第25話 都会の少女は田舎に異世界を見る

「あっ、あの駅いい感じかも。お母さん、ちょっと寄ってもらってもいい?」

「ええ、いいわよ。……ふふっ、本当に雪芽は静かな場所が好きなのね」


 私がお母さんと一緒に引っ越し先の候補の町を散歩していると、いい感じに寂れた駅が目に入った。


「だって、静かな方が落ち着くし……」


 私がそう言うと、お母さんはもう一度笑った。



 その駅は住宅の中に紛れてひっそりと佇んでいた。

 東京の方と違って駅にホームへ続く階段がない。入ったらすぐ目の前にホームがあるようだ。


 お母さんに車を止めてもらい、一緒に駅舎に入る。


「あら? 駅員さんはいらっしゃらないのかしら?」

「ほんとだ。お客さんも、誰もいないね」


 見れば改札も、お客さんも、駅員さんも、誰もいない。何もない。

 申し訳程度の駅舎と線路、それと向こう側のホームへ移動するための跨線橋こせんきょうがあるだけだ。


「……これって勝手に入っていいのかなぁ?」


 私がお母さんを見ると、お母さんは困ったように笑った。


「どうかしらねぇ……。でも改札もないし、仕方ないんじゃないかしら?」


 そう言ってお母さんは一人でどんどん中へ入っていってしまう。

 もう、お母さんはこういう時物怖じしないんだから……。



 私も恐る恐る駅舎に足を踏み入れる。


「お邪魔しま~す……」

「ほら見て雪芽。切符の代わりに電車内の整理券を取らなくちゃいけないんですって」

「なにそれ? Meronじゃだめなの?」

「お父さんも言ってたけど、この辺りだとMeronは使えないみたいだし、無理なんじゃないかしら?」


 不便なところだなぁ。

 でも、無料でホームに入れるし、静かに時間を過ごしたいときはちょうどいかも。



 中に入ってみると、この暑い中、日陰は改札口とホームに一つあるベンチと、駅舎の周りだけだった。


 屋根のないホームには、いたるところでアスファルトを突き破った雑草たちが顔を出している。

 雑草ってアスファルトの下からでも芽を出すんだ……。すごいなぁ。



「ちょっと雪芽~? これ見てよ」

「何?」


 お母さんのほうへ行ってみると、そこには随分と色あせた路線図が貼ってあった。

 隣にあるのはプラスチック版に書かれた時刻表のようだ。見事に1時間に1本しかない。

 しかも時間によっては2時間に1本だ。すごいなぁこれ。


「この駅から電車で学校の最寄り駅まで行けるって」

「へぇ、学校って今私たちが住んでるそばだったよね? ここまで電車で繋がってるんだ」

「車だと3、40分かかったけど、電車だとどのくらいなのかしら?」


 そんな話をしながら辺りを見回す。

 随分と静かな場所だ。周りには人の気配が全くしないし、ここだけ世界から切り取られたみたいに感じる。



「ねぇお母さん、私もう少しここに残っていたい。それに学校に行けるならそっちのほうにも挨拶に行きたいし、いい?」


 私がお願いすると、お母さんは心配そうな顔で反対した。


「この辺は人もほとんど通らないし、何かあったら大変よ? それに学校にはお母さんと一緒に行けばいいじゃない」


「大丈夫だよ、私も無理はしないし。それに動くときは連絡するし、心配なら迎えに来てもらってもいいから。許されるなら学校には一人で行ってみたいの。いつまでもお母さんにつきっきりじゃやだもん」


 私が真剣にそう言うと、お母さんはそれならと納得してくれた。

 渋々って感じがすごくするけど、それでもお母さんに私のお世話以外のこともしてほしかったし、私自身しばらく一人で引っ越しのことや学校のこと、そういったこれからのことを考えたかった。

