第2章 終わらない夏休み

ありえない再開

第20話 狂気の獣は夏に目覚める

 ※このお話にはR15未満の軽度な残酷・暴力描写が含まれます。ご覧になる際はご注意ください。





――――――――





  雪芽の葬儀が終わった翌日。

 今日は夏休みが終わり、始業式がある日だ。

 俺は魂が抜けた抜け殻のように、ただ作業をこなし、家を出た。


 出がけに見えた時計の時刻は9時半くらいだった。

 両親はどこかへ出かけているのか、朝から姿が見えなかった。おかげで完全に遅刻だ。


 だが、そんなことはどうでもよかった。



 宿題もやっていないし、もはや学校に行かなくてもよかったのだが、こうしてなにかしていないとまた悲しさが押し寄せ来て、おかしくなってしまう気がした。



 自転車にまたがり、相変わらず強い日差しの中をこぎだす。


 うるさいほどのセミの声も、照り付ける夏の日差しも、どこか遠く感じた。

 自分のことなのに、まるでドラマの主人公を見ているかのように他人事に感じる。



 駅に着くと、そこは相変わらず静かな駅だった。

 駅員も、客も、誰もいない無人の駅。

 この前までは物好きな誰かさんがいたんだが、今はもういない。


 ……。


「……俺が生きる意味ってあるのかな?」


 ふと、そんなことが頭に浮かんで、俺は向かいのホームに向かって呟いた。

 でも、そんな独り言に返す言葉はもう、ない。




「この世の終わりみたいな顔してますけど、大丈夫ですか?」


「…………え?」




 しかし、誰にも届くことはないと思っていた俺の独り言に、いつかのように返事が返ってきた。

 ぶっきらぼうで冷たいけど、本当は優しくて暖かい声。


 いや、でも届くはずがない。だって彼女は――。


「自殺とか、考えてませんよね……?」


 心配そうな声の主を振り返る。




「……雪芽?」




 その唯一の日陰であるベンチに腰掛けていたのは、いつかと同じように全身を白で包み、麦わら帽子を頭に乗せた雪の妖精だった。


 かつてと変わらず、元気な姿でそこに座る雪芽は、まるで初めて会った時と同じように俺をいぶかしんで、険しい顔をしている。



「雪芽、雪芽なのか? 本当に雪芽なのか!?」

「え、ちょっと、なんで私の名前知ってるんですか?」


 そう言って警戒心を強める雪芽は、態度こそ冷たいが、確かに生前の雪芽だった。


 俺は溢れる思いをとめられなかった。

 雪芽にもう一度会えたら、そうなったら言いたいことがたくさんあった。


「俺はっ、お前がいなくなって、悲しくて、悔しくて!」

「ちょっと、なんなんですか!? こ、来ないで……!」


 思わず俺が近寄ると、雪芽はおびえた様子でベンチから立ち上がる。


 なぜ、なぜそんな顔をするんだ?

 なぜそんな他人行儀なんだ?

 だって、俺たちは友達で――



「来ないでっ!」


 そう言って駆けだす雪芽の腕を、反射的に捕まえた。


 振り返った雪芽の表情は、恐怖に歪んでいた。

 恐怖……? どうしてだ? なぜそんな目で俺を見る、雪芽……?


「やめてっ……! 離して!」

「い、いや、覚えているだろ!? 俺だ、陽介だよ! この駅でお前に会って、学校の案内だってしただろ!?」

「知らない! あなたなんて知らない!」


 拒絶する雪芽。

 忘れている……? いや、雪芽は確かに死んだはずだ。

 じゃあ、ここにいる雪芽は幻覚か? 夏の蜃気楼しんきろうか?


