第9話 憧れのお兄さんは恋に鈍感

 ウチが友達と別れて改札を抜けると、次の電車は12時33分だった。


 あーあ、用事があるなら仕方ないけど、これじゃあウチが暇じゃん。都合よく駅構内に誰か知り合いいないかなぁ。



 そう思いながら人の少ない駅構内を歩く。

 そういえば陽介さんは補習だって言ってたなー。

 辺りをキョロキョロ見回してみるが、陽介さんの姿は見当たらなかった。


「ま、そう都合よくいないよね」


 誰にも聞こえない声でそう呟き、ウチはホームへ階段を降りていく。


 まだ電車まで30分はあるし、待合室で待ってよっ。


 そう思い待合室へ向かうと、見知った横顔が見えた。



 あれは……、えっ、嘘!? 陽介さん!?

 まさかホントに会えるなんて思ってなかったから全然身だしなみチェックしてないよ!


 ウチは慌てて階段を駆け上り、トイレに駆け込む。

 鏡で髪と服をチェックして、肌も荒れてないし、うん。


 汗臭くないかな? 念の為スプレーしとこっ。


 一通り身だしなみを整えるのに約5分。まだまだ電車が来るまで時間はある!



 ウチは再び階段を降り、ホームへと向かう。

 今度は見られてることを意識して少し大人っぽく。


 階段の途中で待合室の陽介さんを見るも、どうやらまだこちらには気づいてないようだ。



 少し残念に思いつつも、ウチは待合室に近づく。


 こんだけ念送ってるんだから気づいてくれてもいいじゃん! まあ、陽介さんにそんなこと望むべくもないんだけど……。


 ウチだって気づけって言われても難しいだろうし。

 いや、陽介さんの念だったら全力で気づきに行くけども!



 そもそも陽介さんは鈍感だしなぁ。こんなにアプローチしてるのに未だにウチのこと妹扱いだし!

 まあ、晴奈と学年は一緒だし、最近あまり会ってないからしょうがないかもしれないけどさぁ? 少しはなびいてくれてもいいじゃん。



 待合室のドアが開くと、中から涼しい風が溢れてきた。

 ウチはそれに一瞬気を取られる。つい気持ちいいと思い、気を許した。


「ん? 由美ちゃん?」

「え、あ、陽介さんじゃないですか!? どーしたんですかこんなとこで!」


 うわーん! 間抜けな顔してるの陽介さんに見られたー!

 もう無理ぃ、死にたい……。


「俺は補習の帰りだよ。由美ちゃんは随分おしゃれしてるけど、デート?」

「ち、違います! あたしに彼氏なんていません!」

「あ、そうなの? 由美ちゃんみたいなかわいい子をほっとくなんて、由美ちゃんの近くの男子は見る目がないねぇ」


 それをあんたが言うのか。

 そんな言葉が喉元まで出かかるが、ウチはそれをぐっと我慢する。



 そんな心情を悟られまいと曖昧に笑ってごまかしていると、陽介さんは隣の席に置いてあった荷物を足元に移動した。


「そんなとこで立ってないで座んなよ。ほれ」


 それって、隣に座れってこと!?

 い、いきなり隣はちょっとハードル高いんですけどぉ~!


「し、失礼します……」


 恐る恐る陽介さんの隣に腰掛ける。


 座るときに腕が触れ合う。

 その感触に、陽介さんが男の人なんだって実感する。

 なんだかドキドキしてきた……。



「なんだか久しぶりじゃない? 最近めっきりうちにも遊びに来なくなっちゃって」

「そ、そうですかぁ? 晴奈とは今でもよく遊んでますけど」


 確かに考えてみれば実際にこうして顔を合わせるのは半年とかぶりかも。

 最近は晴奈があまり家に呼んでくれないし、陽介さんも高校生だから一緒に遊ぶことは無くなっちゃったし。



 だから急に会えて嬉しいんだけど、もう少し心の準備をする時間がほしかった。

 今度晴奈の家にいく約束を取り付けたので、その時に会うつもりだったのだ。


 それがまさかこんなところで……。それならもっと気合い入れてくるんだった!



