第5話 許嫁襲来!
「ふぅ、この時期に温泉でのんびり出来るとは思ってもいなかったな」
時は年の瀬。本来なら流れ筆にとってこの時期は、年賀状の宛名書きに追われるものである。
しかし、毅山は先の年賀状デザイン勝負において日本画家・鹿野雄徳と名勝負を繰り広げ、結果引き分けとなったものの、気風のいい主人から二百万の賞金をいただいた。
しかも、いいものを見せてもらったと、鹿野からはこの温泉旅行をプレゼントされたのである。
死ぬことは出来なかった。
が、こうして充実した生を実感出来るのは、それはそれで喜ばしいことであった。
「いやぁ、生き返るなぁ。しかし、あのおっさんもなかなかいいところがあるじゃねぇか。この部屋もこんなデカい個人用の露天風呂を備えてるんだ、いい値段がするだろうに」
湯船にゆったりとつかり、目の前に広がる雄大な太平洋の景色を楽しむ。まさに極楽である。こうなると普段は飲まない酒も呑みたくなるもの。
「失礼いたします。お酒をお持ちいたしました」
というわけで、ちゃっかりお酒を頼んでいた。
仲居さんが断りの言葉をかけた後、音もなく庭の露天風呂へと降りてくる。
「おおう、待ってました……って、ええっ!?」
しかし、その仲居さんの姿を見て、毅山は心底驚いた。
「お前、
そう、お酒を持って現れたのは今や大日本書道倶楽部のナンバー2であり、毅山の幼馴染である
「えへへ、来ちゃったー」
「来ちゃった、じゃねぇ! どうして俺がここにいると知ったんだ!?」
「あのねー、日本美術学会の忘年会で鹿野さんに教えてもらったんだー」
「あの中年オヤジ、なんてことを! はっ、まさかお前が刺客……なのか?」
「刺客? なんのこと?」
流は首を傾げながらも「ま、とにかくそういうことで、ちょっとお邪魔しまーす」と徳利と二つのお猪口を乗せたお盆を傍に置いて、突然着物を脱ぎ始めた!
「ちょ、おま! 年頃の女の子が男の前でいきなり裸になるなっ!」
「今更何言ってんの。子供の頃はよく一緒にお風呂に入ったでしょーに」
「十年以上も昔の話じゃねぇか!」
「ふっふっふー、だったらこの成長した流さんのないすばでぃを見てもらいましょー」
そう言って全部脱ぎ終わって全裸になった流は、その場でどうだ参ったかとばかりに胸を両腕で抱え上げて、堂々のガイナ立ち。
対して毅山は慌てて顔を背け、流とは逆方向に広がる太平洋へと視線を向けた。
ああ、海はいいなぁ。
海よー、オレの(JASRACがなんか言ってきたら嫌なので以下割愛っ!)
「わぁ、景色いいねー! すごーい、太平洋、ひろーい!」
ところが流はそんな毅山の頭上をジャンプで飛び越して露天風呂に着水したかと思うと、たわわに育った大きなお尻を毅山に押し付けるようにして、太平洋見物と洒落込む。
幼馴染であり、そして実は互いの親が勝手に決めた許嫁でもある流にペースを完全に握られ、毅山は「ああ、せっかくの休暇が終わったな」とがっくり首を垂れるのであった。
「おいひー」
部屋に次々と運ばれてくる旅館料理の数々に、流が舌鼓を打つ。
「口に物を入れながら話すのは行儀がよくないぞ」
「ごっくん。もう硬いなぁ、毅山君はー。硬いのはアレだけでいいのに」
「……女の子なんだから、そういうことは言わない」
そう窘めながら毅山は内心「やっぱりな」と思いつつ、溜息をつく。
流が自分の前に現れたこと。
さらには露天風呂での一件。
流が何を目的にやって来たのか、薄々見当がつく。
思えばこの温泉旅行だって、本当は裏で流が鹿野と手を組んで、自分を罠にかけたのではなかろうか。
だって露天風呂から上がってみれば、料理が何故か二人分用意されていたもの!
