちゃうんだから。
「さて、陽介が来る前に部屋の掃除しなくちゃ!」
見渡した部屋の床には、脱いだ服とか、プリントの山とかがあちこちに散乱していて、さすがに片づけないと人を呼べる状態じゃない。
……ちょっと散らかりすぎかな? 陽介に来てもらうの遅くしてもらった方がいいかも……?
私は気合を入れて、腕まくりをする。
その姿が姿見に映りこんだ。そして私は自分の格好を見て絶句する。
「……って、いつもの癖で部屋着に着替えてる! さ、さすがにこれで陽介に会うのは恥ずかしい……」
そうして結局余所行の格好に着替えたりしていて、一向に掃除は進まなかったのだった。
――――
「お、おじゃましま~す……」
「いらっしゃい! ちょっと散らかってるけど」
陽介は恐る恐ると言った様子で家に上がる。
引っ越し手伝ってくれた時も上がったんだから、何をいまさらって感じだけどね。ふふっ、おかしいの。
しかし、陽介からこれから向かうという連絡が来たのが、あれから約1時間後で助かった。
おかげで私も心と部屋の準備ができたし。
でも陽介、自転車だったから駅から家に帰るまでに1時間もかからないよね? 差し入れのお菓子買ってたにしても遅すぎるような……。何してたんだろ?
「あれ、雪芽どこか出かけたのか?」
「え? 別に出かけてないけど」
「いや、制服から着替えてたからどこか――」
「あー! 陽介上がって上がって! 今お茶持ってくるからそこ座って待ってて!」
「え、ちょ、急にどうした!?」
私は陽介を部屋に通して机の前に座らせると、急いでキッチンにお茶を取りに向かった。
全く、普段は私の服なんて気にしないくせに、こういう時だけ気がつくんだから……。
でも、なんだか私のことを見てくれてるってことが、無性に嬉しかった。
お茶をもって部屋に戻ると、陽介はおとなしく宿題を広げていた。
それを見て、私はなんだか複雑な気分になる。
もう少し私の部屋に興味持ってくれてもいいのにさ? あんまりジロジロ見られるとそれはそれで恥ずかしいけど……。
まぁ、陽介は宿題を教えてもらいに来たんだもんね。何を一人で舞い上がってたんだろ、私……。
それから、陽介の宿題の手伝いを始めたのだが、陽介は思っていたほど苦戦もせず、少し考えただけで解いていく。
なんだか1問1問思い出しながら解いてる感じで、私はその思い出すのを手伝ってる感じ。
……これって、私手伝う必要あったのかな? 陽介一人でも十分できそうな感じだけど……。
それから陽介は、これと言って躓くこともなく、数学の宿題を終わらせて見せた。
少し考えてるそぶりの時は、私が解き方を教えてあげたくらいで、ほとんど陽介一人で解いたようなものだ。やっぱり私はいらなかったんじゃ……?
ほとんどの時間を陽介を見つめていられたから、私としては幸せだったけどね。
「ありがとう、助かったよ」
でも陽介はそう言って肩の荷が下りたように笑う。
私は何もしてないって言うんだけど、陽介はそれでも誰か側にいてくれた方が集中できたって言う。
それは私じゃなくてもよかったのかななんて、めんどくさいことを考えたりして。
せっかくだからってことで、残りの宿題も見てあげてたけど、やっぱり陽介は自分の力だけで解けそうだった。
陽介って思っていたよりも勉強できるのかな? 補習になってたりのイメージが強くて、あまりそんなイメージ無いんだけど……。
「ただいま~」
残りの宿題を少し進めたあたりで、玄関からお母さんの声が聞こえてきた。どうやら用事は終わったらしい。
「おかえりー」
私の部屋に顔を出したお母さんは、陽介の姿を見つけると、意味深な笑みを浮かべた。
「あら? 陽介君、来てたのね。ごめんなさいね、おもてなしもできなくて」
「いえ、こちらこそ急にお邪魔しちゃってごめんなさい」
「いいのよ。二人は何してたの?」
「陽介の宿題の手伝い! ほらっ、お母さんはあっち行ってて!」
「あらあら」
私がお母さんを部屋から追い出そうとすると、お母さんは楽しそうに笑う。その目が何だかおばさん臭い。
部屋の外に出てドアを閉めると、お母さんは私に向かって小さく拳を握りこんだ。
「雪芽、ファイトよ!」
「もうっ、そんなんじゃないって!」
「あら、そうなの? お母さんがいない間に何かあったとかそういう――」
「何もないからっ!」
うぅ……、本当に何もないんだもん。これじゃあ本当にただの友達みたいじゃん!