 どちらでもいい。もう一度雪芽に会えたのだから。



「なあ雪芽、今度一緒に夏祭りに行こう。天体観測もして、海にも行って、きっと楽しいからさ!」

「い、痛い! 離して!!」


 思わず雪芽の腕を強く握りすぎていたらしい。

 俺は痛がる雪芽を見て一瞬正気に戻る。


 そうして俺の手が緩んだ隙に、雪芽は俺の手を振りほどいた。

 そして俺と距離をとるためか、俺の胸をおもいきり押し、雪芽は大きく後退した。


 しかし、その先には線路。

 雪芽は勢いよく線路に向かって進む。




「雪芽っ!」




 俺は後ろに倒れながらも手を伸ばす。

 伸ばした手は、雪芽の麦わら帽子を掠め、帽子が宙を舞う。


 そして雪芽の体はホームの黄色い線を越えた向こう側へ躍り出る。


 その時、俺の視界の端には猛スピードで迫りくる電車が見えた。

 そうだ、初めて会った時もこれくらいの時間に電車が通過したんだっけ。


 そう思いだした次の瞬間――




 雪芽の姿はかき消えた。




 俺は雪芽に押された反動で尻もちをつく。


「雪芽……?」


 甲高い音と共に電車は減速していく。

 宙に舞った麦わら帽子が俺の傍らに舞い降りる。


「……雪芽?」


 返事はない。

 ただ、暑いはずなのに寒かった。


 今まで嗅いだこともない濃い血の匂いがあたりに充満し、吐き気をもよおした。


 セミの声がうるさい。

 ヒューヒューと、不規則に変な音も聞こえる。


 それは俺の呼吸の音だった。



「あ……、あぁ、あっ……。ひっ!」


 俺は勢いよく立ち上がると、ホームに背を向けて全力で駆けだした。

 誰もいない改札を抜けて、鍵をかけ忘れていた自転車にまたがる。

 うまくペダルに足がかからなかったが、それすら構わず地を蹴って自転車を進ませる。




 早く、早く、早く。

 悪い夢なら早く覚めてくれ。




 だが、鼻の奥にこびりついたあの匂いと、今なお手に残る雪芽の感触が、ずっと残っていた。



 怖かった。

 眼の前で、雪芽が死んでしまったのが。

 それが俺のせいであることが。


 だから逃げた。

 脇目も振らず俺は全力で自転車をこいで、自宅へ駆け戻る。


 だってあの雪芽は俺の幻覚で、夏の蜃気楼で、幻だったはずだ。

 あるいは夢じゃないと説明がつかない。


 そうだよ、雪芽はつい昨日骨になってしまったんだ。

 俺は晴奈とそれを拾って、涙をこらえて、それでもやっぱり悲しくて。


 なのに今この状況は、どれをとっても俺にこれは現実だと突きつけてくる。

 肌を焦がす夏の日差し、汗を気化させる風の感触、ペダルを踏み外して擦りむいたふくらはぎの痛み。

 それらすべてが、これは夢じゃないと伝えてくる。




 ありえないはずだ。だって、だって雪芽は――




「お兄ちゃん……?」


 俺を呼ぶ声に驚き、顔を上げる。

 視線の先には、網戸越しに怪訝けげんそうな顔をした晴奈が立っていた。

 どうやら夢中で自転車をこぐうちに家に帰ってきてしまっていたようだ。



「あ、それあたしの自転車! なんでお兄ちゃんが乗ってんの!?」

「え、これだって俺のチャリ……」

「お兄ちゃんのはこの前壊れたとかで修理に出してるじゃん。罰金でゴリゴリ君1本ね!」

「……ああ」


 晴奈は最後にもう一度怪訝そうな顔をした後、家の中に戻っていった。

 どうやら俺の様子がおかしいのに気が付いて出てきていたらしい。



 しかしこの自転車が俺のじゃない……?

