第7話 夏の魔法は唐突にかけられる
俺が朝母親の声で目覚めると、スマホの時間は予定より1時間も早い時刻を示していた。
「なんだ、まだ1時間もあんじゃん、寝よ」
「何言ってんの!? あんた補習に2回も遅刻したらしいじゃない! もう起きなさい!」
「うー、まだ寝てたい……」
俺の抵抗もむなしく、母親に布団を奪われてしまう。
もう、母さんは仕事だからこの時間ってのはわかるけど、俺まで巻き込まないでくれよ……。
渋々起き上がり、顔を洗う。
用意されていた飯を平らげると、時間は7時半。なんだかんだでいい時間だった。
「じゃあ母さんはもう行くから。晴奈はまだ寝てると思うから戸締りよろしくね」
「はーい」
テレビを見ながら適当に返事を返す。
あ、貰った宿題の復習しとくか。うまくいけば今日で補習終わりだし。
補習の最後のテストに出ると言われた宿題の復習をしていると、あっという間に出発の時間になったので、俺はよこっらせと腰を上げた。
外へ出ると、すでに太陽は高く昇っていた。
夏はなんとも早く日が上がるものだ。
とりとめのない思考でのんびり通学路を歩く。
最寄り駅まで徒歩30分はかかるから、こうして歩いて登校するときはゲームや本を片手に道を歩く。
都会だと歩きスマホは危険だからやめなさいと言われているらしいが、こんな田舎じゃぶつかる人もいない。
歩きスマホしたい放題だ!
「うおっ」
そう思っていたら、長く生い茂った草で隠されていた用水溝に足がはまった。
もう使われていないのだろう。水は張っていなかったが、バランスを崩して転びそうになってしまった。
……歩きスマホはやめよう。
――――
そうして何もすることもなく駅へ到着。
時間は8時半。余裕で間に合う。
誰もいない改札をくぐると、ベンチには先客がいた。
「ホントにこんな早くからいるんだな。暇なの?」
「わっ」
俺が声をかけると、雪芽は驚いたように小さく声を上げた。
なんかいつも俺が驚かされてばっかだったから一本取った感じがしていい気分。
そうして俺はいつもの席へ着く。
「もうっ、急に声かけないでくれない?」
「いや、いつもそっちがやって来てたんだろ? 俺は仕返ししただけだよ」
「……あなたって時々意地悪だよね」
そう言ってむくれる雪芽に、かつてのとっつきにくさはない。
ごく普通の女の子。それだけに、なぜこの駅にいるのかが不思議でならない。
「なあ、雪芽さんってなんで駅にいるんだ? 電車に乗るわけでもないみたいだし」
「ふふん、今日はある女の子と会う約束があるの。だから別に暇なわけじゃないんだから」
「今日はって……。今までは暇だったってことじゃん?」
「細かいこと気にする人は嫌い」
「す、すんません……」
どうやらそのことについてはあまり触れてほしくないらしい。
これ以上踏み込むのは地雷源に向かっていくことと同義だ。やめておこう。
「それで、その女の子って友達か? 俺以外にもいたんだな、友達」
「あのねぇ、私だって友達くらいいます。まあ、その子はまだ知り合いなんだけどね」
その知り合いっていうのは雪芽さんの理論上のやつでしょ? 実際はもう友達みたいなもんなんじゃないの?
「それに、陽介君はまだ準友達だから。昨日も言ったでしょ?」
「準友達って……。友達と何が違うんだよ」
そう言うと、雪芽は少しの間考えるそぶりを見せた後、首をかしげながら答えた。
「一緒に遊んだりするまではいかなくても、気軽にお話したりはできる関係? かな」
「なんで疑問形なんだよ」
「う、うるさいなぁ。知り合いより親密で、友達より深くない関係だよ。言葉にするのは難しいの!」
再びむくれ顔になる雪芽。
表情豊かになった彼女はとても魅力的で、俺の胸は高鳴る。
しかしそれを自覚せず、今日も暑いなと夏のせいにしていた。
「んで、今日会う予定の女の子ってここに来るのか?」
俺が問いかけると、雪芽はころりといつもの表情に戻り、こともなげに頷く。
「そうだよ。その子ともここで会ったの。中学生だって言ってたけど、しっかりした子だったよ」
「ほーん」
この辺にいる中学生だったら俺も知ってるかも。
まあ名前聞いても顔までは思い浮かばないと思うけど……。
しかししっかりした子か。晴奈にも見習ってもらいたいものだな。
「でもここって無人駅だから待ち合わせにはぴったりだね」
「いや、改札内を待ち合わせに使うなよ」
「電車に乗らなきゃだいじょーぶでしょ? それにしても無人だなんてなんか不思議」
「そうか? 普通だと思うけど」
この辺は無人の駅が多い。
駅員さんがおらず、自動改札機が設置してあるだけなのだ。
この駅はもっとひどくて、自動改札機すらない。
駅員さんもいないからフリーパスだ。
無賃乗車できるにはできるが、他の駅にはしっかり自動改札機や駅員さんがいるから余所では降りられない。
ずるはだめってことだ。
「でもMeronも使えないなんて思わなかったよ」
「Meron? なにそれ」
