3.ミヤの愛、小瀧の恋

 振袖姿の おミヤ様

 雪花ゆきはな流れる 滝の池

 凍る小滝と 御神渡おみわた

 それを守るは おおあやかし

 大きな 大きな 白い蛇


 とある村のわらべ唄。



 ◇



 子供たちに見つかってから、こちら・・・の時間では一時間も経っていない。しかし、あちら・・・ではどれくらいの時が経っただろうか。


「来たな」


 白く長い身体でミヤを囲んだ小瀧は、ある一点を睨んでいる。

 人里からこの小さな滝へ至る、唯一の入口を。

 遠くから足音が聞こえる。あの足音とともにやってくるだろう、人間たちを見据えて。


「小瀧……」


 ミヤは小瀧の首筋に触れる。つるりと白い鱗の感触と、ひんやりとした体温が伝わってくる。


「ミヤ、まだ環から出るなよ。おれの力を分けてやってるとこだからな」


 小瀧は尻尾の先で、振袖のアンティーク模様をつつく。

 小瀧自身はひんやりとした白い大蛇なのに、ミヤに流れてくる力はあたたかい。ミヤは杖を持っていない方の手で、そっと小瀧の尻尾を握った。


 ほどなくして、人間たちが現れた。


「この滝か……? 年寄り連中から妖怪へびの話は聞かされてきたけども」


 少年らしさが抜けきらない顔から、髪に白いものが混じり始めた年頃までさまざまに。

 そしてその中に、二十歳をいくらか過ぎた男がひとり。


「アキちゃん……」


 ミヤがその名を口にする。

 以前、学生服姿で現れたときよりもさらに年を重ねた、ミヤの元想い人だ。


「それだけじゃない、ミヤもだ。『おミヤ様』――神隠しみてえな、子供らの噂話だと思ってたけどなあ。今回は着物の色柄までしっかり覚えてたからな」


 先ほどの子供たちが、ミヤの姿形を大人に伝えたようだ。子供たちの年頃からして、ミヤが人間だったころの装いを知るはずがない。それが逆に『おミヤ様を見た』という証言に真実味を持たせたということなのだろう。


 男たちがめいめい、滝や池の周りを探し始める。

 ミヤと小瀧のそばを通り抜けたりしても、ミヤたちに気づくことはない。


「やっぱり、見えてないんだね」

「まあな。お前さんらのいう『むかしむかし』ならまだしも、今はもうあやかしを見られるやつなんざ、ほとんどいねえよ」


 それこそ、七つ前のわっぱでもなけりゃあな。

 小瀧はちろりと、先割れの細い舌を出した。


 男たちは池をのぞきこんだりなど、ミヤと小瀧の見ている前で、しばらく探索を続けていた。

 が、


「そろそろ切り上げどきじゃないかね」


 初老の男が、ため息をつきながら手近な小岩に腰掛ける。


「何かよくないことが起こったわけでもない、よしんば昔話通りに蛇の妖怪がいたとして、退治のしかたもわからないんじゃなあ」

「まあ、そうだよなあ」


 男たちの中では一番若い、少年と呼んでも差し支えない若者が同意する。


「なあアキヒコ、そろそろ諦めたらどうだ」


 初老の男が、ミヤの元想い人を見やる。


「ミヤがいなくなってもう十年近く経つ。お前ももう所帯持ちだ。いい加減、自分の家族だけに目を向けるときなんじゃないのか」

「俺は……」


 全員の視線を受けた男は、わずかにうつむく。


「……その通りなんだろうな。ひと目会えたら諦めがつくかもしれないなんて、俺のわがままだ……」


 様子を見ていた小瀧は「ケッ」と、毒でも吐かんばかりに牙を剥いた。


「なに勝手なこと言ってんだ、こいつはよ……ミヤ?」


 ミヤは杖を手に、小瀧の環から足を踏み出す。男たちが気づいた様子はない。妖ものであるミヤを、見ることができないのだ。

 ミヤは腕を軽く持ち上げ、杖の底で強めに地面をたたいた。

 池が、滝が、地面が。ぴしりと音を立てて、一瞬にしてあたり一面が氷に覆われる。少し遅れて、しずしずと、音もなく氷の花も舞い降りてきた。


「ミヤ! なにやって……」

「アキちゃん」


 慌てる小瀧をそっと制して、ミヤは声をかける。

 驚いて振り返る男たちの中でも、ミヤの元想い人――アキヒコは一瞬早く、弾かれたように立ち上がった。


「ミヤ、なのか……?」

 

