第4話 2回目の邂逅は友達にいたらない
朝、鳥や虫の声で目が覚める。うるさいなぁと思いながらも、思わず口元が緩んだ。
こうして自然の音で目が覚めるのは何とも心地いい。よく寝たという達成感が得られる。
そんな風に爽やかな朝を感じながら、スマホに目をやる。
09:21
そんな風に爽やかな朝を感じながら、再びスマホに目をやる。
09:22
ああ、時間は止まってないんだなぁ。
「って、やべぇ、まじやべぇ!」
俺は慌てて起き上がって寝間着を脱ぎ捨てる。
ここから駅まで自転車で15分。しかしこの数字は俺のベストタイムだ。これ以上のタイムは現状叩き出せていない。
だが、それでも諦めるわけにはいかないんだっ!
くそう、いっそ間に合わないことが確定の時間に起きたかった。そうすれば諦めがついて気持ちの良い二度寝が待っていたというのに!
俺は朝食をとる暇もなく着替えて家を飛び出す。
あ、やべ、晴奈に自転車借りるって言わないと。
「晴奈ー! 自転車借りる!!」
「ふぁ~い……」
眠そうな返事だが、確かに許可は取ったぞ、妹よ。
俺は自転車にまたがり息を吸う。
ああ、なんだか今日はいけそうな気がするぜ。
ベストタイム、叩き出しちゃいますか!
今日も夏の日差しは厳しかったが、なぜだか応援されているような気がした。
――――
「うおおおお!!待ってくれぇえええ!」
駅舎の裏に見えるのは俺が乗るはずだった電車。
それはゆっくりと動き出していた。
俺が自転車を止めて改札へ駆け込むころには、電車は
昨日晴奈に注意されたばかりなので自転車の鍵を取りに戻る。
そうして再び駅舎に入り、ふと時計を見上げると、9時41分。家を出たのが9時27分あたりだったから、大体14分でここに到着したってわけだ。
「ってことは自己ベスト更新じゃね? 俺ってすごい!」
「連続遅刻回数の自己ベストですか?」
「うおっ」
駅のホームまで出て、現実逃避のために呟いた独り言は、昨日と同じように返事が返ってきた。
見れば昨日と同じ場所、同じ服装で、雪の妖精が座っていた。
「え、昨日と同じ服着てるの?」
「違いますっ! 昨日のとは違う服だから!」
「お、おう、どの辺が?」
「レースの模様とか、丈とか全然違うでしょ」
そうなの? よくわからん。
「でなに? 今日も電車見てるの?」
「違います。私はただ……、ただ、電車を見送っているだけです」
「それを見ているというんじゃ?」
「全然違うし」
約1日ぶりに再会したが、相変わらず変な少女だ。
まじで何してんだろ? 電車好きなのかな?
「それで、あなたの方は性懲りもせずに遅刻ですか」
「……まあな」
俺の返事を聞くや否や、少女は大きなため息をつく。
な、なんだよ。別にあんたには関係ないだろ?
「学校、行きたくないんですか?」
少女は足元に視線を落とし、呟くように言った。
「いや、ただゲームやってて寝坊しただけ。その証拠にほれ、全力でチャリこいできたから汗だくじゃん?」
俺が笑顔で滴る汗を見せつけると、少女は顔をしかめて少し遠ざかる。
「汚いので寄らないでください」
ひでぇ……。
まあ、確かに不潔ではあったな。反省。
俺は一通り汗の処理を施す。それが終わると少女は元の位置に戻ってきた。
そして、ひとつきになったことがある。
確かこの少女は俺と同学年だったはずだ。なのになぜこうも改まっているのだろうか?
「そういえばさ、なんで敬語なの? 俺たち同学年でしょ?」
「別に、あなたを敬っているわけじゃないので、勘違いしないでください」
そういうと少女は俺を拒むように向かいのホームへ視線を向けた。
「いや、そうじゃなくて。同学年なんだから敬語なんていらないじゃん。タメ口でいいよ」
「あなたと友達になる気はないので」
別にそこまでは言ってないんだが……。
友達少ないのかな? まあ、朝っぱらからこんなさびれた駅で電車を見送ってるだけのやつだもんな。そりゃ友達少ないよな。
「な、なんですか? あなたにそんな目で見られるいわれはないです」
憐憫の視線に感ずかれたようだ。
しかしこの感じ、図星らしい。
「今までも何度かタメ口だったし、いまさら大した変化じゃないだろ? いーじゃん、気楽にいこうぜ? そんなに壁張ってたら疲れるっしょ」
「いえ、いままでタメ口なんてしてないですけど。勘違いじゃないですか?」
少女の言葉に耳を疑う。
思わずその顔を見るが、本当に気づいていない様子だ。
「え、さっきも昨日の服とは違うー、ってタメ口だったじゃん」
「……覚えがないです」
「あ、今の間。心当たりあるんじゃないのぉ?」
「警察呼びますよ」
「いやなんでよ」
少女は相も変わらず向かいのホームを見ていた。
一体そこに何があるというのだろうか? ただ目の前に田園風景が広がっているだけだと思うんだが……?