俺がそう聞き返すと、雪芽は驚いた様子で勢いよく俺の顔を見る。
まるで信じられないものを見たといった表情だ。
「Meronを知らないの? ほんとに?」
「あ、ああ」
「Meronっていうのは交通ICカードだよ。改札でピッてやったら通れるやつ。知らない?」
ああ、それなら見たことがある。
ニュースなんかで東京の方が映ってると、みんながそうやって改札を抜けている。
あれ、Meronって名前だったのか。
「こっちはそんなのないよ。みんな切符」
「え、じゃあ定期とかどうするの?」
「定期は切符の大きいやつだろ?」
「……なにそれ」
全く、常識だぞ? 世間知らずな奴め。
それから俺たちは、田舎はこうだ、都会はああだなんて話をして、互いが自分の常識とはかけ離れた世界で生活してきたことを知り、大いに盛り上がった。
俺の話す田舎の姿に、雪芽は驚いたり笑ったり、忙しそうだった。
そうしているうちにあっという間に電車が来てしまった。
今日は20分しかなかったから早く感じるな。
「あ、もう電車来ちゃったね」
「ああ」
このまま遅刻してやろうか。そんな考えが頭をよぎり、俺が立ち上がるのを阻む。
隣の雪芽から、どうしたのかという視線を感じ、俺は慌てて立ち上がる。
「じゃ、じゃあ俺は行くわ。またな」
「うん。またね」
簡単な挨拶の後、電車のドアが閉まる。
手を振る雪芽の顔は、笑顔だった。
かつてのように寂しさを
対して車窓に映る俺の笑顔は少しぎこちないように見えた。
――――
学校につくと、山井田はすでに教室で待っていた。
まだ補習開始まで10分はある。気の早い人だ。
「おう、今日は遅刻しなかったな。うんうん」
「流石に三日連続遅刻は不味いと思ったんで」
「二日連続でも十分不味いぞ」
俺は席についてプリントを取り出す。
最後に少し悪あがきをしておきたいしな。
それから時間が来て、補習が始まった。
内容としてはテストに出た内容の復習で、これと言って目新しさもないものだった。
退屈な補習授業が終盤に差し掛かったあたりで再テストが配布された。
内容は貰った宿題の内容とほとんど変わらない。これなら9割はいけそうだ。
復習をした甲斐もあって特に
ものの30分で問題は解き終わり、山井田に提出に向かった。
「なんだ、随分早かったな。ちゃんと見直ししたか?」
「したから、早く見てよ」
「ったく、赤点の癖にいっちょ前なこと言いやがって」
そうぶつくさ言いながらも山井田は採点をしていく。
見れば丸が多い。いけそうな雰囲気だ。
「よし、採点終わったぞー」
「どうどう? できてた?」
「ああ、91点。ぎりぎり合格だ。最初からこのくらいの点数とってくれ」
「はーい」
それが出来たら苦労しないよ。
「よし、これで補習は終わりだ。もう赤点なんてとるなよ」
「努力しまーす」
山井田がプリントをまとめて教室を出る準備を始め、俺もそれに
「山井田先生いますかー?」
そんな時、少し間延びした声と共に教室に入ってきたのは
なんで学校にいるんだろう? こいつも補習か?
「お、どうした塚田。練習までもうちょい時間あるだろ」
「はい、ちょっと自主練してたんで早めにこっち来たんです。あれ、陽介? お前部活はやってなかったよね?」
隆平は俺を見つけると不思議そうに首をかしげる。
どうやら隆平は部活できていたらしい。
そういえば陸上部の顧問は山井田だったな……。担任が顧問だと苦労しそうだ。
「俺は補習。たった今終わったけどな!」
「あ、山井田先生が言ってた補習対象者ってお前か! ははっ、ただ一人の補習者だって話じゃん。すげーなお前」
「山井田さんのクラスではだろ? 他のクラスにはもっといるだろ」
「いても2、3人だ。お前はもっと反省しろ」
先生たちが常に携帯している黒いあれで、軽く頭をたたいてきた山井田は、苦笑いを浮かべていた。
「それで、隆平は山井田さんに何か用があったんじゃないのか?」
「あ、そうだ。山井田先生、白線引こうと思ったんですけど、石灰がもうなくて。どこにありますか?」
「ああ、石灰なら俺も取りに行こうと思ってたところだ。ちょうどいい、手伝ってくれ」
「はーい。じゃあな陽介!」
そうして二人は教室から出ていった。
さてと、俺も帰るとするか。
時計を見れば時刻は11時半。もうすぐ飯時だ。
そう思うと急にお腹が減って来て、帰りにどこか寄っていこうかなんて考える。
でも金ないし、やめとくか。
取り出した電車の時刻表には1時間に4本のペースで数字が刻まれている。
しかし、次に俺が乗れるのは12時33分。大体あと1時間後だ。
……長いよなぁ、1時間。
ゲームでもして時間つぶすしかないか。
俺は鳴りやまない腹の虫を押さえつけながら教室を後にする。
……帰るころになっても雪芽さんはまだいるかな。
そんなことを少しだけ考えてしまった。
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