気付くと俺は、地獄にいた。

@wednes78

第1話

 俺は今、地獄にいるらしい。


 灼熱の溶岩が、あたりに充満している。まるで、意思をもった生き物であるかのように、熱と光の粒子があたり一面に漂っていた。


 かろうじて足場はある。よくみると、ところどころ、溶岩の上に地つなぎになっている足場があるようだ。


 不思議と、感じているはずのとてつもない熱の感覚はない。


 ふと、手のひらを見ていた。

 

 「赤い。肌の色が」


 そう、俺の肌の色は、赤色だった。


 懸命に肌を傷つけたとしても、ここまでは染まらないだろうという深紅の赤。


 体中が血液にまみれているような感じだ。


 「そうか。俺は、赤鬼か」


 突如、頭に浮いてきた言葉。


 深紅の肌をしていて、地獄にいるとすれば、鬼。自分はきっと赤鬼になったのではないか。


 不思議と、そんな自分を受けて入れていることに気付く。まるで、最初から自分は鬼そのものだったような気すらする。


 生前の記憶はすっぽり抜け落ちている。自分が何者であるかについて、何も思い出せない。


 しかし、俺に今、湧き上がるある種の感情があった。


 「……守る?」


 守る……。何を??


 わからない。


 何かを、死守しなければならないという、使命感。それだけが俺の心の奥底に沸々と渦巻いていた。


 ふと、顔を上げる。


 すると、視界の端に見つけた。


 「……人?」


 視界の端にいたのは、俺が見知っていた、『人間』の形をしたそれだった。


 肌色。丸刈りの頭で、神経質そうな顔をしている。しかも、全裸だった。


 よくみると、全裸の人間は、何かに向かって猛ダッシュしているらしい。


 「なんだろうか」


 歩を進め、人間の方向に近づいてみる。するとぼやけた視界の端に、『扉』があることに気付いた。


 「扉が、立っている」


 非常に違和感がある表現だが、扉が立っている。

 

 ドア、茶色かかった木製の扉が、なんのたてつけもないのに、漂う溶岩に挟まれた足場の上に鎮座していた。


 まるで、どこでもドアのようだな、とどこか遠い過去の記憶がよみがえる。生前の記憶は思い出せないのに、そういったことだけは覚えているとは不思議だな、と我ながら思った。


 何もかもが違和感だらけの中、冷静に状況を分析している自分がいることにも気づく。そして、同時に、「守る」という感情が、突然首をもたげてきた。


 「あの人間に扉を、絶対に、開けさせては、ならない」


 独り言のように呟いている自分に驚く。この異常な状況、異世界の中で、それだけが強い感情として湧き上がってくる。


 この感情は、なんだ?一体、俺はなんなのだ?


 俺はこの使命を全うする器のような存在なのか?この感情は……


 わからない。


 感情に疑問を持ちながらも、俺は猛烈に走り出した。


 疑問は次第に、感情の膨張によってかき消された。


 ただただ溢れる思い。


 止める。止めてみせる。拳を振り上げ、体躯は不揃いな足を懸命に動かす。


 あと、100m、70m、50m。そして…


 残り30mほどに迫った時、『人間』は俺、いや、『赤鬼』の存在に気付いた。


 「う、うわああああああああ」


 人間は恐怖を顔に張り付かせ、より走る速度を速める。

 

 それをみて、俺も焦燥感を感じた。体中に冷や汗が走る。頭が真っ白になる。ただ、神経細胞だけが、自らの使命を全うしようと、体を突き動かしていた。


 そして、俺は、背中に手を伸ばす。


 「え?」


 背中に手を伸ばしたのは、完全に無意識だった。しかし、伸ばした手に握られていた。


 一本の金棒。


 「そうか。これを使うんだな」


 ありがとう。なぜか感謝の気持ちが出てきた。何俺は感謝しているのか。神か?いや、地獄に神などいない。いわゆる閻魔大王っていやつか?わからない。


 金棒を手に、人間にせまる。あと数秒で、人間は、扉に手を駆けることのできる距離に迫る。


 「させるか!」


 人間が扉に手を駆けようとした瞬間、俺は人間に迫り、金棒を振り上げていた。


 「ひ、ひぃっ」


 人間は、おびえたような目で俺の顔を見る。その顔は絶望に染まり、そして。


 急に何かを悟ったかのように無表情になった。


 (……ん?)