……まぁ、陽介にとってはそうなのかもしれないけどさぁ。
お母さんを追い出して部屋に戻ると、陽介が微笑みを湛えながら出迎えてくれた。
……まさかさっきの聞こえてないよね? 小声だったから聞こえてはいないだろうけど、ちょっと恥ずかしい。
「俺はそろそろお暇した方がいいか?」
時計を見て、陽介はそんなことを言った。
時間はもう17時。随分時間が経ってたみたい。全然気が付かなかった。
「まだまだ全然大丈夫だよ! 宿題、まだ終わってないんでしょ?」
「まぁ、そうなんだが……。後は一人でも何とかなるから。あんまり長居しても迷惑だろ?」
そう言って宿題をしまい始める陽介。
え、まさかもう帰っちゃうの!? ホントにただ宿題手伝っただけ、というか、陽介を見つめていただけで終わっちゃったんだけど!
「迷惑なんかじゃないよ! まだ全然お話もしてないし、もうちょっと居なよ!」
「……そうか? ならもう少し居させてもらおうかな?」
そうして上げかけた腰を再び下ろし、陽介は思い出したように口を開いた。
「そういえば雪芽、明日暇か? また飯島さんのところに行こうと思うんだけど、一緒にどうだ?」
……一瞬でも陽介に週末デートのお誘いを期待した私がバカだったよ!
「時間があれば終わった後にどっか散歩にでも行ったりしようと思うんだけど、どう?」
「うん! 暇だから全然大丈夫だよ!」
ま、まぁ、特に用事もないし、断る理由もないよね!
それから陽介と他愛ないことを話した。
8月が終わったら9月の頭に体育祭、半ばに中間テスト、10月の頭には修学旅行とイベントが目白押しだという話とかも。
それを語る陽介の表情は、どこか懐かし気で、遠いところを見ているように感じた。
どうして、と。
そう聞きそうになって、そっと開いた口を閉じた。
聞いてしまえばいいのに、でも聞けなかった。
でも、今の陽介は以前とは違う。
初めて会った時から見せていた瞳の奥の悲しみや、何かを噛み締めて耐え忍ぶような表情も、今はしなくなった。
今日一日、陽介はいつもどこか嬉しそうで、幸せそうで。
泣きそうになってたけど、あれは悲しくてと言うより、感極まってって感じだった。
だから、大丈夫なんだって思った。
今すぐ助けなくちゃいけないような、緊急事態じゃなくなったんだって。
だから、陽介の根底にある何かが過去になるまで、私は待ってようって思ったんだ。
気にならないっていえば嘘になるけど、それでも。
「じゃあさすがにそろそろお暇するわ。ありがとな、手伝ってもらって」
陽介はそう言うと、さっと立ち上がった。
少し名残惜しい。でも、いつまでも引き留めておくのはいけないよね。
「ううん。私なんて何にもしてないもん。陽介が勝手に宿題を終わらせたんだよ」
「いや、一人だったらこんなに早く終わらなかったよ。今度何かお礼でもさせてくれ」
「お礼なんて、大げさだなぁ。でも、期待しておくね!」
私がそう言うと、陽介は困ったように笑うのだった。
陽介が帰ると、さっそくお母さんが事の詳細を聞き違った。
まったく、お母さんは意外とこういった話題が好きみたい。
多分だけど、私が陽介のことを好きだってこともばれてる。私の態度が分かりやすいんじゃなくて、お母さんが鋭いってことだよね? じゃないと困る……。
その夜、結局陽介とは何もなかったなぁと思いながら、片付いた部屋を眺めていると、あることを思い出した。
今日のホームルームで先生が言っていた、休み明けのテストのことだ。実力テストがあるって言ってた。
私は事前に話を聞いていたし、勉強もやってきたから大丈夫だけど、陽介はどうなんだろう?
「……まぁ、あれだけすらすら解けてたなら大丈夫だよね! 明日も早いし、もう寝よ!」
電気を消して、ベッドにもぐりこむ。
大きく息を吸い込むと、まだ陽介の匂いが、部屋に残っているような気がした。
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