第26話 鈍感の罪はなかなかに重い
次の日、俺が駅に行くと、
しかし雪芽がいなかったことに、あまり落胆していない自分がいた。
また明日。
そうはいったが、それが実現する可能性は半々だとふんでいた。
しかしこれでよかったんだ。雪芽は俺の言った通り、ちゃんと血液検査を受けてくれたってことだろうから。
俺は3周目のループの終わりまで、白血病についてより詳しく調べていた。
そこでわかったのは、白血病は早期発見することで、生存率が格段に上がるということだった。
1ヵ月で治るのかは微妙なところだが、それでも何もしないよりいいかもしれない。
急に病状が悪化したのだから、今から対策をとればせめて寿命は延びるかもしれない。そう思ったのだ。
確か血液中の白血球の数で判別できるらしい。
その後は
それには入院が必要だし、痛みも伴うという。
「……雪芽、大丈夫かな」
これで以前よりも約1ヵ月早く病気が発覚したことになる。
後はもう祈るのみだ。
その日の補習は全く身が入らなかった。
内容自体はもう何度も繰り返したから覚えているが、その日聞いた話は何も覚えていなかった。
山井田はそんな俺は怒ったり心配したりしていたが、当てられた問題を解いてみせると、とりあえず許してくれる気になったようだ。
「じゃあ今日の補習はここまで。明日テストをやるから、ちゃんと来るように」
「はーい」
きっと補習は、順当にいけば明日に終わるのだろう。
1日目は毎回同じ、9時20分に目覚める。
それからどんなに急いでも9時39分の電車にはぎりぎり間に合わない。
今回は晴奈に怒られるのが嫌だったから、チャリじゃなくて徒歩で行って、もっと時間がかかっちゃったけどな。
だから1日目は雪芽と確実に出会えるはずだ。
やっぱり晴奈のチャリを借りた方がいいよなぁ……。時間勿体ないし。
そもそも8月23日にアラームをセットしても、目覚めるときは7月27日だから意味がない。
親もいない、アラームもかけ忘れている状態でのスタートだから、こればっかりはどうしようもない。
大人しく9時20分に起きて、遅刻するとしよう。
「なんで7月26日の俺はアラームをかけ忘れてたんだよ……」
まぁ、きっと「明日から夏休みだぜぇ! ヒャッハッー!」とか言ってスマホのアラーム全部切ったんだろうなぁ……。我ながらなんてバカなんだ。
いや、今重要なのは過去を嘆くことじゃなくて、今できることで何とかすることだ!
だから今はこれが精一杯。雪芽の病状がよくなることを祈るしかない。
「あれ、陽介? あんた何してんの?」
「ん、夏希か」
声に振り向けば、エナメルバッグを背負った夏希が立っていた。
いつも通り体操服姿なので、これから部活なのだろう。
夏希の顔を見ると、あの日、励まされたことを思い出す。
あの時夏希が俺を励ましてくれたから、未来への希望を見せてくれたから、今の俺があると言っても過言ではない。
もちろんいろいろ気を使ってくれた晴奈や由美ちゃんにも感謝はしている。だが、夏希は俺に道を示してくれた。その功績は大きい。
「夏希、ありがとな」
そんなことを思って、口をついたのは感謝の言葉だった。
今の夏希は俺に道を示したことなんて忘れてるだろうけど、関係ない。
きっと俺が気付かなかっただけで、夏希は今までも俺を支えてくれていたんだ。
だからそういった意味でも感謝、だな。
「な、なによ? 急にお礼なんて……。私何かした?」
「今までずっと支えてきてくれたじゃん? だからありがとう、だ。……んで、できたらこれからもずっと俺の側にいてくれよな」
こんな友人に巡り合えた俺はきっと恵まれてるんだ。
俺が立ち直れなくなった時に、支えてくれる友人がすぐ側にいる。訳も聞かずに俺を励ましてくれる、そんな友人がいることが。
そんな感謝を込めた言葉だったんだが、夏希は顔を真っ赤にして狼狽えていた。
「そ、そそそれって、もしかして、その……。いや、だっていきなり!?」
どうしたんだろうか? 俺そんなに変なこと言ったかな?
夏希は両の手を頬に当てて小刻みに首を横に振っている。
今俺の言った言葉が真実であるはずがないと必死に言い聞かせているかのようだ。何が不満なんだよ……?
