第1章 出会いとはじまり
出会いの夏
第1話 雪の精は夏に溶けゆく
「はっ、はっ、はあっ!」
鋭く息を吐く。
空に浮かぶ太陽はすでに高く、高く昇っている。
遥かな頭上からこちらをにらみつける太陽は、俺の頭頂部を焦がさんばかりに照り付けてくる。
夏だからってそんなに張り切らなくてもいいんじゃないですかねぇ……。
って、そうじゃない。今はそんなことを考えている場合じゃない。
太陽を恨むよりも、夏を恨むよりも、今は己を恨まずにはいられないのだから!
「よりによってっ、親の居ない日にっ、スマホのアラーム切ってたとはっ! 不覚!!」
吐き捨てる様にアスファルトに向けて呟く。
言の葉と共に流れる汗がアスファルトに吸い込まれて流れ去っていく。
昨日ゲームのイベントに夢中になっていたのが悪いのだが、あんなタイミングでイベントをやる運営も悪い。
昨日の、というか今朝の4時にイベント終了だったから、慌てて周回して、気が付いたらイベント完走していたわけだが……。
その代償がこの寝坊だというのだからたまらない。
まあ、イベント限定のキャラは手に入ったんだけども。
歯を食いしばって前を向く。流れてきた汗が目に入る。ペダルをこぐ足がもう限界だと悲鳴を上げる。
まだだ、まだ動いてもらわないと困る。
腕時計を見る。現在9時35分。電車が発車するまで残り4分。
そしてここから急げば駅まで3分ちょい、駅にチャリをとめてから走れば間に合うか……?
いや、今は思考するな。動け、ただ動け。
息を吸え、前だけ見てろ、考えずにペダルだけこげ!
――――
発車の笛が鳴り響く。
「ぷりぃぃいいずうぇえええいと!!」
駅に着いたと思ったら改札の向こうで電車のドアが閉まるのが見える。
チャリを慌てて止めるも、改札の向こうの電車は無情にも通り過ぎていった。
2両しかない電車は俺が改札を抜ける前に視界を横切り、あっという間に見えなくなってしまった。
そして定期入れから取り出した時刻表には厳しい現実が刻まれている。
「次は10時36分……。1時間後だな!」
これだから田舎の電車っていうのは……。なんで1時間に1本しかないんだよ。
あぁ、終わった。補習なのに遅刻とか。マジ終わった。
そもそも2限からなのに遅刻するのはやばない? まあ、1本前に間に合っても5分くらい遅刻するんだけども……。
しかしこれで1時間以上の遅刻は確定だ。ああ、マジ終わった。
「てかもうこれ行かなくていい案件じゃね? 行っても昼めし食うことしかすることねぇよ」
「なら昼めし食いに行けばいいんじゃないですか?」
「うおっ」
独り言に返事が返ってきたことに驚き、変な声が出てしまった。
声は俺の左後ろから聞こえてきた。
丁度改札から入ってすぐ左のベンチのあたりだ。
目をやるとこの猛暑の中だというのに涼し気に向かいのホームを見つめる少女がいた。
感想としては全体的に白い。肌も、服も、靴も、小物まで。色がついてるのは黒髪と麦わら帽子くらいのものだ。
「雪の妖精みてぇ……」
少女は俺のつぶやきに一瞥くれると、小ばかにしたように鼻で笑った。
その笑いで我に返った俺は、恥ずかしさをごまかすためにひとつせきばらいをして、少女から距離を取ってベンチに座った。
この駅、立派なものではないから、屋根はこのベンチのところか改札にしかない。
立っているのは億劫なのでこうして座るわけだが、もう少し避暑地がほしいものだ。これではパーソナルスペースの確保もままならない。いや? 違うか。入りたい穴も掘れないが正しいのかな?
チラリと少女の方に視線を投げると、少女はこちらをじっと見つめていた。
俺は恥ずかしくなって思わず顔を伏せる。
な、なんだよ!? 確かに恥ずかしいこと言ったかもしれないけどさ、そんなにまじまじ見つめなくても……。
「あなた、前にもどこかで……」
「え?」
「……いえ、なんでもないです。気のせいでした」
な、なんだ……? 今俺
そんな俺の心配をよそに、少女は興味を失ったように視線を目の前の線路に向けている。
なんなんだよ、言いたいことがあるならはっきり言えっての。
俺もそんな少女に
ボーっと向かいのホームを眺めていると、俺は一体何をしているんだろうという気分になってくる。
しかし1時間、1時間かぁ。長いなぁ……。
イベントは昨日終わったし、燃え尽きた感あるからゲームやるのもなんかなんだよなぁ。暇つぶしに本でも持ってくればよかった。いや、持ってたかな?
