第2話 真夏の天使は明日にはばたく
「ホント、夏ってなんでこんなに暑いんだろ? あたしに恨みでもあるのかな?」
あたしはそんな愚痴をこぼしながら焼け焦げたアスファルトの上を歩いていた。アスファルトってなんで黒いのかな? 嫌がらせとしか思えない……。
日傘、持ってくればよかったかも。日焼け止めだけじゃ無理だこれ。
てかそもそも、あのバカ兄貴に自転車とられなければこんなクソ暑い時季に徒歩なんて選択しないのに。帰ってきたらレンタル代でアイス要求しよっと。
そんなことを考えながらスマホをちらりと見る。
時間は12時3分。あと1分で電車が来てしまう。
バカ兄貴が自転車乗って出かけるまではいいとしても、なんで一声かけてくれないのかなぁ? おかげで由美との約束遅れたし。
由美お腹すかせてるかなぁ? あたしも腹減ったし。
ここから歩いて駅までおよそ10分。どうあがいても間に合わないことは確定した。すでに由美に連絡はしてあるし、そこは問題ない。
問題なのはこのクソ暑い中でなにをして時間をつぶすかだ。
別にあたしははまってるゲームもないし、だらだらシイッターでも見てるくらいしかないかも。あ、由美とだべってればいっか。あいつも暇だろうし。
そんなことを考えながら、あたしはだらだら駅に向かって歩いていく。
途中吹く風が、かすかにスカートの裾を揺らす。
あー、アイス食べたい。
――――
「あ、自転車。あいつ駅からどこ行ったんだろ?」
駅に着くと、駐輪場に家の自転車が置いてあった。
しかも鍵かけてないし。どんだけ急いでたんだよ。
あたしは自転車の鍵を取って、鞄にしまい込む。
どーせあたしの方が早く帰ってくるし、その時自転車乗って帰っちゃお。きっと優しいお兄ちゃんはかわいい妹を歩いて帰らせたりしないしっ!
駅に張り出してある時刻表を見ると、次の電車は13時13分。大体1時間後だ。
誰もいない改札を通ると、向かいのホームが陽炎で揺れていた。
向かいのホームはベンチのところしか屋根がなくて暑そう……。
こっちは駅舎に沿って屋根があるからまだまし。まあ、それもそんなに長くないんだけどね。
歩いたら疲れちゃった。早くベンチに座りたーい!
そう思いベンチの方を見ると、そんな愚痴はいっきに吹き飛んだ。
――天使がいた。
いや、妖精の様に可憐でもあり、天使のように神秘的でもあった。
そも、正確には天使ではない。紛うことなき人間であるが、そう感じるほどにその人ははかなげで美しかった。
女のあたしでも見とれるほどなのだ。男どもが放っておきはしないだろう。
その時、あのバカ兄貴はこの少女を目にしたのだろうかといった思考が一瞬頭をよぎったが、そんな些末なことはこの少女の前では米粒ほどにも満たないものだった。
それほどにこの少女は綺麗だった。
てかちょっと待って、こんな綺麗な人、うちみたいな田舎じゃ話題にならないわけがないんだけど?
田舎の情報伝達能力は光を超えるからねぇ……。あの噂好きのお母さんが知らないはずがない。
仮に知っていたとして、おしゃべり好きでもあるお母さんがこのことを話さないわけがない!
「まさか、ほんとに天使とか……?」
すると彼女は突然噴出した。
やばっ! あたし声に出してた!? めっちゃ恥ずかしいんだけど!
羞恥に顔を染めながら、あたしはお姉さんと距離を取ってベンチに座った。あたしがベンチに座ってしばらくしても、彼女は何がツボに入ったのかずっと笑っていた。
流石に笑いすぎでしょ! あたしそんなに変なこと言ったかな?
……言ってたね。
それから丸2分くらい、お姉さんはくすくすと笑っていた。笑いが止んでも、あたしの顔を見るなり噴出したりして。
もう、いったいなんなの?
「ごめんなさい。ちょっと思い出し笑いしてしまって」
落ち着いてきたのか、お姉さんはあたしに向かってそう言った。
その時に目に入った笑顔は、ほんとに可憐で、あたしには到底かなわないなと思わせるものだった。
ま、どんな女子だってこの人の隣に立ったら霞んで見えちゃうよね……。特にあたしみたいに派手でも地味でもないような子はさ。
由美も結構かわいいけど、この人とは別次元って感じ。
由美のは可愛らしいっていう親しみやすさだけど、この人のは高嶺の花って感じだし。
「思い出し笑いですか……?」
「ええ、ついさっきまであなたと同じ席に座っていた人がね、あなたと似たようなことを言っていたものだから」
そりゃ誰だって、あなたみたいな綺麗な人を見たら天使だ妖精だと言うでしょうね。そんな言葉胸にしまい、あたしはとりとめのない返事を返した。
それから少しの間沈黙があった。
しかしあたしはこの人のことが気になってチラチラと横顔を盗み見ていた。
やっぱり綺麗な人だなぁ。ほんとどこの人なんだろう?
「あの、お姉さんこの辺じゃ見ない人だけど、旅行ですか?」
「んー、旅行みたいなものだけど、ちょっと違うかなぁ。下見、みたいな感じかな」
「下見……。今度こっちに越してくるとか?」
「そうね。そうなるかもしれないって段階だけど」
こんな人が越してきた日には村中で大騒ぎだろうなぁ。あのバカ兄貴が知ったら鼻の下伸ばしそうだけど。
「あなたは高校生?」
「いえ、中学生です」
「あらそうなの? 大人っぽい格好だったから間違えちゃった」
お姉さんの言葉に少し自慢げな気持ちになる。
もう今年から2年生だし、少しは大人っぽい格好をしなくちゃって意識してた甲斐があったのかも!