「ちょっと待って! 陽介、どうしていきなり、その、そんなことを……?」
「うーん、何て言うのかな……。夏希の存在の大切さに気付いたっていうか、これからもっと夏希を大切にしていきたいなって思ったら、つい口をついて出たというか……」
「た、大切!? 私が、陽介にとって……!?」
「あ、ああ。そうだけど……」
夏希は俺の返答を聞くと、さらに顔を赤くして感極まった様子で頬に当てていた手を口元にもってくる。
それから夏希はエナメルバッグを放り投げて駆けだす。
そのまま俺の胸に飛び込んできて、俺をきつく抱きしめた。
「嬉しい……!!」
少し涙ぐんだ声で夏希はそう言った。
てかちょっと待て!? なんで夏希、こんなに喜んでるの!?
それよりも色々当たって色々不味い……! 夏希は体操服だから柔らかさとか、温かさとか、直に感じて結構不味いぞ……!
今もなお俺の胸を圧迫し、俺を呼吸不全に陥らせようとしている二つの果実は、俺の想像以上にたわわに実っており、その事実がさらに俺の体を硬直させた。
ていうか夏希って意外と……、ってこの感じ以前にもやったぞ!?
夏希は前々から結構エロい体つきになってきたなぁとは思ってたけど、やはり小中学生の時より格段に成長しておられる……!
ってそうじゃない! どうしてこうなった!?
落ち着け、落ち着いて状況を整理するんだ……。
しかし童貞の俺にこの仕打ちは耐えられん……! うまく頭が回らなくなって、今なお体中に感じる柔らかさのことにしか意識が行かなくなってしまうッ……!
「やっと気づいてくれたのね。いつから? いつから私のこと、意識してくれてたの?」
「え、っと、ついこの間だけど……!」
「特に何かあったわけじゃなかったと思うけど……。ま、いいわよね! こうして陽介から言ってくれたんだし!」
夏希はさらに俺をきつく抱きしめて、俺の肩に顔をうずめる。
さらさらと柔らかい髪が、俺の鼻をくすぐる。
フローラルなシャンプーの香りがした。その香りが女の子らしくて、思わず心臓が跳ねた。
今までちゃんと考えてこなかったけど、夏希も女の子なんだ。
きっと俺の知らない所で色々考えて、気を使って、おしゃれしてるんだ。
こうして触れるまで、俺はそんなことにも気が付かなかったのか。
「俺、ずっと友達だったのに、幼馴染だったのに、お前のこと見えてなかったんだな。ずっと昔の夏希を見ていたんだ」
「……?」
「だから今度からは、友達として、ちゃんと今の夏希の側にいるよ」
夏希の肩に手を置き、ゆっくりと引き離す。
顔を上げた夏希の目は潤んでいて、それを見た俺の心臓はまたも跳ねた。
涙をぬぐうと、夏希は俺の言っている意味が分からないといった風に疑問符を浮かべている。
「今度から、友達として……? どういうことよ?」
「ん? そのままだ。今までも、これからも、俺は夏希の友達として側にいる。だから、夏希も友達として俺の側にいてくれってことだけど」
そういうと、夏希はぽかんと呆けた顔をした。
その後、いつかのように怒りに肩を震わせ、俯く。
待て待て、俺はまた何かやらかしたのか? 今いいこと言ったと思うんだけど、なにがいけなかったんだ!?
「……最ッッ低ッ!」
頬に衝撃が走る。
乾いた音が廊下に響き渡り、俺の視界はぐるりと回る。
次いでやってきた痛みに、俺は頬をたたかれたのだと気が付いた。
「夏――」
「陽介のバカッ!!」
夏希はエナメルバッグを手に取り、背を向けて走り去っていく。
背を向ける一瞬、見えた夏希の顔は悲し気に歪んでいて、目からは雫が零れ落ちていた。
「……夏希?」
追いかける間もなく、夏希はあっという間に廊下の角を曲がって見えなくなってしまった。
夏希にバカだと言われたのはこれで何回目だろう。
数えきれないくらい言われたけど、今回のは一番きついなぁ……。
なんでだろう、わからない。
「くそっ、何なんだよ……」
訳も分からず、そう毒づくしかなかった。
叩かれた頬が、熱を持って、じんじんと痛んでいた。
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