第6話 夏休みの宿題は最終日にやるもの

『今日一緒に宿題やらない?』


 そんなメッセージが届いたのは太陽があと少しでてっぺんに来るといった時刻だった。


 別段あたしも予定があったわけではないし、バカ兄貴も補習に向かったみたいだし、異論はなかった。

 誰かと一緒にやらないと宿題って一向に終わらないし、最終日にどや顔のバカ兄貴に手伝ってもらうのはなんか癪だし……。


 まあいろいろ理由をつけてはいても、結局暇だから誰かと一緒にいたいってことなんだけど。


 そう思ってからは早かった。

 あたしは30分もせずに支度を済ませ、家を出る。



「あ、そういえばバカ兄貴が自転車乗って行っちゃったんだ」


 玄関においてあるはずだったあたしの自転車は忽然と姿を消していた。

 となるとまた歩いていかないといけないじゃん!


 ……あー、日傘持ってこ。



 あたしには少し大きい日傘をさして、灼熱の中に身を踊らせる。


 セミの声があたしを包み、青く茂った木々が風に揺れ、さざめく。

 セミの声が暑苦しく感じるのは、きっとあいつらが命がけで鳴いているからなんだろうなぁ。そりゃ命かけたら暑苦しくもなるか。



 そんな風に夏に翻弄されながら、あたしは気づいたら駅の近くまで来ていた。


 そういえば昨日会ったお姉さんは今日もいるかな?

 ちょっと覗いていこっと。どうせ由美も急いでるわけじゃないだろうし。


 あたしはそう思い立ち、進路を駅の方へ切り替えた。



 駅に着くと、駅舎の前にはこの辺では見かけない綺麗な車が止まっていた。

 外車ってやつかな? この辺で見かけるのは軽トラとかだからなんか得した気分。


「大丈夫? 雪芽、無理しなくてもいいのよ?」

「大丈夫大丈夫。最近調子いいし。それにこの駅でよく会う人がいるの」

「あら、お友達?」

「いや、まだ友達じゃないよ。明日会えば準友達」


 その車に向かって歩く女性が二人。

 そのうちの一人にあたしは見覚えがあった。


「あ、昨日のお姉さん」

「あっ、昨日の女の子!」


 あたしが声を上げるのと程同時に、向こうも気が付いたみたいだ。

 この中でただ一人、壮年の女性だけが状況を理解していない様子で首をかしげている。


「あ、お母さん。この子は昨日話した女の子」

「まあっ! 面白いお話をしてくれたっていう子ね。ありがとう、この子のお話し相手になってくれて」


 どうやら彼女は母親にあたしのことを話していたらしい。


 お姉さんのお母さんから注がれる視線に少し身じろぎしながら、あたしは簡単に挨拶をした。



「今日もお出かけ?」

「はい。今日は友達と一緒に宿題をやる予定なんです」

「そっかー。私はこれから帰るところなの。お話しできなくて残念」


 本当に残念そうに笑うお姉さんに、由美がもっと早く連絡くれれば今日もお話しできたのにと思った。


 そうやって由美を恨むのはお門違いなのだが、貴重な機会を失ってしまったようで。それを自分のせいにしてしまうと、自分を責め続ける事になる気がして、素直に認められなかった。

 それだから由美のせいにしないとこの場を笑って過ごせない気がしたのだ。



「あたしも残念です。お姉さんは明日もここに来るんですか?」


 あたしの言葉に彼女の母親はお姉さんの顔を覗き込んだ。

 お姉さんはためらうそぶりもなく頷く。


「うん、明日も来るよ。あなたも来る?」


 それは願ってもない提案だった。

 何か理由がないと外に出るのが億劫なあたしは、こういった誘いがないとなかなか外に出ない。


 今日だって会いに行こうと思えば行けたのだ。ただ別に約束もしていなかったし、行っても会えるかどうかわからなかったから行かなかったというだけで。


「はい! あたしも明日、昨日と同じ時間にここに来ます!」


 そう言うと、お姉さんは嬉しそうに笑った。


 風が吹く。

 風になびくワンピースの裾が幻想的な雰囲気を醸し出していて、やっぱり天使のようだと思った。



 あたしが見とれていると、お姉さんは車の後部座席に乗り込むところだった。


「あ、そうだ」


 ドアが閉まる寸前。彼女はこちらを向いて再び笑顔を向ける。


「私の名前は池ヶ谷雪芽っていうの。あなたは?」

「あ、あたしは柳澤晴奈です!」

「あ、ほんとに柳澤って多いんだ」

「え?」


 お姉さんはあたしの名前を聞くと、何かつぶやいた。

 柳澤がどうとか言ってたけど、何のことだろう?