 だからこの駅の静けさはちょうどよかったんだ。



「じゃあお母さんはこの近所をもう少し見て回ってくるわね。雪芽も学校に行くときや帰るときは連絡頂戴ね?」

「うん、お母さんも好きに見て回ってきてよ」


 お母さんは心配な気持ちを隠すこともなく、それでも最後には笑顔で去っていった。



 私は誰もいないホームのベンチに座る。

 向かい側のホームの先には田園風景が広がっていて、それはどこまでも伸びていった先で山にぶつかる。

 この辺はどこを見ても最後は山に行き当たる。前は少し視線を上にあげたらすぐビルだったのに、不思議な感じ。


 セミの声が一番うるさく聞こえてきて、次に木々のざわめく音、その次位に鳥の声が来て、その次が車の音だ。

 前は車の音や人の声が一番大きかった。これもなんだか不思議な感じだ。


 そうして耳を澄ましていると、やがて電車が近づいてくる音がした。

 その電車は2両しかなくて、なんだか可愛いと思った。


 電車からは誰も降りなくて、誰も乗らなくて。

 そもそもドアすら開かなかった。田舎の電車はドアが開かないのかな。どうやって乗り降りするんだろう?



 その電車を見送ると、またしばらくこの不思議な世界を感じていた。

 音も、匂いも、景色も、すべてが新鮮で不思議な世界。


 それでも学校に行かなきゃいけないと思うと、少しだけ現実に戻って来てしまう。

 きっと新しい学校に行っても、またすぐに体調を崩して入院生活が始まるのだろう。

 そうなってしまえば新しく友達を作る暇もないし、学校行事もまた参加できない。


 そう思うとベンチから立ち上がれなくて、不安で胸がいっぱいになってしまう。


 その後に来た2両の電車は、やっぱりドアが開かなかった。

 それも結局見送り、私は誰もいない駅で一人うつむく。



 しばらくの間そうして手を膝の上で握りしめ、不安と戦っていると、駅舎の方で足音がした。

 急いできたのか、コンクリートの床を踏みしめる音は重い。

 荒い息遣いも聞こえてくるところを見ると、走ってきたのだろうか。


「やべ、チャリ使えないときっついわこれ!」


 そう言いながら入ってきたのはこれと言って特徴のない男の子だった。

 全身にシャワーでも浴びたのかというほどの汗をかいていなければ、すぐに忘れてしまいそうだ。



 制服姿の彼はベンチにいる私を見ると、よくわからない微妙な顔をした。

 悲しいような、怖いような、嬉しいような、懐かしいような……。

 複雑な感情が入り混じったその表情は、酷く印象的だった。




「雪っ――の妖精みたいだ」




 彼は寂しそうに笑いながらそう言った。

 それはきっと私のことを指しているんだろうけど、雪の妖精って、いきなりおかしなこと言う人だなぁ。


 私はおかしくなって噴出してしまう。

 慌てて緩みかけた顔を元に戻すと、彼は何がおかしかったのか笑っていた。


「な、なんですか?」


 私は少し恥ずかしくなって、きつめに問いかける。

 私の笑った顔が変だたっとか、慌てて元に戻した表情がおかしかったとか、そう言ったことだったら恥ずかし~!



