第13話 その字はまさか!?

「「総帥!」」


 突如現れた男を、血墨会のふたりは確かにそう呼んだ。

 

「総帥? ってことはあんたが血墨会の親玉か!?」


 毅山が若者をまじまじと見つめる。年齢は自分と同じぐらいだろうか。眼光こそ鋭いものの、一見した限り普通の青年である。

 

「ああ。信じられないなら証拠を見せてやろうか?」


 毅山の目に自分を疑う光を感じ取ったのだろうか。男はそう言うと俄かにシャツを脱ぎ出し、上半身を露出させた。

 流の目がぴかんと光る。が、それはこの際どーでもいい。

 

「さすがは総帥や! 書道筋しょどうきんが今日もキレてますで!」

「その筋肉のために、どれだけの眠れぬ夜を過ごしたんでっか!」


 書道筋とはご存知の通り、利き腕の肩から首元にかけての筋肉のことだ。一年三百六十五日、ひたすら字を書いている書道家はこの筋肉が発達する。

 だが、とりわけこの男の書道筋は凄まじかった。左右の肩で二倍ほど大きさが違うのだ。

 これほどの書道筋を誇るには、相当長い年月を厳しい修行で費やしたに違いない。その年齢から考えたら、よほど信じられないことである。

 

「すごーい! でも書道筋だったら毅山君だって負けてないよっ!」


 が、男の上半身に目をギラギラさせて見入っていた流が、突然毅山へ振り返ると両手をワキワキさせた。そのイヤらしい手つきと血走った目に悪寒を感じた毅山であったが、時すでに遅し。

 

「あはははは! ほらほらほら毅山君も脱いで脱いで脱いーで!」


 毅山が本気で抵抗するも空しく、流がとんでもない力でシャツをめくりあげて、あっという間に上半身を裸にされてしまった。


「おおっ! その書道筋はっ!?」

「総帥に勝るとも劣らんやないかっ!?」


 敬愛する総帥と同じ書道筋を持つ毅山に、驚きの声をあげる血墨会のふたり。

 対して総帥と呼ばれた男は顔色一つ変えず、

 

「さすがは花川毅山。子供の頃から俺と同じ修行を積んできただけのことはある」


 涎を垂れ流している流をよそにシャツを着直しながら、涼やかに毅山を褒めたたえた。

 

「俺と同じ? まさかあんたもあの『洗い一年、干し2年、摩りが3年、彫り4年』の十年修行を!?」

「そうだ。もともとアレは俺の父が考案したのを、お前の親父・花川範村が真似をしたものなのさ」

「なんだって!? あんたの親父というのは……ま、まさか!?」

「そう。俺の名は竹下剛厳たけした・ごうげん。竹下巌は俺の父親だ!」





 竹下剛厳。

 現代三筆のひとり・竹下巌が流れ筆時代に作った子供である。

 母親は知らない。剛厳最古の記憶には、自分と巌の二人しかいなかった。

 流れ筆の巌とともに家を持たず、全国をひたすら歩いて旅する日々。だが、幼い剛厳にはそれが楽しかった。巌は書道には厳しかったものの、剛厳には優しく、温かい父親であった。

 

「だが、そんな日々は長く続かなかった。ある日、父が病で倒れたのだ」


 旅の途中で訪れた、とある寺院の宿坊にて寝込んでしまった巌。

 幼い剛厳から見ても、父の病状が相当に厳しいのは医師の表情からも分かった。

 流れ筆としての苛烈な毎日が、巌の体を知らず知らずのうちに蝕んでいたのだ。


 泣きたかった。が、病床に就く父を困らせるわけにはいかないと、剛厳は必死に笑顔を浮かべる。対して日に日に体が弱っていき、辛いはずの巌もまた、そんな息子の笑顔を見る時だけは穏やかな微笑を見せるのだった。

 

 やがて巌の病状を聞きつけた人々が、見舞いへ訪れるようになった。

 大日本書道倶楽部からは離れたものの、流れ筆時代に作った弟子たちである。彼らは一様に変わり果てた巌の姿に涙してくれた。

 

「だが、ひとりだけ涙を流さず、それどころか病床の父に対して筆勝負を挑んできた恥知らずがいた」

「なんて奴だ! 書道家の風下にも置けないとは、まさにそいつのことだな!」

「ああ。その卑怯者の名は花川範村!」

「な!?」

「現代三筆のひとりにして、お前の父親だ、花川毅山!」


 剛厳の話に愕然とする毅山。

 尊敬する父がそんな卑怯なことをしたなんて信じられない。

 いや、信じたくなかった。

 

 確かに父は同じ現代三筆でありながら、竹下巌より三割下だと言われていたらしい。

 とはいえ、その評価を覆すべく、病に蝕まれた相手をここぞとばかりに叩くような卑怯者ではない。

 決して、そんなわけがない!