試しにバックの中をあさってみたが、教科書と夏休みの宿題が出てきただけだった。
宿題はやる気にならない。ゲームもやる気にならないと来れば、寝るかボーっとするかの二択になってしまうのが俺という男だ。何と切ない事か。
そうしてボーっとしていると、目の前を電車が通り過ぎていった。どうやらこの駅では止まらないようだ。
「部活ですか?」
「え?」
電車が通り過ぎた後、再びあの少女が口を開いた。
そういえばこの子、この辺りじゃ見かけない子だけど、どこの子なんだろう。
田舎は狭いからね。すれ違う人は大体顔見知りだ。あの人はどこそこの誰なんてことはすぐわかるはずなのだが……。
彼女は見ない顔だ。よそから来たのだろうか? だが何をしに? それもこんなど田舎の寂れた駅に。
「いえ、聞こえなかったのなら別に構いません。たいしたことじゃないので」
「……補習ですよ。夏休みだってのについてねぇ」
少女は一瞬むすっとした表情を見せたが、すぐに向かいのホームへ視線を移した。
「補習なのに遅刻とは、いい御身分ですね」
なぜかその少女は不満げに、恨めし気に、そうつぶやく。
……いったい俺が何をしたというんだ? なんもしてねぇじゃん。
俺はその時、この少女のことを変な女だな、程度に思っていたのだ。
初対面なのにやけに突っかかってくるこの少女のことをよく知りもせずに。
でもそうだろ? 初対面なのにこんな風に突っかかってこられたら、変な人だと思うだろう? 普通。
「そりゃ、すみません……」
「私に謝ってどうするんですか」
「……すみません」
「……はぁ」
む、ムカつくー!!
ほんとに俺が何したってんだよ!? ただちょっと、1時間くらい補習に遅刻しただけじゃんかよ!
いやまあ、1時間の遅刻はまずいよなやっぱ。
はぁ、先が思いやられる。数学の山井田のやつ、絶対お冠だろうな。
にしても、この少女、なんでこんなに俺に突っかかってくるんだ? 学校関係者だったりとか? いやでも見た目から教師には到底見えない。
となると生徒か? だとしてもこんなさびれた駅で何をしているんだか。
俺みたいな1日1人来るかどうかも分からない遅刻者をあざ笑うためにベンチに座っているのだとしたら、なかなかの変人だぞ。
見た目はかわいいのに、そんな変人とは関わりたくないね。
それから電車が通り過ぎるでもないホームを見つめていると、再び少女が口を開いた。
「何かしないんですか?」
「ほぇ?」
ボーっと口をあけていたから間抜けな声が出てしまった。少女はそんな俺の返答にクスリと笑う。
ああ、笑顔はかわいいんだなー、なんて思いつつも、こいつは変人かもしれないと考えを改める。
これだから男と言うやつは、笑顔ひとつでころりと落ちてしまいそうになるからいけない。
「補習を遅刻した怠け者のあなたは、この暇な1時間をどう有効活用するんですかと聞いたんです」
「正確にはもう30分経ったけどな」
「何か言いましたか?」
「いえなんでも」
だいぶ小声で言ったのだが、静かすぎる田舎の駅では丸聞えだったみたいだ。
「そうっすねぇ、この暑さじゃなんもする気になんてならないっすよ」
「確かに、今日は一段と暑いですね」
そう言って少女は服の襟を扇ぐ。
首筋から鎖骨を経て胸元へと流れ込んでいく汗を、思わず目で追ってしまう。
い、いかんいかん! 大した胸じゃないと言っても一応は女子! あまりがっついては紳士が廃るというもの!