「晴奈はあまり家に友達呼ばないからなー。俺がいるからかな?」

「確かそんなこと言ってましたよ? 別にあたしなら全然かまわないんですけどっ」

「そうだね。由美ちゃんとは昔よく晴奈と一緒に遊んだし、俺も他の子より安心して接することできるし。そういう意味じゃ今気兼ねなく家に来れるのって由美ちゃんくらいじゃない?」


 陽介さんの言葉に思わずガッツポーズしそうになってしまった。

 でもこれって気兼ねなくいつでも来ていいってことだよね!?


「それなら今度お邪魔しちゃおうかなー?」

「お、いいんじゃない? その時もし俺がいたらアイスでもおごってあげるよ」

「え!? ホントにいいんですか? そんなこと言ったらあたしホントに行っちゃいますよ?」

「おー、いいぞー。おいでおいで」


 ウチは陽介さんが目を離した隙に小さくガッツポーズをとる。

 これは進展したんじゃない!? 会いに来てもいいってことだよね!?


 ここでもうひと押ししないと。陽介さんが不在の時に行っても意味ないし!



「じゃ、じゃあ、陽介さんの連絡先教えてくださいよ! アイス確実に貰いたいんで!」


 ウチの言葉に陽介さんは困ったように笑う。


「あんまり高いアイスはだめだぞー? せいぜいゴリゴリ君レベルな。あと連日きても毎回はアイスおごれないからな?」

「もうっ! あたしをアイス魔神みたいに言わないでくださいよ!」

「ははっ、ごめんごめん。じゃあ交換しよっか」


 そう言ってスマホにQRコードを表示する陽介さん。

 ウチは一瞬それが何を意味するのか分からなかったが、連絡先を交換するのだと気づき、慌ててお礼を言った。


 ウチが思っていたよりもすんなり連絡先が交換できて、なんだか今日はついてる!

 連絡先の交換なんてずっと先のことだと思ってたのに、まさか何でもない今日に成し遂げられるなんて!



 それからの会話の内容はあまり覚えてない。

 嬉しすぎてってのもあるけど、時々触れる腕の熱さにドキドキしすぎて、なんにも考えらんないよぉ~!


 あー、ウチ顔赤くないかな? 変なとこないよね?


 気になってしきりに髪を撫でつけたり、服を直したり。

 話しに集中できてない。


「でさ、そん時晴奈が川に落ちてさー。……って聞いてる?」

「え、あ! 晴奈の話ですよね! 聞いてます聞いてます」

「どうしたの? 体調悪いとか?」


 心配して顔を近づけてくる陽介さん。


 ち、近い近い! 近いです~!



