第8話 女子のおしゃべりは永遠に終わらない
目が覚めると、時計の針は11時を示していた。
家の中が静かなところを見ると、どうやら残っているのはあたしだけらしい。
バカ兄貴は補習で、お母さん、お父さんは仕事でしょ? あたしも何か用事があったような……。
「あ、雪芽さんと会う約束してたんだった!」
あたしは布団から飛び出ると、覚醒した頭でもう一度時計を確認する。
うん、大丈夫。まだ11時だからよゆーよゆー。
台所に降りると、虫よけのネットが被せられた朝食が置いてあった。
すっかり冷えてしまった朝食、というより昨日の夕食の残りだけど、それをチンして食べる。
開け放った窓から夏の喧騒が聞こえてくる。
これからあたしもそこへ向かうのだと思うと、憂鬱になる。そう、普段なら。
今のあたしは早く出発したくて仕方がなかった。
こんなことはいつ以来だろう。小学校の時に家族でデスティニーランドに行った時以来だろうか。
ご飯を食べて歯を磨いて、しっかりめかしこんで。それでもどこか気に入らない気がした。
そうして納得いくまで一人でファッションショーを繰り広げていると、あっという間に時間が経っていた。
「やばっ、もう時間じゃん。そろそろ出よ」
ああ、楽しみ! 今度由美にも紹介したいな。雪芽さんはあたしの親友も受け入れてくれるだろうか?
そんな妄想をしながら、あたしは自転車に乗って夏の喧騒の中へと飛び出した。
――――
駅に着くと、前と同じように雪芽さんはそこに座っていた。
微かに口元に微笑みを浮かべて、空を眺めていた。
「こんにちは」
「あっ、来たね?」
あたしが声をかけると、雪芽さんはこちらを向いて微笑む。
今日もやっぱり綺麗な人だ。
でも今日はいつもと違ってふんわりしたロングスカートにサッシュベルトを巻いたおしゃれな出で立ちだった。
こうしてみると華奢な人だなぁ。服の着方も大人っぽいというか都会っぽいというか、この辺にいる人とは違う。
まあ、あたしも含めて違うってことなんだけど。
「今日のお洋服、かわいいですね! あたしもそういうの欲しいんですけど、この辺じゃなかなか買えなくて……」
「ホントっ? ありがとう! この服ならネットで買えるから教えてあげるよ」
「ホントですか!? ありがとうございます!」
あたしがそう言うと、雪芽さんは何かを思い出したのか、声を上げた。
「そういえば陽介君気づいてなかったなぁ……。明らかに違う服着てきたのに」
「? どうかしましたか?」
「あ、ううん。晴奈ちゃんが来るまでここでお話ししてた人がいてね。その人は私の服については何も言ってくれなくて」
「それ男の人ですか?」
「うん、そう。私と同じ高校2年生」
あー、バカ兄貴と同じ学年の人か……。あいつだったら絶対に気が付かないだろうなぁ。
あたしはなんだか妙に納得して、大きく頷く。
「男はそういうことあまり気づきませんし、気づいても口に出したりしませんからね。うちのバカ兄貴もそうですし」
「あ、そうなんだ。晴奈ちゃんがおしゃれしても気づいてくれないんだ?」
「そうなんですよ! そもそも前髪切らないと髪切ったって気づかないとかおかしくないですか!? この前も――」
そんな風に、ことのほかすんなりと会話は進んだ。
あたしも話したいことがいっぱいあったし、バカ兄貴のバカ話もこの2日でずいぶん増えた。
「それで、お兄ちゃんが家にいなかったんで、遊びにでも行ってるのかと思ってたら補習だったんですよ」
「補習? どうしたの?」
「テストで赤点とったらしいです。それで補習から帰ってきたと思ったらまた次の日も補習だっていうんですよ。遅刻したからって」
「ふふっ、補習に遅刻するなんて随分と偉いお兄ちゃんなんだね」
雪芽さんは冗談めかしてそう言った。
「あははっ! 確かにそうですね。しかも2回遅刻してますから相当偉いですよ」