 この夢はまるで雪芽に会ったあの日、夏休みの最初の日を再現しているかのようだ。


 そう、夢だ。夢でなくてはいけない。

 そうでないと俺は立っていられない。自我を保てない。



 そうして俺はすべてから逃げるために、自室にこもった。

 布団にもぐりこんで、早く夢よ覚めろと念じ続けたが、目を閉じるたびにさっきの雪芽の姿が浮かんで、恐ろしくなって目をあける。

 そんなことを何度も繰り返しているうちに、日は沈み、夜が来て、また日が昇る。

 そうして俺の夢は、一向に覚める気配がないのだった。





 ――――





 何日が経過したのだろうか。

 あれから晴奈や母さん、父さんが心配して俺の部屋にやってきたが、俺はそれらに応えられるだけの精神力がなかった。


 いつまでたっても覚めない夢は、空腹や便意、眠気、そういったものを満たすたびに現実に近づいていく。


 ……いや、やっぱり夢だ。でなければみんなして俺をドッキリにはめているんだ。

 そうでないと困る。

 そうでなければ俺は雪芽を、友達を殺してしまった犯罪者になってしまう。



 わざとじゃない。だって死んだはずの雪芽が目の前にいたんだ、仕方なかったんだ。

 そうだよ、俺は別に悪くない。

 悪く、ないんだ。


 俺は、だって、雪芽が、生きて――


「陽介、いる……?」


 その時、扉の向こうから声が聞こえた。

 夏希の声だ。いつの間に俺の家にいたのだろうか。


「……ああ」



 俺は試しに聞いてみたいことがあった。

 雪芽と仲が良かった夏希なら、あるいはこの変な夢を終わらせてくれるかもしれない。


 漠然とした希望だった。

 希望とすらいえない、それは願望だったのかもしれない。


 でも、そんなものでもすがれるものが欲しかった。

 俺は悪くないと、これは夢なのだと、そう認めてほしかった。



「入るよ」

「ああ」


 扉を開けて夏希が入ってくる。

 俺はそれを布団の中から見つめる。


「うわぁ、陽介の部屋に入るの久しぶりね。でもあまり変わってないんじゃない?」

「……」

「あ、えっと、ごめん。それどころじゃないんだったわよね……」


 そう言って困ったように笑う夏希に、俺は返す言葉を見つけられなかった。


 きっと気を使ってくれたのだろう。俺が意味も分からず突然引きこもってしまったから。

 でも、そんな気遣いは今の俺には不要だった。



「えっと、山井田先生に言われてね、様子見て来いって。それできたんだけど、何があったのよ?」

「……夏希」

「な、なに?」

「雪芽、池ヶ谷雪芽。覚えてるか?」

「雪芽……?」


 俺の質問にしばし考える夏希。

 しかし、思い当たる節がなかったのか曖昧な笑みを浮かべる。


「ごめん、知らないや。小学校の時の子?」

「いや、知らないならいい」

「あっ、……うん」


 申し訳なさそうに黙り込む夏希に、俺は何とも思わなかった。


「あっ、でも、その名前だったら聞いたことあるわよ」

「ホントかっ!? どこでだ! どこで聞いた!?」

「ちょ、ちょっと、急にどうしたのよ? ち、近い近い!」


 急に思い出したようにそう言った夏希を、俺は思わず壁際まで追い詰めていた。


 まさか、夏希は雪芽を覚えているのか……? でもさっきは知らないって言ってたから覚えていたわけではないだろう。


 でも今は、俺以外の誰かが雪芽のことを知っているだけでよかった。


「え、えっと、ニュースで聞いたのよ。人身事故があったって。ほら、あの駅で」

「……人身事故? それって、自殺か……?」

「そうじゃないかって、でも乗客が走り去ってく人影を見たとか何とか……ってだから近いのよっ! バカッ」


 なぜか顔を真っ赤にして俺を押し戻す夏希。


 しかしあの日あったことはどうやら社会にも報道されているらしい。

 なんてリアルな夢なんだ。全く我がことながら感心する。



 ふと思い立ち、目の前の夏希の頬に触れてみる。


「ちょ……! 何すんのよ!?」

「……温かくて柔らかい」

「え、え?」


 そのまま首筋に手を滑らせる。

 夏希は目を瞑って肩をすくめる。

 頬が少し赤い。


「……生きている」


 夏希の首筋からは、確かに命の鼓動が伝わってきた。

 少し早くて、熱い。

 命の熱だ。


 夏希は目を閉じて怯えたような表情をしている。

 そうして生まれる細かい震えも、俺の手を通して伝わってくる。どこまでもリアルに。




「じゃあ、本当に、夢じゃないのか……?」




 夏希はまるで何かを待っているかのようにぴたりと止まって動かない。

 それからしばらくの後にうっすらと目を開け、俺と目が合うと、恥ずかしそうに目をそらした。


「……って、何もしないの?」

「何をすると思ったんだ?」


 俺がそういうと、夏希はもともと赤かった顔をさらに朱に染め、瞳に涙をためる。