 あたしが聞き返すと、彼女はなんてことない様子で首を振る。


「ううん、なんでもない。自己紹介が遅れちゃってごめんね。また明日!」

「いえ、こちらこそ。明日楽しみにしてます!」


 最後にお姉さんのお母さんとも軽く挨拶を交わすと、彼女らは去っていった。

 車が見えなくなるまで見送ると、あたしも出発することにした。



 歩いて由美の家まで行くのは面倒くさいので、バカ兄貴の乗っていった自転車を取り返してやろうと思ったのだが、鍵がしてあった。


「ちっ、さすがのバカ兄貴でも学習するか。……てかあたしが鍵かけろって言ったんだっけ」


 そんな風に独り言ちり、日傘をさして歩き出す。



 それにしても、あのお姉さん、雪芽さんは駅に何をしに来ているんだろう? お迎えを待ってたのかな?


 街とは反対の方から電車できて、親が来るまでの間をああして駅舎でつぶしていたってことなのだろうか?

 何かそんな気がしてきた。ベンチに座ってるからって電車を待ってるわけじゃないもんね。



 道中、あまりの暑さに自販機で炭酸ジュースを購入し、だらだらとそれを口にしながら、代り映えしない風景をただ見つめていた。


 小学生くらいの子供たちがあたしの横を自転車で通り抜けていく。

 あーあ、あたしも自転車あるはずなんだけどなぁ。


 彼らははじけるような笑顔で元気にペダルをこいでいる。

 これから近くの公園に向かうのだろう。服装なんかからそんな感じがする。



 ちゃんと宿題やれよーと心の中で思いながら、果たしてあたしはちゃんと宿題をやるのだろうかなんて考えが頭をよぎった。

 バックの中に入れてきたのは宿題だけではない。このまえ由美が読みたいと言っていた漫画が数冊入っている。


 なんだか結局遊んでしまいそうだし、あたしも半分くらいはそのつもりでいた。

 せめて数学の宿題だけでも終わらせないと。由美は数学得意だし。



 そんな風に色々考えながら歩いていると、由美の家が見えてきた。

 うちとは違ってこぎれいな家で、同じくらいの子がたくさんいる新興住宅街に住んでいる。


 うちは昔からある畑の中のボロ家って感じでかわいくないのに対し、由美の家はクリーム色のかわいいお家だ。


 いいなぁ、あたしの家もあんな感じでリフォームして欲しい。



 ”Miyairi”とアルファベットで書かれた表札を横切り、カメラやスピーカーのついたドアベルを鳴らす。

 電子的な音が鳴り、スピーカーから「あ、来た!」という声が聞こえた。


「はーい」


 元気な声と共にこちらへかけてくる足音が聞こえる。


 玄関のドアが開き、余所行の格好の由美が顔を出した。

 今日も誰かと遊んで来たのだろうか? 本当に遊ぶのに忙しいやつだ。


「いらっしゃい! もう始めてるよん」

「うん。お邪魔します」



 家に入ると、由美の家の三毛猫が近寄ってきた。

 名前はみかんだったかな? 由美はミーちゃんミーちゃんって呼ぶから忘れちゃった。


「こんにちは」


 そう言って手を差し出すと、ミーちゃんは少し匂いを嗅いだだけでどこかへ行ってしまう。


「あたし、嫌われてるのかな?」

「あはは! 別にそんなんじゃないと思うよ? ただ挨拶に来ただけだと思うし」

「そうなのかなぁ?」

「それより~、あれっ! 持ってきた!?」



 部屋まで案内する道すがら、由美は目を輝かせながらそう尋ねてきた。

 あれとは漫画のことだろうけど、今渡したら宿題しないで漫画鑑賞会になっちゃう。


「持ってきたけど、今はだめ。まず宿題進めてからじゃないと」

「え~、晴奈まじめすぎぃ」


 そう言う由美も、通された部屋に宿題を広げており、結構進んでいるように見受けられる。

 どっちが真面目だ。あたしなんてこれっぽっちも手を付けてないのに。



 由美はあたしに何が飲みたいか聞いた後、キッチンの方へと消えていった。


 その間にあたしは宿題を広げ、筆記用具を取り出す。

 しかしこの量、嫌になるなぁ。夏休み休ませる気なんて毛頭ないんじゃないの?