どっかのバカはそんなことにも気づいてない様子だったけど。
あたしは少し気分がよくなって、お姉さんとの会話を続けた。
「お姉さんは高校生ですか?」
「そう。今年で2年生なの」
「あ、バカ兄貴と一緒だ」
「へぇ、お兄ちゃんがいるの?」
つい口をついた言葉を、お姉さんは見逃さなかった。
あたしがしまったと思ったときにはもう遅く、彼女はどんなお兄ちゃんなの? と話を聞きたがった。
あーもう! あのバカの話はあんまりしたくないんだよなぁ。
あの人顔もフツーだし、スポーツも得意じゃないし、勉強もあんまりだし、これと言って取柄ないんだもん。
まあ、優しい事とちょっと面白いこと言えることくらいは取柄って言えるかも。
由美なんかはかっこいいって言ってるけど、あれはただ年上の男子がかっこよく見えてるだけだろうし。
「まあ、これと言って取柄のない人ですよ。バカっていうか、アホっていうか……。いつもおかしなことばかり言ってます」
「ふふっ、あなたはお兄ちゃんのことが大好きなんだね」
「ち、違いますよ! あのバカ兄貴のせいであたしがどれだけ苦労してるか!」
お姉さんはあたしの剣幕に少し驚いたように目を見開いた後、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
それはともすれば羨むようにも見えて。
それから、あたしはいかにバカ兄貴が間抜けでバカであるかを語った。
あたしのプリンを勝手に食べたこと、小学校の悪ガキと大喧嘩したこと、パジャマで学校に行ったこと、今日も自転車の鍵をかけ忘れていたこと。
語りだしたらきりがなかった。
でも、笑顔で楽しそうにあたしの話を聞いてくれるお姉さんを見ていると、怒りよりもおかしさの方が勝って来て。なんだか変なの。
あたしは一通り語り終えた後、お姉さんと目を合わせて笑った。
……そうか、あのバカ兄貴にも一つ取柄があったんだ。
過去にしたバカなことで未来の人たちをも笑わせる。そんな時を超えても人を笑顔にできるのが取柄だったんだ。
「あなたのお兄ちゃんっておかしな人だね。羨ましいなぁ。私には兄妹っていないから、そういうのわからないもん」
「いいもんじゃないですよー。おやつは半分だし、欲しいものは買ってもらえないし、友達も家に呼べないし」
「でもいた方が人生が豊かになると思うな」
「それは……、あたしにはまだよくわかんないです」
お姉さんはそうだねと言って笑った。
よく笑う人だなー。それに笑顔が魅力的なのが羨ましい。
やっぱ女は愛嬌ってことなのかな? お母さんの言ってたことはあながち間違いじゃないのかも。ただし美少女に限るってのはなしでお願いします。
笑いの余韻を埋めるようにホームにアナウンスが響く。どうやら電車が来るようだ。
「あっという間の1時間だったね」
「そうですね。ほとんどあたしの愚痴聞いてもらってただけのような気もしますが……」
「そう? あなたのお話し、聞いてて楽しかったよ?」
「それならあのバカ兄貴にも使い道があったってことですね」
そうして二人、また笑いあう。
なんだかこの人とは今日会ったような気がしない。あのバカ兄貴じゃなくて、この人がお姉ちゃんだったらよかったのに。
「あのね、私、今日少し嫌なことがあったの」
お姉さんは口元に笑いの余韻を残しながら語りだす。
あたしは少し真剣な面持ちで耳を傾ける。
「気が進まなくて、いつまでもここで電車を見送ってた。でもね、あの人がそんな私の憂鬱を取り去ってくれて、あなたが私の心を解きほぐしてくれた。ちょっと勇気出てきたかも」
「嫌なことって……?」
あたしがそう聞くと、お姉さんは寂しそうに笑うだけでそれには答えなかった。
「まだ踏み出せるほどの勇気じゃないけど、明日になったら踏み出せるかもしれない」
そう言うお姉さんの目は明日ではないもっと先を見ているように感じた。
「ほら、電車が来たよ」
お姉さんにつられて線路の先を見ると、遠くから電車が近づいてきていた。
陽炎で揺らめき、ぼんやりとしていたそれは、徐々に鮮明になり、やがてあたしの目の前で止まった。
「それじゃあね。もしかしたらまた会えるかもしれないけど、その時はまたおしゃべりに付き合ってくれるとうれしいな」
「もちろんです。お姉さんとなら何時間でもお話しできそう」
「ありがとう」
そう言うお姉さんの顔は憑き物が取れたようなすがすがしいものだった。
発車の笛が鳴る。
あたしとお姉さんを電車のドアが隔てる。
お姉さんは小さく手を振る。あたしもそれに返した。
彼女はあっという間に小さくなって、やがて陽炎の中に消えた。
あたしはあの人の救いになったのだろうか? 愚痴を言っただけで誰かの背中を押せたのだろうか?
ま、あのバカ兄貴にも使い道があったってわかったし、またあの人に会った時のためにいろいろ新しい話を仕入れとかなきゃ。
……。
やっぱりアイスは自分で買うことにしよ。由美と一緒に食べてもいいし。
車窓に映ったあたしの顔は、かすかに微笑みを浮かべていた。
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