 

「父は到底筆勝負なんて出来る体ではなかった。が、筆勝負を挑まれて逃げるは書道家の恥。父は範村との勝負を受け、そして敗れた」

「では、竹下巌は……」

「ああ、まだ幼かった俺の目の前で命を絶ったよ」


 竹下巌がすでに死んでいた。

 それはそれで確かにショックではある。

 が、その死に直接父親の範村が、しかもそんな卑怯な手段で関わっていたことに、毅山は例えようのない衝撃を受けていた。

 

 無論、剛厳が嘘を言っている可能性もなくはない。

 しかし、一片の曇りもなく毅山を見つめる瞳が、嘘などついていないと雄弁に語りかけてくる。

 

「父が死んだ日、俺の人生が決まった。俺はお前たち親子に復讐をする。そのためにひたすら厳しい試練に耐えた。さっきは俺たちの書道筋が全く同じだ、なんて言われていたな? ふ、そんなわけがなかろう。ただ父に憧れて修行をしたお前と、そいつを倒すべく修羅の道を生き抜いてきた俺が一緒なわけあるまい!」


 そう言うやいなや、剛厳の右肩が俄かに膨らみ始めた。

 すさまじい膨張にシャツがぱんぱんになったかと思うと、ついにはビリっと破れてしまう。

 露出したのは、先ほどとは比べ物にならぬほどパンプアップされた右肩だ。流だけでなく、全員がそのすさまじさに思わず息を飲み込んだ。



「どうだ花川毅山よ、父の醜い真実を曝け出され、自分を圧倒する俺という存在を前にした気分は? 絶望したか? 潔く負けを認めるか? だが、俺はお前を憐れみも、容赦もしない。今、ここでお前に筆勝負を挑ませてもらうぞ」

「なっ!? ちょっとそれは卑怯じゃない!」


 茫然自失としている毅山の代わりに、流が異を訴えた。

 

「卑怯だと? そいつの親父がやったことを聞いてよくそんなことが言えるな、世尊院の娘」

「それはそうだけど……でも、毅山君は何も関係ないでしょー!」

「関係ない、か。なるほど、いくら息子とはいえ、確かにこやつが父を殺したわけではない。とんだとばっちりだと思うかもしれんだろう」


 思わぬ剛厳のトーンダウンに、希望を見出した表情の流が「だったら」と口を挟む。

 が。


「だが、それでも俺はこやつと戦って倒さねばならぬ道をこれまで生きてきたのだ。受けてもらうぞ、花川毅山!」


 剛厳は流を無視して、毅山をじっと睨みつける。

 毅山はまさに蛇に睨まれた蛙の如く、逃げることも、異を唱えることもできない。

 出来ることと言えば、ただ小さな声で「分かった」と筆勝負を承諾することだけであった。

 

 

 

「では、制限時間10分の間に一点作品を仕上げてください。お題は自由。判定は私、世尊院流と本家血墨会師範が公平に行います」


 そう言いながらも、流はちらりと毅山の様子を伺った。

 相変わらず顔色を失い、いつものような溢れんばかりの覇気がまるで感じられない。どう見ても形勢は毅山に不利、そもそも筆勝負が出来る精神が状態ではなかった。

 

 だが、毅山がそのような状況で戦わされるのを黙って見ている流ではない。

 剛厳が勝手にルールを決めたのをいいことに、だったら公平な判定を下すため両者側からそれぞれ一名ずつ判定人を出すべきだと訴え出て、なんとか認めさせたのだ。


 これならなんとかなる。流は心の中でほっと溜息をついた。

 

「では両者、始めなはれ!」


 もうひとりの判定役を務める本家血墨会師範の合図に、剛厳が筆を掴んで紙面に毛先を踊らせていく。

 なるほど。竹下巌の息子だけあって、相当な手練れだ。鍛え上げた腕を鋭く振るう激しい書風でありながら、決して力任せではない。筆先は時に吸い付くように、時には軽く口づけをするかの如く紙面との逢瀬に絶妙な強弱を付けている。

 

 紡がれる言葉は「僕受遺以来 臥薪嘗胆」。

 宋の時代の書家・蘇軾の詩の一文で、『臥薪嘗胆』という言葉の起源と言われている(注:言葉そのものの題材は紀元前の呉と越の戦争が由来である。ここで言う起源とは初出という意味だ)。


 まるで己の人生をこの九文字に凝縮させるかのように、一息で書き上げた剛厳。会心の一作であることは疑う余地もない。

 ただ、流はその作風にどこか見覚えがあるように感じた。

 どこだろうか? 竹下巌の息子なのだから、竹下の作風に似ているのは当たり前なのだが、しかし、それ以上にもっと近い作風の書道家がいたはずだ。


 誰だろうと考えつつも、結局出てこなかった。

 だが、そんなことはこの際どうでもいい。

 剛厳の書は素晴らしかった。普段の毅山でも勝てたかどうかは正直微妙なところだ。 


 が、今回の剛厳は決して毅山には勝てない。

 自分(流)が判定人を務める以上、引き分け以上はありえないのだ。


 そう、口では公平なジャッジをすると言った流だが、そんなつもりは毛頭ない。そもそも毅山をあんな心理状況に陥らせてから筆勝負を挑むこと自体、公平ではないのだ。だったら真面目に判定する必要もない。

 

 だから剛厳の力量に感嘆しつつも、流は安心しきっていた……のだが。 

 

「ちょ! ちょっと! 毅山君、何をしてるの!?」


 剛厳の作品から目を離し、毅山へと振り向いた流は一瞬にして血の気が引いた。

 勝負開始からすでに三分以上が経過している。にもかかわらず、毅山はいまだ筆すら持っておらず、ただただ剛厳が先ほど書き上げた作品を青ざめた表情で凝視していたのだ。

 

「毅山君、時間がないよっ! 早く何か書いて!」

「…………」


 慌てて流は毅山を急かす。

 が、毅山は顔面蒼白で体を震わせ、

 

「馬鹿な……その字は……親父の字だ……」


 およそ信じられない、信じたくないとばかりに呟いた。

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