第19話 立ち上がれ毅山!

 毅山の書道パワーで剛厳と米田の意識を取り戻した翌日、ついに毅山と範村の親子筆勝負の日を迎えた。

 

 立会人は大日本書道倶楽部の実質ナンバー2であり、毅山の許嫁でもあるお馴染み・世尊院流せそんいん・ながれ

 本来ならその父・世尊院成之が裁くべき大勝負ではあるが、いかんせん倶楽部は筆勝負を禁じている。さすがに旧知の仲である範村と言えど、倶楽部トップの成之に頼むわけにはいかなかった。

 

「こんな嫌な役を請け負ってくれて、流君には感謝しているよ」

「いえいえー、気にしないでください、おじさま。むしろ私こそ親子の対決に出しゃばっちゃってごめんなさい」


 流が殊勝にも頭を下げつつ、範村からは見えない角度でぺろっと舌を出した。

 

 毅山から父・範村と筆勝負をすることになったと連絡を受けた時、流は信じられないと盛大に溜め息をついた。

 剛厳との死闘は、相手が自ら負けを認めてくれたから良かったものの、もし判定人に流がいなかったらかなり苦しい戦いを強いられていただろう。普通はこれに懲りて筆勝負なんかもう二度としないって思うものではないだろうか。


 それなのにまた筆勝負、しかも今度は実の父と命を賭けて戦うという。

 馬鹿か? 馬鹿なのか? それともアホかって思った。いっぺん死んでこいとも思った。

 まぁ今回も勝負を吹っ掛けられての対戦なのは同情する余地があるものの、それをなんだかんだで受けてしまうあたり、男ってのは本当にしょーもない生き物だとつくづく呆れる。


 とはいえ、今度も毅山に死なせるわけにはいかないし、かと言って範村を殺させるわけにもいかない。

 というわけで、ここはやはり判定人・流さんの出番やねと、あれやこれや理由を付けて立会人を買って出たわけである。

 

「でも、任せられた以上、しっかりびっちり完璧に公平な判定をしますからねっ!」←大ウソ

「うむ、よろしくお願いする。が、それはそれとして……」


 範村はふと視線を外すと、庭を眺めた。

 紫陽花がこの季節独特の彩りを純和風庭園に添え、太陽の光を浴びてキラキラと朝露を反射させている。その美しさは、イライラした心を落ち着かせるには最適だろう。

 

「遅いな、毅山」

「遅いですね。ところでおじさま、毅山君には対決の時間をちゃんと伝えました?」

「いや? だが、相手の都合も考えて、どの時間でも対応出来るよう朝一番に訪れるのが常識だろう?」

「すみません。そんな忖度すぎる常識、初めて聞きました」


 流はスマホを取り出すと、LINEを起動させた。

 昨日の夜、大阪の病院で昏睡状態の剛厳と米田を目覚めさせるのに成功し、同時に対範村戦に向けての光明が見えたと連絡があった。

 ただ、こちらには何時に着くとの連絡は貰ってない。

 

 流の返事にぽかんと口を開ける範村を他所に素早くメッセージを送信。すかさず毅山から返信が来たが……。

 

「毅山君、こっちに着くのはお昼過ぎだそうです」

「……そうか」

「おじさま、なんか私、今、イラっときちゃいました」

「それはよくないな。庭を見て心を落ち着かせるがいい。紫陽花が綺麗だぞ」

「お心遣いありがとうございます」

「うむ。ところで成之は元気かね」

「はい。おかげさまで――」


 結局、流と範村の世間話は延々5時間以上にも及んだ。

 最後の方には話題もなくなり、流は仕方なく去年の暮にとある温泉旅館で過ごした一日の話もしたと言う。

 

 

 



「この愚か者め!」


 昼過ぎになってようやく顔を出した毅山に、範村は玄関先でいきなり殴りつけた!