おまけにさっきからスッポンだの、ニンニクが効いた料理だの、妙にそれっぽいものが多いもの!
ああ、困った。困ったことになった。
おかげでせっかくの料理も全然味が分からない毅山であった。
「いやぁ、食べた食べた。お腹まんぷくだねぇ。となると次は――」
流の目が一瞬光ったように見えて、毅山はびくりと体を震わせた。
「次はちょっと運動をしよう!」
「いや、それはちょっと……」
「えー、やろうよぉ」
「いやいや、だからな、俺は大日本書道倶楽部を追放された身だから」
「やだやだやだ、温泉にまで来たんだからやりたい、やりたい、やりたーい」
「いやいやいやいや! お前、女の子がそんなやりたいやりたいなんて言っては、はしたないだろ」
「えー、女の子が温泉卓球やりたいって言ったらダメって誰が決めたのさー」
「だから温泉卓球やりたいなんて……え、卓球?」
「そう、卓球。あれぇ、いったいナニと間違えたのかなぁ、毅山君?」
毅山、自ら墓穴を掘る。
「え、オケツを掘る? 毅山君って、そっちが好きなの?」
「知らねぇよ、そんなこと。それより卓球だったら付き合ってやる。ほら、早速やりに行くぞ」
「早速やりに行くって、毅山君のえっち」
「……どないせっちゅうねん」
しかもその健全なスポーツであるはずの卓球では、周りに他のお客さんがいないのをいいことに流がポロリを連発。露天風呂でさんざん裸を見せつけられたというのに、浴衣からはだけて、ぽよんぽよんと揺れる様はまた違った魅力があって毅山の理性を揺さぶり、これはいかんと温泉卓球をやめてゲームコーナーに来てみたら
『……あなたにだったら全部見せても……』
何故か脱衣麻雀しかなくて、しかも流がやたらと強く、どんどん女の子を脱がしていく。
「おのれぇ。温泉旅館のゲームコーナーだったら『ファイナルファイト』とか『ダイナマイト刑事』とか置いとけよぅ。それがダメならせめて『ワニワニパニック』だろ、普通は!」
何が普通なのかよく分からないが、とにかくあの毅山が追い込まれているのだけは分かってもらえるだろう。
駄目だ、この流れはダメだ。何とかしないと。
「風呂だ! 風呂に行ってくる!」
「あ、部屋の露天風呂? だったら私も」
「いや、今度は大浴場に行ってくる。あそこは混浴じゃないから付いてくるなよ、流」
言うやいなやぴゅーと一目散にその場から立ち去る毅山。
だからその背中を見送る流が、いやぁな笑顔を浮かべているのに気付くことができなかった。
唐突だが、旅館とはいいものだ。
ご飯は勝手に出てくるし、後片付けをしなくてもいいし、食事の後にひと風呂浴びて帰ってくると布団まで敷いてくれている。
まさにいたせりつくせり。おもてなしのプロ!