 金棒で人間を捕らえる瞬間。俺はその人間の顔に見覚えがあることに気付く。


 この顔は何だっただろうか。どこかで見たことがあるような。


 ――ガン。


 鈍い音を立てて、金棒が人間の頭を振りぬいた。


 吹き飛ばされる人間。そのまま、ヤツは、荒ぶる溶岩の海の上に着地する。


 「あぁ、そうか…。お前は……」


 そういって、人間は深いマグマの底に沈んでいった。


 その様を見て、俺は強烈な違和感を感じる。


 「俺は、何をやっているんだ?」


 かみ合わない歯車。知らずに体を突き動かしていた感情は、すでに消えている。


 あるのは、虚しさだけ。


 俺は、地面に膝をつき、そして――。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 気付くと、俺は地獄にいた。


 灼熱の溶岩が、あたりに充満している。まるで、意思をもった生き物であるかのように、熱と光の粒子があたり一面に漂っていた。


 かろうじて足場はある。不思議と、感じているはずのとてつもない熱の感覚はない。


 「俺は…死んだのか?」


 死んだ?そもそも俺は生きていたのか? 生前の記憶がない。


 最初から、この地獄にいたのではないか、という気すらしてくる。


 ふと、自分の体を見てみた。


 「全裸だ…なんだこれ」


 素っ裸。生まれたままの姿で、自分はこの地獄にたたずんでいた。


 見知った肌色。地獄にきても、人間であることに安堵感を覚える。


 (待て、人間であることに安堵感?)


 感情に違和感を感じる。まるで、自分は人間でなかったかのような…


 何かを、ような…


 ふと顔を上げる。すると、きらめく光が視界の端にあった。


 「……扉?」


 そう、扉だ。木製の扉が、なんの立て付けもなく、周りに壁すらないのに鎮座している。


 まるで、意思をもっているかのようなたたずまいで、その扉はこちらを向いていた。


 「あの扉の向かうには……そうか」


 確信があった。期待感、歓喜。あの扉の先にはきっと、「元の世界」がある。


 戻りたい。こんなところはもう嫌だ。永遠と同じことばかりを繰り返しているだけの世界。こんなところは……。


 永遠に同じこと……?


 それがなんなのかは、わからない。記憶がすっぽり抜け落ちているのに、深層意識の底で、その感情が俺の強迫観念のように湧き上がってくる。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。



 こんなところには、いたくない。


 俺は、全力で、死ぬ気を振り絞って、扉に向かって駆けた。


 ただ走った。


 体中の血管が悲鳴を上げている。息切れがとてつもない。脳が、身体器官が、これ以上は走れないと俺に警告する。


 それでも俺は、あの扉の先に行きたかった。


 突然、第六感が俺の肩を叩く。


 横を振り向くと、ヤツがいた。


 「……赤鬼」


 わかる。確かにわかる。


 「奴は、俺をとめようとしてくる」


 記憶はない。しかし、きっとそうだ。そうにちがいない。わかる、わかるんだ。覚えてるんだ。


 覚えてる??


 何を??


 俺は、ふと、足に力が入らなくなってきていることに気付いた。体に限界がきている。


 「ぜぇ、は、あ、はや、く」


 焦燥感が、俺を急かす。しかし、赤鬼はすぐそこに迫っていた。


 「うわぁあああああああああ」



 やめろ、やめてくれ、また俺をとめるのか。また、何度も、何度も。


 赤鬼は、腕を大きく振り上げた。


 金棒が迫る。


 俺は絶望を感じた。希望が砕かれ、諦念だけが頭を満たし――。


 俺は、赤鬼の顔をみた。


 (あ、そうか。こいつは…)


 ――ガン。


 強い衝撃が俺の頭に響く。痛みと同時に、空を浮いている体の感触を感じた。勢いよく空を切る感覚。


 そして俺は、溶岩の海に落ちた。


 「あぁ、そうか…。お前は……」


 赤鬼の顔をみて、俺は悟った。


 あいつは、


 この地獄の中で、わけもわからず、何かに突き動かされていた自分自身。


 この牢獄の中で、ただ自分の役割を演じるだけの存在。


 くるってる。この世界に対する強烈な違和感。


 (……俺は、知っていたはずなのに)


 あの赤鬼が何者か。この世界はなんなのか。


 俺たちは、どうしてこんなことを繰り返しているのか。


 そう、ここは地獄。まぎれもない無間地獄。


 同じことをただ繰り返し、脱出のチャンスがあるのに、それを自分自身同士で阻止しあう。


 いつまで、いつまで、こんな……。


 溶岩の海に沈みゆく中。俺はこう思った。


 次こそは。必ず。


 次第に意識は霧がかかったように遠のいていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 気付くと、俺は地獄にいた。











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