しかし、その少女の横顔はすこしだけ赤らんでいるように見えた。
「あなたは本当に変な人ですね」
少女はこちらを向くことなくそう言った。
なんだよ、
「私はこんなに距離を取っているのに。拒絶しているのに。あなたはお構いなしに距離を詰めてくる。変態の
「いや変態って……。そもそも最初に声かけてきたのはそっちだろ?」
「…………そういえばそうでした」
驚いた表情でこちらを向く少女。
俺たちは顔を合わせて笑った。
声を上げて笑う少女の笑顔は、とても素敵に思えて。
母さんが女は愛嬌だと言っていたのはあながち間違いではないのかもしれないと思った。
元がいいと笑顔が何倍も魅力的に見えるんだな。
変な奴だけど、でも一緒にいて楽しい奴で。
そう思ったら急に体が熱くなってくる。
……あー、くそ。今日は一段と暑いな。
「あーあ、なんか馬鹿らしくなってきちゃった」
少女は大きく伸びをすると、何かに踏ん切りをつけたようにそう言った。
今まで張り巡らされていた壁が、音を立てて崩れていくような。溶けないと思っていた氷が溶けていくような。そんな雰囲気だった。
「なにが?」
「いろいろ! あなたみたいなバカを見ていたらいろいろどうでもよくなってきちゃった」
人のことバカバカっていうのはどうかと思うけど、うん。
「俺はそっちの方がいいと思うぞ」
「なにが?」
「そうやって肩の力抜いてる方があんたらしさが出ていいと思うってこと」
「違う」
少女は少し真剣な声音で呟いた。
いや、真剣とは少し違うのかもしれない。その声には怯え、恐怖。そういった類のものが含まれているように感じた。
「私の名前はあんたじゃない。
そう言って俺の目を見つめる少女は、何かを期待するようにこちらの反応を待っていた。
しかし何を言えってんだ。名前に対して感想とか言わないといけないのか?
「ほーん。俺が最初に言った雪の妖精ってのはあながち間違いじゃなかったってことだ」
こ、これで正解だろうか?
俺は横目でちらりと少女、もとい雪芽を見た。
すると雪芽はぽかんと口をあけてこちらを見ていた。
目が合うと雪芽は噴出す。そして次第に腹を抱えて笑うようになり、しまいには大声で笑い始めた。
「な、なんだよ? 俺そんなにおかしなこと言ったか?」
「あはは! おっかしー! 雪の妖精って、バカみたい!」
バカってなぁ……。まあ、自分で言っててもあれだと思うけども。
「はぁぁ、私ったらなにをそんなに怖がってたんだろう。言ってしまえばこんなに簡単なことだったのに」
「簡単? なにが?」
「あなたはわからなくていい事!」
なんだよそれ。
でも、なんだか吹っ切れたみたいでよかった。まあ、別人のように笑うようになって少し気味が悪いが……。
それに、彼女だけに名乗らせておいて自分が名乗らないというのはいけないな。俺は軽く咳払いをして、雪芽に向き直る。
「俺もあなたって名前じゃない。
「柳澤君ね。遅刻常習犯の」
「違う、陽介だ。補習対象者の」
そう言うと雪芽は確かにと言って笑った。
「でも真面目な話、この辺は柳澤が多すぎて、柳澤なんて呼ぶとその辺のおじいちゃんとかおばあちゃんとかが振り向くからな。陽介って呼んでもらった方がいいと思う」
「ふーん、そうなんだ。でもそれじゃあフェアじゃないよね」
ん? なんの話だ?
