第24話 願叶
病に侵された父・範村のために、毅山が生み出した究極の書道・ライフストリーム書道!
その命の源・ライフストリームを使って毅山が空中に書き上げた文字は、たった二文字だ。
ひとつめは「願」。
この序盤にいきなりライフストリーム書道の神髄が発揮される。
第一画を左上から右へ心持ち移動させるやいなや、ダイナミックに左下へと軽く弧を描いて薙ぎ払う。
そして次の瞬間、筆は遠心力を利用して大外を回り、先ほど書き上げた『がんだれ』の内部へ頂上から侵入するのであるが、本来ここの動きは描かれることはない。
しかし、ライフストリームは脈々と続く命の大河。途切れてしまっては、途端に輝きを失ってしまう。かと言ってこの動きまで線になってしまうと、それはそれで非常に野暮ったい書になるのだ。
では毅山はどうしたのか?
毅山はまず空中に浮かんでいると仮定する紙面を、部屋いっぱいに広がっていると考えた。
そのうえで左下へと降ろした筆を腕いっぱいに伸ばし、極限にまで薄めたライフストリームを部屋の端、そして天井にまで飛ばすほど大回りしてみせたのである。
通常の紙面であれば、どれだけ墨が薄くてもこの筆運びがいやが上にも目につくであろう。しかし、かくも大きな規模を想定し、しかも文字そのものは普通のサイズにしてしまえば、まさかそんな文字の十数倍も大回りしているとは誰も思わない。
まさに紙の大きさを自由に設定できるライフストリーム書道ならではの発想だ。
しかし、そこはそれで凌げるとして、偏にあたる「原」の最後の右点から、つくりの「頁」に渡る部分は一体どうすればいいのか?
これには先ほどのようなトリックは使えない。「原」から「頁」は離れているものの、わずかなスペースしかないのだ。
これは難問であった。
徹夜のほとんどをこの解消に費やしたと言っても過言ではない。
ライフストリームを極限まで薄めても気付かれる。筆運びが早すぎては途切れてしまう。
いっそのことライフストリームを光学迷彩みたいに隠すことが出来ないかとも考えたが、どう念じたところでそのような変化を見せることはなかった。
本来ならばもはやこれまでである。ここは妥協するしかあるまい。
しかし、毅山は諦めなかった。諦めたくなかった。そもそも諦めずにあがいてあがいてあがきまくった結果、インポッシブルな筆勝負にこうして活路を見出したのである。
まだ何か手がある。
あるはずだ!
考えに考えてふと毅山は自分がいまだ常識に囚われていることに気が付いた。
ライフストリームなんて「そんなオカルト、ありえません」みたいなものを取り上げておいて、その扱いを自分の狭い常識で縛り付けてどうする? もっと自由な発想を駆使すればなんとかできるはずだ!
例えばそう、ライフストリームは空間を、時間を、次元を越えるとか考えてみてはどうだろう?
試しに毅山は時間を越えるよう念じて線を走らせた。
するとどうだろう、見えないものの確かに存在するライフストリーム線が書けてしまったのだ!
この発見はライフストリーム書道を飛躍的に向上させた。正直言って先ほどの大回りすらも必要のない大発見だ(が、それはそれとしてせっかく見つけた技術なんだから使ってみたいというクリエイター気質は理解していただきたい)。
これによって「願」という字を完璧に仕上げることが出来た上に、二文字目への流れも解決した。
その二文字目は「叶」。
「願」と比べるとシンプルな作りではあるが、それゆえに最後の縦線をどのように処理するかが最大のポイントとなる。
かすれを巧みに使って余韻を演出するもよし。
さりげなく蛇行させて情緒たっぷりにするもよし。
まさに書道家の腕の見せどころだ。
ここで毅山はあろうことか筆に大量のライフストリームを含ませた。
本来、最後の一本を前にして、筆を墨につけることはない。最初は墨が多く含まれているから線が滲み、最後の方は枯渇してきてのかすれが自然で良しとされているからだ。
それでもあえて毅山はこの法則を無視した。
大量のライフストリームを含んだ筆を、力いっぱい上から下へ走らせる。
それはこの二文字の中でも最大の太さとなり、ライフストリームが縦画からあちらこちらへ支流となって滲み始めた。
そう、ライフストリームの雄大な大河を毅山は最後の一画で表現してみせたのだ。
自由自在なうねりを見せる『願』と、スケールの大きさを感じさせる『叶』。
つまり書き上げられた二文字とは、すなわち『願叶』!