 彼は私とは一番離れたベンチの端まで歩いて行き、腰掛ける。

 その振動が4つ隣の私の席にも伝わって来て、遠くに座ってるのに近くに感じた。


「別に、なんでもないっすよ? ただ思い出し笑いしただけです」

「思い出し笑い?」

「そう。以前にもこんなやり取りをしたなぁ、と思いだしちゃって」


 この人は初めて会った人を何かに例えるのが癖なのかな? 面白い人だなぁ。


「あなたはこの辺じゃ見ない顔だけど、高校生ですか?」

「はい、最近こっちに引っ越してくる予定なんです。あなたは?」

「俺はこの先の街の高校に通ってる2年生です」

「あ、私も2年生です」


 私がそういうと、彼は嬉しそうに笑って言った。


「じゃあ同級生だ。俺は柳澤陽介。君は?」


 いきなり馴れ馴れしくなった少年は、どうやら柳澤君というらしい。

 柳澤君は私の返事を今か今かと待っている様子だ。


 田舎の高校生って出会ったばかりの人とこんなに早く仲良くなるものなの? すごいなぁ……。


「私は池ヶ谷雪芽です」

「へ~。じゃあ雪の妖精ってのはあながち間違ってないわけだ」

「ふふっ、何ですかそれ」

「あ、やっと笑った」


 私が思わず笑うと、柳澤君も嬉しそうに笑った。

 慌てて表情を引き締めるも、彼は穏やかな目で私を見つめ続けていた。


「な、なんですか?」

「ん~? 雪――池ヶ谷さんは笑ってた方がいいなぁと思って。そんな仏頂面よりさ」

「そ、そんなこと、さっき出会ったばかりのあなたに言われたくありません!」


 私がそういうと、柳澤君は寂しそうに笑って、そうだねと言った。


 なんだか不思議な雰囲気の人だなぁ。

 さっきまではこれと言って特徴のない人だと思ってたけど、こうして話してみると印象変わるかも。



「あなたは――柳澤君はどうして制服を着ているんですか? だって今は夏休みのはずでしょ?」

「補習だよ。数学で赤点とっちまって、ほんとは1本前に乗らなくちゃいけなかったんだけど……」

「……遅刻したんですか?」

「……まぁ」


 そう言った柳澤君の表情は困ったような笑顔だった。

 この人は、笑顔にいろいろな感情を混ぜる人なのかな?



「補習なのに遅刻なんて、いい御身分ですね」


 私は自分が学校に行くのが怖くて行けない腹癒はらいせに、彼に嫌な感じの言葉をかけてしまった。

 あぁ、なんでこんな風にしか言葉を選べないのかな。


 私だって仲良くなりたいと思ってるのに、同じ学年の彼と話をしたいと思っているのに、どうしてか突き放してしまう。

 仲良くなっても私が入院してしまったらお話もできないから、遊ぶこともできないから。

 そうなってしまうことが怖くて、寂しくて。だからかな。


 それとも単に同年代の男の子と話すのに緊張してるのかも。

 あんまり同年代の子と話す機会なかったし。看護師さんとかお医者さんとお話しするのは慣れてるんだけど……。


「そうだな。でもきっと先生はお怒りだろうなぁ……。課題追加されるかも」


 それでも柳澤君は私の言葉の棘を気にすることもなく、冗談めかしてそう言った。

 この人はそういうことを気にしないたちなのか、単に鈍感なのか、わからないけど少しホッとした。



「そういう池ヶ谷さんはこんなところで何やってんの? 何もないでしょ、ここ」


 柳澤君は優しげな瞳でこちらを見ている。

 まるで大人が子供に対して答えの分かり切った質問をするときのような、そんな顔をしていた。

 邪推のしすぎかな? だって柳澤君、ちょっと不思議な雰囲気だし……。


「私は……、あなたと同じ、電車を待っているんです」

「そっか」


 それ以上、彼は何も聞いてこなかった。

 やっぱりその質問の答え自体に興味があったわけじゃないみたい。



 その後の静寂の中、鳴り響くアナウンスによると、私の目的地の方へ向かう電車がやってくるらしい。

 アナウンスが終わると、柳澤君は残念そうにため息をついた。

 その後に鞄を抱えなおし、向かいのホームを見たまま口を開いた。




「……池ヶ谷さん、もしかして体弱かったりする?」




「え!?」


 柳澤君は唐突にそんなことを言った。

 私そんなことまで話したっけ? もしかして顔色悪いとか……?