 自失手前の、呆然とした声。


「そうだよ」


 ミヤが微笑む。

 舞い散る氷の花が音を吸う中で、ミヤとアキヒコが見つめ合う。

 小瀧すらも外に置いて。


「アキちゃん、結婚したんだね」

「あ、ああ……」


 優しい笑みを浮かべたミヤと対象的に、アキヒコは歯切れ悪く答える。


「ミヤは……あの頃から、変わってないんだな」

「わたしは妖ものだから。アキちゃんは大人になったね」

「なあ、ミヤ」


 たまらずといった様子で、アキヒコがミヤの言葉を遮った。


「あの日……お前がいなくなった初詣、覚えてるか」

「覚えてるよ。昨日のことみたいに」


 実際、初詣から数えたミヤの体感時間は短い。思い出すことなど容易だった。


「お前が待ち合わせ場所に来なくて……。泣きそうな顔でどこか行くのを見たって聞いたときには、もう遅かった」

「だってアキちゃん、美人と話してたんだもの。見たことない笑顔でさ」


 口にしている内容とは裏腹に、ミヤはどこか楽しげだ。


「それは! ……偶然なんだよ。あいつも友達と待ち合わせてて、たまたま話してただけで……」


 アキヒコは気まずそうに視線を外し、頭をかく。そして「いや、そうじゃなくて」と、またミヤと視線を合わせた。


「俺はあのとき、お前が好きだった」


 ふたりのやりとりを注視していた小瀧が、わずかに身じろぎする。どういうわけか、今のひと言でひどく心を乱された気がしたのだ。


「そっか……。わたし、あのとき逃げなくても、よかったんだ」


 ミヤの目は優しい。まるで、慈しむかのように。


「わたし、アキちゃんのこと愛してるよ。愛しい、っていうのかな」

「ミヤ……」


 アキヒコの表情が、苦しげにくしゃりと歪む。

 小瀧の我慢が、限界を超えた。

 小瀧の尻尾が、凍りついた池の一部を乱暴にたたき割る。同時に、白く長い大蛇の姿が、ミヤとアキヒコの間を割るように現れた。

 アキヒコをはじめとした男たちが悲鳴をあげる。小瀧は意に介さない。ミヤを背にかばうようにして、アキヒコを睨みつけている。


「ミヤ、こんなやつほっておけ。こいつはお前をあんなに泣かせたやつだろ?」

「小瀧……。でもね、愛しいのは本当なの」

「こいつでなくてもいいじゃねえか!」


 気づけば、小瀧は大声を出していた。


「こいつはお前さんを泣かせたし、ただの人間だ。一瞬でお前さんを置いていく。おれなら同じ妖もんだ、ずっと一緒だ。おれはな、お前さんが……ミヤのことが、好きなんだよ!」


 衝動に突き動かされた言葉は、もはや叫びに近かった。

 ミヤは目を丸く見開いてから、優しく笑う。


「小瀧、ありがとう。わたしも……あなたのこと、とってもとっても」


 愛してる。

 ミヤから贈られた言葉はあたたかかった。ただただあたたかくて、小瀧が焦がれ望んだ熱は、なかった。


「ちがうちがう、そうじゃねえ! なあミヤ、おれだけを見てくれよ! おれとふたりだけでずっと一緒にいてくれよ!」

「わたしは小瀧を愛してるよ? アキちゃんよりもずっとずっと」


 ミヤは困ったように首を傾げる。

 ミヤは小瀧を見ているし、小瀧はミヤを求めている。

 お互いがお互いを想っていることはたしかで、――すれ違っていることも、たしかだった。


「ミヤ……。この妖怪、お前に恋してるんじゃないのか」


 ミヤと小瀧のやりとりを見ていたアキヒコが、思わずといった様子で言葉をはさむ。


「恋、か。わたしの『恋心』は小瀧がもらってくれたの。だからもう、わたしにはもう、『恋』がわからないよ」


 でも、愛してるの。

 ミヤは再度、言葉にする。


「愛してるって……愛ってなんだ!? おれにはわからねえ、わからねえ……!!」


 小瀧には耐えられなかった。

 尻尾で氷という氷をたたき割り、暴れまわり、粉々に壊し尽くして――。

 乱反射する氷の粒が落ち着いた頃には、姿が見えなくなっていた。

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