が、時にそんなお客様の気持ちに立った接客が、かえって困った事態を引き起こすこともあるのだなと、この時、毅山は痛感した。
大浴場から帰ってきた部屋は薄暗く、間接照明だけ灯されている。
その中央に大きな布団が、仲居さんのお心配りにより、一組だけ敷かれていた。
枕が当然の如くふたつある。
それが何を意味するのか、毅山は当然分かっている。
そしてさらに布団の傍らで流が土下座して「お帰りなさいませ、毅山様」と毅山の帰りを出迎えたかと思うと、唐突に流暢な筆さばきで『〇』と書いた半紙を持ち上げた意味もまた理解していた。
それはたかが一文字なれど、流の強い意志、決意、願望が込められた、女の書であった。
完全に追い詰められた毅山。男ならば潔く腹を括るべきであろう。
毅山は無言で流に近づき、お互いが手を伸ばせば触れ合える距離で相対し正座した。
仄かに赤く染まる流の頬。その髪から何とも言えぬ香しき匂いが毅山の鼻孔を擽る。おそらくは毅山同様、流もまたあの後温泉へ入り、身を清めたのであろう。
毅山の脳裏に露天風呂で見た成熟した流の身体、浴衣をはだけて揺れる乳房が浮かぶ。理性の壁はもう崩壊寸前。毅山は意を決して自分の浴衣の胸元へと手を伸ばし、体を流の前へ沈みこませた。
「え?」
毅山の耳に流の声が聞こえてくる。
「えええええええっ! ちょっと! 『×』ってどういうことよっ、毅山君!?」
浴衣から取り出した『×』と書いた半紙を頭上に掲げ、土下座する毅山の頭上から流の怒声が轟いてきた。
そう、毅山はこの展開を予想し、男子大浴場の更衣室にて予めしたためておいたのだ。
旅館の仲居さんがおもてなしのプロなら、毅山もプロの書道家。どんな時でも筆と多少の墨、半紙は持ち歩いている。
そして書き上げた『×』。これまた一文字なれど、毅山の毅然たる覚悟を込めた男の書であった。
「なんでダメなのか、ちゃんと説明して、毅山君」
「すまん。俺は破門中の流れ筆。お前とそういうことをするわけにはいかないんだよ」
「なんでさー。確かに毅山君は倶楽部から追放されちゃったけど、切腹しなくてすんだし、私たちの許嫁も解消しなかったじゃん。だからここで私と既成事実を作っちゃえば、きっと戻してくれるってー」
「いや、さすがにダメだろそれは」
「ええー!? だったらいつ戻ってくるのよー?」
「……そのうち、だ」
「だから、それはいつー!?」
「分からん」
「あーもう!」
ついに流がキレた。
「あのねぇ、大日本書道倶楽部は毅山君のお父さんが病で倒れて、私のパパが実権を握ってからしっちゃかめっちゃかで大変なんだから! そりゃあ倶楽部を脅かす存在が現れたから焦るのは分かるよ? でも、あちらこちらに権力振りかざして傘下にしちゃってさ、実際にその対応に追われるのは誰だと思ってんの? 私よ、私。もう大変なんだから!」
「……すまん」
「すまないと思ってるなら早く戻ってきて手伝ってよー! あるいはパパの暴走を止めてちょーだい!」
「俺に成之先生を止めることなど出来るはずがないだろ? それより娘のお前から言った方が」
「それが無理だからこうして実力行使に出てるんじゃんかー!」
「おいおい、それを言っちゃおしまいだろ……てかさ、成之先生って普段は温和だけど、ことお前のことになると鬼のようになるのを知っているか?」
「知ってるわよ。私が若い男の子と話すのを見るとピカーッて目が光るもん」
「それ、俺でも一緒なんだぞ。さっき既成事実を作れば戻れるとか言ってたけど、そんなことをしたらそもそも成之先生に殺されるんじゃないか、俺?」
「あはは、オーバーだなぁ。殺しはしないって……多分。きっと半殺しぐらいで許してくれる……はず?」
「なんだ、その疑問形は!? そんな危ない橋を俺に渡らせるつもりだったのか、お前は!? あー、良かった、なんとか理性を引き留めてホントに良かったー」
「なによそれー!? 男だったら好きな女の子に子種を残して死ねるなら本望でしょー!?」
「やだよっ! そんな死に方はしたくねぇ! てか、俺を戻らせて手伝わせるって目的はどうなった!?」
「ふん、毅山君のヘタレ!」
「そういう流だってもっと女としての恥じらいを持ってだなぁ」
「なんだとー!?」
「なんだよー!?」
かくして大晦日の除夜の鐘が鳴り終わっても、煩悩の塊であるふたりの言い合いはいっこうに収まらないのであった。
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