 次第に夏希は肩を震わせるようになり、やがて俺を力任せに突き飛ばした。

 俺は床に倒れこみ、天井を見上げる。


「陽介のバカッ!」


 夏希がそう言った後に、扉を勢いよく閉める音と、走り去っていく足音が聞こえた。


「……痛い」


 どつかれた胸が、打ち付けた背中が、じんじんと痛む。


 これだけ時間がたってるのに覚めないし、温かさも、柔らかさも、鼓動も、痛みも感じる。


 じゃあ、やっぱりこれは夢なんかじゃなくて、現実で、だとしたら俺は――




「……雪芽を、殺した?」




 口にした事実は、天井まで登っていき、跳ね返って俺の耳に届いた。

 そして俺は理解した。これは現実で、俺はあの時雪芽を殺して、そして怖くなって逃げてきてしまったことを。




 そして、俺は正気を失った。




 ただ、獣のように叫んで、人間としての矜持や理性を捨て去って泣き叫んだ。


 俺が殺した俺が殺した俺が殺した俺が――


「俺がっ! 雪芽をっ!」


 壁に頭を打ち付ける。

 石を打ち付けるような音がして、次第に壁は赤く染まって、しばらくすると水っぽい音がするようになった。

 それでも俺は叫び声をあげながら壁に頭を打ち付ける。その度に痛みが俺の体を走り、現実が大声で俺に呼びかけて来る。


 お前が殺したんだ。雪芽を。線路に突き落としたんだ。まだ生きていたのに。


「あぁ、あっ! うがぁぁぁあああ!!」


 視界が赤く染まって、あの時から鼻について離れない匂いが、俺の部屋にも充満する。

 あの目が、あの声が、あの光景が、目に浮かんで離れない。

 それを振り払おうと一層強く打ち付ける。



 家族が止めに入るまで、俺はそうして自分を傷つけた。

 そうすれば自分の罪が許されるような気がして。この現実から逃れられるような気がして。


 でも何も変わらなかった。

 何一つ、変わらなかったのだ。





 ――――





 次に目覚めた時、俺は病院にいた。

 頭には包帯を巻かれ、真っ白な部屋で一人、横たわっている。



 誰かがつけたままにしたのだろう、テレビではニュースをやっていた。


『8月22日水曜日、本日のニュースをお届けいたします。7月27日に起こった事件の犯人と思しき人物は未だ見つかっておらず、住民の間で不安が広がっています――』


 今日が8月22日。面白い冗談を言うテレビだ。


 その次に台風が明日去るとか何とか、そんなことを言っていた。

 見れば確かに窓の外は大雨で、風が強く、窓がガタガタうるさかった。



 しばらくすると、足音が聞こえてきた。

 コツコツと、革靴で床をたたく音が聞こえる。



「おや、目が覚めたようだね」


 俺の顔を覗き込んだのは、スーツに身を包んだ男性2人。

 片方は恰幅がよく、見た目は4、50といったところ。

 もう片方は見た目こそ細いが、しっかり鍛えているであろう若い男。


「君が柳澤陽介君だね? ちょっと話、いいかな?」


 そう言って恰幅のいい方が懐から取り出したのは、ドラマでよく見る警察手帳と言うやつだった。


「先月起こった突き落とし事件の重要参考人として君の名前が挙がっていてね。少しお話ししたいんだけど、おじさんたちの言いたいこと分かる?」

「……雪芽は――」

「そうそう、池ヶ谷雪芽さん16歳。最近こちらに越してくる予定だったそうだけど、どうやって知り合ったのかな?」


 若い方が手帳を片手に耳をそばだてている。


「雪芽は俺の友達でした。でも、病気で死んでしまって、それで、俺はとっても悲しかったんです」

「いや、どうやって知り合ったのかな? なにか揉めてたこととか、あったのかな?」

「骨も、ほとんど茶色くて、ボロボロで、それを拾うことがまた悲しくて」

「おじさんの質問に答えてくれないかな? どうやって知り合ったのか教えてくれるだけでいいんだ!」


 恰幅のいい方が声を荒げ始める。

 それを若い方が宥めていた。


「だから会えた時嬉しくて。でも、彼女は俺のことを忘れていて、それがとても悲しくて」

「……ダメだなこりゃ。おい、出直すぞ」

「は、はいっ」


 刑事たちはそう言い残すと去っていった。

 それでも俺の言葉は止まらなかった。



「だから悪気があったわけじゃないんです。俺はただ雪芽に思い出してほしくて」


 俺の言葉は誰の耳にも届かない。


「でもそれは叶わなかった。そして雪芽は死んでしまったんです。だから――」


 少しだけ、晴奈の泣き顔が頭をよぎった。


 ……ごめんな、弱いお兄ちゃんで、約束を守れなくて。

 でももう、こんなつらい世界は耐えられないから。




「俺はもう、生きることをやめるんです」




 そして俺はシーツの両端をベッドにくくり付ける。

 長さを調整して、ちょうど首が締まるように。


 そして俺は自ら命を絶った。

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