 大体、数学なんて社会に出てから何の役にも立たないでしょ。連立方程式とか、何に使うんだよ。



「はいおまたせー。お菓子なに食べる?」

「ありがと。手が汚れないやつがいいよね。芋ケンピとか」

「あ、わかるー。手汚れるやつだと宿題やりながら食べられないし。でもその趣味はちょっとばば臭くない?」

「え、芋ケンピおいしいじゃん」

「まぁ、おいしいとは思うけど……」


 何がいけないのさ、芋ケンピ。

 干し芋とかもおいしいじゃん。


 緑茶と一緒に庭を見ながらとか、もう最高においしいと思うんだけど。



「ねね、晴奈はどこまで進んだ?」

「社会のとこをちょっとやっただけ」

「お、ナイス! ウチは数学もう少しで終わりそうなとこまで来たよん」

「早っ! もうそこまで行ったの?」

「だって数学面白いじゃん」

「えぇ~……。それは分からないわ」


 由美は数学が好きで、代わりに社会が苦手だ。

 あたしは数学はてんでダメで、社会なら少し得意だ。


 互いに補い合うというか、ギブアンドテイクの関係というか、そんな感じだ。


 その他にも由美は男子女子分け隔てなく人気があるクラスの人気者だけど、あたしはどちらかというと日陰者。目立たないっていうのが正しいのかも。


 あとは由美は行動的で、あたしは慎重派とか、色々違うところが多い。

 でもなんでかな。由美と一緒にいると心地いい。



 それからあたしは由美に数学を教えてもらい、あたしは由美に社会を教えていった。

 そして、あたしの数学が半分程度終わった時、由美はおもむろに口を開いた。


「ねえ、今日陽介さんは何してるの?」

「んー? バカ兄貴は補習」

「補習? 何したの?」

「赤点とったんだって。それで補習になったんだけど、さらにその補習を遅刻したらしい」

「あはは! なにそれ、やっぱり陽介さんって面白いね!」

「単にバカなだけだよ」


 バカ兄貴の話をするとき、由美は楽しそうに笑う。

 あたしと話してる時や、クラスの他の子と話してる時にも見せないような笑顔で。


 それはバカ兄貴のバカっぷりがずば抜けているのか、それ以外の理由なのかあたしには分からないけど、なぜだかあまりいい気分にはなれなかった。


「それで、何の補習――」

「そんなことよりさ、これ、どうやって解くの?」

「ああ、それはね――」



 ああ、なんでかな。

 こんな風に露骨に話を遮ってしまう自分が嫌だった。それを咎めようともしない由美にもイライラした。

 そんな風に由美のせいにしてしまう自分も、やっぱり嫌だった。


 由美が教えてくれたやり方は、きっとわかりやすくて単純なものなんだろうけど、そんなことすらあたしの頭の中には入ってこなかった。

 ただ自分の中のもやもやの正体を突き止めたくて。でもわからなくて。


 こんなあたしじゃ由美に嫌われちゃうって分かってるけど、あたしにはどうすることもできなかった。

 ……いや、由美はこんなことじゃあたしを嫌いになったりしない。それが分かっててこんな態度をとってるんだ。


 それがわかると、余計に自分のことが嫌になった。



「ねえ、聞いてる? おーい、晴奈!」

「な、なに?」


 顔を上げると、すぐそこまで由美の顔が迫っていた。

 可愛い顔だなと思う。でも雪芽さんのような大人の魅力はまだないかな。


「もーっ! 今度晴奈のうちで宿題やろって話!」

「……へ?」

「いつもうちじゃん? それだとウチがつまんないし、たまには晴奈んちでやろって話」

「あ、ああ、その話ね。でもうちには何もないよ? 部屋もぼろいし、お兄ちゃんもいるし、お菓子もばば臭いのしかないけど」

「ま、まだお菓子のこと根に持ってるの? ごめんってば、ウチも芋ケンピとか好きだし!」


 あたしの少し意地悪な言い方に、由美は困った表情を浮かべた。

 ……あたしったらなにやってんだろ。いい加減切り替えていかないと。


「うん、あたしもごめん。でもほんとに何もないよ?」

「別にいいじゃん! 何もない方が宿題に集中できるし、晴奈んちならウチの読みたい漫画たくさんあるし!」


 それ結局マンガ読むだけで終わりそうなんだけど……。

 ま、いっか。いつもあたしがお邪魔しちゃってるわけだし、たまにはうちに来てもらっても。


「まあ、そういうことならうちでもいいけど……」

「やった!」


 あたしが許可すると、由美は小さくガッツポーズをとった。

 一体何がそんなに嬉しいのだろうか? 漫画だろうか?



「じゃあ今日はここまででいいでしょ! 続きはまた晴奈んちでってことで」

「まあ、いっか。あたしも疲れちゃったし」


 あたしがそう言うと由美は勢いよく宿題を閉じた。

 消しカスが机の上を転がる。


「じゃあもういいよね! 晴奈っ、漫画貸して!」

「はいはい、ちょっと待っててね」

「早く早くぅ!」


 目を輝かせた由美にせっつかれながら、あたしは鞄から漫画を取り出す。


 由美は漫画を貸してやると、夢中になって読み始める。その横顔を見ていると、さっきまでのもやもやなんてどこかへ行ってしまった。



 今思うと何がそんなに気になっていたのだろう。

 きっと大したことじゃないんだろうな。


 もやもやの正体にそうけりをつけると、あたしも漫画を手に取り読み始める。


 そうして6時の鐘がなるまで、あたしたちは漫画を読みふけっていたのだった。

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