 確かによく見てもかっこよくはないけど、陽介さんの魅力は顔じゃなくてその優しさだし! その優しさが顔にも出てるっていうかなんというか。


 あー! ウチったら何考えてるんだろ!? なんかテンパってきた。


「い、いえ、大丈夫です! ウチは元気です!」

「一人称ごっちゃになってるよ? ほんとに大丈夫か? 顔も赤いみたいだし、熱中症とか!?」


 テンパって余所行よそいきの言葉が崩れ始める。

 やばいやばいやばい。このままじゃウチどうにかなっちゃいそう。



 陽介さんの腕が伸びてくる。

 そのままウチの額にその大きい手を置いて。少し熱っぽいなんて言う。


 あー、妄想が止まんない……。


「うん、ちょっと熱いかな? ほんとに大丈夫?」

「……へ?」


 現実に帰ってくると、ウチの額には少しごつごつした手が重ねてあった。

 同年代の男子や女子とも違う。たくましくて大きな男の人の手。


「だめだぞ? ちゃんと水分補給しないと」

「あ、あ、あぁ――」


 顔近いし陽介さんの手おっきくてあったかくて気持ちよくてこんなウチにも優しくてもうだめ幸せすぎて死ぬ――。



 ウチの頭は状況への理解が追い付かず、真っ白になった。

 そうしてウチの意識はすとんとどこかへ落ちていった。





 ――――





「うっ、ん……」

「おっ、お目覚めかな? プリンセスー」



 顔に当たる微風が心地よい。

 額には冷たいものが当たってて、ウチはその冷たさで徐々に覚醒していく。


「あ、おはよう陽介君……」

「お、その呼び方懐かしいねぇ。由美ちゃんがまだ低学年くらいの時のやつっしょ? 懐かしー」

「ウチ寝てた……?」

「おう。急に意識失うからびっくりしたぞ? 熱中症かと思ったけど高熱じゃなかったし、のぼせたか?」


 額に手をやると、布の感触が返ってきた。

 どうやら湿らせたタオルのようだ。



 そうして徐々に鮮明になっていく意識の中で、ウチは現状を正しく認識していく。


 うん、これが間違いなく現実だとしたら、ウチの妄想や夢じゃないとしたら、ウチは今陽介さんに膝枕されていることになるんだけど……。

 そんでもってうちわで扇いでもらって、顔を覗き込まれてるんだけど?




 ……えっと、現実?




「あの、陽介さん。これって現実ですか?」

「うん? 現実だと思うけど、試してみる?」


 反射的にウチが頷くと、陽介さんはウチの額に唐突なデコピンをした。


「いたっ」

「じゃあ現実だな」


 えっと、じゃあ今ウチは陽介さんに膝枕してもらってて、介抱してもらってるってことかな?


 ……。

 …………。


「す、すみませんっ!」

「おい、まだ起き上がっちゃ――」


 勢いよく跳び起きると、額をぶつけた。

 再び陽介さんの膝の上に戻ってもだえていると、陽介さんも額に手を当ててうめいていた。


「ご、ごめんなさい……」

「い、いや、落ち着け。まず落ち着け」

「はい……」


 ウチは今度は落ち着いて起き上がる。

 でも頭の中はパニック寸前で、思考がまとまらない。



 そんな様子を見かねたのか、陽介さんはウチに飲み物を手渡す。


「とりまこれ飲みな。ちょっとぬるいけど何か飲んで落ち着いた方がいい」

「は、はい、いただきます」


 陽介さんから受け取った飲み物を半分ほど飲む。

 それはお茶で、確かに少しぬるかったけど、ウチのオーバーヒートした頭を冷やすのには十分だった。


「……ありがとうございました」

「どう? 落ち着いた?」

「……はい」


 ウチが消え入りそうな声でそう言うと、陽介さんはそうかと言って笑った。



 落ち着くと同時に今までの失態が思い出されて、穴があったら入りたいくらいだった。


「あの、今日のあたしのことは忘れてくれませんか?」

「ん? 別にいいけど、なんで?」

「そんなこと言わせないでくださいよ! もうっ!」


 あーもうっ! 恥ずいったらないよ~!

 絶対今、顔真っ赤だ。恥ずかしすぎて陽介さんの顔見れないっ!



 そうして恥ずかしさで俯いていると、ウチの膝の上にタオル地のハンカチが落ちているのが目に入った。


「これって……」

「あ、それ俺のハンカチね。一応冷やした方がいいかと思って乗せといた」

「あ、洗って返します!」

「いいよ、そんな気使わなくても。むしろ俺の汚いハンカチでごめんね?」

「いえ! 洗わせてください! むしろ洗いたいです!」

「お、おう。じゃあお願いしようかな……?」


 ウチの気迫に陽介さんが若干引いてる。

 で、でも、これを口実にすぐ会いに行けるし! 多少引かれるくらいならセーフ!