慌てて目をそらすと、その挙動が不自然だったのか、少女は胸元を抑えた。
「何見てるんですか」
「みてないです」
「嘘、絶対見てたでしょ」
「いや、見てねぇって。てか見るほどの大きさ――」
「何か言いました?」
「いえなんでもないです」
いやしかし、雪の妖精でも汗は掻くんだな。それとも体が溶けてるとか。
俺なんてチャリを全力でこいできたから汗だくだよ。
腕を上げて脇のにおいをかいでみると既にすっぱいにおいがし始めていた。
やべ、汗ふきシートでふいとかないとな。あと消臭スプレーも。
俺が汗を拭いたり消臭したりしている間、少女はこちらをちらちらと見てきた。
なんだ? もしかして汗臭いのそっちまで行ってた? それとも俺の体を見ていただけか?
そこで俺はさっきの仕返しをしようと思いついた。
「何見てるんですかー?」
「み、みてないです」
「嘘、絶対見てただろ」
「見てないって。というより見るほどの体じゃないし」
「あ、ひでぇ! ならここで見せてやろうか!?」
「警察呼びますよ」
「すみません、調子乗りました」
慌てて頭を下げる俺の姿が滑稽だったのか、少女は声をあげて笑う。
顔だけあげてそっと盗み見てみれば、それはそれはいい笑顔だった。
やっぱり笑った顔の方がかわいいと俺は思うな。まあ、今日会ったばっかでそんなこと言えないけど。
俺が少女の笑顔に見とれていると、彼女も気が付いたようで、気恥ずかしそうに目をそらす。
「な、なんですか? 私、何か変でしたか?」
まあ、変といえば最初から変な奴だが、それは言わぬが吉だろう。
「いや、いい笑顔だなと思って」
「別に普通ですよ」
「そうかな」
「そうですよ」
それからまた少しの間沈黙が続いたが、不思議と心地よかった。
「でも、あんなに笑ったのは久しぶりかも」
「そうなの?」
少女が呟いた一言は、小さくはあってもよく聞こえた。
もちろんあたりが静かだからなのだが、少女はなぜ聞こえたのかと不思議そうな顔をしていた。
「……独り言に返事をしないでもらえますか?」
「いや、最初にしてきたのそっちでしょうが」
「…………そういえばそうでした」
本当に今気が付いたといった風に言葉をこぼす少女の姿に、俺は耐えきれずに噴出した。
少女は笑われていることに少し声を荒げて抗議するも、やはり恥ずかしさからか、語尾はしりすぼみになっていった。
あぁ、最初は変な女だと思ってたけど、こうして話してみると意外と普通の女の子じゃん。
俺は足を延ばし尻を滑らせて、だらしない格好になる。
屋根の下から出た足先が、途端に熱くなる。
「高校生ですか?」
「ええ、高校2年生です。そっちは?」
「驚いた、同じです。年下かと思ってました」
「どうゆうことだよ」
「幼く見えるってこと」
少女はそういうとクスリと笑った。
それがいったいどういう意味なのか、俺にはわからなかったが、なぜか嫌な感じはしなかった。
それから、俺も少女も互いに沈黙を貫いた。別に何か話す内容があったわけでもないし、互いに話したくない理由があるわけでもなかった。
ただ、黙って聞く夏の声はやかましくもどこか遠くて、世界には俺たちしかいないような錯覚さえしそうになる。
だから互いが立てるかすかな物音も耳について。
それを確かめようとふと目をやると、目があったりする。
どれくらいの間そうしていただろうか、ホームに響き渡るアナウンスで沈黙の時間は終わりを告げた。
次の電車はワンマン電車、2両編成だという。
まあ、この人の居ない時間に、わざわざ何両も電車をつなげる理由はないのだが。
電車の近づく音が遠くから聞こえてくる。
時計を見れば10時35分30秒。きっちり時間どおりだ。
俺は立ち上がり、鞄を背負う。
まだ少し残った汗でシャツが張り付き気持ち悪かった。
電車が来て、重いドアを手動で開く。
俺はそれに乗り込むが、少女はベンチから立ち上がろうともしない。
「あれ、乗らないの?」
少女はあいまいな笑顔でそれには答えず、手を振った。
「あの――」
発車の笛が鳴り響く中、俺は確かに少女が何か言おうとしていたのを聞いた。
「いえ、なんでありません。補習、がんばってね」
しかし、少女は俺と目が合うとそんなことを言った。
俺は閉まるドア越しに少女を見つめ、曖昧にうなずく。
ゆっくりと電車が走り出し、俺と少女はみるみるうちに離れていく。
いつもの田園風景を眺めながら、俺は補習のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。
ただ、最後に見た少女の寂しそうな笑顔が頭に残って離れなかった。
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