「え、ええ。最近はよくなりましたけど、前は入院生活でした」

「そっか……。念のため病院で血液検査とかしてみるといいよ。いや、今日暇ならぜひ行った方がいい」


 そう言ってこちらを向く柳澤君の目は真剣だった。

 なぜそんなことを言うのか、どうして会ったばかりの私の体のことを心配してくれるのか、疑問は尽きなかったが、ふざけていっているわけではないことは伝わってきた。


「は、はい。わかりました……。行ってみます」



 電車が陽炎の向こうからやってくる。

 駅から出ると線路は1本になっているようで、電車は狭い線路の上をゆっくりと走っている。


 柳澤君はベンチから立ち上がると、黄色い線の前に立つ。

 そして電車が目の前に止まると振り返って一言。




「学校、行けるときでいいと思うぞ。あとその時は俺に声かけてくれれば一緒に行ってやるから」




「え……?」


 なんで私が学校に行けずにここにいることを知ってるんだろう?

 先生から話を聞いてたとか……? それでも私がこの駅にいることなんて知らないはず……。



 柳澤君は驚く私を置き去りにして、一人電車に乗り込む。


 何と手でドアを開けて乗り込んでいた。

 どうやらこの辺の電車は手動でドアを開けるらしい。



 乗り込んだ柳澤君は、再び振り返って手を振った。


「ちゃんと病院行けよ。じゃあ、また明日」

「うん、また明日……?」


 反射的に手を振り返して、私は明日もここに来るのかな? と思った。

 あまりに柳澤君の「また明日」が確信めいていたせいだろうか。



 ドアが閉まる。


 あ、閉まるときは自動なんだ。

 よし、電車の乗り方はわかった。後は乗るだけ。


 そんなことを思っていると、電車は駅を出て、再び1本の線路の上を走り去っていった。



 ……それにしても、柳澤君、不思議な人だったなぁ。私のことなんでも言い当てちゃうんだもん。

 まるで昔から私のことを知っているみたいだった。田舎の人はみんなあんな感じなのかな?


 それから、学校に行くときは連絡くれって言ってたけど、どうやって連絡すればいいのかな? 連絡先知らないんだけど……。


「ふふっ、何かそういうところは抜けてるんだね」


 ちょっとおかしくなって笑ってしまった。



 ……久しぶりだ。こんな風に笑ったのは。

 今まで微笑むことは何度もあったけど、面白いことがあって笑ったのはいつぶりだろう。


 それだけ体調がよくなってるってことだよね……?

 でも、柳澤君は血液検査を受けた方がいいって言ってたなぁ。なんかそう言われるとちょっと心配かも。



 そんなことを悶々と考えているうちに、新たな訪問者がやってきた。

 改札の外からは自転車のスタンドを下ろす音が聞こえ、間隔の短い足音が聞こえてくる。


 丁度電車も近づいてきているようで、静かだった駅は一気に賑やかになった。



 改札から入ってきたのは、高校生か中学生か、どちらにせよ私より年下の女の子だった。

 おしゃれをして、これからデートかな?

 可愛らしい子だし、あんな子が私の妹だったらきっと楽しいだろうなぁ。


 そんなことを思って彼女を見つめていると、彼女もこちらに気付いた様子で一瞬足を止める。

 驚いたような表情でこちらを見て、何かを呟いたようだったが、電車の音で聞こえなかった。


 女の子は電車に乗り込んでもボーっと私を見ていたが、私が微笑むと恥ずかしそうに顔をそらしてしまった。



 女の子を乗せた電車がゆっくりと走り出し、やがて見えなくなると、私のお腹が鳴った。


「……お腹減ったなぁ」


 私はお母さんに連絡して、迎えに来てもらうことにした。

 一応心配だし、血液検査もしておこうかな?

 それで、何もなければまた明日ここから学校に行けばいいよね。




 また明日、か……。




 柳澤君の去り際の言葉を思い出して、思わずにやける。

 また明日、そんな友達みたいな会話をしたのはいつぶりかな。もう覚えてないや。


 そんな不安と嬉しさを抱えたまま、私はお母さんのお迎えを、お腹の虫と戦いながら待っていたのだった。

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