「え、それって……」
あたしが冗談で返すと、雪芽さんは一瞬真面目な顔をした。
しかし、そんな表情はすぐに納得したような表情に塗り替えられ、雪芽さんは一人大きく頷く。
「あー! そういうことね! 分かった分かった!」
「どうしたんですか?」
「いや、何でもないよ。こっちの話!」
雪芽さんはやけに楽しそうにそう言う。
何だろう? こうも目の前で大きくリアクションされると気になる。
「それで、お兄ちゃんはその時なんて言い訳してたの?」
「あんなタイミングで新ステージ出す運営が悪い、俺は何とかのささやきに従っただけだ~って言ってました」
「あはは! なにそれっ、意味わかんない!」
それからの雪芽さんの反応は以前にもまして大きなものになっていた。
まるであたしの話すお兄ちゃんのことを知っているみたいに。
そうして話しているうちにあっという間に昼の時間になってしまった。
丁度昨日雪芽さんと会ったくらいの時間だろうか? 外からこちらに近づいて止まる車の音が聞こえた。
「あ、お母さんだ。もうそんな時間かぁ」
「まだ話足りないです……」
あたしが名残惜しさを隠しもせずにそう言うと、雪芽さんも恥ずかしそうに笑いながら私もと言った。
雪芽さんとあたしが同じ思いだと知って、なんだか無性に嬉しくなった。
こんな綺麗な人とあたしみたいな普通の子でも考えることは同じなんだ。
「あら、昨日の子ね。こんにちは」
「はい、こんにちは」
雪芽さんのお母さんはあたしを見ると微笑みを浮かべた。
その笑みは雪芽さんのそれに似ていて、やっぱり親子なんだなぁと思った。
「また雪芽とお話ししてくれてたのね。ありがとう、この子こっちに来てからお友達もいなくて、余り笑わなかったのよ? それなのにあなた達に会ってから毎日楽しそうで――」
「ちょっと、お母さん! そんなことはいいでしょ? それよりちょっと話があるんだけど……」
今までお姉さんだった雪芽さんは、母親を前にすると途端に娘に戻った。
なんだか手の届かない存在だと思ってた雪芽さんが、実はあたしたちと同じ人間なんだって実感がわいて、あたしは少しだけ安心した。
って、雪芽さんが人間以外の何かなわけないんだけど。何考えてるんだろあたし。
「じゃあいいってこと!? やった!」
「まあ、お友達なんだし、いいでしょう。部屋を掃除する時間はないからお茶するってことならいいわよ」
「正しくは準友達ねっ! よし! 晴奈ちゃん、おしゃべり続行決定だよ!」
「え? え?」
あたしが考え事をしている内になにやら話が進んでいたようだ。
どうやら場所を変えておしゃべりをするってことらしいけど……。
「これから近くのカフェでお茶でもしながらおしゃべり続行することにしたから! あ、時間とか大丈夫?」
「え、あ、はい! 時間は全然。でもお金あんまり持ってなくて……」
まさかお茶だなんて聞いてなかったからお財布にお金入れてこなかった……。
「そんなのいいわよ。雪芽が強引に誘ってるんですもの、おばさんにおごらせてちょうだいな」
「いや、そんな悪いです」
あたしがそう言うと、雪芽さんと雪芽さんのお母さんは顔を見合わせて笑った。
「よくできた子ね。でも、子供のうちは素直に大人の施しを受けるものよ? それが子供の礼儀ってものです」
「そ、そういうことなら……」
なんだか強引に押し切られてしまった感が否めないけど……。
まあ、カフェと聞いたらごちそうになるしかないでしょ!
普段はお金もないし、自転車でいける範囲にそんなおしゃれなものないから行けないもん。こういう機会に行っとかないといつ行けるかわかったもんじゃない!
今度由美に自慢してやろっ!
「じゃあ、決まりっ! ささっ、車に乗って」
「お、お願いしま~す……」
恐る恐る車に乗り込む。
うちの車よりシートフカフカッ! すごっ!