 その時丁度良く電車が来た。

 まさにナイスタイミング! こんな個室で二人きりなんて幸せすぎてこれ以上は無理。まだウチには早すぎたんだ。


「ほ、ほら、電車来ましたよ! 乗りましょう!」

「あ、ああ。それよりほんとに大丈夫か?」

「大丈夫ですからっ」



 陽介さんを強引に説得して電車に乗り込む。

 人もまばらな座席の中から空いた席を探す。


 車両の席は向かい合った4人用のところか、ドア際の横並びの2人用のどちらかだ。

 2人用の席で空いてるところがあったので陽介さんが席を取ってくれた。


 ウチも陽介さんの隣に座る。

 今度はさっきより距離が近くて、肩は常に当たってるし、身じろぎすればあちこち当たっちゃいそう。



 なんだか緊張してきて、ウチはさっき貰ったお茶をもう一口飲んだ。

 あ、そういえばまだ返してなかった。


「あの、陽介さん。これ」

「ああ、もういいの? よかったら全部あげるけど?」

「いえ、十分貰ったので」


 そう言って陽介さんにお茶を返す。

 しかし、その後で思った。




 ……あれ、あのお茶ってもともと陽介さんのものだよね? ってことは陽介さんも飲んでたんだよね?

 ってことはか、かかか関節――。




 慌てて陽介さんの方を見ると、陽介さんはウチが渡したばかりのお茶を飲んでいた。


「あ、あ――」

「ん? どした? やっぱりまだ飲みたかった?」


 なんてことない顔でそういう陽介さんは、優しげな目でウチに微笑みかける。


 あぁ、今日はドキドキしすぎて壊れそう。もしかしたらウチは今日この人にキュン殺されてしまうのかもしれない。


「いえ、何でもないです……」


 微かにそうつぶやいた声は、確かに陽介さんに届いていたようで、彼は微笑みをたたえたまま頷いた。


 ……全くもう、この人は無自覚でウチをドキドキさせる。

 そんな優しさに、まるでお兄ちゃんのように接してくれる陽介さんに、どうしようもなく惹かれていく。



 それからの車内で、ウチは恥ずかしくて陽介さんとまともに顔を合わせられなかった。

 つまんない女の子だと思われたら嫌だったけど、どうしようもなかった。


 どうやって帰ったのか、あまり記憶にないけど、陽介さんが途中まで送ってくれたような気がする。

 また連絡頂戴って言ってたことだけはおぼろげに覚えているが、それ以外の詳細を思い出せない。



 ボーっとしながら自宅に帰り着くと、我に返って懐にしまったままのハンカチを取り出す。

 そのまま無意識に口元にそれを運び、息を吸う。




「……陽介さんの匂い」




 思わず口元がにやける。


 ウチは体の奥から沸き起こる衝動を抑えきれず、自室まで駆けていく。

 そしてベッドに飛び込み、転げまわった。


「~~~~!」


 声にならない言葉を枕にぶつけながらゴロゴロ……。




 あぁ、今日はなんて幸せな日だったんだろう。




 思い出すと恥ずい事ばっかだけど、今まで以上にぐっと接近できたのは確かっ!



「……でも」


 天井を見上げながら考える。


 陽介さんはウチのことどう思ってるんだろう?

 自分の飲んだ飲み物を渡してもなんとも思わないってことは、女子として見てもらってないってことだよね……。


 ウチは陽介さんにとって妹の友達以上の存在になれるのかな……?



「ってなに弱気になってんのさ! 絶対に仕留めて見せるんだから!」


 だから今はこれで満足。


 そうして陽介さんのハンカチの匂いをもう一度嗅ぐ。

 温かくて優しいにおい。ああ、ダメだ。このままじゃウチ変態になる~!



 そうしてお母さんが夕食ができたと声をかけるまで、ウチはベッドの上で一人悶え続けていたのだった。

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