雪芽は伏し目がちにそう言うと、足を延ばし、膝の上で手を組んだ。
「なら陽介君も私のこと雪芽って呼んでよ」
こちらを見ずにそう言った雪芽は、組んだ手をじっと見つめていた。
「え、いきなり名前で呼び合うの? さっき俺とは友達にならないって言ったじゃん」
「な、なに? 嫌なの?」
少し寂しそうな顔をする雪芽。その顔はずるいだろ。
しかし恥ずかしいな。昨日あったばかりのやつと名前で呼び合うとか、なんか漫画みたいだ。
でも、変なやつだけと悪いやつじゃなさそうだし、意地悪するのはやめにするか。
「んにゃ、すっごく嬉しいぞ。昨日の今日でこの豹変ぶりだから少し警戒しただけだ」
俺の言葉に思い当たる節があったのか、雪芽は言葉に詰まる様子を見せた。
「別に、まだあなたと友達になる訳じゃないからね。私たち昨日知り合ったばかりだし」
「はぁ? どういうことだよ」
雪芽は恥ずかしさをごまかすように向かいのホームへ視線を逸らす。
名前で呼び合うのに友達じゃないって……。何その歪な関係?
「1回会ったら顔見知り。2回目は知り合い。3回目は準友達で、4回目でやっと友達でしょ? 私たちまだ2回目だし、ようやく知り合いだよ」
「いや、名前で呼び合う時点で友達なんじゃ……?」
あと準友達ってなに? 聞いたことないんだけど。
「違いますー! 陽介君が明日も遅刻したらようやく準友達になるの!」
「何だよその理論」
でも、そんなこと言われたら明日も遅刻してしまいそうだ。
でもなぁ、山井田が怖いしなぁ。やっぱ無理かも。
「なあ、雪芽さんって何時ごろからここで電車見てるの?」
「見てるんじゃなくて見送ってるの。でもそうだなぁ、大体8時半くらいからかな」
「え、暇なの?」
「違うから、こう見えても忙しい女なんだから」
電車を見送るのに忙しいとか、そんなところだろう。
しかし、名前が分かっても、壁が取り払われても、この雪芽という少女の素性はいまいちわからない。
目的も、出身も、何が好きで何が嫌いなのかも。俺はまだ雪芽のことをこれっぽっちも知らない。
まあ、昨日の今日で何でも知ってたらそれはそれでおかしなことだが。
でもそれはこれから知っていけばいい。幸い電車が来るまでまだ時間はある。
「雪芽さんはこの辺に住んでるの?」
「ううん、この辺に引っ越してくる予定なの」
「親の都合?」
雪芽は、まあそんなとこと言って曖昧に笑った。
「大変だろうな。こんな田舎じゃ移動もままならないし、遊べるところなんてこれっぽっちもないから」
「でも静かだから私は好き」
まあ確かに静かではあるけどさ。虫や鳥の声が一番大きく聞こえるからな。
「てことは今は都会の方に住んでるのか?」
「都会ってほどじゃないけど、まあ街かな」
「東京?」
「その辺」
俺の高校も街の方だけど、ここよりよっぽど栄えた街なんだろうな。
みんなファッションにこだわってて、少し歩けば遊べる場所があって、ちょっと大人な遊びができる。そんなイメージ。
俺からすればまるで天上の世界だな。夢に見ることはできても手は届かない。
だとすれば雪芽は天上人かな?
「おお、そう考えるとなんかすげぇ」
「なにが?」
「いやこっちの話」
それから俺と雪芽はいろんなことを話した。
雪芽は辛いものが好きで、苦いものが苦手。
犬が好きで、実家でゴールデンレトリーバーを飼っていること。
静かなところが好きで、今住んでるところではよく公園を散歩したりしているらしい。
そんな風にいろいろ話していたら、あっという間に1時間が過ぎていた。
まだまだ話したりなかったが、電車は時間通りやって来る。
ロックの解けたドアを開け、電車の中から雪芽と向き合う。
「やっぱり今日も乗らないんだな、電車」
俺の言葉に雪芽はなぜか申し訳なさそうに笑う。
「まだ気が進まないから」
それが一体どんな意味なのか、俺にはわからなかったが、聞けるような雰囲気ではなかった。
「じゃあまたね、陽介君」
「ああ、多分また明日、雪芽さん」
こうやって名前を呼び合うと、なんだか恥ずかしい。
しかし、雪芽は至って楽しそうにしている。
笛が鳴る。
ドアが閉まり、分厚いガラスが俺と雪芽を遮る。
さっきまで楽しそうだった雪芽の笑顔は、少し寂しそうに見えた。
雪芽の理論でいうと、俺達はまだ知り合い。
明日になれば準友達か。
電車が動き出す。
雪芽が手を振る。俺もそれに返した。
そんな雪芽の姿はあっという間に見えなくなって。それでも俺は車窓からみえる夏の風景を見ていた。
いつも代わり映えしないはずの田園風景は、今日はなぜか色鮮やかに見えた。
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