「おおっ! なんと、そのことにまで気づいておられておったか、毅山さん!」
毅山が書き上げたライフストリーム書道に誰もが圧倒される中、真っ先に感極まった声を上げたのは海空和尚であった。
「そのこと、とは一体どういうことですか?」
「書き上げられた二文字を口に出して読んでみてください、大山さん」
「……『がんきょう』、ですか?」
「そうです、我が『がんきょうじ』の『がんきょう』ですよ!」
海空が住職を務める寺・巖興寺は、かつてどのような漢字を充てられるか定かではなかった。
そこへ竹下巌が『巖興寺』という漢字を充てた扁額を書き、今の形になったのである。
「死に際に巌さんが書き上げた字は素晴らしかった。ですが、ただひとつだけ不満があるとしたら『巖興』という二文字そのものでした。言うまでもありませんが、『巌』は『巖』の略字です。つまり穿った見かたをすれば『巖興寺』とは『巌さんが興した寺』という意味にもなってしまうではないですか。さすがにこれはどうだろうと思っていたのです」
それは本当に偶然であった。
たまたま寺の名前が『がんきょうじ』であり、竹下の名前も『巌』であった。そして竹下も扁額を書くにあたり、『がん』は書きなれた自分の名前……はさすがに露骨すぎるから『巖』を、『きょう』はおめでたい感じがする『興』を充てただけにすぎない。
それは海空も分かっているから、何も言わなかった。
が、ずっとしこりに感じていたのは否めない事実でもあったのだ。
「対して毅山さんが書いた『願叶』。同じ読み方をしながら、『巖興』とは比べ物にならぬほど人の心を惹きつけるものがあります。つまり毅山さんは言葉そのものでも、あの巌さんを越えてみせたのですよ!」
海空が心から感嘆した様子で毅山を褒めたたえた。
竹下巌の臨書から始まり、ライフストリーム書道を開発し、さらには竹下の遺作を超えてみせた毅山の成長たるや、確かに絶賛するに値しよう。
加えて海空は口にしないが『巖興寺』を『願叶寺』に名を改め、恋愛だの受験だのラブライブ優勝祈願だのを絡ませば、全国から参拝客が訪れるに違いない! 海空からしてみれば、まさに毅山グッジョブであった。
「あー、喜んでもらえてうれしいです、海空和尚」
頭の中でそろばんを弾いて絶賛する海空に対し、しかし毅山は戸惑いがちに苦笑いを浮かべた。
うん、実はこれも単なる偶然だったのだ。
もしかしたらずっと『巖興寺』と臨書していたから、頭の中に『がんきょう』という言葉が染みついてしまい、自然とこの字が浮かんでしまったのかもしれない。
が、毅山が『願い』を『叶えたい』という想いが、自然とこの二文字を生み出した。
そう、毅山が叶えたい願いとはつまり……。
「親父、これが俺の書だ。受け取ってくれ!」
毅山が筆を起き、精一杯の愛情をこめて胸の前でハートの形を両手で作る。
「俺をここまで育ててくれた、これまでの全てに!」
すると突然『願叶』の二文字が眩しく光り始めた。
眩しい。が、慈愛のようなものさえ感じられるその温かい光に、誰も目を閉じることが出来ずに見入った。
光は明らかな指向性を持ち、範村を照らしている。
「あれ? おじさまの体も光っているような……?」
「ああ、光っておる。まるで毅山のライフストリーム書と、範村の命が共鳴しているかのようじゃ」
「ライフストリームは命の源。ということは、まさか毅山さんの狙いは――」
「こ、これは……!? うおおおおおおおおおおおっっっ!!」
ライフストリームの放つ光に照らされた範村が、やにわに大声で叫んだ。
光はさらにますます強くなり、範村の体が一層眩しく輝きを放って、世界を真っ白に染め上げた。
そして世界に色が戻った頃、毅山のライフストリーム書『願叶』は跡形もなく消えていて、
「……信じられん。私の体から癌細胞がすべて消え去ったのが分かる」
茫然と立ち尽くして呟く範村がいた。
「親父、これが俺が見つけた答えだ」
「答え?」
「ああ。かつて竹下巌はこう言った。『書道とは死ぬこととみつけたり』と」
その言葉は決して間違ってはいない。
死を意識し、触れることで、自らの内に眠る書を引き出すことが出来るのは毅山も体験してきた。
しかし。
「書道家の生き方としては、それもいいのかもしれない。だけど、俺たち書道家の在り方はこうあるべきだと思うんだ」
毅山はにっこりと笑って言った。
「『書道とは生かすことと見つけたり』。これからの書は人々の生きる希望にならなきゃいけない。書道が人を救う、そんな時代を作らなきゃいけないんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます