第18話 書道に不可能はない

「なんだって!? 米田草市も、剛厳も、ふたりとも生きているのかっ!?」


 何が何やら分からなくとも、大山ほどの男が土下座をするからには受けなくてはなるまい。

 とは言え、まずは筆をしっかりと洗う必要がある。どんなに時間がなくてもこの基本中の基本を怠るわけにはいかない。

 というわけで筆を洗いながら詳しく事情を尋ねる毅山に、大山は思いもしなかった事実を打ち明けた。

 

「はい。どちらも毅山さんに敗北後、毒を飲んで自殺を試みましたが、血墨会の迅速な行動によって辛うじて命は助けることが出来ました。ただ」

「ただ?」

「昏睡状態でいまだどちらも目を覚ます気配がありません。お医者さんの話ではよほどのことがない限り、おそらくはずっとそのままだろう、と」


 そんな……それではいくら助かっても意味がないではないか。

 米田も剛厳も書道に殉じた真の書道家である。筆勝負に敗れて自ら命を断ったのは見事と言わざるをえない。

 とは言え、助かるのであれば助かってほしいのも本音である。書道家は決して自殺願望者でもなければ(毅山は例外中の例外である)、相手を殺すことが生き甲斐の殺人狂でもないのだ。

 

「ですが、毅山さんならもしかするとふたりを助けられるかもしれないのです」

「俺が? どうやって?」

「毅山さんの体から溢れ出る気を、ふたりに注入してやれば目が覚める可能性があるそうです」

「マジか!?」


 怪しげな話になってきた、なんて思ってはいけない。

 真の書道家の錬られた気は、仙人のそれと同様だと昔から言われている。そもそもたかだか紙に墨で文字を書いただけのものが書道と言う芸術として崇められるのは、書道家の気が文字に宿って観る者の心を打つからに他ならない。

 だからその気を医学に使おうと考えるのは決しておかしな話ではないのだ、いやマジで。

 

「でも、気ならば別に俺でなくても大山のでもいいんじゃねぇのか?」

「いえ、残念ながら僕の気では駄目です」

「なんで?」

「どうしても毅山さんでなければならない理由があるのですよ」


 そうなの?

 大山は今や日本中の誰もが知っている全米書道会選手メジャーリーガーだ。その腕前は毅山も認めるところである。

 その大山がダメで、自分なら出来るとは一体どういう理由なのだろうか?

 正直気になるところではある。

 が。


「分かった。どうなるかは分からねぇが、俺だってふたりを助けたい。力を貸すぜ」


 丁度筆も完全に墨を洗い流し終わったところだ。これ以上は話をするよりも、行動に移すべきだと思い、毅山はそれ以上深入りせず了承した。


「ありがとうございます、毅山さん」

「筆は道中で乾かすことにしよう」

「はい、そのために専用筆ケースも持って来てあります」


 この場合の筆ケースとは、いわゆる筆を包み込むような形状のものではない。

 濡れた筆をケース内で吊るし、適温を維持しつつ、風通しもばっちりという特殊ボックスである。

 故に形状はペットを持ち運ぶケースの如く大きい。

 

「こんなのがあるのか!? 知らなかったな」

アメリカあちらでは移動が多いですからね、常識ですよ」


 驚きつつも、筆を乾かす暇もないとは嫌な常識だなとはさすがに言えない毅山であった。

 

 

 

 

「よく来てくれたの」


 大山と共に病院に駆け付けた毅山を待っていたのは、あの卒業証書対決で戦った木曽東波きそ・とうば、その人であった。

 

「東波先生!? あなたが何故?」

「かつての教え子から助けてほしいと連絡を貰ったんじゃ」


 なんでも血墨会本部を毅山に教えた数日後、大山は胸騒ぎを覚えて大阪を訪れたらしい。そこで毅山に倒された剛厳と米田草市が昏睡状態で病院に収容されているのを知った。なんとか彼らを助けられないかと思った大山は、かつての師である木曽東波に連絡したということなのだが……。

 

「ワシを仙人か何かと勘違いしておるのではないかのぉ。さすがのワシでも医者の真似事なんか出来んわい」

「と言いつつも、東波先生はなんとか策がないかと考えてくれたんだ。そこで思いついたのが毅山さんだったというわけさ」

「俺の気でふたりを呼び起こすって奴だな。でも、どうして俺なんだ? 俺じゃなくても大山でも問題なさそうだし、それこそ東波先生なら俺よりもずっと」

「いや、ワシらでは駄目なんじゃ」


 東波がふるふると頭を振った。

 

「気の総量自体は我らにさほど差はない。が、ここで大切なのは気の質なのじゃ」

「それも変わらないように思うんだが?」

「本来は、な。じゃが今回に限って言えば、ワシらは患者ふたりと面識がない。面識があるのは毅山殿だけじゃ」


 相手をどれだけ知っているか、それがどれだけ重要かは卒業証書対決を見れば分かるだろう。面識と言っても毅山はただふたりと筆勝負をしただけではないかと思われるかもしれないが、書道家にとって筆勝負以上のコミュニケーションはない。筆勝負をしただけで相手のことがすべて分かってしまう、それが書道家という生き物なのだ。 


 だからこそ、このツッコミどころ満載な東波の返答に毅山は黙って頷いた。

 

「ふたりのことを知っている毅山殿の気ならば、彼らは目覚めるかもしれぬ。そしてもし成功すれば、この経験はきっと毅山殿にとって大きな武器となるはずじゃ」

「武器?」

「ええ。対花川範村戦に向けて何らかのインスピレーションになるはずですよ!」


 東波の言葉に頭を捻る毅山。その両肩を大山が力強く叩いた。

 ここでようやく毅山は何故自分がここに呼ばれたのかを真に理解した。

 確かにふたりの命を救うことは大切だ。そのためには彼らと筆勝負をした自分が適任なのも理解できる。

 が、大山と東波がその気になれば、自分の力を借りなくともふたりを蘇生出来るのではないだろうか。それでもわざわざ自分を探し出して、連れてきたのにはもっと大きな理由があったのだ!

 

「……よし、分かった! ふたりの気持ちに応えるためにも頑張ってみるぜ!」


 気合を入れて毅山は病室の扉を開く。

 中では静かに剛厳と米田が眠っていた。

 

 

 

「まだじゃ。まだ気が荒ぶっておる」

「くっ。だったらこうすれば……」

「落ち着くんだ、毅山さん。あまり考えず自然体で」


 大山がアドバイスをするも、その通りに出来れば何の苦労もない。

 毅山は両手を開き、眠っている剛厳の胸の上に置きながら懸命に気を調整していた。

 が、なかなか上手くいかない。やはり筆を持って書く時と違い、どうにも勝手が分からないのだ。

 

「実際に筆を持ってみたら上手く集中できそうなんだが……」

「それでは駄目じゃ。筆先を胸に当てられる感覚を想像してみい。毅山殿の気を感じるよりもまず『こそばゆい』って感情が先立ってしまうじゃろう?」

「さすがは東波先生。鋭いご考察だ」


 本人たちは至って真面目だ。笑ってはいけない。


「手のひらを筆先のように感じるのじゃ、毅山殿」

「手のひらが筆、手のひらが筆、手のひらが筆……」

「いいぞ、毅山さん。気が集中してきた」

「よし! 今じゃ!」


 毅山の手のひらに集まった気が充実したのを見計らって東波が合図する。

 と、同時にドンッと、心臓マッサージの要領で、毅山は剛厳の胸に両手を強く押し当てた。

 しかし。

 

「……失敗じゃ」

 

 東波が呟くように、剛厳の意識が戻る様子はない。

 あれほど強く胸を押したのに、痛がる様子もなく静かに横たわっている。

 

 毅山の発した気が剛厳の体を巡るのは三人とも確かに見た。東波の理論ではこれで全て上手くいくはずだ。それなのに何の変化もないとは理論が間違っているのか、それとも毅山の気が未熟なのか……。

 

「なんということだ。やはり書道の気を医学に用いることは不可能なのか?」


 大山が「それを言ってはおしまいよ」なセリフを吐いてうなだれる。

 

「だから言ったじゃろう。ワシを仙人か何かと勘違いしては困る、と」


 東波が逃げの一手を打った。 

 

「……いや、まだだ!」


 しかし、毅山だけがまだ諦めていなかった。

 

 剛厳の体に気を送り込んだ時、手のひらから直接伝わってくる不思議な声。それは剛厳の心の声かもしれないし、はたまた彼の体を作り上げる細胞たちの声かもしれなかったが、確かに感じきこえた。

 

 お前の書を見せてくれ――と。

 

「大山、俺の筆を取りだしてくれ!」

「え? しかし、筆だとしっかり気が伝わらないと先ほど東波先生が」

「いいから早く!」


 大山に命じつつ、毅山は胸元から素早く硯と墨を取り出す。

 硯は東波から受け継いだ古端渓。墨も由緒ある古墨だ。


「ふむ。ならば水はこれを使うとよい。とっておきの鍾乳水じゃ」

 

 毅山がやらんとすることをいち早く理解した東波が、携帯用の魚型水差しを投げ渡した。

 中に入っている鍾乳水とは、鍾乳石から滴り落ちる水をドモホルンリンクルよろしく一滴一滴丁寧に採取した水のことである。これで摩った墨はいつまでも瑞々しい光沢を放つという。

 

 毅山は東波に頷くことで礼に変えると、凄まじい勢いで墨を摩り始めた。

 筆を例のケースから取り出した大山もさすがに毅山が何をしようとしているのかを察し、先ほどまでは胸元だけを露出させた剛厳の服をギャランドゥの位置、あともう少し下げたら剛厳の筆がポロリしてしまうところまで脱がせていく。

 そして剛厳の上半身が完全に裸となったところで、墨を摩り終えた毅山がその上にまたがった。

 

「今こそ目を覚ませ、剛厳!」


 大山に筆を手渡された毅山が声を上げて、剛厳の胸元に筆先を滑らせる。

 ただし、その筆にはしっかりと墨が浸み込んでいた。ただ筆先で胸元をこちょこちょするだけではない。実際にその胸元に書道作品を書き上げるのだ!

 

「なるほど! 実際に墨で書くことで『こそばゆい』だけでなく、気も少しずつ体へ浸透するように考えたのか!」

「見事じゃ、毅山殿!」


 傍らで大山や東波が感嘆するが、実のところそこまでは全く考えていなかった。

 ただ『お前の書を見せてくれ』と声が聞こえたような気がしたし、かと言って目は瞑られているわけだから普通に書いても見れないだろう。だから背中に文字を書く伝言ゲーム的なノリで体に書いてみただけだ。

 

 それでも周りがここまで感心してくれると、なんだか上手くいきそうな気がする。

 毅山はノリノリで書き上げ、さらにはへその左下に落款まで押して、待つことしばし。

  

「う、うん……こ、ここは?」


 なんと、剛厳が目を覚ました!

 まさに書道が人の命を救った瞬間であった。

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