「じゃあ、出発するわよ。二人ともシートベルトはつけた?」
雪芽さんのお母さんがカーナビをセットする。
あんなのうちの車についてないよ。
「はーい。晴奈ちゃんも大丈夫だよ!」
こうしてあたしは流されるままにおしゃべり会場をカフェに移したのだった。
――――
隣町の国道沿いにあるカフェに着くと、彼女らは結構いい値段のするコーヒーを注文していた。
何にするか聞かれたが、あたしはまだコーヒーは苦くて飲めないし、苦くなくてもあんまり高いコーヒーはちょっと申し訳ない。だからあたしは少し小さいサイズの紅茶をお願いした。
なんとかプラペチーノとか、名前言うだけで舌噛みそうだもん……。
遠慮しなくていいのになんて言うが、そもそもこんな場所に入ること自体遠慮したいくらいなのだ。
なんか場違い感がすごいというか、あたしくらいの年齢の子なんていないし。
「そういえば晴奈ちゃんはお昼食べたの?」
席に着くと雪芽さんのお母さんがそんなことを言った。
「いえ、まだです」
「迷惑じゃなければ一緒にどう?」
「いや、さすがに――」
そう断りかけて、先ほど雪芽さんのお母さんに言われた言葉を思い出す。
「えっと、じゃあごちそうになってもいいですか?」
「ええ、もちろんよ」
そう言って笑う雪芽さんのお母さんは、やっぱり雪芽さんに似ていた。
「それで、雪芽から少し話は聞いてるんだけど、晴奈ちゃんのこと教えてもらってもいいかしら?」
そういえばちゃんとした挨拶はまだだった。
あたしは少し姿勢を正すと、自己紹介をする。
「あたしは柳澤晴奈です。今は中学2年生で、お父さん、お母さん、お兄ちゃんと住んでます」
「ありがとう。私は雪芽の母の池ヶ谷静江です。気軽に静江おばさんって呼んでちょうだいな」
「えっと、じゃあ静江おばさんと雪芽さんはこっちに越してくるって聞いてるんですけど、いつ頃なんですか?」
「そうねぇ、この前雪芽がこの街がいいって言ったばかりだから、今お部屋を探しているところね。見つかり次第引っ越しかな」
「いつまでもお父さんの部屋じゃ狭いもんね」
甘そうなコーヒーをすすりながら、雪芽さんは狭さを思い出したのか顔をしかめた。
「今はどこに住んでるんですか?」
「今は街の方。お父さんがこっちに単身赴任しててね。私たちもこっちに引っ越してくることになったの」
単身赴任。聞いたことがある。
お父さんが出張よりずっと長い版の出張だって教えてくれた。
「それでこっちに引っ越してくるんですよね? 大変じゃないですか?」
「まあそうね。私たちだと男手はお父さんしかいないし。私と雪芽はあまりあてにならないしねぇ」
「そのくせ荷物は多いもんね」
どうやら本当に大変らしい。
お母さんが話していたことがあったが、引っ越しというのもお金がかかるらしい。
あたしは生まれてこのかた引っ越しは経験してないけど、うちも何度かやったことがあるらしい。
お兄ちゃんも大変だったって言ってたし、何か手伝えることないかな。
「あっ、そうだ。そのお引越し、あたしがお手伝いしますよ! お兄ちゃんも一緒に」
「えっ、いいの?」
「申し訳ないわねぇ。確かに助かる申し出ではあるけれど……」
あたしはさっきの静江おばさんの笑顔をまねて笑って見せる。
「ごちそうになったお礼です。それに、大人の施しを受けるのが子供の礼儀なら、子供の申し出を受け入れるのは大人の礼儀なんじゃないですか?」
すると二人は顔を見合わせて、同時に噴出した。
な、なに? あたし何か変なこと言ったかな?
「まあ確かにそうだね! 子供の言うことも聞かないとダメだよ、お母さん」
「ええ、そうね。それじゃあ甘えちゃおうかしら」
でも、どうやらあたしの申し出は受け入れてくれるみたいだ。
それから引っ越しの日時が決まったらメッセージを送ってくれる手はずを整え、あたしはちゃっかり雪芽さんの連絡先を手に入れたのだった。
その後に開かれたお茶会は、バカ兄貴の話から始まり、あたしの話、雪芽さんの話、静江おばさんの話と、どんどん広がっていった。
終わりの見えないお茶会はお茶が無くなっても、パンが無くなっても続き、あたしが駅に送り返してもらうころには、日が沈みそうになっていたのだった。
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