 靴を脱ぐ前に殴りつけられ、土間に倒れこむ毅山。

 しかし、素早く態勢を整えると、即座に土下座を決め込んだ。

 

「すまない、親父! 時間は決めてなかったから、てっきり昼過ぎ頃に出向けばいいだろうって思ってたんだ」

「言い訳などいらぬ。顔を上げろ、毅山」


 言われて頭を上げる毅山の顔を見て、範村はその姿を見て怒るのを通り越して呆れ返っていた。


 これから行われるのはお互いの命を賭けた真剣勝負である。

 にもかかわらず、毅山の目には大きなクマが出来ていて、明らかに寝不足だったのが見て取れる。もしかしたら徹夜すらしたのかもしれない。


 明日死ぬかもしれぬ大勝負を前に心が昂るのは理解できる。

 が、それを克服し、平常心を保ってこそ一流の書道家と言えよう。 


 範村は毅山を一流の書道家であると認めた。だからこそ自分が戦うに相応しい相手として今回の勝負を申し出た。


 だというのに、決戦当日にこの失態!


 時間に関しては詳しく伝えなかった自分にも非がある。

 だからそれは許そうと思っていた。


 しかし、一流の書道家にあるまじき様子を見たら、思わずかっとなって殴りつけてしまったのだった(平常心、どこへ行った?)。

 

「親父よ、遅刻は謝るが、体調に関して怒られるのは不本意だぞ」


 そんな父親の様子を見て殴られた理由を悟った毅山が、心外だとばかりに反論する。


「なに?」

「俺は長年流れ筆として筆勝負の世界で生きてきた。そのような生き方の中では体調不良の時に勝負を申し込まれることなど日常茶飯事。今日は体調が悪いからまた今度にしてくれなんて言っていたら、とても生き残れない世界だったんだよ」


 だから筆勝負の場に立った時点で、たとえどんな体調であろうがそれがその時のベストコンディションなのさと毅山は言い切った。

 もちろん強がりである。新幹線の中で多少眠りはしたが、昨夜と、巖興寺での臨書の疲れが蓄積され、正直に言えばあと24時間は寝たい。

 

 が、勝負は今日この時。そのための準備はやってきた。眠るのなら勝負の後にゆっくりと眠ればいい。下手すれば一生眠ることになるかもしれないのだ。ならば今は頑張ってこの時を精一杯生きるしかない。

 

「……ふっ、なかなか言うようになったな、毅山。ならば今日は存分にやりあえると期待してよいのだな?」

「ああ。親父、お前を竹下巌の亡霊から解き放ってやる」  

 

 範村は不敵な笑みを浮かべると、毅山に背を向けて屋敷の奥へと向かう様子を見せた。

 毅山もその後に続こうと立ち上がろうと……したところで不意に範村が振り返った。

  

「ところで毅山よ、ひとつ聞きたいことがある。お前、もしかしてEDなのか?」


 いきなり実にデリケートな話題をぶっこんできた。

 

「は? なんだそれ? どこからそんな話が?」

「流君から話は全て聞かせてもらった。お前、彼女がどれだけ迫っても頑なに拒んだらしいな?」

「一体何の話……え、あの野郎、まさか」


 ふと廊下の先を見ると、部屋の襖からこっそり顔を出して様子を伺っているながれと目があった。

 

「おい、流! お前、何を話した!?」

「いやー、ごめんごめん。話題が途中で尽きちゃってさー。思わずしゃべっちゃった」


 てへぺろと本日二回目の舌を出して、悪びれもなく出てくる流。


「しゃべっちゃった、じゃないだろ! ああいうことはべらべらと他人に話すことでは」

「毅山よ! どうなのだ、お前はEDなのか!? もしそうなら父は死んだ母さんに顔向けが出来ぬ。いや、長く続いた我が花川家も私の代で終わりということになれば、ご先祖様にも申し訳が」

「落ち着け親父! そんなわけねぇだろ。あれは俺にその気がないにもかかわらず流が迫ってくるから!」

「ヒドい毅山君! 私たち許嫁の関係なのに、その気がないなんて。ううっ、所詮私なんて遊び相手でしかなかったのね」

「毅山! お前と言う奴はぁぁぁ!」

「だから落ち着け親父! 流も面白がって話をこんがらがせるんじゃねー!」


 そもそも、これからの行う筆勝負の結果次第によっては毅山がEDであろうとなかろうと花川家は毅山の代で終わることになる。そんなツッコミすら追いつけないハイテンションは、これから行われる死闘の行く末を暗示しているのだろうか。

 

「勃て! 勃ちあがれ、毅山!」

「立つよ! てか、そっちは今、勃ち上がらせる必要ないだろ!」


 そしてついに立ち上がる毅山。

 運命の筆勝負が始まる! 待て次回。

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